偶然の軌跡は奇跡になる
その日は朝から散々だった。起きたら目覚まし時計は壊れてるし、物理的に上から圧力を掛けられたようにひしゃげてしまった時計はアラームを設定している時間で止まっていて、 俺が寝ぼけたまま硬化の個性で壊したことは明白だった。
「だああッ、クソッ!何時だよ今!?」
早くしないとあの子に会えない。焦る気持ちを押さえつけ制服に袖を通した俺はお気に入りの腕時計を引っ掴む。見ると時間はいつも家を出る時間を指していた。腕にそれを通す時間さえ惜しくてポケットにそれを押し込めながら洗面台に走り、いつもの五倍くらいの早さで身支度を整えると家を転がり出た。よりによって雨が降っていて走りにくい。なんとか駅に着きホームにいた電車に飛び乗るとそれはいつも乗っている時間の電車だった。
「間に合った……」
誰にも聞こえないくらい小さな声でため息混じりに呟く。ちなみにあのまま急がなくても学校には間に合った。俺がいつもやたら早いこの時間の電車に乗るのは他に理由があるのだ。とりあえず目的の車両へ移動する。通勤通学ラッシュと呼ぶにはまだ早い時間帯だからそこまで人は多くなく、運がいいことに席が一つ空いていた。そこに腰を下ろし電車に揺られること十数分。少しずつ脈が上がっているのが分かる。ある駅で電車が止まると「来た……!」と胸が高鳴った。
俺の目はある少女を追っていた。雄英の割と近くにある中高一貫女子校のセーラー服を身に纏ったその少女は扉の向こうの、駅のホームに立っている。扉が開くと彼女は人に呑まれながら電車へ乗り込んできた。すると、ちょうどその時俺の正面の席が空いた。
「(オイ、マジかよ……!)」
ありがとう神様!とたいして信じてもない神に心の中で感謝の意を述べた。俺の正面の席に彼女が腰を下ろしたのだ。いつも少し離れた所から眺めてるだけなのに、なんだよ今日めっちゃついてるじゃん。イヤホンをして本を開いた彼女の顔を見つめる。艶やかな黒髪。黒目がちな瞳。それを縁取る長い睫毛が活字を追う瞳に影を落としている。そう、俺は毎朝彼女を見るためだけにこの時間、この車両に乗っているのだ。
一目惚れだった。初めて彼女を見つけたとき、一目見た瞬間、息の仕方を忘れた。それはまだ桜が咲いている時期で俺が雄英に入ったばかりの頃だった。その日は偶然早い時間に家を出て、偶然後ろから三両目のこの車両に乗って、偶然今目の前で彼女がそうしているように、本を読みふける姿を見つけた。それまで一目惚れなんて都市伝説かと思ってたのに、嘘だろほんとにあるのかよって自分でも信じられなかった。見た目が好みかと言われたらそうだけど、それ以上になんだろうな。自分でも分からないけど「ああ、この人だ」って思ったんだ。
かと言ってなんの接点もない彼女に声を掛けることはできず、あれからもう二ヶ月が経った。いつも時間を彼女に合わせて、彼女をこっそり見ているだけ。全く男らしくなくて情ねえ。でも軽々しく声をかけるのも違うだろって思う。上鳴だったらそうするのかもしれねえけど、とクラスメイトの顔が頭に浮かぶ。
「雄英高校前〜雄英高校前〜」
ああもう着いちまった。名残惜しい気持ちを胸にしまって最後に彼女を一瞥してから人の流れに紛れて電車を降りる。この時ズボンのポケットから腕時計が滑り落ちたなんてまるで気付かなかった俺は学校に着いてから顔を青くすることになったのだった。
「ねえ……どこにもねえ……」
「ん?何がねえの?」
「腕時計。ポケットに入れてたはずなんだけど」
えっあの腕時計?まじで?あれなくしたん?やばいじゃん、と羽のように軽くまるで重みのない言葉を俺に投げかけてくる上鳴。俺の前の席から体ごとこちらを振り返りあれ何万したんだっけ、と追い打ちをかけてきた。
「クソーッ!値段もだけど何よりあれ気に入ってっからヘコむわ。親父からの入学祝いだし」
「あーお前そういうの気にするよな、落とした所心当たりねえの?」
「朝急いでたから検討つかねえよ……」
駅まで走った時、ホームで人に呑まれたとき、心当たりがありすぎてこれはもう物を探す個性でも持ってねえと見つけるのは難しいだろうな。一応帰り駅で落し物ないか聞いてみるか。
「急いでたってもしかしてあれ?例の女の子」
突然声のトーンを潜めてそう聞いてきた上鳴に苦い笑みを返す。おい、教室でその話やめろって。
「あー俺も見てみたいぜ、女子校の大和撫子。早く付き合って紹介しろよ」
「無理言うなって、話しかけらんねえよ」
「切島は堅物すぎんだよ!てか電車で話しかけんのが無理ならその子の女子校乗り込まねえ?文化祭とかねえの?女子校ってロマンだよな……だって女の子しかいないんだぜ……?」
「お前の顔、いま普通にキモいぞ……」
「おいガチトーンやめろ……」
傷付いた!傷付いた!と言いながら自分の肩を自分で抱く上鳴にゲラゲラ笑いながらとりあえず腕時計のことは頭の隅に追いやった。今日はオールマイトのヒーロー基礎学あるし授業に集中したい。彼女の顔が脳裏をよぎったけどそれも頭からかき消した。
