雨宿り


「それじゃこれで失礼します!」

職員室を出て廊下の真ん中で伸びをする。日直の仕事を全て終え相澤先生に日誌も出した。これでやっと帰れる、そう思ったのに窓の外はバケツをひっくり返したような大雨だ。生憎今日は傘を持ってきていない。さっきまで晴れてたはずなのに変な天気だな、と首を傾げる。夕立か?それなら雨が止むまで待っていようか、どうしようか。迷いながらも昇降口へ向かい靴を履き替えた。靴箱の側面に背を預けてすぐそこに広がる外の様子を眺める。雨が止む気配はない。しばらく雨音を聞きながらぼうっとしていたけど、手持ち無沙汰だしなんとなくズボンのポケットに入れていたスマホを取り出してみる。苗字と朝会えなくなってから数週間。最近はこれで苗字の弟と連絡を取るようになっていた。身内を味方につけるとか、苗字からすれば俺のやってること流石にキモイよな。はあ……とため息を吐いてスマホをつけると弟ではなく上鳴からメッセージが届いていた。

『日直の仕事さっさと終わらせて早く帰れよ!絶対だぞ!』

そう書かれている。首を傾げた。こんなことを言うためにわざわざメッセージを寄越した上鳴の意図が読めない。時間を確認するとこのメッセージは20分前に届いたようだった。もう遅い気もするがとりあえず画面に文字を打ち込む。今さっき日直の仕事を終えたことと雨が降っていて帰れないことを記して送信ボタンを押す。するとすぐに既読がつき次の瞬間スマホが震え始めた。上鳴からの着信だ。突然のことにおお!?っと小さく驚きの声をあげてしまう。訳もわからないまま通話ボタンを押した。

『もしもし切島!?お前今どこだよ!』
「だからまだ学校だって」
『バカヤロー!!!今すぐ帰れ!!!』
「は?なんでだよ。お前さっきから色々と唐突すぎんぞ。せめて説明してくれよ」
『説明したら面白くねえだろ!とにかく急げ!雨の中でも帰れ!』
「いやだからワケわかんねえって!」
『俺の言うこと聞いたらのちのちぜっっってえ俺に感謝することになるから!』
「はあ?」

何を面白がってるのか知らないが上鳴は早く早くと俺を急かしてくる。この雨の中傘もなしに帰れと言われて「はい分かりました」って帰る奴がどこにいんだよ。そう思ったけれど上鳴が「ぜってえ後悔させねえから!」と耳元で五月蝿く喚くので「あーもう!分かったよ!」と俺が折れることになった。

「じゃあな、切るぞ」
『おう!急げよ!頑張れよ!』

こっちが切る前に通話はブチッと途切れた。最後の「頑張れよ」という言葉が引っかかり首を傾げる。いや、それよりこの雨の中をどう帰るかだよな。背負っていたリュックを一旦下ろす。そしてそれを頭上まで持ち上げた。これだけで急ごしらえの雨避けの完成だ。

「よし、行くか」

自分へ再確認するように呟いて俺は雨の中へ飛び込んだ。何も考えずに走る。耳元で雨粒がパチパチと音を立て弾ける。それがなんだか小気味よくて雨の中走るのも悪くないと思った。そのまま一直線に雄英バリアへ向かい、門をくぐり歩道へ出る。駅の方向へ足を向けると次の瞬間、足を止めてしまった。

「(あれって……いや、そんなはずは、)」

有り得ない状況を脳が否定する。しかし視線の先、小走りで駆けていく後ろ姿を俺は確かに知っていた。どんなに有り得ない状況だとしても俺が間違うはずがないのだ。ずっと見てきたから。それこそ知り合う前から、ずっとその小さな背中を目で追ってきた。ザーーっと雨音が耳元を通り過ぎる。つま先は冷たくなってきた。

「……苗字」

呟くように彼女の名を呼んだ。雨の音に遮られその声は届かない。苗字らしき少女は歩道の真ん中で蹲った。風に吹き飛ばされたのか、傘を拾おうとしているようだ。俺は再び走り始めた。彼女との距離が縮まるにつれ憶測は確信へ変わっていく。苗字だ。間違いない。ずっと会いたかった。会えなくて辛かった。でもそんな気持ちに蓋をして口を開く。

