禁断の恋、忘却の果てに






深夜の街を一人で歩いていた時のことだ。外国の夜というのは日本と違ってかなり静かだ。明かりはほとんどなく人気もない。だからこそ心身を休めるにはちょうど良かった。静かな場所で星空を眺めながら瞑想でもして、自分自身を見直す。万が一泥棒なんかに襲われたとしても僕には『友達』がいるから絶対に大丈夫だ。
大きな木の下に数個のお粗末なベンチが並んでいる公園に入った。座るとギシギシと木の軋む音がする。その中でも一番頑丈そうなところに座って、僕は月を見上げた。

「月って素敵よね。宝石箱の中でいっとう輝く二十四カラットの光……まさに夜空の女王様って感じ」

真上から天使のように可憐な声が降り注いだ。慌てて木を見上げれば、黄金のようなブロンドの少女が、木に座ったままピジョンブラッドの瞳で僕を優しく見下ろしていた。……僕は彼女を知っている。ピジョンブラッドは文字通り血の色に由来する。そこから連想するに、やはり彼女は。

「鴇子……DIOの妹、鴇子……!」
「ねぇ、待って。わざわざスタンドを出さなくても襲ったりしないわ!私今日はお兄さまに言われて来たんじゃあなくってよ。暇つぶしよ、ひ・ま・つ・ぶ・し。お兄さまも部下たちも、みんな貴方たちを殺すことで忙しいみたいで、全然遊んでくれないのよ」

あの忌々しい吸血鬼。僕を洗脳して承太郎を襲わせた、あの憎き吸血鬼の妹だ。髪の色も瞳の色もそっくりそのまま同じ。ハイエロファントを出して鴇子と間合いを取れば、彼女は慌てて木から降りた。ふわりとスカートが揺れるのに、思わず目を奪われてしまった。

「ね、典明くん。『スタンドをしまいなさい』」

突然体が石のように固まってしまった。どんなに力を込めても腕はおろか、指さえも動かない。法皇の緑は勝手にヴィジョンを解き始める。精神エネルギーが塵のようになって僕の体の中へと戻っていった。……これは鴇子のスタンド能力だ。彼女が僕に命令したから、僕はそれに従わざるを得なかったのだ。

「よしよし、いい子ね。私はあなたと友達になりに来たのよ。別に殺してやろうなんて思っていないの」
「友達……信用できる訳ないだろう!DIOにも同じことを言われたぞ。そうやって仲間、いや、奴隷と言うべきか。承太郎たちを殺すために利用しているのは知っているんだぞ」

彼女は困った顔をしてため息をついた。困りたいのはこちらの方だと一言言ってやりたかったが、余計なことを言って怒らせては面倒だと飲み込んだ。
友達になろう。そうDIOに言われて、圧に耐えられなくて頷いてしまって、結局友達になれたのか?いや、あんなものはただの奴隷だ。肉の芽で洗脳されたあやつり人形だ。鴇子も同じことをするに違いないと確信していた。DIOの妹だから、彼女のことは信用できない。
鴇子が一歩踏み出した。恐る恐るという感じではなかった。むしろ堂々と、さすが闇の帝王の妹だと思うほどに凛々しく僕に歩み寄る。木の影から彼女が現れて、月の光が彼女を照らす。この世のものとは思えない、美しい少女だ。

「どうやったら信じてくれる?」
「えっ」
「抵抗しないって、本当に悪意がないってどうやったら信じてくれる?一度気の済むまで殴ってみる?お兄さまの分まで私が全部受け止めてあげるわ。友達なら殴り返したりしないでしょ?それともあなたの前で脱いであげようか。あまりそういうのは得意じゃあないけど、あなたを気持ちよくさせるくらいのことはきっとできる」

大丈夫、吸血鬼は丈夫だから。彼女はそう言って微笑んだ。英語が得意な自覚はあるが、流暢なクイーンズで捲し立てられて、何個か聞き取れない単語さえあった。
今度は震えた片手で躊躇しながら僕の服の袖を掴んだ。彼女の背は僕の肩くらいまでしかない。手も小さくて細い。押し倒して乱暴することなんて、彼女が吸血鬼でなかったらきっと簡単なのだろう。もちろんそんなことはしないが、見た目は僕と同じか年下くらいなのに、友達を作ったこともない血に飢えた化け物だというのは、なんだか少し可哀想だと思った。ジョースターさん曰く吸血鬼はみんな後天性らしい。

