8
身体が熱い。画面を見ながら手は動かしているというのに、意識が全然集中できていない。普段は頬杖なんてつかないのに、無意識に手は顔を支えていた。手のひらから伝わる頬の温度が、使いすぎて熱暴走したパソコンみたいだ。さっきから勝手に口から熱い息が出てきて止められない。熱い。身体が、頭が、顔が。モニターがボヤける。ダメだ、あと少し、あと少しくらいできるはずだ。キーボードに手を伸ばす。しかしいくら手を伸ばしても届かない。というか、あれ?気のせいか、なんだか遠のいている気がする。
伸ばした手で何でもいいから掴もうと動かすが、何もない空間で虚しく空気を掴むだけだった。
あれ?ていうか、おかしくないか?動いてないか?俺の体。後ろに動いてないか?あれ?
俺はあっという間に遠ざかるモニタールームの扉を眺めて、何が何だか分からないまま意識を失った。




目覚めるとそこは医務室だった。まぁなんか薄々気づいてたけど俺、風邪ひいてたかもしんない。うん。朝からなんか身体が重かったし、喉痛かったし。そんな日もあるよな〜とか思ってたけど普通に風邪だわ、アレ。
「過去形ではなく現在発症中です。引き続き睡眠による休息をお願いします」
「ぐえ」
鈍痛。暗転。最後に見えたのは、握りこぶしを振り上げた白衣の天使だった。
服は赤色だったけど。



目覚めるとそこは医務室だった。まぁなんか薄々気づいてたけど俺、風邪ひいてたかもしんない。うん。朝からなんか身体が重かったし、喉痛かったし。そんな日もあるよな〜とか…あれ?これさっきもやらなかった?
重たい身体をなんとか起こし、辺りを見渡す。薬品の香りが充満する医務室には、先程俺を物理で眠らせたクリミアのバーサーカーの姿はもうなかった。よかった、物凄く安心した。安心しすぎて少し涙が出た。
「あの、大丈夫ですか。やはり、ナイチンゲールに殴られた箇所が痛みましたか。すみません、止められれば良かったのですが、僕がここに来た時には既に貴方が気を失っていたので…」
誰も居ないと思っていたら、突然隣のベッドのカーテンが捲られ、隙間から白髪の青年が現れた。彼は申し訳なさそうにそう言うと、俺の目元の涙を綺麗な白い指先で掬った。俺は彼がいきなり現れたことと、泣き顔を見られたことと、謎のイケメン行動により頭と身体が完全にフリーズした。起こした身体をゆっくりと布団へ戻し、胸で十字を切る。
「死にます」
「ど、どうして…」
俺のベッドの周りを困惑してオロオロと動き回る彼には申し訳ないが、しばらくほっといて欲しい。できれば顔の火照りが冷めきるまで。

そうは言っても熱はまだあるので、俺の顔の火照りはそうそう治まってはくれなかった。サンソンは何か栄養を取るべきだと俺の食事を取りに食堂へ行ってしまったので、ベッドがいくつか並ぶ馴染みの医務室に、俺は今度こそ1人になった。

カチコチと時計の音だけが響く。仰向けに寝転び見上げた天井は真っ白で、シミひとつない。静かすぎて耳鳴りがする。サンソン、まだかな。さっき出ていったばかりの彼の事をつい考えてしまった。流石に戻ってくるには早すぎるだろう。何を子供みたいなことを思っているんだか。風邪をひくとすぐ寂しくなってしまうのは小さい頃から治らない俺の悪いところだ。昔はよくそれで姉にからかわれていたが、流石にもう大人だ。これくらい克服していかなければ、と思っているのに、それなのに、やっぱり、誰かにそばに居て欲しくて仕方ない。
深呼吸して体の中の熱を吐き出し、気を紛らわす為に別のことを考え始めた。そう言えば、誰が俺をここまで運んできてくれたんだろう。なんとなく、あの感覚は以前経験したことがある気がしないことも無いのだが…。

