あっさりしてるよね。執着心がないって感じ。
 そう言われることは一度や二度ではなかった。そしてその台詞の次に続く言葉はいつも決まっていた。なんか冷たいよね、と。
 私は私なりに友だちと仲良くしていたし意識して距離を作っているつもりはなかったけど執着心がないのは自分でも自覚していた。新学期の度にクラスが変わって去年仲良くしていた友だちと別れることは普通にある。それは当然のことでどうしようもないことだ。だから新しいクラスで新しい関係をほどほどに築き、またクラスが変われば同じようにお別れをする。それが当たり前で普通のことだと感じていた。だって仕方のないことだ。中学の卒業式では涙ひとつ出なかった。
 それは冷たいらしい。もっと寂しいと悲しんだりクラスが違っても会いに来るのが友情でしょう、と。寂しいと感じないわけじゃない。クラスが別れて残念に思う気持ちもある。けど、他の人よりその度合いは小さくて物理的にも精神的にも別れというものに対して抵抗が少なかった。それを冷たいと言われるのなら私は冷たいんだと思う。
 夢中になれるものや他人に強い興味を持てなかった私は熱をあげる芸能人やアイドルはもちろん、恋心を抱く男の人も当然いなかった。同級生が恋やアイドルや部活に夢中になる中、私にはそういったものがひとつもなかった。
 執着心がない。わかってる。でも、何かを大切にすることが、夢中になることが嫌だった。いつか自分から離れるとき、簡単に手を離せるようにしておきたかった。大切なものを手放したくないと縋るのは我儘で許されないことだと私は身をもって知っているから。


 だからバレー部の練習開始前に木兎先輩へ声をかけたことは今までの私からすると逸脱した行動だった。少し頭がおかしくなっていたのかもしれない。ここは部室前で、すでに着替えを済まして体育館へ向かう他の部員もいて、突然声をかけた私を好奇な目で見ていた。もう一人の私が客観的に見ていたら卒倒していただろう。
「話したいことがあるので少しだけお時間いただけませんか」
 先ほどと同じ台詞をもう一度口にすると木兎先輩は少し悩んだあと「移動する時間がないから部活後か明日じゃだめ?」少しだけ申し訳なさそうに言う。
「わかりました。じゃあ、いま、ここで言います」
 ぶつけられる好奇な視線に正常な判断が下せなくなっていたしこの緊張感をもう持ち続けることが無理だった。後々思えば頭のネジが10本くらい飛んでいたんだと思う。
 私の台詞にその場にいる全員が目を丸くする。
「私は木兎先輩がバレーをしている姿が好きです。連絡もデートも求めません。先輩がバレーに集中するために私を彼女にしてくれませんか」
「え、え? バレーに集中するため? よくわかんないんだけど」
「先輩は彼女と連絡やデートが出来なくて別れてるんですよね? それで落ち込んだり引きずってバレーに支障が出るのってすごく時間がもったいなくないですか?」
「それはそうだけど……」
「私が彼女になればそういうことの心配がないんです。告白されたときも彼女がいれば断る労力も少なく済みます。悪くないと思いませんか?」
 プレゼン内容として中身がとんでもなく薄く、社会経験はないけど企画担当がこんな内容で持ってきたら上司に雷を落とされ速攻シュレッダー行きだろう。だけど先輩が今まで同じ原因で別れている以上、これほどのアピールポイントもない。
 静かに淡々と伝えたおかげで真実味が増したのか、木兎先輩のあまり深く考えない性格のなのか。「そうかな…?」先輩の気持ちが傾き始めていた。
「バレーに集中できるんですよ」
 もはや脅しだ。それでもこのチャンスを逃すわけにはいかない。このまま畳みかけるしかなかった。木兎先輩は、それじゃあ…とたじろぎながら頷くので私は企業の受付嬢よろしく事務的な笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。突然すみませんでした。練習頑張ってください。失礼します」
 深く頭を下げると動揺が広がっているその場から足早に立ち去った。
 部室から離れていけばいくほど心臓が耳の隣にあるかと思うほどに強い鼓動を感じる。段々と先ほどのやりとりを思い出し今更ながら汗が吹き出てきた。
 なんてことをしてしまったんだろう。
 羞恥心と混乱で私は顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。


 木兎先輩はすごくモテる。誰に対しても平等で人懐っこく明るい性格は男女問わず好かれていた。そして強豪であるバレー部において一年からスタメンを取るほどの実力者。バレーをする姿は普段とは違う真剣さと熱を孕んでいて、そのギャップがまた人気に拍車をかけた。三年生が引退後は部長に任命され知名度も全国区になると好意を寄せる女性が増えたように思う。
 本気にしろ好奇心にしろ木兎先輩に告白する生徒は後を立たず、それは彼女がいようとも関係ないようだった。木兎先輩も木兎先輩で彼女がいるのは気分が上がるのか、単純に高校生らしく彼女が欲しかったのか、告白されれば3回に1回くらいの割合で受け入れ付き合っていた。
 けれど梟谷のバレー部は練習にかける時間が多い。先輩は自主練も率先して行っていたのでバレー部員の中でもバレーに割いている時間が特に多く、同時にマメな性格ではないため、連絡がない、デートが全然出来ないという理由でフラれていた。これは毎度のパターンなので梟谷の生徒ならばほぼ全員が知る事実である。私の記憶が正しければ三ヶ月を超えた彼女は一人、二人しかいない。
 バレーをしている姿が好き。明るくおおらかなところがいい。それが、バレーだけじゃなくてもっと私を見てほしい。もっと気にかけてほしいに変わるのはそう時間がかからない。
 誰も悪くないと思う。木兎先輩のバレーに対する気持ちも彼女がほしい気持ちも彼女たちの恋人らしいことをしたい気持ちも全部本当で全部正しい。ただ、それが噛み合わないだけだ。本当にそれだけだった。