「苗字?」

目の前の背中は投げかけられた声に驚いたようで大きく肩を跳ね上げた。傘を拾おうとしていた手を止めてゆっくりとこちらを振り返る。やがて黒目がちな瞳が俺を捉えた。瑪瑙のようなその黒に魅入ってしまう。同じく艶やかな黒髪は雨に濡れ少し乱れていた。それがまた俺にとっては扇情的で心臓がおかしなリズムでのたうち回る。それでも平静を装わなければならない。落ち着け、と自分に言い聞かせて口を開いた。

「やっぱ苗字だ!えっなんでこんなとこ、じゃなくてずぶ濡れじゃねえか!早く傘ささねえと!」

我ながら白々しい口上だと思う。遠く一目見たときから苗字だと分かっていたのにあたかも今気付きましたみたいなフリをしたから。そんな虚勢をすんなり張れた自分に驚きつつ彼女が拾おうとしていた傘を拾い上げた。しゃがみ込んだままの苗字に自分も目の高さを合わせて傘を手渡してやる。何か言いたげな苗字はそれを受け取ると控えめに俺を見上げた。

「切島くんも、どうぞ」

やっと口を開いた苗字はそう言って傘を俺の方へ傾けてきた。一瞬俺はフリーズして「へ?」と間抜けな声を出してしまう。苗字はわたわたと視線をさまよわせて「濡れちゃうから」と言った。その頬が心做しか赤いような気がする。いや、まあ、そりゃ照れるよな、この状況は。

「入れてくれんの?サンキュ!そういうことなら俺が持つな」

苗字からひょいと傘を取り上げて立ち上がる。「えっ私が持つよ」と言いながら苗字も立ち上がり傘に向かって手を伸ばしてきた。

「いや俺が持つって」
「でも」
「いいんだって。こういうのは背たけえ方が持つもんだろ」

そう言えば苗字は渋々といった様子で引き下がってくれた。しかし折りたたみ傘は二人で入るには窮屈で、かと言ってかなり密着しないと苗字が雨に濡れてしまう。いや、でもただでさえ近えのにこれ以上近寄れなんて言えねえし。そう思いながら傘を少し苗字の方へ傾けた。そして視線も隣に立つ苗字の方へ向ける。少し見下ろす角度、黒髪からのぞく横顔がめちゃくちゃかわいい。

「それで、なんで苗字がこんなとこに……」

いちばんの疑問を聞き出そうとそう言いかけて言葉をつまらせた。顔にガッと熱が上がってくるのが分かる。

「(苗字、制服が透けて、)」

その、し、下着らしきものがうっすら……見える。バッと目を逸らした。それはもうすごい勢いでふんぞり返るように目を逸らした。えっいやマジで?嘘だろ、幻覚?セーラー服って透けるのか?透けるのか!?いや、動揺を悟られてはならない。落ち着け、俺。そう思うのにさっきの一瞬で目に焼き付けられてしまった花柄レースが頭の中でチラつく。花柄レース、花柄レース……

「切島くん?」
「うわああああああ!?」
「ええっ!?」

頭の中が花柄レースでいっぱいになっていた俺は名前を呼ばれただけで驚き大声を上げてしまった。挙動不審にも程がある。

「どうしたの?」
「い、いや……」

顔は思い切り逸らしたまま曖昧な返事をした。指摘なんてできねえし、かと言ってこのまま放置するのも苗字に悪い。というかこれじゃあ俺ずっと苗字の方向けねえじゃねえか!幸い周囲に人影はなく、俺たちの声以外には雨の音しか聴こえない。

「えっと……さっき何か言いかけてたよね」
「あ……ああ。なんで苗字がこんなとこにいるんだ?って思って。何かあったのか?」
「それは……私、切島くんに会いに来たんだけど……」
「……俺に?」

