雲の隙間から
「はー……」
大きな溜め息を吐き出して学校の机に突っ伏した。ひんやりとした感触が顔に張り付くけれどそれはすぐに自分の熱でじめじめしたものに変わる。頭上には友人の呆れ声。
「名前あんたねえ。自分から断ったんでしょ、いつまでクヨクヨしてんの。いい加減見てるこっちがうざいからそれやめな」
「だって〜……」
「『だって切島くんと二人きりで出掛けるなんて恥ずかしすぎて無理。どんな顔して会ったらいいか分からない』でしょ。それも聞き飽きたわ」
私は顔を上げむむっと口を尖らせた。言おうとしたことを先に言われてしまったからだ。夕陽が差し込む放課後の教室で友人たちは輪を作ってこっちを見ている。年頃の少女達にとって人の色恋話は蜜の味なのだろう。みんなして私の話を聞きたがるくせに私がいざ口を開いたらこれだ。と、というか、私と切島くんはそんなんじゃないのに「名前は最近切島とはどうなの?進展あった?」って何。何もないよそんなの。そんなことを考えていると顔に熱が昇ってきているのを感じたから私はまた机に顔を伏せた。
「そんなに落ち込むなら誘いに乗ればよかったじゃん。勉強会だっけ?なんで断ったの?二人きりって言ったっていつも一緒に登校してるのと変わんないじゃん」
「違うから!一緒に登校するのと一緒に出かけるのは全然違うから!だって出掛けるのはその……色々あるじゃん、どんな服着ていこうとか……」
「名前っていつからこんなに乙女になったの」
もじもじと口ごもる私を見て友人は目を細めそう言った。彼女の隣に座っているもう一人の友人が肩を竦めてそれに答える。
「切島のせいだね、根っからの女子校オヤジ基質だった名前は恋を知って乙女になってしまった」
「こ、恋じゃない!」
反射的に立ち上がって反論してしまったけどその態度が余計友人たちの目には必死そうに映ったのだろう。「はいはい、そうだね」と軽く流されてしまった。私の中に消化しきれない思いが募っていく。膨れる私を見た友人はじゃあさ、と口を開いた。
「切島のこと嫌い?」
「冗談でもやめてよ、そんなわけないでしょ」
「じゃあやっぱ好き?」
「そ、そりゃあ好き……だけど、それは友達として……」
またもごもごと口ごもってしまう。友人は溜め息をついて「名前って分かりやすいよね〜。すぐ顔に出る」と言い、他の友人たちもそれに頷いた。何だか悔しいけれどだって今の聞き方はずるくない!?好きって答えを誘導させるような聞き方だったよね!?
「大体、みんなのせいでもう二週間も切島くんに会えてないんだから……!」
「え〜それウチらのせい?」
「確かに面白がって実際に名前と切島が一緒に登校してるとこ見てやろうとしたのは謝るけど一回だけだし結局名前に勘づかれて見れなかったしていうかあんな早起き続かないしそれ以降は名前が過剰反応して切島を避けてるだけじゃん」
「うっ……まあそうなんだけど……」
元凶は君たちじゃん、そう思いながら口からはまた大きな溜め息が転がり落ちていた。そう、私はここ二週間切島くんを避けてしまっている。一度朝の約束をすっぽかしてしまえばなんとなくどんな顔をして会ったらいいか分からなくなってしまって、二日、三日……と会わない日を重ねていってしまった。もうこうなると時間が経てば経つほど切島くんに合わせる顔がなくなってしまいいつもの時間、いつもの車両から足が遠のいてしまった、というわけだ。
「(うう……恩知らずな奴だって、切島くんから嫌われたらどうしよう)」
心の中で涙目になる。もちろん切島くんがそんな人じゃないって分かってはいるけれどそれ以上に私の態度が酷すぎてこれじゃあ不快な思いをさせて当然だと思うのだ。それでも切島くんは優しいから会わなくなって一週間くらい経った頃、「最近どうした?」って一度連絡をくれたけど私はしょうもない嘘をついて誤魔化してしまったし。自分自身への嫌悪が積み重なっていく。
「(いや、でも、そもそも切島くんはそんなに気にしてないのかも……?だって学校も違うし忙しそうな雄英に通う切島くんにとって私の存在がそこまで大きいはずがないし……)」
自虐的にそう考えてみれば心が軽くなるような、ぎゅっと締め付けられるような不思議な感じがした。
「なんか名前が一人で百面相してるんだけど」
「ほんと顔に出るよね」
「もう認めちゃった方が楽になるんじゃない?」
友人たちは呆れたようにそう言う。
「……認めるって何を」
「だから切島のことが好きだって」
ガラッと音を立てて椅子から立ち上がった。顔が熱い。そんなんじゃないってば、とか何か言いたいのに口をぱくぱくさせるばかりで声は出ない。友人の言葉が頭の中でこだまする。「認めたら楽になる」。本当にそうなんだろうか。このモヤモヤした気持ちに恋という言葉の形を与えれば私の中で何かが変わる?でもそれって人から指摘されて認めるようなものなんだろうか、自分で気づかなきゃいけないんじゃないの?