 木兎先輩を知ったのは私が入学して少し経った頃。入る部活に悩んでいたクラスメイトに放課後見学に誘われ体育館に足を運んだことがきっかけだった。帰宅部になると決めていた私はわざわざ見学する必要はなかったけれど、入学したてでまだまだ友だちとの距離も計りかねていた時期だったので誘いを無碍にはしなかった。執着心がないからといって友だちがいらないと思っているわけでも傷付けていいと思っているわけではない。
 スポーツ全般に興味がないので当然バレーのルールもわからず、ボールを地面に落としたらいけないくらいの知識とも呼べない知識しかなかった。真剣な練習風景に気付けばクラスメイトは部員に夢中になっていて「あの人かっこいい」「同じクラスの男子だね」と囁いていた。私はその言葉にうまく返せたか自信がない。
 部活内の練習試合で一際目立つ人がいた。その人は身体も声も大きかったが、それ以上にリアクションが大きく、意識しなくても視線を奪っていくほどの力があった。私は目が離せなかった。
 すっと高く上がったボールに合わせて跳んだその人は長い腕を振りおろした。大きな音を立てたボールは相手コートには落ちずにネットに当たってその人のコートに落ちた。あ、入らなかった。そう思っているとその人はボールがネットに阻まれた悔しさを隠しもしないどころかわかりやすくその気持ちを爆発させていた。そこからの流れは一年経った今でも鮮明に覚えている。
 三年生や同級生に呆れられたり宥められたり放っておかれたりして、その人はその人でその態度に憤ったり逆に無視したりして自分のところに上がったボールを何度も何度も打ち続けた。失敗しても、もう一度!と叫んで。そしてやっと相手コートに決まったとき、その人はとびきりの笑顔で喜んだ。
 ―――まるで子どもだ。
 いや、子どもだってもう少し感情をうまく隠すように思える。こんな感情を思ったまま表現することもそれを周りが受け入れていることも私には衝撃的だった。
 ファンになることを沼に落ちると表現することがある。
 それに倣うなら。
 “壊された“だった。
 生まれて数十年、思春期や受験を経てある程度出来上がった人格と価値観が木っ端微塵に壊された日だった。よく立っていられたと思うほど私の胸は震えていて涙が出そうだった。
 感情をありのままに出すことは許されないことで、我儘だと思っていた。でも、こうやって自分の感情を曝け出し、それでも周りの人に受け入れられている人がいる。この世にそんな人がいると知って私は憧れと喜びで胸が詰まった。
 感情を曝け出すことは罪じゃない。私がそれを出来るかは別であったけど、それでも許されたような気がして私はひどく安心した。
 あの日から木兎先輩は私の特別になった。


 何かに強く惹かれる経験がなかった私は始めはかなり戸惑った。寝ても覚めても木兎先輩のことが頭をよぎり、視界に入れば鼓動が早くなった。こっそり一人で行った試合で木兎先輩の感情の赴くままの姿を見てはあの日のように胸が震えた。この気持ちの名前がわからないまま、数週間が経った頃、クラスメイトが言った。
「昨日見たドラマに出てる俳優、なんか目が離せなくて見てるだけで胸がいっぱいになって考えるだけでドキドキするの。調べたら結婚してるらしんだけど、全然ショックじゃなくてその人が幸せだと思ったら私もなんか嬉しくなってさあ。ファンクラブあったから入っちゃった。推しとその家族の幸せのために私は貢ぐよ」
ええ〜ガチファンじゃん〜と他の友だちがけらけら笑ったけど私は笑えなかった。私が木兎先輩に抱く気持ちと全く同じだったからだ。そしてずっと名前がつけられずに頼りなくふわふわと浮かんでいた気持ちが何であるか理解した。
 ファンだ。この気持ちは推しに対するファンの気持ちそのものだった。
 恋だとは思わなかった。当時、木兎先輩には彼女がいてそれを知ったとき少しもショックを受けなかったからだ。その後木兎先輩は付き合っては別れてを繰り返すけれど、一度も傷付いたりショックは受けなかった。こうも木兎先輩の恋愛に心が動かないとなると、恋愛経験のない私でもそれが恋ではないとはっきりわかった。そう、私は先輩に恋をしてはいない。
 私はバレーをして感情を素直に出す木兎先輩が好きで、そういう先輩のファンだ。そしてその木兎先輩のためならなんだってしたいと思っている。それと同時にバレーに集中できない先輩を見るのはつらかった。だから、私が彼女になれば。連絡もデートも求めない私が彼女になれば先輩の杞憂も悩みも全部解決できると。それは神様のお告げのように、ある日すっと私の中に降りてきて、それこそが正しい気がして、気付けば私は木兎先輩に告白していた。
 ファンはあくまでファンだ。恋愛感情は生まれない。彼女という立場になる上でそれはどうなんだと考えたけどバレーに集中したい先輩にとって悪くはないと思う。
 昔の記憶を一巡して長い息をゆっくり吐くと、手を顔から外して立ち上がった。いつまでもくよくよしてはいられない。これからは先輩のために彼女として正しい行動を取らなくてはいけない。
 私は深呼吸を数回して学校を後にした。