克明インパール
※BLDです。
スメール教令院には六大学派というものがある。生論派、明論派、素論派、知論派、因論派、そして妙論派。かつては数多の学派が生まれ消えていったと言うが、それももう五百年も前の話である。当時の草神……マハールッカデヴァータによって六大学派が生まれてからはスメールの知識も六つに固定されてしまったのだった。
その古の学派の中に、命論派というものがある。
数の歴史と演算から物事の本質を見極めるというもので、その名の通り全ての学問の命となる学問だがやがてその価値は薄れかつての草神に見放されてしまった。
「君たちに俺の優秀な助っ人を紹介しよう。彼は少し変わっているが……助けてくれると思うよ」
「変わってるってお前が言うのかよ!」
砂漠のオアシスとも呼べる村でアルハイゼンはそう言った。スメール教令院の陰謀を暴く為に、旅人と調査に来ている。行動を共にして暫く経つがパイモンには未だにアルハイゼンの事がよく分からなかった。理性をそのまま体現したかのように冷静で理屈っぽいが、頑固な訳ではなく常に自分の目的の為に動く。そんな性格のせいか彼が旅の途中で見せた数々の空気を読まない行動はある意味学者らしいというか、人間らしいというか……。
「ねぇ、その助っ人ってどんな人なの?」
「彼は一応明論派の学者だ。だが研究内容はあまり天文と関係がなく、常に黒板に数字を書いて何かを計算しているんだよ。普通の人が見ても理解できないような難解な計算式で、それが彼が、いい意味で変人と言われる所以でもある」
「それって、いい意味なのか……?」
「ああ。学者にとって、これ程嬉しいものはないだろうな。それに彼は知恵の神の生まれ変わりや、歩く電卓とも言われている。本来はアーカーシャに付いている機能だが、それが無くとも……いや、それ以上の計算能力を持っているんだ」
「……機械よりも凄い人がいるなんて」
アーカーシャの計算能力の高さは旅人も理解していた。グランドバザールで大量の買い物をしても、普通の計算だけでなく税金や割引の計算も一瞬でこなしてしまう。学者がよく論文の数値算出の為に使っているという話も知っていたため、それを上回る助っ人の能力を想像して絶句した。そして、目の前を歩く書記官の口から飛び出した、例の彼がアルハイゼンよりも年下かつ学者になってまだ一年目だという事実も旅人を驚愕させたのだった。一年目と言えば、大抵の学者が新品の制服に身を包み、無事に卒業できたという自慢をして威張り、頑固な教令院の上層部に頭を悩ませていることだろう。そんな中で、彼はひたすら数字と向き合っているというのか。旅人とパイモンは関心した。
「二人はどんな関係なんだ?」
「友人だな。彼と俺の交友関係は……」
「誰が友達だって?」
後ろから聞こえた声に一行が振り返る。どうやら話しているうちにスメールシティの傍まで来ていたらしい。明論派の代表色である青を基調とした服を纏った、どこか儚げで神秘的な少年が腰に手を当てて立っていた。腰に着けた水の神の目が月光に照らされて淡く光っている。
「アルハイゼン、僕達の関係はあくまで教令院の同僚だよ。勘違いするな」
「ふむ……だが、何を持ってして友とするかは人によるだろう。それを判断するのは俺で、君が俺を友達とするかどうかの判断とは関係ない」
「おい、お前、名前は知らないけどそこまで言わなくてもいいだろ!アルハイゼンが可哀想だぞ!」
「傍に人間を置くことほど危険なものはないよ。それに比べて数字は僕を裏切らない。そこに間違いがあるとすればそれは計算をした人間のせいで……おっと、また名乗り忘れた。凪紗だよ、よろしく。いつか命論派の賢者になる男さ」
命論派の賢者になる男。そう名乗った凪紗はアルハイゼンと話していた時とは違い、楽しそうな笑みを浮かべている。友人であることを否定されたアルハイゼンは特に凪紗の発言を気にしていないようだったが、そんな態度が余計に彼を苛立たせていた。凪紗が感情を顕にして話すことは滅多にない。相手が自分の仕事の邪魔をした奴だろうが、手柄を横取りしようとした奴だろうが関係ない。例えば激しく体を動かすとその分エネルギーを消費するが、実は思考という行為だけでも相当な酸素とエネルギーを消費するのだ。演算の為にエネルギーを温存する彼は無駄なことに時間を使わない。だから夢も見ないしプライベートもない。凪紗は人生の全てを演算に使うべく、無駄を省いているのだ。
「俺たち、君に用があって来たんだ」
「……僕に?それは恐らくアルハイゼンの策だろうな。申し訳ないけど、僕には研究があるから……」
「この件を蔑ろにすれば、今の君の立場も危うくなると思うが?」
「……何だって?」
「勢力を付け始めた命論派は賢者達にとって目の上のたんこぶのようなものだ。今は辛うじて研究の権利を剥奪されていないが……君は今の平穏な状況がいつまでも続くと思っているのか?」
「まさか。だから僕はここに来たんだ。花神誕祭のあの日の違和感について、じっくり考える為にね」