もしかしたら、と微かに期待していたことをまさしく苗字が口にしたのでつい口元が綻びそうになった。苗字が、俺に、会いに来てくれた?やべえ、にやけそうだ。でもそれならなんで今まで避けられてたんだ?そう気付いた途端浮かれた心に影が落ちた。俺の好意がバレバレで迷惑だった、とか最後にけじめをつけ別れを告げるために来た、とか嫌な考えばかりが浮かぶ。根拠もある。苗字の弟から聞かされた、エンパスという苗字の個性だ。周囲の人間の強い感情に同調してしまう、というそれをもって苗字は俺の気持ちに気付いているかもしれない。そう忠告された。苗字の次の言葉を待って思わず身構えてしまう。死刑宣告を言い渡される前の囚人はこんな気持ちなんだろうか。

「その、話したいことがあって。このあと時間大丈夫?あっでも全然、無理にとは言わないから」
「……」
「……だめかな?」
「いや、いいぜ。大丈夫、大丈夫……」

これはいよいよ死刑宣告かもしれない。そう絶望しながら半ば自分に言い聞かせるように大丈夫と繰り返した。俺の馬鹿野郎、大丈夫な訳あるか。苗字から絶縁宣言でもされようものなら俺は文字通り死んでしまう。横目でちらりと苗字を見ればほっと安堵したように胸をなでおろしているようだった。

「立ち話もなんだし場所移そうか。雨も降ってるし。ファミレスとかカフェとか、どこでもいいけど私この辺の土地勘なくて」

そう言って俺を見上げてくる苗字。途端俺は駄目だ!と心の中で叫んだ。駄目だ、人がいる場所は駄目だ。苗字のこんな姿、し、下着が透けてる姿を絶対、絶っっっ対に人目に晒してなるものか。

「そうだな!でもここ丘の上だしふもとまで降りねえと店はねえな。だから、そうだな、それより先にここら辺で雨宿りできるところ探そうぜ、な?」
「う、うん」

多少強引に理由をつけて歩き始める。苗字は戸惑いながらも俺について来てくれた。傘は少し苗字の方へ傾けて、肩同士はぶつからないくらいの距離感。足早に向かった先は人のいない小さな公園だった。





公園の、軒下のベンチに二人並んで座る。雨に打たれる遊具を眺めながらぼんやりと雨音を聴いていた。
隣に座る苗字は俺が渡したタオルで髪を拭っていた。肩にはもう一枚タオルがかけられている。苗字の弟から「苗字に私物を触らせるな」って注意されてたけど今は緊急事態だからしょうがない。タオルを渡さなければ俺が目のやり場に困ってしまうからだ。

「ありがとう、洗って返すね」
「気にしなくていいぜ」
「いや!洗って返す!」

苗字はこう細かいところで生真面目でしかも意外と頑固だ。俺にくってかかる苗字をなだめるつもりで「じゃあ頼むわ」と言うと彼女は満足そうに頷いた。

「それで、話したいことって?」

そう切り出してすぐに「あ、早まったかな」と後悔した。これから苗字が話すことは俺にとって最悪なものかもしれないのに。何も自ら死刑宣告を促すことないじゃないか。そんな俺の気も知らず、苗字は「えっとね、」と口を開きその後言葉を詰まらせてもじもじし始めた。ほら、もうダメだ、めっちゃ言いづらそうじゃん。何言われるんだろ、俺の好意に気付いてるしでも正直迷惑です。とか勉強に誘ってきたのも気持ち悪かったし、もう朝の電車通学もいっしょじゃなくてもいいから別れを言いに来たんです、とか。いや、苗字はそんなこと言う奴じゃないけどどうしてもネガティブなことしか思い浮かばない。

