すべてのはじまり


忘れもしないその日は雨が降っていた。

雨。月曜日の朝。通勤通学の電車内。並べるだけで負のオーラが伝わるだろう。ただでさえ通勤通学ラッシュ時の電車なんて「働きたくない」「勉強したくない」「だるい」「休みたい」みたいな負の感情で満ちているのにこれは酷い。まだ通勤ラッシュと呼ぶには少し早い時間帯だけど私にとっては充分な混雑具合。いつものようにイヤホンで耳を塞ぎ鞄から取り出した文庫本を開いて外界から自分を切り離し、電車に揺られていた。

「雄英高校前〜雄英高校前〜」

この駅でドッと人が降りる。私は顔を上げた。やっと息苦しさがましになった、と伸びをする。まあどうせこの駅からたった2つ後の駅で私も降りるんだけどさ。なんとなく窓の外を見た。それにしてもすごいよな、雄英高校。だって高校なのに駅の名前になってるし、流石は国立の高校と言ったところか。ホームには雄英の制服を着た人がチラホラいてあの人もあの人もみんな超エリートなんだな〜なんて思う。平凡な女子高に通いゲラゲラ笑って友人と騒いでるだけの私とは雲泥の差だ。扉が閉まり電車が動き出す。窓から目線を外し前を見た私の視界で何かがキラリと光った。

「ん?」

見れば向かい側の席が空いていてその座面と背もたれの隙間に光るものがある。何だか気になってじっとそれを眺めた。

「(腕時計?かな)」

確か雄英高校前駅に着く前までは電車内はそこそこ混んでいて、誰かが座っていたと思う。ということはあの駅で降りたその誰かが落としていってしまったのだ。ううん、と頭をひねってみるけど正面にどんな人が座ってたかなんて覚えていない。本読んでたし。とりあえずあれ拾って駅に届け出た方がいいよね、と思った私は次の駅に着いた時席を立ちそれを拾った。ゴツゴツした厳ついデザインだ。これあれだよね、Dショック?みたいな名前の諭吉が一人〜二人はないと買えないやつ。高価な物なら尚更、悪い人から盗られちゃう前に拾えてよかった。持ち主の元へ帰れるといいね、君。

「あれ名前だ、おはよ〜」

声をかけられて振り向けば見知った顔。同じクラスの友人だった。

「おはよう。今日珍しく早いじゃん、どうしたの」
「いや今日雨だしさ?遅延とかこえーなーって思って」

友人と喋りながら腕時計を制服のポケットへしまった。低気圧まじでだるいわ〜とかそういえば隣のクラスのあいつ彼氏出来たらしいよとかそんな話を聞きながら電車を降りる。友人と話しているうちにアホな私の脳ミソは駅に届けるつもりだった腕時計の存在を完全に頭の外へ追いやってしまっていた。





「何故我々には彼氏ができないのかを議題に会議をしたいと思う」

放課後、教室に残り仲のいい友人三人と駄弁っていたら、一人がおもむろにゲンドウポーズを決めそんなことを言った。

「女子校だから」
「女を捨ててるから」
「中身はオヤジだから」
「待って待って待ってストップストーーップ!」

私を始めとする友人達の容赦ない意見の嵐にゲンドウポーズをキメていた彼女はストップをかけた。必死かよ。

「あんたらさあ、もっと真面目に考えてよ」
「いやしょうがなくない?私ら中学ん時から女子校じゃん。周りに女だけの生活を始めてもう四年目になるんだよ?」

私は机の上に広げたポテチをバリバリ食べながら椅子の上に胡座をかいて彼女達の討論を聞いていた。この学校の生徒は、というか、女子校の生徒は基本男に飢えている。みんな口を開けば「彼氏ほしい」とか「恋したい」とか。まあ気持ちは分かるけどさ。

「ちょっと名前、あんたも黙ってないで何か言いなさいよ」
「いやあ、ポテチうまくて」
「自由か。ていうか名前ならその気になれば他校にでも男作れるでしょ、なんで作らないの?」
「貴様は椅子の上で胡座をかいてポテチを貪る女に男ができると思うか……?」

私が冗談めかした口調でそう言うと友人達はドッと笑った。

「いや名前はほんと、口を開いたらダメだわ、残念すぎる。あんた本読んでる時は大和撫子って感じだし、大人しくしていれば絶対モテるのに」
「だからあ、その男がこの環境だと周りにいないんじゃん。だから私はいない男より今目の前にあるポテチの方が大事。」
「ダメだこりゃ。まあ名前のそういう所好きだけどね」

