職場体験先を記入した用紙を手に、
私は職員室へ向かって廊下を歩いていた。
放課後の校舎は昼間より静かで、
窓の外を見ると、朝から降っていた雨は
まだ止んでいなかった。
細かい雨粒が校庭を白く霞ませている。
(もう提出してる人もいるのかな)
手に持った紙を軽く見下ろす。
そこには大きく――
ベストジーニスト事務所
と書いてあった。
ページを見つけた瞬間に決めたとはいえ、
こうして改めて書いてみると、
少しだけ実感が湧いてくる。
(憧れのヒーローの事務所かぁ…)
胸の奥が、ほんの少しだけ高鳴った。
職員室の前まで来ると、私は軽く背筋を伸ばす。
そして――
コンコン。
ノックをしてから扉を開けた。
「失礼します」
扉の向こうには、
やっぱりプロヒーローが沢山いた。
改めて見ると、少し不思議な光景だ。
先生というより、
本来は街で活躍しているヒーローたち。
1年担当じゃない先生たちも当然ここにいて、
2年生や3年生の担任も皆プロヒーローだ。
それぞれの机で仕事をしていたり書類を
整理していたり、パソコンを操作していたり。
(やっぱりヒーローって忙しいんだなあ)
そんなことを思っていると、
「星宮、職場体験の提出か?」
声を掛けてきたのは相澤先生だった。
パソコンを整理していたからか、
自分のデスクに座りながら、
体を向きをこっちに向けていた。
「あ、はい!提出です!」
私は急いで相澤先生の机のところまで
歩いていった。
そして、紙を差し出す。
「ベストジーニスト事務所です!」
先生はその紙を受け取ると、
少しだけ目を細めて見つめた。
「……ベストジーニストか。
正直あの人が個性相性とはいえ
星宮を指名するのは意外だったんだがな」
ぽつりとそう言う。
「え、そうなんですか?」
私は思わず聞き返した。
すると先生は少しだけ肩をすくめる。
「どちらかというと、
爆豪のような奴を指名する人だ」
その言葉に、私は小さく首を傾げた。
(え…?)
むしろ逆だと思っていたからだ。
ベストジーニストは拘束を得意とするヒーロー。
繊維を操って相手の衣服や
布を使って動きを封じる。
オールマイトやエンデヴァーみたいに、
純粋な戦闘力で押し切るタイプの
ヒーローではない。
だからこそ、爆豪くんみたいな真っ向勝負タイプを
指名する方が、私には少し意外だった。
(爆豪くんの方が意外じゃないのかな…)
そう思ったけれど、
どうやら相澤先生の見方は違うらしい。
「まあ、あいつもここを選んでいたし、
騒がしいだろうが頑張れよ」
先生はそう言って、
体の向きをまたデスクの方へ戻した。
パソコンの画面に視線を戻しながら、
もう次の仕事に取り掛かっている。
(爆豪くん結局変えなかったんだ)
あれだけ同じ所を嫌がってたのに、
自分は折れたくないっていう意志が強い。
「はい!頑張ります!」
私は相澤先生に軽く会釈をして、
職員室を後にする。
廊下に出ると、少しだけ空気が軽く感じた。
(よし、これで提出完了)
そんなことを思いながら歩いていると――
向かいから人影が近づいてきた。
見慣れた、白と赤の髪。
轟くんだった。
おそらく同じように、
職場体験先の提出に来たのだろう。
私は自然と足を少し止めた。
「轟くん!轟くんも職場体験先決めたの?」
声を掛けると、
轟くんは少しだけこちらを見てから答える。
「…ああ、決めた」
相変わらず落ち着いた声だ。
「へー!どこにしたの?聞いてもいい?」
「親父のところにした」
親父――ということは、
「エンデヴァー?
お父さん自分の所で学ばせたいんだね」
私はなるべく自然な言葉を選びながら言った。
詳しい事情は知らないけれど、
体育祭のときの様子からして、
あまり軽く触れていい
話題じゃない気がしていたからだ。
すると轟くんは少しだけ視線を落とす。
「ああ…でも、向き合わなきゃならねえから」
その言葉は、静かだった。
でも体育祭の前に感じたような、
冷たい壁みたいなものはもう無かった。
むしろ――
少し穏やかだ。
(ほんとだ)
体育祭のとき。
緑谷くんとの試合のあと、
何かが変わった気がしていたけれど。
今こうして話していると、それがよく分かる。
氷が溶けたみたいに、少し柔らかい。
私は思わず、口元が緩んだ。
「お互い頑張ろうね。結局体育祭では
一度も対戦出来なかったし、
授業で轟くんに勝ってみたいな」
そう言うと、
「ああ」
轟くんは短く答えた。
それだけだったけれど、
ちゃんと前を向いている声だった。
私たちはそのまま廊下ですれ違う。
轟くんは職員室へ。
私は教室へ。
雨音が窓の外で静かに続いていた。
(職場体験か)
体育祭が終わったばかりなのに、
もう次のステップが待っている。
私は歩きながら、小さく息を吸った。
少しだけ胸が高鳴る。
(ベストジーニスト事務所…)
憧れのヒーローの元で学ぶ、一週間。
どんな体験になるのか――
まだ想像もつかなかった。
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