あの日の出来事について知る人は少ない。何度も何度も同じ日を繰り返して、旅人はナヒーダの力によりやっと抜け出すことができたのだ。それはアーカーシャを使った教令院の計画で、普通にアーカーシャを身につけていれば大抵の人間は気づかないはずだった。
凪紗の感じた違和感と言うのは例の高音と自身の演算の不具合だ。高音は旅人も耳にしているし散々苦しめられたからよく知っている。後者に関しては、本当に微々たる変化だ。明論派の学者に頼まれテイワットの星々の軌道を計算していた時のことだった。事前に予測していた結果から、凪紗の導き出した答えが0.001だけ大きくなってしまったのである。普段ならこんなミスをしない彼にとって、これは天地が割れたような衝撃だった。その反省も兼ねて凪紗は静かな満月の夜に外を出歩いていたのだ。
「星の動きというのは我々との感覚とはかけ離れたものだけど、観測を繰り返せば正確な予測も不可能じゃない。この誤差は何度繰り返しても無くならないどころか、だんだん大きくなっていったんだ。さっき終わらせた演算の結果だと、この計算式に誤りはない筈なのに……」
「それは教令院の仕業だ。今、教令院は邪悪で壮大な計画を遂行しようとしている。彼らの重要視するマハールッカデヴァータは主要学派に命論派を選ばなかった。新生命論派の第一人者の君は追放されてもおかしくない状況なんだ」
「ファルス、俺たちに力を貸してくれる?」
旅人は真剣そうに目を合わせた。凪紗は視線を一度アルハイゼンから差し出された手に移したあと、ふいと逸らしてしまう。まだ何か悩んでいるようだった。
教令院の学者にとって追放は最も思い罰である。かつて追放された妙論派の学者が有名だ。彼の非人道的な研究は数々の悲劇を招き犠牲者を生み、学者という教令院の大事な資産を傷つけた。凪紗も学生の頃、管理の目をかいくぐって閲覧した彼の論文に感激したがやり方には賛同できなかった。そうして追放された学者はこの国での居場所を失い他国へと向かう。追放はなんとしても避けたかった。新生命論派には自分が必要であり、七人目の賢者になるべきだと本気で思っていたからだ。教令院に背いても、従っても、現段階では破滅の道しか無い。凪紗は必死に脳内で計算式を張り巡らせていた。
「……これはとても難しい決断だな。僕が君たちによって何らかの恩恵を受ける確率と損害を受ける確率は全く同じなんだよ。そして結構高い数値だ……」
「君、本当にそれが正確な値だと思ってるの?」
「いや、それはそうなんだ。未来のことを予測するのがいかに不安定な事なのかはよく理解している。でも命論派はそういう学問なんだよ。はぁ……こんなことも数字に頼ってしまう」
感情を予測することは不可能だが、凪紗はいつも状況を数字に直し結論を出してしまう。失敗や裏切りを過度に恐れた結果命論に依存するようになってしまったのだった。彼が教令院で避けられている理由の一つである。他にあるとすれば、命論派という正体不明の怪しい学派の第一人者であることからの不信感と学院を首席で卒業し一年目で研究室を与えられたことへの妬みくらいだろう。
「分かったよ。命論派をここで終わらせる訳にはいかないしね。君たちに協力しよう」
「おぉ!頼もしい助っ人ができたな!」
「いや、そうでも無い。既に上から圧力をかけられてるから下手に動けないんだ。……そういえば、教令院は最近あまり干渉して来ないような気がするな」
「教令院が……?それはいつからだ」
「えっと……よく覚えてないけど花神誕祭の少し前からかな。書きかけの論文を勝手に見られたりすることも、大賢者様が嫌味を言いに来ることも無くなった」
命論派は、主にビラ配りや論文の発表、スピーチなどで生徒を増やしている。ビラ配りをすれば直ぐに誰かしらが飛んできてビラを没収されるし、スピーチをすれば何かと理由を付けられ高額な罰金を払わされるし、論文を書けば賢者命令だのと言われ勝手に読まれる上時にはその場で破り捨てられる。ところどころ私情が混じっているが教令院が命論派を快く思っていないことは確かであった。アーカーシャに記録した論文の記録から、いつでも書き直せるのだがやはり心は痛む。アルハイゼンは、彼の賢明な頭脳と全く屈しないどころか表情も変えず作業を続けるその精神力に興味を持ったのだった。
「それで?これからどうするのさ」
「一度アアル村に戻ろう。ここに来たのも君の為だ」
「はぁ?僕が協力しないと言っても無理矢理連れてくつもりだったのか?」
「命論派の話をして君が協力しない筈が無い」
「……本当に卑怯だな貴方は」
「卑怯?本当のことを言っているだけだ」
凪紗にとって命論派は唯一の居場所だった。大賢者による独裁のような状態になり教令院から追放される可能性があってもこの研究だけは捨てられない。自分の頭脳を最大限活用するには明論派の天体軌道の計算でも妙論派の立体駆動装置の計測でも足りないのだ。
好奇心と探究心、それが凪紗が命論に固執する理由だった。