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「名前くん」
カタカタカタカタカタカタカタカタ以外の音が聞こえたのは数十時間ぶりだ。キーボードから手を離し、腕をダラっと下ろす。首だけで横を向いて声をかけてきた人物を見ようとしたら、バキバキに凝った首と肩が悲鳴をあげたので、そんな可哀想な首くんと肩くんの持ち主である俺も当然悲鳴をあげた。
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」
「えっ怖い…ゾンビ映画みたいだね…」
俺の悲鳴に怯えたポニーテールのおじさんが引き攣った顔で後ろに半歩下がる。いや、ゾンビは肩こりに悲鳴をあげたりしないだろう。こんなパソコン作業だってしないし、なんなら学校も試験もなんにもない。
「それ、お化けの歌じゃなかったかなぁ。はい、じゃあ立って名前くん」
なんて恐ろしいことを言うんだろうかこの男は。首だけでこの痛さだ。今立ち上がろうものなら、俺はゾンビどころかそのままミイラになる自信がある。数字が流れるモニターを前にずっと同じ姿勢で格闘していた。少しでも意識が逸れるとミスが出る。だから俺は作業を行う時はピクリとも動かないようにしているのだ。その結果がこれなのだが。
「む、無理」
「駄目です」
駄目だそうです。ニコニコしているが、有無を言わさんという圧がロマニからは伝わってくる。ドクターストップが出てしまった。ひょっとすると、今俺は自分が思っているよりも、とても悪い状態なのかもしない。
「"かも"じゃなくて、そうなんだよおバカさん!なんかカタカタカタカタ聞こえるな〜、でも名前くんには2日間休養するように言ったしな〜…って見に来たらこれだ!あぁもう、キミ!医者の言うことは聞きなさい!」
「え〜、もっとさー朝仕方なく起こしに来てるけど、実は毎朝顔が見たいだけの幼なじみ、みたいに言って」
「言わない!ていうか、怒られてるクセに注文がうるさい!もう!早く立つ!立って食堂行く!」
「体が固まって立てません」
「もぉおぉおぉ」
本当に申し訳ないが、マジのガチで立てそうにない。申し訳なさが溢れすぎて若干涙が出てきた。確かにドクターには昨日2日休んでいいと言われたが、どうしてもやってしまいたい処理があったのでこっそり隠れて作業をしていた。普段使われていない臨時用のルームにパソコンを置いて、サーバーをちょっと無理やり繋げて、ササッとバレずに終わらせる予定だったのだが、じゃあここもやっとこ、んじゃあここもやっちゃお、と波に乗ってしまいこのザマだった。
「こんなはずではなかったんです」
「言い訳はご飯の後で聞きます。職員の皆がやけに処理が早くいくし、やろうと思っていたことが終わってて不思議がってたから、まさかとは思ってたけど…」
「えへ」
あっ凄い怒ってる。ドクターは腕組みをして、椅子と未だ離別できずにいる俺を珍しく険しい目で見ていた。普段はふざけてポニーテールを触りまくってる俺も、流石になんとも言い返せない。
「本当に立てませんか」
「本当に立てません…」
正直に言った。いや、踏ん張れば立てるとは思うが、たぶん数秒後には崩れ落ちて這いつくばってるんじゃないかと思う。そう言うとドクターは、はぁ〜っとわざとらしく大きなため息をついた。
「あのね、名前くん。キミは優秀で、頼りになる。藤丸くん達がレイシフトする際にも、キミのサポートはとっても重要だ。だから、僕たちもキミにあれやこれやと頼ってしまう、頼ってしまって…君はなんでも引き受けちゃうし…そしてその結果、頼りすぎて…しまうんだ。……はぁ…」
今度は落ち込ませてしまった。しょんぼりと肩を落とすドクターの姿は、しょぼくれた大型犬に似ている。ドクターは優しい。言われたことも聞かずに、バレないだろうと自分のやりたいようにやっていた俺がどう考えても悪いのに。
意を決して、脚に力を込める。ただし、本当に歩ける自身はないので、椅子の上に体育座りをするように足を曲げ膝を抱え込んだ。痛かったのでグエエエと呻きながらやったら、突然椅子の上で体育座りに変形しだした俺をドクターはドン引きして見ていた。おい引くな、引くんじゃない。
「え、ええ、な、何?もうここで引きこもりますってこと?ダメダメダメ!ちゃんとご飯食べて寝る!ほら、行くよ!」
「いや、たぶんホントに動けないんで、こうやって丸くなってるから運んでください。椅子キャスターつきなんで」
「、」
絶句された。その後しぶしぶ椅子ごと俺を食堂へと運搬したドクターから本当に恥ずかしかったんだからね!?とプンプン怒られたし、食堂ではエミヤにも説教された。ご飯を食べていた藤丸くんには、運搬されてる…と呟かれてしまったし。ちなみに、これが藤丸くんとのファーストコンタクトである。最悪。