01. 眠ってるあいだに終末論






その一瞬で、私は全てを奪われた。
紅く染まっていく視界に最後に映ったのは、あの化け物の勝ち誇ったような憎たらしい笑みだった。痛みもなく体は静寂に包まれ闇へと落ちていく。日本に置いてきた満身創痍の母、どこにいるのか分からない父、母を守るために戦っている兄と祖父、そして同じく兄たちと戦っている仲間の姿が脳裏に浮かぶ。幼い頃から積み上げた十六年の思い出が不安定に点滅しながら映し出される。稲妻のような恐ろしい速さで遠のいていくそれは、コーラとポップコーンを片手にゆっくり鑑賞できる映画とは程遠い身勝手なものだった。ああ、私は死んだのかと、此岸に残してきた全てのものを捨て去る覚悟をしていれば、冷たい暗闇に似合わない優しい何かに掴まれる。
祖父の隠者の紫ハーミットパープルにそっくりな茨は暖かい光を放ちながら、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように、天から下ろされてきたらしかった。腕に巻きついていたものの正体はそれだった。私の身体は走馬灯を振り払うように真っ直ぐ上方へと引き上げられていく。あの忌まわしい吸血鬼を殺せと、それまでは死ぬことは許さないと、運命が命じたのだろう。

「鴇子、こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまうよ」
「……お、にいちゃん…………?」

神の元に呼ばれたのかと錯覚するほど優しい声音に呼び起こされる。エジプトの暑く乾燥した空気や砂埃とは無縁な、爽やかな風と緑に包まれた庭で、私は林檎の木に凭れて寝ていたようだった。
どこか見覚えのあるの少年の姿は、思わず兄の姿と重なり名を呼んでしまったが、どちらかと言えば祖父に似ている。顔立ちからして欧米人だろう。先程も私に英語で話しかけていた。

「何か言ったかい?……そうだ、そんなことより!今日は君の新しい兄が来る日だよ!彼……ディオは、いったいどんな子なんだろう?楽しみすぎて昨日の夜はまともに眠れなかったよ!」
「ま、まさか、こんなこと」

彼は確かにその唇でディオ、と発音した。まさか、この目の前の少年は私の実の高祖父のジョナサン・ジョースターで、これからやってくる客人は私を殺したディオ・ブランドーで、今は私が生まれる九十年近く昔の一八八〇年であるということなのか。日本から遠く離れたイギリスの地、頼れる仲間たちは生まれてすらいない。にわかには信じがたい話である。
仮に全てが真実だったとしても、私のやるべきことは一つだけだ。弟ができることに喜び頬を緩ませている、目の前の無実の少年が殺される前に、ディオ・ブランドーを殺すこと。
そうして私の心に煮え滾る殺意が芽生えたその瞬間、鴇子・ジョースターの記憶が脳みその奥底から湧き出した。祖父譲りのどちらかと言えばアメリカ式のフランクな発音はいつの間にか上品なクイーンズに修正され、英国貴族のしきたりや常識が身体に刻み込まれた。どちらかと言えば思い出した、という表現が正しいのかもしれないが、とにかく私はこれから貴族の娘として、かつての自分の高祖叔母として生きていくことが決まったのだ。鴇子・ジョースター。十歳になったばかり。兄の名はジョナサン。父の名はジョージ。趣味はチェス……これは昔と変わらない。あとダニーと遊ぶこと。ダルメシアンの飼い犬らしい。誕生日は五月四日。――鴇子・ジョースターが子孫の女子高生に残してくれたプロフィールである。

「大丈夫。あとは使命を成し遂げるだけよ。私がお兄ちゃんとおじいちゃんと、ジョナサンを助けるの」

過去の人物に生まれ変わることを転生と呼ぶのかどうかは知らないが、どちらにせよ前世の自分と仲間の為にできることをするまでだ。それが私の運命である。




「すみません、突然この犬が飛びかかって来たもので……」

ダニーが私の足元に寄ってきた。酷く怯えていて、撫でてやろうと頭に手を伸ばせばびくりと大袈裟に身体を震わせたが、しばらく撫でていれば落ち着いたのか馬車の方をじっと見つめた。その視線の先に佇むのは王冠にあしらわれた金のように眩しいブロンドを持つ少年だった。偉そうに腕を組んでいる彼と目が会った瞬間、射抜かれてしまったかのように身体が固まった。不快な寒気が私の身体に襲いかかって、体温が急降下していくのが分かる。

「……鴇子・ジョースター。僕の話はもう聞いているだろう?僕は君の二人目の兄になるんだ」

そんな事を言いながら私の両手を掴み胸の辺りで軽く上下に振る。握手のつもりなのだろうがそんな社交辞令でさえ拒否したいほど私は彼のことが憎かった。

「緊張しているのか?はは、そんなに震えるなよ」
「そ、そうよね。ごめんなさい。私、人見知りなのよ。貴方のことが怖いとか、そういうのじゃないのよ?」

私は自分の精神年齢より五つ近くも年下の少年に恐怖していた。ジョナサンと同じくらいだろうから十二か十三歳くらいだろう。その幼さにそぐわない冷たい瞳は百年後の未来でも健在だ。私はてっきり、あの吸血鬼の瞳は化け物であるが所以のものだと思っていたが。
その後で、ジョナサンからディオが貧民街育ちであることを聞かされた。あの心優しい少年は、ディオが貴族の生まれであるからと言って差別するつもりはないと語った。人間関係というものは壊すのは簡単な一方で守ることは難しい。ディオに仲良くする気が無いのなら、史実通り私たちは破滅に向かうだけである。私はそんな事を思いながらも、お兄さまジョナサンに頷いた。








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