「あ、あのね、切島くん」

突然苗字が立ち上がった。そのままベンチに座ったままの俺の正面に移動した苗字はぽかんと呆けたままの俺に頭を下げた。

「ごめんなさい!」

芯のある綺麗な声でそう一言。苗字はどこかの飯田よろしく腰を九十度曲げて俺に頭を下げている。つむじがかわいい。っていやいや、

「えっ、何が」

どういう意味の「ごめんなさい」なんだ!?俺の気持ちには応えられません、ごめんなさい。とかだったら最悪だ。

「と、とりあえず顔を上げてくれよ」

そう言うと苗字はゆっくり体を起こし不安そうに俺と目を合わせた。

「切島くん、怒ってないの……?」

苗字の言いたいことが全くわからず混乱する。とりあえず今の俺は怒るどころか自分のせいで苗字に泣きそうな顔をさせてることに胸が痛んでいるので「何も怒ってないし座って落ち着こうぜ」となだめた。すると苗字は渋々頷いて再び俺の隣に腰をおろした。

「本当に怒ってない……?」
「ないって。何に対して俺が怒ってるって思ってんだよ?」
「それはその……私が、切島くんを避けてたこと」

そう答えた苗字の声は尻すぼみに小さくなっていった。そのことか、と合点がいったのと同時に苗字から「避ける」という言葉が出たことにズキっと胸が音を立てた。

「ごめんね、あっ、切島くんは悪くないよ!私が、その、ちょっと理由があって、だから私が悪くて……。さすがに気付いてたよね……?寝坊が続いてる、とか下手な嘘ついてたけど、本当は私が切島くんを避けてたって……」
「……まあ、薄々そうかもって思ってたけど」
「ごめんね……!本当にごめんなさい。……今日はそれを謝りに来たんだ」

膝の上で握りこぶしを作っている苗字は本当に申し訳なさそうに縮こまっていた。

「元はと言えば人混みがダメな私を切島くんが善意で救けてくれてたようなものなのに、それを無下にするようなことして。最低だなって思うよね。そうやって切島くんに嫌な思いさせちゃったかもしれないと思うと……」

苗字の声が段々震えてきて顔を見ればまた泣きそうな表情になっていて、それを目にした瞬間サッと頭から血の気が引いた気がした。

「いや俺全然気にしてなかったから!だからそんなに気に病まなくていいぜ!それにほら、元は『会えたら会おう』って約束だったし!俺が勝手にあの時間の電車で待ってただけだから!」

「な?」と念を押すように苗字の顔を覗き込むが彼女の顔は晴れない。

「嘘。切島くんは優しいからそんなこと言うんだ。嫌な思いさせたに決まってる……」

それから完全に俯いてしまった苗字はまた小さく「ごめんなさい」と言った。「苗字、」と声をかけても俯くばかりでこちらを見ようともしない。これは真剣に説得しないと苗字に笑顔が戻らないだろう、と判断し息をついた。

「確かに本当のこと言うと避けられてるかもって気付き始めた頃はショックだったけど、でも苗字は何の理由もなくそんなことする奴じゃないって分かってる。それにさ、そんなに苗字自身が落ち込んでんならそれが本意でもなかったんだろ?」
「……うん、でも」
「だから、気にしなくていいって。俺がそう言ってんだからいいんだよ」
「……切島くんは優しすぎるよ」
「おう、だって俺はヒーロー志望だからな!ダチに悲しい顔させるわけにはいかねえだろ」

そう言えば苗字はやっと表情を和らげ「ありがとう」と呟いた。俺としても苗字が本当に俺を遠ざけたかったわけじゃないってことが分かったからよかったけどでもそれなら結局、苗字はなんで俺を避けてたんだ……?なんとなく苗字も話したくなさそうだし聞かない方がいい気はするけどどうしても気になってしまう。

「それで俺を避けてた理由って何だったんだ……?」
「えっ」
「?」
「えっと、それは……」

言葉を詰まらせた苗字の顔は何故かどんどん赤くなっていく。予想外の反応。なんで苗字がそんな顔をするのか分からないがとにかくかわいいので真っ赤になっていく苗字を穴が開くほど見つめる。唸る様子を見るにやっぱり話しにくいようだから「嫌なら無理に話さなくてもいい」と言おうとしたけどそれより一歩早く苗字は観念した、と言うように口を開いた。