「君に攻撃する意思がない、というのは分かったよ。だけど友達になるのは無理だ。どうしても……肉の芽を植え付けられていた時のことはトラウマなんだ」

僕はあの間に何人か一般人を殺している。記憶は曖昧だが、泣き叫ぶ人々を見えない触脚で絞め殺し、DIOの邪魔になる人間を排除していた。それに、両親へもたくさん迷惑をかけた。承太郎にだってそうだ。
あの時のことを思えばどうしても吸血鬼とは友達にはなれない。どういう風の吹き回しで彼女が僕に近づいて来たのかは分からないが、彼女の行動が本当に友達になる為だけのものだと信じるには、些か早すぎるような気がしてならない。もっとじっくり観察すべきだろう。

「そう、そうよね。ごめんなさい。……ねぇ、あなた、何度か館に来たことがあったでしょう?……あの時のこと、覚えてる?」
「あの時……?」

こてん、と首を傾げて彼女は尋ねた。どこか表情が寂しそうだった。
肉の芽を植え付けられていた、それも初期のことはあまり覚えていない。洗脳される前の記憶なのか、自己防衛のために脳が作り上げた偽の記憶なのか、洗脳されたことによって都合よく肉の芽が生み出した記憶なのか、判別ができないのだ。それらがぐちゃぐちゃに混在している。

「なんでもない。なんでもないわ。気にしないで。一人でいたところを邪魔してごめんなさいね。……承太郎とジョセフによろしく伝えておいてね。ばいばい」

あ、と声を出す間もなく突風が僕を襲った。目を閉じて腕で顔を覆う。そして次に目を開いた時には、鴇子はどこにもいなかった。大きなまんまるの月だけが僕を見下ろして、嘲笑っているみたいだった。



「で、攻撃しないで消えたのか」

真っ先にホテルに帰って、同室の承太郎に先程あったことを話した。彼女と会話したのはたった十分にも満たない短い時間だったけれど、自分たちが追っている男の妹と接触したというのは重大なことだった。

「不思議な女の子だったよ。背もそんなに高くなくて……なんだか年下みたいだった。華奢でなんだかか弱い感じもしたな。でもあの目は、あの雰囲気は、間違いなく吸血鬼のものだった」

少女とは言うが、彼女は百歳をとっくに超えているのだ。時が止まった世界で生きる吸血鬼は姿変わらず一世紀を生きた。その孤独は、僕たちには知る由もない。

「花京院、お前……まるでそいつのことをよく知ってるみたいな言い方じゃあねーか」
「……?ジョースターさんが鴇子については説明してくれただろう?」
「そうじゃあねえ。忘れたのか?俺たちはじじいから鴇子の名前しか聞かされていなかった。ポルナレフだって、肉の芽を植えられていた時の話をした時に言ってただろ。鴇子は館でも滅多に姿を表さなかった……と。」

先に肉の芽を植えられていたポルナレフは僕よりも記憶がハッキリとしているらしかった。そういえば、鴇子はDIOの籠愛を受けているから、部下たちの前に顔を出すことは滅多にないと聞いた気がする。DIOに気に入られている一部の部下にだけ彼女と話すことが許されているとか。部屋に閉じこもっているはずの彼女が、何故僕のところまではるばるやって来たのだろうか。

「館にいた時、僕は彼女と会ったことがあるみたいだ。鴇子が館にいた時のことを覚えてるか聞いてきた。さっぱり思い出せないけど……確かに、今日彼女と会った時も、初めて会ったような気がしなかった」

あのピジョンブラッドに見つめられた時感じたものは一体なんだったのだろう。人間としての温もりのない、凍てつくような瞳だったのにも関わらず、なんだか安心感のようなものを感じていたような気がする。因縁のあるはずのジョースターさんや承太郎ではなく、僕に話しかけてきたのは、まさか肉の芽時代の友人だったからなのだろうか。

