Distance







夕食を終えた後。

知夏は一人、静かな体育館へ足を運んだ。

昼間まで響いていた掛け声はもうない。

照明だけがコートを照らす中、
一定のリズムでボールをつく音だけが響いていた。

視線の先には、黙々とドリブルを繰り返すトビの姿。

「ご飯食べないの?」

知夏はコート脇のボールを拾いながら声を掛ける。

「奈緒がせっかく作ったのに。」

「後で食う。」

視線は前を向いたまま。

「なんじゃ?練習嫌いなんと違うんか。」

「地味な練習はね。」

知夏はボールをつく。

「シュート練は好きだよ。昔から。」

ゆっくりとスリーポイントラインまで下がる。

膝を曲げ、自然なフォームでボールを放つ。

高く描いたアーチは、ネットを優しく揺らした。

「広末さん?」

聞き覚えのある声に振り返る。

体育館へ入ってきたのは空だった。

「車谷君も自主練?」

知夏は笑う。

「精が出ますね。」

「日課なんだ。」

空も笑い返した。

「広末さんもシューターなの?」

「別に決まってないよ。」

知夏は肩をすくめる。

「中学はガードもやってたし、フォワードもやってた。
オールマイティな交代要員って感じ?」

「スタメンじゃなかったんか。」

トビが尋ねる。

「あたしより上手い先輩が十人いたからね。」

苦笑する。

「先輩が引退してすぐスタメンにはなったけど……
強豪校は合わなくて、すぐ辞めちゃった。」

「え……?」

空は思わず動きを止めた。

「宝の持ち腐れじゃの。」

トビは小さくため息をつく。

「練習嫌いだからサボり癖もあったしね。」

知夏は笑って言う。

「だから今日練習外れてた先輩たちの気持ちも、
ちょっと分かる。」

少しだけ表情が曇る。

「でもね。」

「毎日毎日、地味な練習を後ろでも
必死についてくる子がいたんだ。」

ボールを見つめる。

「センスが無かったのは確か。

でも、その子がやっと試合に出られた時――」

静かな体育館に知夏の声だけが響く。

「たった一つの小さなミス。

二点取られただけで、監督に人生まで
否定されるような罵声を浴びせられて。」

少し間を置く。

「あぁ、この世界とは
あたし合わないなって思った。」

空もトビも何も言わない。

ただ黙って聞いていた。

「あたしが憧れた人はさ。」

知夏はリングを見上げる。

「楽しそうにバスケする人だった。」

「だから、あのままいたら……
あたし、バスケ嫌いになってたと思う。」

もう一度シュートを放つ。

しかし今度はリングをかすめ、外れた。

「あらら。」

知夏は照れくさそうに頭をかく。

「でも……。」

空が小さく口を開く。

「負けたら悔しくて、楽しくないんじゃ…」

「練習してないんだから、しょうがないって思うよ。」

知夏はあっさり答えた。

「努力してる人が報われるべきなんだからさ。」

その言葉にトビは知夏を見る。

「……理由は分かった。」

少しだけ間を置いて続けた。

「でも納得は出来んの。」

「トビくん……。」

空が困ったように呟く。

「いいよ、別に。」

知夏は笑った。

「あたしのことなんだから。」







「良かったらボール拾うよ。」

知夏は空が持っていたボールへ
視線を向けながら言った。

「え?」

一瞬きょとんとした空の表情が、
すぐにぱっと明るくなる。

「いいの!? ありがとう!」

「どういたしまして。」

知夏は軽く笑う。

空はリングの正面へ立ち、深く息を吸った。

片手から放たれるシュートは、
一本一本が綺麗な弧を描いて
リングへ吸い込まれていく。

知夏は跳ね返ったボールを拾い、
テンポよく空へ返す。

(やっぱり綺麗なフォーム。)

身長のハンデを補うため、
深く膝を曲げて全身を使って打つシュート。

リズム合わせやすいな…それじゃあ…

そんな考えが頭をよぎる。

けれど、それは今言うことじゃない。

知夏は何も口にせず、黙ってボールを拾い続けた。

二百本。

最後の一本がネットを揺らした時――。

「はぁ……はぁ……もう限界!」

空はその場へ大の字に倒れ込んだ。

「凄いなぁ。」

知夏は転がったボールを拾い集めながら笑う。

「二百本もシューティングするなんて。」

「こんなのまだまだ少ない方だけど……
さすがに疲れた!」

「げー。」

知夏は舌を出す。

「体力オバケ。」

そのやり取りを聞いていたトビが、
ふいに口を開いた。

「……ちび助。」

「ん?」

「このチームのこと、どう思う?」

空は首を傾げる。

「どう思うって?」

トビはリングへ向き直った。

「わしが行くはずだった高校はの。」

放ったシュートは、何事もなかったように
ネットを揺らす。

「全国から優秀な選手ばっか集まっとった。」

もう一本。

「それでも、その高校が全国制覇したことは、
ただの一度もない。」

静かな声だった。

「それ考えたら……
なんでこんなチームで、って思う時もある。」

ボールを見つめる。

「遠いで。インターハイは。」

三人の間に静かな空気が流れる。

その時だった。

「トビ!」

体育館の入口から安原が顔を出す。

「ボールハンドリング教えてくれ!」

やらされているわけじゃない。

自分から上手くなりたくて来た。

その姿を見たトビは、
何も言わずボールを持ち替えた。

「ほんなら見とけ。」

そう言って自然に教え始める。

その様子を見ながら、知夏は小さく笑った。

(……意外。)

(面倒見、いいじゃん。)

ほんの少しだけ。

トビという人間の見方が変わった夜だった。






>

トップページへ