翡翠の女神に抱かれて
彼女に恋をしたのは出会ったその瞬間のことだった。十七歳の僕と、一つ上の学年の承太郎、そして承太郎と同い年の鴇子さん。一つしか変わらないのに二人はものすごく大人びている。初めて出会ったのは承太郎の家、肉の芽を除去されてすぐの朝。頭に触れる暖かい何かによって目を覚ます。襖を通り抜けて柔らかくぼやけた光に包まれたまま、女神のように美しく穏やかな表情の彼女と目が合った。彼女の瞳は本物の宝石のように美しい翡翠色、僕のよく見慣れている色に近い緑だった。自分は承太郎にやられて死んだのかと、ぼうっと彼女を眺めていると、頭に触れていたそれが彼女の手であることに気づいた。慌てて体を起こすと、今まで寝ていた布団に彼女が座り、その膝の上に僕が寝ていたんだと知る。会ったばかりの女の子の上で寝ていたことに恥ずかしさを覚えた。
「ごきげんよう。貴方、昨日のこと覚えてらっしゃらないの?夜中に額を痛がって……」
その時やっと思い出したことだが、僕は昨日の夜、脳天を突き抜けるような痛みに飛び起きて布団を掴みながらうめき声をあげていたのだった。音を立てて襖を開いて入ってきたのは彼女だった。氷や痛み止め薬を持ってきてくれた彼女は、僕の汗を拭いたり水を飲ませてくれたりなど付きっきりで看病してくれた。額を撫でる彼女の手が気持ちよくてうっかり眠ってしまったのだった。
「すみません、迷惑をかけたのは僕の方なのに……疲れのせいか夜中の記憶が曖昧で」
「お気になさらず。ご無事で何よりね。……そう、ホリィさんが朝食を作ってくださってるわ。承太郎やジョセフさんやアヴドゥルさんも心配して、特に承太郎は朝方部屋の前をウロウロしてたわよ。私のことはいいから、皆に会ってらして」
看病に使ったタオルや水の入った桶を片付ける彼女に一言謝ってから、台所に向かう。……そういえば、彼女は誰だろう。承太郎の知り合いか何かだろうか。DIOに操られていた時は彼女のことを知らなかったから、きっと承太郎の家族ではない。頭の中で色々考えているうちに柔らかな太ももの感触や手の温もりなどを思い出してしまって顔が赤くなるのを感じた。
「まだ具合が悪いのか。顔が赤いぜ」
「うわああっっ!?!?…………びっくりした、承太郎か」
無意識に口角が上がってしまうのを隠すように口元に手を当てていると、いつの間にか背後にいた承太郎が僕の顔を見て言った。
「もう痛みも引いたので大丈夫さ。あの女の子……セーラー服のお淑やかな彼女が看病してくれたから」
「あぁ、鴇子のことか。あいつは俺の幼なじみだぜ。今は俺よりも、あのアマの為にうちに来てるようなもんだがな」
「君が冷たくしたからじゃあないのか?」
「…………あ?」
しまった。うっかり変なことを言ってしまった。確かに承太郎はクールで近寄り難いところがある。だが殺そうとした僕を助けてくれた命の恩人だ。の発言は少し失礼だったと反省する。慌てて誤魔化して逃げるように台所に向かったところでガラスが割れるような音がそこから聞こえた。
それが彼女と僕の出会いだ。ホリィさんが倒れた元凶、ジョースターの血の流れる者に縛り着いた呪いを解くために、僕らはエジプトの吸血鬼を倒すことになった。鴇子さんは私も一緒に行くと騒ぎ、置いていかれて怒った彼女を抑えようとしたSPW財団の職員を振り払い電車に乗って追いかけてきた。息を切らした彼女が承太郎に抱きついた時、あの承太郎が驚いて目を見開いていた。
「承太郎、私も連れていきなさい!私だってスタンドが使えるし、戦えるのよ……!待ってるだけなんて出来ないわ!」
「鴇子、お前は女だ。いくらスタンドが使えると言ったって力では男に勝てない。それに、どんな敵がいるか分からない状況でお前を助けてやれる確証も無い。だから、連れて行く訳には行かない。…………と思っていたが、まさか置いていかれて電車で追ってくるとは思ってなかったぜ」
「当たり前よ。そのせいで財布とパスポートしか持ってきてないわ」
「そこまでして旅について行きたいと言うなら文句はない。それだけの覚悟があるってことだ」
そして急遽、彼女が旅に加わることになった。アヴドゥルは最後まで反対していたが、彼女の説得にジョースターさんが折れたので同行することが決まった。飛行機を待つ間に彼女が皆にコーヒーを持ってきてくれた。
「典明くん、我儘言ってごめんなさいね。でもどうか怒らないで欲しいの。ホリィさんは私にいつも親切で、親と仲が悪い私をよく家に招待してくださったわ」
「鴇子さん……」
「そんな優しい彼女を苦しめてる奴がいるなんて許せないの。自分の恩人を助けるのに、自分は待ってるだけなんて出来ない。もし私に何か……万が一のことがあってもね」
万が一のこととは、きっと死のことだろう。DIOがどんなやつかは彼女も聞いている。ジョースターさんの祖父にあたるジョナサン・ジョースターの義弟だった彼は、自分の養父を殺害し、その復讐と吸血鬼になった自分を倒すため現れたジョナサンと相打ちになったかと思われたが、生首のまま彼の体を奪い生き延びたという。そして最近になって、百年の眠りから覚めた。僕やアヴドゥルはDIOに会ったことがあるし、ジョースターさんや承太郎は因縁にケリをつけなければならない。だが彼女は近くに住んでいる承太郎の友達で、スタンド使いとはいえ直接はDIOと関係がない。
「本当は僕だって反対したいよ。君に何かあったら……そんなことは考えたくもないが、ありえない話じゃない。でも僕は君のことを尊重したい。だから何か、君の身に危険なことが起きたら、すぐに誰かを頼るんだよ。一人で抱え込んじゃあダメだ」
「ふふ、貴方にも同じことを言いたいけれど……でもありがとう。頼りになる騎士さん達に守られてばっかりじゃあいられないもの。ほどほどに頑張るわ」
そう笑う彼女は本当に女神のようだった。あの出発の日に旅に連れて行ってくれと駄々を捏ねたのが、彼女の最初で最後の我儘だったと思う。付き合いが浅い僕でも、承太郎のあの表情を見れば彼女が普段どれだけ大人で聞き分けがいい人なのだとすぐに分かった。
姉がいるとはこんな感じなのだろうか。だが、初めて会った時のように頼りになる所も、ホリィさんを助けたい一心で僕らを追いかけてきた仲間思いな所も、僕が知らないような意外な所も、承太郎は知っているのかもしれないと思うと胸の奥がズキズキと痛むような気持ちだった。その痛みも、初めて会った時のように彼女が頭を撫でてくれたら、何事も無かったかのように忘れられるかもしれない。