「承太郎、僕、怖いんだ。肉の芽を植えられていた時の『自分では無い』はずの自分が、僕のフリしてたくさんのことをしでかして来たことが。人殺しだってそうだ。何も知らない君のことだって襲った。……その『僕ではない花京院典明』の友人だったかもしれない鴇子に、僕はどう接すればいいのか、分からない」

ベッドに横になり、枕に顔を埋める。若干綿の少ないような気がする安っぽい枕だった。
彼女は人を襲い、殺して血を奪う。だがそれは人間が家畜にしていることと何ら変わらない。彼女が吸血鬼であるという事実は、僕たちと敵対するべき理由にはならない。だが問題は鴇子の兄にある。DIOが鴇子をスパイとして僕らの元に送り込んだという可能性は十分にある。だが、彼女の寂しそうな表情は、本当に演技だったのだろうか?断定はできない。

「……攻撃してこねぇならほっといていいんじゃあねーか。そいつが悪人なら、そのうち我慢ならずに本性を表すに違いねえ。答え合わせはDIOを倒してからだ」
「そう、そうだな。今はできることをしよう」

承太郎は煙草の煙を吐きながらそう言った。
旅の本来の目的を忘れてはならない。一番はDIOを倒し、ホリィさんを助けることだ。それが最優先。他のことは後回しだ。
きっと鴇子は再び現れるだろう。その時にもっと、彼女に聞いてみることにしよう。上手くいけばDIOの弱点や館の在処なんかも教えてくれるかもしれない。利用する価値は十分にある。……彼女には酷だが、DIOを倒すためなら、そんな手段も選ばないといけないのかもしれない。そんな信念を貫ける程の強さが、僕にはあるのだろうか?いや、きっとあるに違いない。そう信じよう。


再開の時というのは意外とすぐに訪れる。三日か四日くらい経った夜のことだ。その日同じ部屋になったのはポルナレフだった。時計の針は二十三時過ぎを示している。次々と現れる刺客のせいで疲れているというのに、ポルナレフのいびきがうるさすぎて全く寝付けなかった。起きたら一発殴ってやりたい。
なにか飲もうと思ってベッドから起き上がったところで、閉まっているはずの窓から風が吹き込んでいるのに気がついた。カーテンがひらりひらりと揺れている。

「……?ポルナレフが開けたのか?彼は暑がりだからな……」

やれやれ、不用心な奴だ。そう思ってカーテンに手をかけた瞬間のことだった。月の光に包まれて彼女はそこに立っていた。

「はあい、典明くん。元気してる?……また来ちゃった♡」
「鴇子、ど、どうしてここに」

ベランダの柵から飛び降りて、彼女は勝手に部屋に入ってきた。……なんだかこの間より元気になっているような気がするのは気のせいだろうか。そう感じるのは声色のせいだろうか。室内を物色していた鴇子はポルナレフの姿を見てぱあっと表情を明るくした。ポルナレフとも面識があるのだろうか。

「まあっ、ポルナレフくんね!久しぶりだわ!ほら、ねえ、起きて起きて!」
「ん……もう朝かよぉ〜、まだあと5分だけ……」
「お、おい!何してるんだ!」

ポルナレフの肩を揺すって起こそうとし始めたので、慌ててその手を止めた。鴇子と会ったことは彼は知らないのだ。混乱するに違いない。……そもそも、彼女の馬鹿みたいに無防備な行動の原動力はいったいなんなのだろうか。四対一でも勝てると思っているからだろうか?それはさすがに、自分の力を過信しすぎじゃないだろうか。
ポルナレフの寝起きがあまりにも悪いので、彼女は布団を剥ぎ取って枕をぽいと床に投げた。突然の寒さにポルナレフは驚いて目を覚ました。ぴたり、と動きが止まった。

「だ、誰だ……?まさか、花京院の女か……?こんなかわいい女の子を夜のホテルに連れ込むなんて、コウコウセーにしてはお前もやるなあ〜?どうやって口説いたんだよ、なあ?」
「ちょっと!私のこと忘れちゃったの?鴇子よ!館で一度会ってるでしょう?」

鴇子?鴇子ってまさか……寝起きだから頭が回らないんだろう。数回名前を呟いたところでポルナレフはベッドから飛び上がった。チャリオッツが彼の後ろで構えている。彼女の正体に気づいたのだ。