「早く付き合っちゃえばいいのに」
「いやいやいや」
「まあ脈アリだよね〜名前にその気はなくても切島には下心ありそう。勉強会とか誘ってくる時点で」
「や、やめてよ!」
あはは名前顔真っ赤、と友人たちから笑われた。それもしょうがないと思う。だって少し、ほんの少しだけ心当たりがあるのだ。切島くんと知り合った当初から抱えていた小さな疑惑。切島くんと一緒にいるとドキドキしてしまうあれだ。あれはエンパスで私が感じ取ってしまったものなのか、はたまた私自身の感情なのか。もし前者なら切島くんは本当に私のことを……いやいや、ないってそんなこと。でも後者なら私が切島くんに一目惚れ……というか、最初から気があったことになる……。う、うーん……これも違うような、いや……。
悶々と思考を巡らせ始めた私は気付かなかった。友人たちが顔を見合わせにやりと笑ったことに。
*
「待って待ってほんとに行くの!?」
「はいはい、ここまで来て駄々こねないの」
私は今、雄英高校前駅で友人たちからぐいぐい背中を押されている。何故こんなことになっているのかというと騙されたのだ、この子たちから。
「美味しいスイーツ食べに行くって言ったじゃん!」
「その言葉をなんの疑いもなく鵜呑みにして警戒もなくこの駅で降りてくれた名前にびっくりだよ私たちは」
「とにかく、あんたは切島に会っておいで。あたしらはしばらくここにいるから引き返してきても追い返すからね」
ええ〜……と情けない声を出してみるけど誰も助けてはくれないしここには敵しかいない。いや、彼女たちが私のために良かれと思ってこんなことをしているのは分かるけど。切島くんには会いたいけど会いづらいし気が乗らないというか……。
「もう帰ってるかもしれないし……」
「そんなの行ってみないと分かんないでしょ。はい、四の五の言わず行った行った」
「どわっ」
思い切り背中を叩かれた私はオヤジくさい声を上げながら一歩、二歩とよろめいた。そのまま渋々と雄英に向かって歩き始める。途中何度か後ろを振り返ったけど友人たちは早く行けと言わんばかりにシッシッと手を払う仕草を見せた。もうこうなったら覚悟を決めるしかない。このままじゃいけないと誰よりも私が分かっているのだから。あと一週間足らずで夏休みに入ってしまう。雄英の夏休みがいつからかは知らないけどこの状態のままじゃ夏休み明けも切島くんに合わせる顔がない。しかし朝になると足が竦んでしまうのだ。緊張でどうしてもいつもの電車に向かうことが出来ない。それなら友人という圧力がかかってる今、自分を奮い立たせなければこれ以上の好機はないだろう。
雄英の制服を着た生徒が歩いてくる方へ向かってしばらく歩いていると長く続く塀が見え始めた。この中が雄英高校の敷地かもしれない。そう思って更に足を進めると塀が途切れその代わりに厳重な門のようなものが現れた。これ知ってる!テレビで見たことある!確か雄英バリアってやつだ。雄英高校の生徒や関係者以外はこの門を潜ることができない。私は門の向かい側に立ってここで切島くんを待つことにした。
「(う〜っ、緊張するなあ……)」
実態はともかくうちの学校はお嬢様学校として世間に通っている。その制服を着ているのだから見かけだけはお行儀良くしておこうと背筋を伸ばして学校鞄を両手で持ち直した。さっきから雄英バリアから出てくる雄英生たちからすごく見られている気がするけど私なにか変なところあるのかな。いや、自意識過剰?いやいや、こんな所で他校の生徒が出待ちしてたら不審がるのも当たり前か!?