「切島くんが勉強会しようって言うから……」
「……ん?」
「だから、なんかその、変に意識してしまったというか……」
「……」

えっ……?苗字の発言、その意味に頭が追いつかない。いや、言いたいことは分かるけど脳みそがその答えを導き出すことを戸惑ってるって感じで。……それはつまり苗字が俺を「友人として」ではなく「男として」意識してくれたってこと、でいいのか。なんだか胸の奥がむず痒い。雨の音と心臓の音が混ざって聞こえる。これ、脈アリなんじゃ、そんな淡い期待を抱いて苗字を見ると、自分の言ったことのせいか「やってしまった」という顔のまま固まっている。

「苗字、あの」
「わーーーー!違うの!違う!ほら、切島くんとさ、電車と駅以外で会うこと今までなかったでしょ?だからなんか深読みしちゃったっていうか、そんなわけないのにねあはははごめん気にしないで」
「あ、ああ……!確かにそうだよな、俺ら電車か駅でしか会ったことないし、全然違うところにいるの今日が初めてだよな!」
「そう!そうなの!切島くんの背景が駅でも電車の中でもないのすごく不思議」
「それを言うなら苗字だってそうだぜ」
「あはは……」
「はは……」
「……」
「……」

き、気まずい……!お互いがお互いの言葉と気持ちを誤魔化し合ってるのが分かるから余計に……!途切れた会話の前をザーッと雨の音だけが通り過ぎていく。その音を聞いていると混乱して勢いのまま言葉を吐き出していた脳も少しずつ冷静になってきた。苗字のこの反応からすると、俺を意識してくれた説じゃなくて俺の気持ちに気付いてるのでは説の方が有力な気がする……いや、分かんねえ。どっちだ、どっちなんだ苗字。もしかして両方ってことも有り得るか……!?それは恥ずかしすぎるぞ!横目で苗字を見ると苗字はまだテンパっているようで完全に目を回している。これが漫画やアニメなら目がぐるぐると渦をまいていることだろう。ほんと、苗字は表情豊かだよな。そう思うと急に頭の中は穏やかになって「ああ好きだな」って苗字への愛しさで満たされていく。あ、目が合った。

「……」
「……」

跳ね上がった肩。驚く顔。俺から見られているとは思わなかったのだろうか。苗字は無言のままふいと顔を逸らすと俯いてしまった。横髪の隙間から見える頬は心做しか更に赤くなった気がする。ええ……もう、かわいすぎるだろ……そんな反応されたらなんだかこっちまで照れてしまう。

「雨、やまないな」
「うん」
「……」
「……」

沈黙を破り声をかけてみたもののまたすぐに会話は途切れる。なんか、これはもう完全に変な空気になってしまってるってことが分かった。気まずいというか恥ずかしいというか、とにかく穴があったら入りたい。でもこの土砂降りの雨がそれをさせてくれない。多分苗字も同じ事を考えているだろう。俺、次に苗字と会う時どんな顔して会えばいいんだ。いや、というか次はあるのか?苗字は律儀に謝りに来てくれたけどそれはまたいっしょに登校できる朝が来るって捉えていいのか?どっちにしろすぐに夏休みだからしばらく苗字には会えねえけど。あ、それけっこうキツイ。沈黙の中、拳を握る。これでいいのか?俺。このままじゃ次も絶対会いづらいしずるずるとこんな状態を引き伸ばすのは男として情けないじゃないか。俺がなにか、けじめをつけられれば……そう、もういっそ今、苗字に「好きだ」と伝えられれば白黒つけられる。そう考えた途端、頭の中の冷静な俺が「それはいくらなんでも早まりすぎだ」と警鐘を鳴らした。俺もそう思う。でもこれはある意味チャンスだとも思うんだ。なんだか気まずいこの変な空気だからこそ、今はそういう事も伝えやすい気がするから。それにどうせもう苗字は俺の気持ちを知ってるかもしれないんだ。それならもう言ってしまえ。今は結果なんて考えるな。男なら当たって砕けろ、切島鋭児郎!