「お、お前!貴様、DIOの妹の……!なんでここにいやがる!おい花京院、なんで攻撃しないんだ!」
「もう!お兄さまがしたことはたしかに酷いことだけど、それはお兄さまがしたことで私がしたことじゃあないわよ!みんなすぐ攻撃しようとしてくるんだから……」

……なんというか、疲れて声も出ない。彼女の破天荒さにはお手上げた。百年も生きたせいで常識もどこかに行ってしまったのだろうか。

「はあ、それで、今日はなんの用でここに来たんだ」
「……それが、いろいろあって」

彼女は俯いた。ころころと忙しく表情が変わるのは人間らしい。吸血鬼になっても、人間らしさは完全には失われないのだろう。
寵愛を受けている彼女が勝手に外出などして大丈夫なのだろうか。夜はDIOも起きているだろうし、部下だって沢山いるだろうし、バレてしまったらDIOは激怒するに違いない。まさか妹を殺すなんてことは無いとは思うが。

「お兄さまと喧嘩したのよ。勝手に外出したのがバレてね。だから言ってやったの。『私のことなんかなんでも言うこと聞いてくれる人形くらいにしか思ってないくせに』ってね。昔からあの人はそうだった。私の意見なんかなんにも聞いてくれなかったの。自分は女の人と遊んで、好きな場所に行って好きな物を買うのに、私は館から出ることさえ許されない」

やはりそうだ。よく見ると彼女の腰のリボンが、まるで引き裂かれたかのように中途半端に歪な形になっていた。手を出されたらしい。吸血鬼だから傷もアザも何も残っていなかったが、きっと殴られたり叩かれたりしたんだろう。

「そしたらお兄さますっごく怒ってね……思い出したくないくらい怖かった……あんなところにもういたくないの。だから逃げてきたのよ」

顔を手で覆いながらそう言って泣き始めた。突然のことに僕もポルナレフもどうしたらいいのか分からない。とりあえず鴇子をソファに座らせてコーヒーを淹れてやった。後ろではポルナレフがチャリオッツの刃先を彼女に向けている。少しでもこちらを攻撃するような様子を見せたら、すぐに攻撃できるように。

「ぐすっ、ぐすっ」

彼女はどばどばとコーヒーに角砂糖とミルクを入れて啜った。苦いのが飲めないのなら紅茶にすればよかっただろうか。その砂糖の量に思わず顔を顰めた。

「あー、その、花京院。どうする?」
「……とりあえず、承太郎たちを呼んでこよう」

彼女が泣き疲れて眠ってしまったうちに僕は承太郎とジョースターさんを呼びに行った。鴇子が僕の部屋で寝ていると伝えれば、ジョースターさんは驚きのあまりベッドから落ちそうになっていた。承太郎は僕のベッドで眠る彼女を見るなりスタンドを出して警戒しているし、ポルナレフも未だにチャリオッツを出したままだし、ジョースターさんはまだ状況を理解しきれていないようだった。
一方僕はというと、ソファに座ってぼうっとみんなのことを見ていた。彼女が敵ではないということをどこかで納得していたからかもしれない。何故彼女のことを傷つけたくない、守りたい、そんな気持ちが湧いてきてしまうのか自分でも分からなかった。

「……んん」
「……おい、起きたぞ」
「……?ジョナサン兄さま…………?」

鴇子は承太郎のことを不思議そうに見上げた。ジョナサン・ジョースター。ジョースターさんの祖父だ。祖父の祖父、要するに承太郎の高祖父である彼はDIOの義理の兄だった。つまり鴇子の義理の兄でもある。写真を見たことがないから分からないが、彼女の反応を見るに承太郎とそっくりなんだろう。

「……ああ、承太郎くんね。みなさん、取り乱してごめんなさい。あの、私、あなたたちを攻撃しようと思って来たわけじゃあないわ」
「あんなに無防備に寝ているのを見れば、もう誰も疑わんよ。館がどこにあるのか、そして君の兄のことについて、知ってることを教えてくれんかのう。わしの娘を助けるには……その、君の兄のところに行かなくてはならないんじゃ」
「ジョセフくんの娘……」