これである。女子校に長く身を置いているとこうなる。言っとくけど私をここまでガサツなゴリラに育て上げたのはあんた達だからね。まあそれはお互い様だけど。

「そういえば再来週近くの男子校で文化祭やるじゃん、名前ついてきてよ」
「ええ〜またあ?もうやだよ」
「そこを頼む!名前いると話しかけられる確率格段に上がるんだよ〜!ほんといるだけでいいから!」
「私からも頼む!」
「ええ〜……」

またか、とため息をつく。個性のせいで私が人混み苦手だってこと知ってるくせに。

「しょうがないなあ。よく聞け男に飢えたハイエナ共。売店のたこ焼き三パックで手を打ってやろう」
「やった!ありがとう名前様〜!」

私は単純なのでそう言われて悪い気はしない。タダでたこ焼きも手に入るし。ふふん、とない胸を張ると友人の一人が口を開いた。

「でも実際さ、なんで名前はそんなに男に興味ないわけ?」
「えっ普通に興味あるよ」
「えっそうなの」
「ただ、なんていうか、私はね、初恋を大事にしたいんだよ」

その言葉に六つの目が光った。あ、やばい、超恥ずかしいこと言ったし失言した。

「は!?どういう意味!?名前好きな人いたの!?初恋引きずってんの!?」
「いないいない!そうじゃなくて、恋に恋してるの!初恋がまだだから!恥ずかしいこと言わせんな!」

私だって恋とかしてみたい。だからこそ適当な人と付き合ったり、そんないい加減なことはしたくない。真面目でしょ、私。真面目なんだよ、人の「感情」に関しては。だって知ってるんだ、恋をしてる人の気持ちを。自分の「個性」で体験したことがあるから。

そんなこんなで今日の会合はお開きになり皆それぞれ帰っていった。私もだけどみんなほんとに暇だよな。家に着いた私は「ただいまー」とリビングを抜け自室に向かう。制服を脱ごうとジャンパースカートに手をかけたところでポケットの違和感に気づいた。「なんだろう」とそれを手に取るとそこに握られていたのは腕時計。

「あっ」

やってしまった。そう思った瞬間、意識が途切れた。

雄英高校の制服を着た男子生徒がその腕時計をつけていた。燃えるような赤い髪が目に眩しい。「おっ切島、いいじゃんその時計」「だろ!入学祝いなんだ」切島と呼ばれたその男子生徒はクラスメイトにニカッと笑いかける。人懐っこい笑顔だ、すごくいい人そう。そして雨の日。これは今日だろうか、朝の支度が遅れた彼は腕時計をつける間もなくそれを制服のポケットへ押し込み家の外へ飛び出した……そこで映像は途切れた。

その一連の映像が瞬く間に私の脳内を駆け巡ったのだ。その直後、時計が記憶していた彼の感情が流れ込んでくる。愛着と焦り。一つ目の愛着は「親父から貰った大事な時計」という愛着。へえ、お父さんから貰ったものを大切にしてるんだ。それから二つ目は「早くしないとあの子に会えない」という彼の焦り。これはよく分からない。あの子って誰だろう。

そんな意識の淵からじわじわと覚醒した。ああ、また勝手に発動しちゃったのか、私の個性。

サイコメトリー。それが私に与えられた個性だ。触れた物体の持ち主の残留思念を読み取ることができる。これは父から受け継いだ個性でありもう一つ、母からエンパスという個性を受け継いでいた。この個性が厄介で「他人の感情を自分のことのように感じることができる」というなんとも迷惑な力だ。特にマイナスな感情を感じ取ってしまうことが多くそのときは勝手に気分が落ち込んでしまう。サイコメトリーが発動した際にはエンパスの力と合わさって残留思念だけでなくその人の感情まで感じ取ってしまうので、他人の感情に当てられて突然ゲラゲラ笑いだしたりわんわん泣き出したりすることも日常茶飯事だ。

「ああ、どうしよう。これ」

手のひらに転がる腕時計を見つめ大きなため息をこぼした。持ち主を特定できてしまった。切島という名の雄英高校の生徒だ。腕時計をとても気に入っていて大事にしている、という彼の感情を体験してしまった私は申し訳なくてたまらなくなる。これをなくして彼がとても落ち込んでいることは想像に難くない。

「届けるか……」

他人の記憶と感情を垣間見てしまうことなんて日常茶飯事で、いちいち全部を気にしてられないのに何故かこの腕時計は妙に心に引っかかった。まるで魚の小骨を喉に引っ掛けてしまったようなむず痒さが残ってどうも放っておけない。拾ったくせに駅に届け出るのを忘れた後ろめたさもあるし持ち主が特定出来たのだから駅に届けるより本人に渡す方が確実だろう。
そう思った私は覚悟を決め腕時計を制服のポケットへ戻した。

「明日には持ち主のところへ返してあげるからね」

そう呟いて着替えを済ませ「ごはんまだ〜?」とリビングへ出る。窓の外からは雨の音。明日は晴れるかな。