「……ッ」

クソッ声が出ねえ……!だせえぞ俺、決心しておいて怖気付くなんて。自分の情けなさに頭を抱えたくなる。いつから俺はこんなに女々しくなっちまったんだ?自分で自分に幻滅したくない。だから頼む、震えてくれ俺の喉……!小さく息を吸って、吐いて、次こそ行くぞ。

「「あの、」」

お互いにバッと顔を見合わせる。嘘だろ、苗字と声がかぶった。苗字も顔に「嘘でしょ!?」と書いてある。ほんとにな、ずっとお互い黙ってたのにどんなタイミングだよ……!?

「き、切島くんからどうぞ!」
「いやいや、苗字からどうぞ」
「いや、でも」
「苗字からでいいって!俺のたいした話じゃないし」

この流れで告るのは流石に無理だ。俺の決意は虚しく崩れ落ちた。密かに傷心する俺の傍らで苗字は「それなら、」と言ったきりまた何か言いにくいことのかもじもじしている。「どうした?」と言えば苗字は何か決心したように俺の目を見て口を開いた。

「夏休み、よかったらどこかいっしょに出かけませんか……!」

……夏休み?どこか?いっしょに?出かけませんか……?

「……この前、勉強会断っちゃったから代わりに遊びのお誘いなんだけど……だめかな」

夢かと思った。でもどうやらこれは現実らしい。だって目の前に「だめかな……?」と縋るような目で俺を見上げる苗字がいるから。ほんのり赤い頬といい上目遣いといい、狙ってやってるのかと言いたくなるほどかわいい。やばい、だめ、心臓が爆発しそう。

「行く!」

にかっと笑ってそう答えるだけで精一杯だった。いつも通り振る舞えているだろうか。そう不安になるものの俺の返事を聞いた苗字はパァァと笑顔を咲かせた。よかった、やっと苗字が笑った。今日はこれだけで良しとしよう。

「俺夏休みも合宿とか補講とかいろいろあるから空いてる日あとでまた連絡するわ」
「あっ!そうだよね、雄英は大変だなあ。私はたぶん暇してるからいつでもいいよ」

今更だけどこれってつまりデート?苗字とデート……しかも苗字の方から誘ってくれたデート……うわ、だめだ考えただけで意識が昇天しかけた。

「どこ行くか決めてあるのか?」
「えっ……あ!なんも考えてなかった……」
「なんだよそれ。じゃあ苗字が行きたいところ考えといて」
「切島くんが行きたいところでいいよ」

俺は苗字とならどこへ行ってもいいんだよ。そう心の中でだけ返事をして「じゃあ次連絡するときまでお互いにどこ行きたいか考えとこうな」と言って笑った。苗字は「うん」と頷くと「じゃあ次は切島くんの番ね」と言った。

「俺の番……?って何が?」
「何って、さっき言いかけてたことあったでしょ?私が先に話させてもらったから次は切島くん」
「あっ、ああ!」

やばいそうだった。苗字に爆弾投下されて直前の記憶が消し飛んでたけど俺苗字に告ろうとしてた……いや無理だろ。この状況で告ればもしだめだった場合デートの約束までなくなってしまう。いきなり黙った俺を前に苗字は「どうしたの?」と首を傾げている。何か、何か言え、俺!

「つ、次会う時に話すから!」
「えっ?」

ああ何言ってんの俺!?苗字は分かってないとはいえ何本人に向かって告白の予定取り付けてんだよ。いや、でもまてよ。今日は結局言えなかった訳だし、こうやって後に引けなくするのもありかもしれねえ。そう考え直して改めて、頭の上に疑問符を浮かべている苗字に向き直った。

「だから、次会う時に今日言いかけたこと、絶対苗字に話すから」
「うん……?わ、分かった」

俺の剣幕に押されてか何故か苗字まで真剣な顔をしてコクコク頷くのでそれが面白くて小さく噴き出す。「えっなんで笑うの」と膨らむ苗字。「ごめんごめん」と謝ってもまだムッとした顔でこちらを睨んでいる。威嚇してるつもりだろうがそういう顔もかわいいから余計笑いがこみ上げてきてしまう。あー、さっきまでの変な空気が嘘みたいだ。
雨音が消えるまで、あと少し。今日別れて次に会う時、俺は苗字に告白する。