つまり、自分の義兄の曾孫だ。ゆっくりと瞼を閉じて何かを考えているみたいだった。自分の生きた百年という年月がどれだけ長いのか、実感しているのだろう。自分と五つも違わないであろう義兄には息子がいて、孫がいて、曾孫がいて、玄孫がいる。義兄と息子は亡くなり孫は年老いた。百年とは長い年月だ。普通の人間だって百年生きるのはかなり難しい。だが、彼女はそれを少女の姿のまま成し遂げたのだ。

「あなたの娘さんのことはきっと、お兄さまにとっても想定外だったわ。だけどあなたたちジョースターの血を途絶えさせようとしてるのはほんと。彼がどれだけその血に執着しているのか私はよく知ってる。既にものすごい額の懸賞金をかけてあなたたちを探してるわ。……きっと、カイロにたどり着いたところで、彼はあなた達を真っ先に殺そうとしてくる」

今まで僕達を襲ってきた刺客の中には、金で雇われたと言う者も多かった。なんとしてでも僕達を殺す気なんだろう。ジョースターさんはベッドサイドの椅子に座った。ポルナレフもスタンドを解除した。……承太郎は、未だにジョースターさんの背後にスタープラチナを立たせて鴇子を睨みつけている。

「……それでも、いいの?」
「俺たちは初めからヤツと殺し合うつもりで来てるぜ。そんなことはとっくに想定済みだ」
「そう。……お兄さまが占い師に名付けさせたスタンドは全部で十六体。私は『世界』の逆位置よ。でも、部下はもっといるわ」
「な、名前と能力は!?」

鴇子は俯いた。

「分からない。スタンド使いはみんな自分の能力を隠すから……。それはお兄さまだってそうよ。それに私、ほとんど部屋に閉じこもってばかりで部下たちとあまり交友がなかったもの」
「そうか……それで、君はどうするんじゃ?わしらは基本昼間に移動するから旅に連れていくことはできんよ」
「いいの。あの館から出られるのならどこでも……」

そうして彼女はSPW財団に預けられることになった。別れ際、鴇子は僕を呼び出した。泣きながら僕に抱きついて、『お兄さまが死ぬところなんて見たくない。私のせいでお兄さまが死ぬなんて耐えられない』と言った。彼女のことを尊重して、聞き出すのはDIOの部下のことだけだと決まったそうだ。とりあえず、これで安心して旅を続けられる。



「ヤツの能力は、いったい……」

仲間のアヴドゥルとイギーが命を犠牲にしてまでDIOの手下と戦った。僕達はきっと全ての部下を倒したのだろう。DIO本人が現れたということはそうに違いない。ポルナレフの遭遇した奇妙な出来事については未だに手がかりが掴めない。スタンド使いの中には、追い詰められて慌てたり、調子に乗ったりして自分の能力を自ら明かすヤツもいるが、DIOはは未だに能力を隠している。ほんの少しのヒントも与えてはくれない。
ポルナレフはヤツを追いかけて一人で行動しているが、僕達は逃げながらDIOと戦うことになった。所謂、挟み撃ち。僕とジョースターさんは建物をスタンドで飛び移りながら移動していた。

「(DIOを殺せたら……いや、それは確実に成し遂げるが……そのことを彼女にどう報告すればいいのだろうか)」

どこかで僕は気づいていた。彼女が本当はDIOのことを、たった一人の兄をこよなく愛してるということ。本当は死んで欲しくないと思っているということ。……僕らがDIOを殺したら、自らエジプトの肌を焦がすような灼熱の太陽の下に飛び込んで、灰になって消えてしまおうと考えていること。
もちろん自分のせいで誰かが自殺するなんて嫌だが、自ら身を差し出したとはいえ、兄の敵であるSPW財団で一生匿われているというのも、彼女にとっては生き地獄でしかないだろう。

「思いつきました」

だがそんなことばかり考えていられない。床に臥すホリィさんを、帰りを待つ両親を、勇敢に戦い命を落とした仲間を、そして今カイロのどこかで戦っている仲間達のことを考えれば、DIOは必ず倒さなければならない存在だというのは当然のことだった。

