与太話と愛についてのフィロソフィー


(転生して訓練生になった主と佐久間の実のない話)

「Ich liebe dich」
「なんだそれは」
「愛を掲げた戦車乗りの、哀れな兵士の名前ですよ、佐久間さん」
 あれは皮肉と愛と、メタフィクションに満ちたゲームでした。
 そう言って静かにグラスを傾けるのは、名字と呼ばれる一人の訓練生である。彼もまた、佐久間からすると過酷な訓練を易々とこなしてみせる人でなしの一員だった。
 彼は他の訓練生と比べると、あまり佐久間を揶揄ってこない。内心でどう思っているかは別だが、表に出さない分まだましだと思えた。比較的物静かだが、発言する際には比喩的な表現を好んでいるように見受けられる。先ほどの発言もまた、恐らく何かの比喩だろうと考えられる。
 彼以外の訓練生は夜遊びに出かけていた。佐久間自身も三好に誘われていたが断り、水を一杯飲んで寝ようと思っていたところを名字に捕まった。
 煙草の匂いの染みついた食堂にて、一度軍人さんと話をしてみたかったんです、と悪びれなく告げた名字と向かい合って座る。
 そして、先ほどの台詞だ。
「佐久間さんは、命令さえされれば人を愛した心で人を殺すんですか。それって心と体の乖離に値するんでしょうか?」
「俺には……貴様の言うことが理解しにくいが、そりゃあ、戦地に行けば敵兵を殺すだろう」
「役目だから? 佐久間さんのパペッターはお国なんでしょうね、きっと。じゃあ俺のは結城さんだ。魔王の使い魔」
 勇者を倒せるように頑張らなくっちゃあなぁ、と、背もたれに体重を預け目を細めた。
 名字は手持無沙汰を誤魔化すように水の入ったグラスを弄っている。その度に揺れて、波紋が生まれては、静かに消えていく。時折照明を反射してはきらりと輝き、そしてまた波紋へと変わっていく。
 名字の手の中でいくつもの波紋が作られる。名字はそれを、何の感情も灯さない瞳で、じっと眺めている。
「もしバベルの塔が崩れなくても、こうやって戦争があって、俺らは諜報員になってますよね。カントの言葉は証明される。と、いうか、平和な時代でも、平和の裏で戦争やってちゃあ世話ないか」
 それは、佐久間に話しかけているというより、名字自身が自分自身を納得させるために紡いでいる言葉のように感じられた。言葉を吐き、耳で聴き、心に届ける。
「他の奴らには話したことがあるのか?」
「えぇ? ないですよ。馬鹿にされますって。佐久間さんは壁打ちに丁度良いんですよ。曲解しないでそのまま受け取ってもらえれば良いんです。……あーあ、なんでもっと後に生まれなかったんだろう。終わりの島に逃げてしまいたい」
 そうして手慰みのグラスを一気に煽る。空になったグラスはもう波紋を生むこともなく、残った水滴だけが存在している。
 そして名字はその水滴を人差し指でそっと拭い取った。
「佐久間さん、俺はね、これなんですよ。飲み干されず余ってしまった。誰も気に留めない。放っておけば気化して消えるだけの存在。たぶん、佐久間さんも。違うのは、元は大きな水の一員だったことを、覚えているか、覚えていないか」
 彼が何を言いたいのかが分からない。
 おそらく名字も、明確に伝えたいことはないのだ。ただこうして、誰かと話をして、思考する。そして、自分を、納得させる。
 役割を。目的を。他人との違いを。
 哲学染みた言の葉を、他の訓練生や結城に投げかけると、たちまち分解されてしまうだろう。それは土の下の養分にすらならない。
 だから、ただ聞くだけで何も返せない佐久間に話すのだろう。自分自身に、言い聞かせるように。
「ミスをしたとき、佐久間さんはやっぱり自決を選びますよね」
「当たり前だ。保身に走るなど、仲間たちに申し訳が立たない」
 そうきっぱりと意見すると、名字はため息を吐いた。しまった。ここでは、軍人染みたことをすると罰金が取られるのだ。それでも、凝り固まった考え方はなかなか柔らかくはならない。
「理想を抱いて死ぬ、か。……ある意味幸せだ。ま、俺は意気地なしだから? 自ら向かうにしろ、誰かを送り届けるにしろ、地獄の門を叩くのはもう二度とごめんこうむりますけど。とりあえず、宗教がなくならない理由がちょっとだけ分かりましたよ」
 俺は別に神様を信じちゃあいませんけどね、都合の良い時は祈りますよ、と一言つけたして、名字は目を細めた。
「俺に神様がついているとしたら、それはGodではなくてLuckでしょうね。ああ、一文字足してPluckにしても良いな、かっこいい」
 そして同意を求めるように佐久間をちら、と見て指を組む。
「神ではなくて、運と勇気?」
「そうです。まぁ、Loveでも良いですよ」
 愛。
 おおよそ、D機関の人間とはほど遠い言葉だ。
 どうせ、愛情さえ利用して情報をかすめ取るのだから。佐久間は、結城の授業の中に女を騙くらかすものがあるのを知っていた。
「あはは。胡散臭いって思っています? 佐久間さんは、お国への愛で死ねる人だけど、俺はそうじゃありませんからね。俺が死ぬときは、自分のためですよ。もちろん、結城さんのためでもありません」
 愛で死ねる佐久間さんは、人を殺すときにもLoveを囁けますか?
「それは、戦車乗りのようにか?」
 名字の問いに先ほどの話を蒸し返し、そう聞き返すと、名字はきょとりと首をかしげてから言った。
「そうですね。心では殺したくない、愛しているんだと叫びながら、そんな心に反してスイッチを押せるかどうか。けれど、戦場で、あなたに操られていないこころが残っているかは、分かりませんね。……別に、求めているわけではないので、答えなくても構いません。けれど、戦場に行ったあなたが、何を掴むのかが、気になっただけですから」
 そう言って名字は言葉を切った。そして目を瞑り、組んだ指から力を抜いた。だらり、とそれぞれの指が膝上に好き勝手に散らばっている。
「俺はね、結城さんの言う、死ぬな殺すなが結構気に入っているんですよ。平和に生きたいしがない男ですから」
 へいきで手を下せる人間の気が知れない。Gルートはまっぴらだ。
 名字は、ぽつぽつと言葉を形にして、消していく。
「何が言いたい?」
「いいえ、何も。ただ、佐久間さんが戦場でIch liebe dichを唱えてくだされば良いだけの話です」
 そして、もう何も言うことはない、とでも言うように、手を振り佐久間の退室を促した。
 先ほどまでの饒舌が嘘のように、むっつりと黙り込んでしまった名字に、仕方なく佐久間は水差しをもって食堂を後にした。
 Ich liebe dich。どういった意味だろうか。英語ではないのは明らかだが。
 ああまったく、ここの連中の言うことはまるで理解し難いのもばかりだ。

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