「(切島くんまだ帰ってないよね……?)」
待つこと十数分、居心地悪さの中、手櫛で髪を整えながら雄英バリアの様子を伺う。生徒たちは出てくるけれど雄英は科によってカリキュラムが違うって聞いたことあるしこの人たちがヒーロー科なのかどうかは分からない。というか、切島くん、まじでこんなすごい学校に通ってるんだなあ。こう、切島くんのすごさを目の当たりにすると私なんかが彼といるのが不釣り合いに思えてくるというか、ここで出待ちしてるのも恥ずかしくなってくる。やっぱり帰りたい……でも引き返したら友人たちから何言われるか。
「あれ?名前ちゃんじゃん。こんな所で何してんの?」
また悶々と考え込んでいたところで突然声をかけられた。この軽そうな声、思い当たる人物は一人しかいない、そう思いながら顔を上げるとそこにはやはり軽薄そうな笑顔の上鳴電気がいてこっちに向かって歩いてくる。奴の隣にはクラスメイトだろうか、すらりと背の高いしょうゆ顔の少年が私と上鳴を不思議そうに見ていた。「知り合い?」と首を傾げる彼に上鳴はいつもの調子で口を開いた。
「小学校の同級生だよ、なっ?」
「まあ……」
「へ〜、いつものナンパかと思ったわ」
長身くんのナンパという言葉に私は上鳴に向かってジト目をお見舞いした。やっぱりお前はそういう奴なんだな。私がいちばん苦手とする部類の男だ。上鳴は「そういう表情だけは弟と似てんな!姉弟揃って俺に辛辣!」と喚いている。
「だいたい名前ちゃんをナンパする訳ないじゃん。だって名前ちゃんは切島の、」
「切島?」
「あっ、やべ」
「やっぱ今のなし!」と上鳴は続けるとわざとらしく頭の後ろで腕を組み明後日の方向を向いた。長身の彼は「なんで切島が出てくんだ?」ときょとんとしているし私はというと切島くんの名前が出てきただけで一気に心音の間隔が加速していた。上鳴の今の、何……?私が切島くんの、何?
「そもそも気安く名前で呼ばないで」
「いいじゃん別に〜。あ、分かった。わざわざここにいるってことはあれだろ、切島待ってんだろ」
「い、いや、」
話を逸らそうとしたのに上鳴に核心をつかれ口ごもってしまう。いやもうこれ開き直って切島くんの所在を聞いた方がいいんじゃない?