「……DIOの幽波紋の正体を暴く方法を」
「何ッ!?」

……そのためなら、この命でさえ惜しまない。



嫌な予感はしていた。典明くんたちがカイロに到着したと連絡があってから、もう何度か陽が沈んで昇るのを繰り返している。この謎の胸騒ぎは一体何なのだろう。私の体に刻まれたお兄さまと同じ遺伝子が、ジョースターの血であるジョセフくんと承太郎くんに反応しているのかもしれない。DIO兄さまがジョナサン兄さまの体を奪ってから、そう反応するようになってしまったという。

「カイロに来るのは何日ぶりかしらね」

館に住んでからほとんど外に出たことが無かった私にとっては新鮮だった。いつも館の窓から流れこんでくる車のクラクションや救急車のサイレンの音、ストリートフードの匂いなどをもっと身近に感じながら典明くんたちの元へ向かった。
時計塔の近くに誰かいる。直感的にそれを理解した。そして誰かがまた遠くからそこへ歩いていく。ジョセフくんと承太郎くんだ。だがどちらがどちらにいるのかまでは分からない。

ドドドドド……と何かが崩れるのようなものすごい轟音と共に辺りを歩いていた人々がざわざわと騒ぎ出す。慌てて上方を見渡せば、時計塔の近くにあったはずの給水塔が倒れている。側面は大きく凹んでおり、まるで車がものすごい勢いで突っ込んだかのようだった。だが屋上でそんなことはありえない。きっとみんながお兄さまと戦っているのだ。

「……?!時計塔が壊れているわ。しかも、一瞬緑に光ったような……まさか!」

あの緑には、あのエメラルドグリーンには見覚えがある。あれはかつての恋人、花京院典明のものに違いない。私は駆け出した。ひょいひょいとパルクールのように身軽に壁を駆け上がり、建物の屋上を伝って給水塔へと向かった。

「典明くん!」
「……鴇子……?」

そこにいたのはかつてのように元気な典明くんではなかった。満身創痍……もう死の間際とも言えよう。腹に大穴を開けられ、身体中から血を流し、目も虚ろで肌も青白い。だが年ゆえの勘だろうか。彼を抱えて財団の人間のところまで走り、治療を受けさせたところで、彼が助かる訳がないというのを確信していた。なら私にできることは何か。彼の命を助けるために何をすべきか。

「……DIOのスタンド能力は、時間停止だ……っ、時間を止める、ただそれだけだ……うっ、じ、承太郎に、はやく、つた、つたえ……」
「ダメよ、喋っちゃだめ!あなた本当に死んじゃうわよ!どうしよう、どうすればいいの……!」

人間は脆い。少し話しただけでさっきよりも衰弱している。頭の中で必死に助ける方法を考えたが一世紀も昔の知識ではどうしようもなかった。
……人間は脆い?なら、人間じゃなかったら?

「典明くん、『口を開けなさい』」
「……」

私は舌を噛んで、溢れた血液を口内に溜めた。
人間を吸血鬼にする方法は二つある。一つ目は、私と同様石仮面を使うこと。二つ目は、吸血鬼の血液を大量に流し込むこと。

「い、いや、だ……」
「なッ……」

典明くんは口を閉じた。
……ありえない。私のスタンドが無視されたのだ。

「ねぇ、ダメよ。おねがい、『口を開けて』!これしか方法がないのよ!『私の言うことを聞いて』!ダメ、死なないで典明くん……!『死なないで』……『生きて』。おねがい、おねがいだから……」
「……」

手で口をこじ開けようとしても開かない。そしてついに、典明くんは目を閉じた。彼の友人とは異なる、見惚れてしまうほどのアメジストを瞼の裏に隠して、眠るように意識を落とした。呼び掛けにも答えない。スタンドの命令だって聞かない。

「いや、いやだ……ねぇ、嘘だって言ってよ……生きてるんでしょ……私をからかって遊んでるんでしょ……ねえ。いやよ、あなたのいない世界なんていや……」

握られた手から力が抜けていく。きっと眠っているだけだ。そうに違いない。起きた時に困らないように、彼の顔に付いた血を両手で優しく拭ってやった。……だらりとした彼の頭を膝に乗せて、顎に手を添えて、未だ青白いその唇に口付けた。命を吹き込むようにと、力強く念じる。