「失礼する、ナイチンゲールはいるか」
聞いたことのある声がした。感情の起伏が読みづらい、落ち着いた声だ。医務室への訪問者は、誰からの返事もなかったためか「失礼する」と、再度声に出して室内に入ってきた。辺りを見回す彼は、すぐにベッドに横たわる俺に気がついたようだ。迷いの無い足取りでこちらへ向かって来たカルナは、「名前か」と俺の名前を呼んだ。
「どうした。呼吸が荒い。風邪か」
「は、い…」
何とか返事をしたが内心名前を覚えられていたことの嬉しさと驚きで混乱状態だった。カルナは「そうか」と言うと、そのままベッド横に立ったままこちらを見つめてくる。気まずい。俺は何かリアクションが欲しくって、こうなった事の経緯を、少し荒い息で話した。カルナは所々呼吸で途切れる俺の話を何も言わずにただ聞いていた。俺があらかた話終えると、先程と同じように、また「そうか」と言った。
「裁量を弁えず行う善行は身を滅ぼす。お前は愚かだ」
「ヴッ」
何も言い返せなかった。その通りだ。俺は枕に顔を埋め反省した。自分の体調管理すら出来ない俺が、管理の仕事なんてできるわけが無い。というか誰かに移したらどうするんだ。今更自分の取ってしまった行動が恥ずかしくて仕方がなかった。
俺が自責の念でうーうーと唸っていると、カルナが若干慌てたような声色で「まて」と言ったのが聞こえた。
何を待てばいいのかは分からなかったが、俺はとりあえず、その言葉の続きを待つことにした。カルナは端正な顔を難しそうに歪めて、顎に手をあて何やら思案中のようだ。10秒ほどその顔を眺めていると、ゆっくりとカルナは目を閉じ、「違うな…」と口を開く。
「違うな。こうではないのだろう。これではまた、ジナコに怒られてしまう」
「じなこ…?」
知らない人物の名前が登場したが、そんな俺の疑問は気にせず、カルナは続ける。
「もっと自愛をするがいい。それが、お前と、お前を大切に想う者達への、最大の幸福になるだろう」
驚いてカルナの顔を見つめた。俺を見て柔らかく微笑んだ彼は、「もう一度眠るといい」と身を翻し出口へ歩きだそうとする。俺は、思わず彼の手を掴んでしまい、その動きを止めてしまった。
カルナはその歩みを止めた俺の手を、驚いた顔で見たが振り払いはせずもう一度俺に向き直った。どうした、と彼の口が動くのが分かったが、そろそろ瞼の限界だ。視界が暗闇に変わる。握った少し冷たい彼の指の温度は、眠りに落ちた後でも、何故かまだそこに居てくれている様な気がした。



サンソンが厨房から病人食を受け取り医務室に戻ると、眠っている名前の手を握ってベッド横に立っているカルナがいた。驚いてどうしたのかと尋ねると、彼が眠りにつく間際、去ろうとしていたカルナの手を握ったのだと言う。だからそのまま握っているのかと聞けば、カルナは短く「あぁ」と答えた。どうやら、理由はそれだけらしい。それ以上語るつもりもなさそうな彼に、サンソンはしばらく何かを考えたが、ふと気づいて口を開く。
「ところで、何か用事があって医務室へ来たのでは?」
そう言うと、カルナは案の定「そうだった」と慌てていたが、それでも名前の手は離さない。
「ナイチンゲールに用があった。厳密に言うと俺ではなく、スタッフが探していたため協力していたのだが」
「あぁ、そうですか。彼女ならこの時間は病人や怪我人の巡視です。僕が伝えておきますよ」
「助かる」
そう言えば、カルナはすぐにベッドの彼に向き直った。なるほど、施しの英霊と呼ばれるわけだ。
サンソンは近くにあった椅子をベッド横につけカルナに座るよう促すと、約束を果たすため、ナイチンゲールの元へと向かった。





俺は数日間の自室休養の後、ナイチンゲールの許可を得てようやく仕事復帰を果たした。そして間もなく、俺がそのナイチンゲールに、座っていたキャスター付きチェアーのまま引きずられ、そのままパソコンから引き離されて医務室へと連行されていく動画が広まっていることを知ることになるのだった。
これからはもう絶対風邪をひいたら休みます。絶対に。