「……そうだよ。切島くんまだ帰ってない?」
「帰ってねーぞ。もう少し待ってたら来るんじゃね?」
「……本当に?」
「ホントだよ!なんでジト目なんだよ!信じてくれよ!なっ瀬呂ホントだよな!?」
「ああ。切島、今日は日直だから教室の戸締りとかあるんだよ、俺らいつもは一緒に帰ってんだけど今日は遅くなるから先帰っててくれって言われたぜ」
「そうなんだ、ありがとう」
「俺の言葉にもそれくらい素直に耳を傾けてくれよ……」
がっくりと肩を落とす上鳴を尻目に瀬呂くん……でいいのかな?彼にお礼を言う。すると彼は「そんなにかしこまらなくていいぜ」と笑ったあと「切島とも知り合いなんだな」と言った。その目が興味津々だと語っている。そ、そうだよね。中高一貫女子校の制服を着た学生が雄英にそんな何人も知り合いいるっておかしいよね。そりゃ気になるはずだ。でも切島くんとの関係はなんと説明すればいいのか分からない。
「ええと……」
「こいつな、切島の彼女なんだよ」
「ち、違……!」
「まじか、薄々そんな気がしたけどやるな〜切島」
「違うので……!」
必死に首を横に振り、更には顔の前で手もブンブン振って否定する。そういうところだよ、上鳴のそういうところがほんとにだめだ。だってこういう内輪ノリ、周りは楽しいだろうけど当人たちは迷惑するものなんだよ。いや、わ、私は迷惑とまでは思わない……けど、切島くんは迷惑するに決まってる。
「まあ頑張れよ〜」
「じゃ、俺たちはこれで。上鳴がごめんな」
最後に上鳴に聞こえないよう小声で謝ってきた瀬呂くんに頭を下げた。きっと彼は切島くんくらいいい人だ。上鳴は苦手だけど奴の周りにはいい人が集まるらしい。恵まれている奴め。二人の背中を見送ったあとふぅと息をついた。なんだかどっと疲れた気がする。とはいえ切島くんの所在は掴めたから後はここで待ってさえいればいい。……やっぱり緊張はするけれど。
「えっ……嘘、」
上鳴と瀬呂くんと別れて更に十数分。ぽつりと頬に冷たい感覚。雨だ。空を見あげれば晴れていたはずの空は分厚い雲で覆われていた。夕立かな?と思う間もなく急に雨脚は増してバケツをひっくり返したような雨が私の上に降り注ぐ。慌てて鞄の底に埋まっていた折りたたみ傘を探し当てたけれどもう既にずぶ濡れだ。私はというと半べそである。なんだか空の神様に帰れと言われている気がする、なんて思いながら雨の音を聞いていた。
「(切島くん、まだかな……)」
もしかしたら切島くんも突然の雨のせいで外に出るに出られないのかもしれない。だって切島くんはおろか雨が降り出した後、学校から出てくる生徒がいなくなったのだ。やまない雨の中、そんなことを考えているとぶわっと横から殴りつけるような風が吹いた。突風に手が持っていかれる。嘘でしょ。もう勘弁してよ。風に飛ばされて道路を転がっていく傘を追いかける。幸い傘が飛ばされてしまった方向には誰もいなくて通行人に怪我をおわせる、なんてことはなかった。傘に追いついてそれを拾うべくしゃがみ込む。自分自身のあまりの惨めさに泣けてきた。なんだったのさっきの風。もう神様帰れって言ってるでしょ、これ。私だってもう帰りたい。服はずぶ濡れだしきっと髪もボサボサだしこんなところ切島くんに見せられな、
「苗字?」
背中に投げかけられた声に肩が跳ね上がった。もう二週間も聞いていなかった声だ。傘を拾おうとする手も止めてゆっくり後ろを振り返る。そこにはずっと会いたかった切島くんがいて彼はリュックを雨避けのために頭の上で抱え私を見下ろしている。
「やっぱ苗字だ!えっなんでこんなとこ、じゃなくてずぶ濡れじゃねえか!早く傘ささねえと!」
切島くんはこの状況に相当驚いているようだけど慌てて私に駆け寄って拾おうとしていた傘を持たせてくれた。すぐ目の前にある三白眼を見つめる。やっぱり切島くんは優しい。混乱する状況だろうしきっと私に文句の一つや二つ、言いたいこともたくさんあるだろうに何よりも私の身をいちばんに案じてくれたのだから。
「切島くんも、どうぞ」
持たせてもらった傘を彼の方に傾けた。ドキドキと心臓の音が身体中にこだまする。きっとまた私の顔は真っ赤だろう。頭に浮かんで消えるのは友人や上鳴が言っていた「恋」とか「彼女」とかそんな言葉たち。