運命、あるいは勘違いのカプリチオ


(主人公は実井の妹/現パロ/前世(アニメ)の記憶がある蒲生と)

 兄の話を聞くのが好きだった。
 十も年が離れている兄はよく、幼い私を抱きかかえては様々な話をしてくれた。それはあきらかに創作だろう、という面白おかしなものから、まるで見て来たかのようにリアルで生々しいものまで幅広く。私は特にスパイ活動をしている青年たちの話が大好きで、何度も何度も、すっかり覚えてしまうまで話を強請った。
 世界の裏側でひっそりと活躍するダークヒーローみたいで、なんだか妙に心惹かれたのだ。
 だから、高校生になった兄にその話に出てくる青年たちと符合が一致する友人が居ると知って酷く驚いた。さも実体験のように騙っていたそれらの話はやはり、友人をモチーフにして創作したものなのだ、と納得してしまった。
 その時はちょっとだけ兄に裏切られてしまったように思えて、泣いてしまった。だって私の大好きな、彼らの話は兄の創作ではなく、実際にあったことなのだと、すっかり思い込んでしまっていたのだから。なにもかも、やたらと写実的に騙る兄が悪いのだ。
 そんな小さかった私も過去のことで、今の私は中学生になって二年目の少女だ。もう兄の膝の上で物語を強請ることはない。
 幼い頃のまろい思い出を今こうして振り返っているのは、テーブルをはさんで正面に座る一人の男性が原因である。
 適度に混んだチェーン店のカフェ。入口から最奥のボックス席。きっとこの席の近くまで来る人間は、よっぽど混んで開いている席がこの辺りにしか残っていない客か、店員くらいなものである。もっとも、ランチとデザートの間のこの時間に客の入りはこれ以上増えそうにないし、店員は今しがたコーヒーを二つとかわいらしいショートケーキを一つ置いて居なくなったばかりだ。
「いやぁ、まさかあなたと再開するとは思いませんでしたよ。それにしても、随分と実井くんは可愛らしくなったようで」
 などと言って、男性は笑って見せた。名乗りもしないのは、わざわざそんなことをしなくとも知っているだろうと、暗に示しているのだろう。
 図書館へ行った帰り、駅のホームで突然声をかけられた。肩を叩かれ、森島くん、と知らぬ名を呼ばれた。今は実井ですよ、と意味ありげに微笑んでみせると、なるほど、と一つ返したその口で、再開を祝してお茶でもいかがですかと言った。
 実際の所、再開でもなんでもない。だって私は彼の事を知らないのだから。
 十中八九、兄の知り合いだろうと思えた。私と兄はよく似ていて、時折合う兄の友人らには、血のつながった兄妹だとしてもありえないくらいそっくり、女版実井じゃないかと何度か揶揄われたこともあるくらいだったからだ。思春期に差し掛かった私はそれがなんとなく嫌になって、顔を隠すようにウェリントン型の少し野暮ったい大きめの伊達眼鏡をかけるようになった。
 あなた大人でしょう、奢ってくださいよ、と言った結果、私は今コーヒーとショートケーキにありついているという訳だ。
 きっちりと整えられた髪。意志の強そうな瞳に、太い眉。少しかすれた、甘さを含みながらもどこか渋い声。私はそれらの符合に、聞き覚えがあった。
「だって僕、女子中学生ですよ。手を出したら犯罪者ですからね、蒲生さん」
 蒲生次郎。兄の話に出て来た登場人物の一人。どうやら彼は間抜けなことにも、私を兄とすっかり間違ってしまったらしい。
 いくら兄の昔の知り合いだったとしても、流石に十も離れている兄妹を間違うのはいかがなものかと思う。きっとこれが兄の言う、小物、たる由縁なのだろう。
 私はその勘違いに乗って兄のフリをして対応している。いつ、気が付くだろうか。
 これはちょっとした、ゲームなのだ。
「これは失礼。それにしても、森島邦雄ではないあなたは随分と、棘が生えているようだ」
「さて。これも本当じゃあないかもしれませんよ」
 本当に本当ではない。本当の私は、兄でも、森島何某でもないのだ。
 コーヒーを啜りショートケーキを食べる。チェーン店の割には美味しいが、うん、福本さんが作るケーキのほうが美味しい。……あの人の料理と比べてしまっては、流石にかわいそうだろうか。
 その後も、まるで他愛ない話で文字通りお茶をにごす。その中でいかにして自身の情報を渡さず、相手の情報を貪るか。にわかに肌で感じる緊張感に、兄の、スパイの話を重ね合わせてはひそりと高揚した。
 今なら、あの話をする度にどこか焦がれたような顔をする兄の気持ちが少し分かる。もし私の知らないところで兄が、このような体験をしていたのだとしたら、何事もない今の生活では少し役不足だろう。
「蒲生さん、連絡先を教えてはくれませんか」
 そして、あなたならすぐに覚えられるでしょう、とでも言わんばかりに、私自身の電話番号を諳んじてみせる。
 それに対して蒲生さんは、良いでしょう、と11桁の番号を教えてくれた。
 さてこの番号は、兄にも伝えようか、どうしようか。恐らく喜々として利用するに違いない。
 ケーキはとっくのとうに胃の中へ納まり、コーヒーも最後の一滴を飲み干したばかりだ。ここらで一度、引いておくべきかもしれない。
 私は彼の隣をすり抜けた後振り返り、ごちそうさまでした、と礼を述べた。
「ああそうだ。私、蒲生さんの言う実井本人ではなくて妹ですので、あなたとは本当に、面識がないんです」
「……は?」
 そうそれ。その驚いた表情が、私も見てみたかったんですよ。

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