結局、駅で聞いてみたけれど腕時計は見つからず。次の日俺はいつも通り電車に揺られていた。あの子がいつも乗り込んでくる駅に着いたけど、あの子の姿はない。珍しいな、今までこんなことなかったのに。チラリと窓の外を見ると昨日の雨が嘘のような青空。昨日の雨に濡れて風邪とか……、分かんねえけど心配だな。
腕時計とあの子と。大事なものがいきなり消えてしまったかのような喪失感に駆られる。青い空に向かってため息を吐いた。
「切島ー、帰りマック寄らね?」
新作のハンバーガー食べてえんだけど、と言う上鳴に「あーわりぃ」と返事する。あっという間に放課後、特に用事はないけれど今日は無性に帰りたい気分だった。「そっか!じゃあまた今度な!」とあっけらかんに言う上鳴と別れて駅に向かう。改札をくぐる前に足を止めた。腕時計、今日届いてたりしてねえかなあ、ダメもとで聞いてみるか、と思った矢先。ポンポンと控えめに肩を叩かれた。振り返って、自分の目を疑う。
「は……?」
口から零れたのは乾いた声だけで、それ以上は思考回路がフリーズしてしまったらしく動けない。俺の肩を叩き今俺を見つめている目の前の少女は紛れもない、電車のあの子だった。なんで彼女がここに?俺、とうとう幻覚とか見ちゃってるんだろうか。あからさまに動揺する俺に対して目の前の少女は首を傾げると「あの、」と鈴のような声を鳴らした。
「あー、スマン、何?」
「あっ、ハイ。これ、」
君のだよね?そう言って右手を差し出してきた彼女の手にはここ2日間探していた腕時計が握られている。なんで彼女が持ってるんだ?なんで俺のって分かったんだ?いよいよ混乱して頭がショートしそうになるが必死に平静を装った。
「これ俺の!探してたんだよ、どこにあったんだ?」
「昨日の朝、電車で拾ったの」
「あーやっぱ電車だったか」
彼女の手から腕時計を受け取る。ああ、やべ。指細いし白い。自分のゴツゴツした手とは正反対なすらっとしなやかな手に動悸が早まる。それはそうとなんで腕時計の持ち主の俺を知っていたのか、聞くか迷い彼女を見ると俺の疑問を察したのか彼女は困ったように笑った。
「昨日これを駅に届けようと思ったんだけど、忘れたまま家に持って帰っちゃって。高価な物だしきっと落とした人探してるだろうなと思ったら申し訳なくて、友達に物の持ち主を探せる個性を持った子がいるから。その子に頼んだんだ。」
「それで、わざわざ持ってきてくれた?」
「うん。雄英高校近いし、ここで待ってたら会えるかなって。」
実際会えたしね、穏やかに笑う彼女に思わず見惚れる。めっちゃいい奴じゃん。全く接点のない片想いの相手が自分の落し物を拾って届けてくれる確率ってどんだけなんだ。それはきっと奇跡に近い。さっきからバクバクうるさい心臓を必死に落ち着けながらいつも通りの自分で振る舞おうとした。
「お前めっちゃいい奴だな」
「いやいや、元はと言えば私が悪いし」
「いや、これ大事なモンでさ。もう見つからないかと思ったからマジで助かった。ありがとな!」
心からの感謝を伝えて笑いかけると彼女は一呼吸置いたあと照れたように笑った。あ、それやばい。ほんのり頬を色づけて眉を下げて笑うその表情に心臓を鷲掴みにされる。俺が知ってる彼女はいつも静かに本を読んでいて、たまに窓の外を見て物憂げな顔をする。そんな子だった。こんなふうに笑うのか、全然知らなかった。それどころかこの子のこと俺何も知らない。もっと知りたい。昨日まで赤の他人だった彼女との間に奇跡的にできたこの接点を、このチャンスを逃しちゃならない。ここで動かないのは男じゃねえ。「それじゃあ」と言って改札へ向かおうとする彼女を慌てて引き止めた。
「あのさ、何か礼させてくんねえ?」
「えっ。そんな、お礼なんていいよ。ただ落し物届けただけで」
「そんなことねえよ、めっちゃありがたかったし。なにより俺の気がすまねえし、頼む!」
礼をするまで俺が絶対引かないことを悟ったのか彼女はうーんと悩む素振りを見せると「お礼って、例えば?」と聞いてきた。正直何も考えていなかった。ただ彼女と接する時間を引き伸ばしたい一心だったからだ。
「あー、何かおごるとか?」
「何でもいいの?」
おごるという言葉に意外と食いついてきた彼女に「おう!何でもいいぜ!」と答えると彼女は「じゃあたこ焼き食べたい!」と笑顔を咲かせた。やべえその笑顔もめっちゃかわいい。って、え。なに?俺の聞き間違い?……たこ焼き?
「たこ焼き?」
「あ……うん。……たこ焼き」
だめ?と不安げに瞳を揺らす彼女に「いや全然だめじゃない!たこ焼きいいよな!俺も好きだ!」と即答した。自分でも何言ってるのかよく分からない。いやでも正直言って意外だった。彼女の印象とたこ焼きがまるで結びつかない。なんかもっとこう。甘い食べ物とかじゃないんだな。そんな俺の胸の内を知る由もない彼女はホッと胸を撫で下ろすと「ここらへんの土地勘なくて……近くにたこ焼き屋さんある?」と尋ねたのだった。