「…何がですか?」
意味が分からず首を傾げて振り返れば、古田はいつもの様にニコリと笑った。
「有馬が普通に笑ってるからさ」
「…っ…!!」
有馬の中で、時が止まった。その古田の笑顔に。
ああ、もう。止めてくれ。
心の中でため息とともに呟く。
返事はいらないって言ったけど、これじゃあ欲しくなる。
「…ふふっ、なんですかそれ。クララが立ったみたいな言い方」
「いやいや、お前だって昨日の顔ほんと酷かったからな!?」
コロコロ笑う古田は有馬の今の感情には気が付かない。
「それに関してはもう何も言い返せないんでやめてください」
「えーどうしよっかなぁ」
残酷な人だ、と有馬は思う。それでも古田の事を嫌いになれない。
「じゃ、俺も帰りますね」
そんな感情と目の前にいる想い人を振り切るように。
「また明日会社で」
有馬は古田の家を出た。
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「じゃ、古田ちょっと外出てきます!!」
次の日、お昼を少し過ぎたころ。古田は松葉杖を片手にオフィスで手を上げた。
「もう階段から落ちんなよ〜」
「はーい」
「お前元気そうだしやっぱり下まで階段で降りろ〜」
「それは鬼です」
いつも通り先輩と適当な会話をしながらリュックを背負う。
そんな中目の端に何か言いたげな有馬が映る。言いたいことは分かっている。
「あ、そうだ有馬、俺が帰ってくるまでにその資料完成させとけよ?」
ついてくるつもりだったであろう有馬がわかりやすくムッとした表情をする。
「…分かってますよ…」
有馬がついてくるという気持ちも分かる。自分が怪我をさせたのだからそういう気持ちにもなるだろう。ただ有馬にも仕事がある。いくら優秀な有馬とはいえ、先輩である自分が有馬の仕事の時間を奪うのは心苦しい。
「期待のホープなんだからしっかりやるんぞ」
有馬の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、たまには先輩っぽいことも言ってみる。あからさまに嫌そうな顔で睨んできた有馬の視線には気が付かなかったことにしておこう。
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「お久しぶりです、社長」
「あら、古田くん待ってたわよ!!」
松葉杖に大苦戦しながらたどり着いた先は自分のお得意先。古田が新人のころ初めて一人で取ってきた契約先の会社だった。
「すいません遅くなっちゃって…」
「いいのよう!!古田くんが来てくれただけで嬉しいわ!!」
ここの女社長である中崎にどうやら気に入ってもらったらしく、いつも良くしてもらっている。そうは言っても社長であることには間違いがなく、十ほど年上の中崎は古田から見てもバリバリ仕事ができる人だった。
「あら…?古田くん、怪我したの…?」
「へ、あ、あぁ、そうなんですよ。階段から落ちちゃって」
ギプスの巻いた足を見せてみると中崎の顔色がみるみる変わる。
「…どこの階段で怪我したの?」
「え、あ、えっと」
「わたしがその階段作り直すお金出すわ!!もう古田くんが落ちないように!!」
「えっ!?いっいやいやいやいや!!だ、大丈夫ですよ!!」
なんだか流れがおかしくなってきた。
「と、とりあえず!!仕事のお話を!!先にしましょう!!」
もうこの会社のオフィスの構造は覚えている。古田は引き攣る笑いを浮かべながらいつもの会議室の方を指さした。
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「古田くん、今日この後はどうやって帰るの?」
なんとか商談を終えた帰り道。オフィスを出ようとした古田を中崎が止めた。
「あー電車ですね」
「電車!?」
唐突な中崎の大声に、古田は文字通り飛び上がった。
「え、ま、まぁ…」
ちらりと時計を見る中崎。古田は頭にはてなを浮かべた。
「古田くん、今日この後まだ仕事あるの?」
「あ、いや、ないです」
「じゃああと十五分だけ待っていてくれる?」
「大…丈夫、ですけど…」
「送っていくわ」
「…え…?」
「ついでにご飯でもどう?…プライベートで」
「えぇえええええ!!!!!」
古田陽、とうとう年上お姉さんに餌付けされます。