02. 偽物の青い春を謳歌する
一度目の青春、私はどう過ごしていただろうか。
エジプトへの旅は母の体調が悪くなってからすぐに出発してしまったから、学校の友人たちに連絡できるような時間は無かった。私の死を聞いてみんな悲しんでくれただろうか。涙を零すほどでなくても、私のいない机を見て寂しくなってくれていたならそれだけで嬉しい。
二度目の青春がもうすぐそこまで近づいていた。私はその全てを義兄の為に尽くそうと思っている。犯罪者だと罵られようが家族の縁を切られようがどうでもいい。
みんなが寝静まった後、蝋燭の淡い光の下で殺人計画を建てる。彼は年上でその上男だから、ナイフや鈍器で襲いかかるのは危険だろう。となると、毒殺か銃殺か。彼は確か父親を薬で毒殺しているはずだ。手法を知っているはずだから何かの拍子にバレてしまうかもしれない。だがこの時代の銃は大きいから隠すのが大変だろう。
鍵付きの手帳は去年の誕生日に父から頂いたものだという。そこに計画を書き込んでいく。殆どは没になったが、これを続けていればいつかは完璧なものが出来上がるだろう。筆圧が強いせいか黒のインクが紙に滲んで広がっていった。まるで留まることを知らない私の殺意のようだと鼻で笑えば、突然扉が三度叩かれた。
「鴇子、俺だ」
書くのに集中していて足音に気づかなかった。慌てて手帳を引き出しに隠し、私が図書室から持ってきたばかりのミステリー小説を開いた。その拍子で手帳の鍵が床に落ちた。私は慌てて扉を開ける。
「ディオ、こんな時間にどうしたの?」
「それはこっちの台詞だぜ。喉が渇いて起きたんだが、お前の部屋から光が漏れていたからな。眠れないのか?」
ディオは勝手に部屋に入ると勝手に中を物色し始めた。引き出しの中の手帳を見られてしまうのではないかと思うと気が気ではなかった。だが幸いなことに彼の興味は机の中ではなく机の上の本にあったらしい。勝手に数枚ページを捲って表紙のタイトルを読み上げた。
「『モルグ街の殺人』ね……随分難しいのを読むんだな。俺も読んだことあるが、これ、子供が読むには難しいだろう?」
「デュパンは凄い探偵で、ちょっと変わった人だけどどんどん謎を解決していくの。頭がいい人って憧れるでしょう?」
私の大好きなシャーロック・ホームズもアルセーヌ・ルパンもまだこの世に存在していない。謎解き要素のある小説は相当マイナーなようで探すのに苦労した。『モルグ街の殺人』は初めて見た小説だったが、作者がエドガー・アラン・ポーという有名人だったため手に取った。いざ読むと探偵デュパンの奇抜な性格と理にかなった推理に惹き込まれて非常に面白かった。確かに子供が読むには少し難しいかもしれないが。
「だが、こういう小説は非常に為になるな。どんな風に殺せばバレないのか、なんてね」
ディオはおもむろに踵を返して私の目の前に立った。彼と初めて対峙した、カイロでのことを思い出して足が竦みそうになったが、身体に力を入れてなんとか耐える。
私の首に触れるその手は冷えきっている。皮膚をなぞりながら顎の辺りまで到達したかと思えば、彼は優しく両手で首を覆った。
「君ならどうする?首か?首は急所だが締めるなら殺すのに時間がかかる。胸か?ナイフで滅多刺しにすれば、被害者に恨みのあるような犯人はスッキリするだろうなあ」
「ひっ」
私はDIOにナイフで滅多刺しにされて死んだ。確かに彼が投げたのは一本だったが、いつの間にか数本に増えて私を襲っていた。その時吹き出した真っ赤な血のように、身体中からダラダラと汗が流れる。震えも止まらず呼吸もままらない。耐えきれずに涙が溢れて頬を濡らしたのを感じた。それを見たディオは馬鹿にするように口角を上げて手を離した。私の体は地面にすとんと落ちる。
「はあっ、はあっ」
「なんだよ、探偵ごっこをしていただけじゃあないか。それに手に力は込めてない」
『……こうやって嘲笑いながらみんなを殺したのね!このゲス野郎ッ!絶対、絶対殺してやるッ!』
うっかりそんなことを叫んでしまった。日本語だったおかげかディオはきょとんとして何も言わない。未だに立ち上がらない私に手を差し伸べたが、私はそれを無視して立ち上がる。酸欠にでもなったのかまだ目眩がしている。
「お前、外国語を話せたのか。フランス語でもドイツ語でもないな。今なんて言ったんだ?」
「別に、なんでもないわ」
「ふん、まあいい。お前の戯言に価値があるとは思えないからな」
私の宣戦布告は暴かれることなく流される。夜更かしすると明日に響くから早く寝ろ、と言って彼は部屋を出ていった。足音が遠のき完全に消えるその時まで私は床に耳を当てじっとしていた。防御の為に強ばっていた体から力が抜けて思わず地面に倒れる。書きかけの計画も開いたままの本もそのままにしてベッドへと這い寄る。部屋を出る前、彼は他の兄たちがやるのと同じように私の頭を撫でた。手は以前と冷たいままだったが、何故かその動きは暖かくて愛しいものに感じられた。承太郎もジョナサンもディオも、何故私の兄たちはみな幸せになれないのだろうか。そんなことを考える私に、床に落とした手帳の鍵が消えていることに気づく余裕は無かった。