「(死んじゃダメ)」

体が冷たい。寒いだろう。両腕で暖めてやる。

「(……『生きて』)」

……そして、典明くんの身体を財団の人間に引き渡して、日が昇る頃に承太郎くんたちに会いに行った。お兄さまが灰になるところも見届けた。子供の頃、ロンドンの貧民街の片隅でやったのと同じように、ボロボロになった両手をしっかり握った。……あの頃と違って冷たかったが、大きな手は私を優しく包み込んでくれた。

「……もう日が昇る時間だぜ」
「君は日陰で見ていなさい。ちゃんと日傘も差すんじゃぞ」

二人に適当に返事を返して、財団の人達が立ててくれた屋根だけのテントへ入った。お兄さまが昔買ってくれた傘をしっかりと握る。最後の別れをしっかりと焼き付けるように、瞬きもしないで、光に包まれるお兄さまを見ていた。

「お前と花京院はどういう関係だったんだ?」

それから数時間もしないで、私たちはカイロを移動することになった。承太郎くんやジョセフくんなんかは待ち遠しいだろうが、ホリィちゃんと会えるのは少し先になりそうだった。ジョセフくんは珍しく移動中愚痴を言わなかった。承太郎も、ポルナレフくんもそうだ。エジプト国内の財団病院に移動して、それぞれが治療に専念することになった。

「……恋人だったのよ。彼は覚えていないみたいだけれど」

ポルナレフくんは、入院中の話し相手としてソファに座った私にそう聞いてきた。
まさかこの歳になって人間と、それも十七歳の少年と恋愛することになるとは思わなかった。子供っぽい私の冗談を、くだらないと一蹴することなく付き合ってくれる彼のことが好きだった。『DIOの妹』ではなく、『「鴇子・ブランドー』として私を見てくれる典明くんのことが好きだった。……肉の芽に洗脳されながらも、瞳の奥に純粋な情熱を灯らせていた典明くんのことが好きだった。

「『だった』?今はどうなんだい?」

その声に反応して横を向いた。彼はドアの横の壁に背をもたれていた。

「あ、あなた、どうして……」
「まったく、意地悪なヤツだな」
「すみません。自分でも、こんなに速く回復するとは思っていなかったんだ」

松葉杖をついているが、腹に穴を空けられたにしては軽傷に見える。顔や腕の傷だってない。

「鴇子があの時、何度もスタンド能力で『生きて』と願ってくれたから、体に生命力が溢れて傷が治ったらしいんだ。君のおかげだよ、僕が生き返ったのは」
「そんな、そんなことが……っ」

涙がとめどなく溢れて服を濡らした。本物の典明くんだ。本物の花京院典明だ。ここが病院であるということも忘れて駆け出した。彼の胸に飛び込む。

「私典明くんのことが好き……!今も大好きよ!昔も、今も、これからも、ずっと愛してるわ!」
「ありがとう。実は……君の情熱的なキスのおかげか、肉の芽時代のことを思い出してね。僕も鴇子のことを愛してるよ。ずっと君に対して抱いていた気持ちがなんなのか、これでようやく分かった」
「あ、あれ、あの時起きてたの……」

恥ずかしさから背中に回した腕の力を強めれば、彼は私を宥めるように頭を撫でた。今までお兄さま以外で私の頭を撫でたのは、ジョナサン兄さまだけだった。
とくん。心臓の音と暖かい体温に癒される。これは私たち吸血鬼にはない、人間特有のものだ。

「あの時君のことを拒んだのは、君のことが嫌いだからとかそういうんじゃあないんだ。……吸血鬼になるのは僕だって嫌だし、僕を吸血鬼にしてしまえば、君は後で絶対後悔することになるだろうから」
「なんだ、よかった……その、あんな状況だったけど、その事は少し気にしてたから」

そんな会話をしていれば、突然横から割り込まれた。

「おーい。イチャつくなら外でやれよな。ったく、こっちは療養中だってのに……」
「ごめんなさい、でもありがと、ポルナレフくん」

私たちの恋は禁断の恋なのだろうか。吸血鬼は人の血を吸うし、何より寿命が違いすぎる。だが、そんなハンデがあっても、私は典明くんの横で笑っていたい。笑っている典明くんの隣にいたい。
叶えたいのはそんな小さな願いだけだ。この世に生まれ落ちてから背負ってきた数々の罪を償いながら、その幸せを
追い求める。その幸せの向こうには典明くんがいる。







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