翌日の教室は、
いつもより少しだけ空気が重かった。
昨日のショッピングモールでの出来事――
緑谷くんの件が、クラス全体に
じわじわと広がっているのが分かる。
誰も大きな声では話さないけど、
落ち着かないような、どこかざわついた空気。
(やっぱり…気になるよね)
私も例外じゃない。無事だったとはいえ、
“ヴィランと接触した”という事実は軽くない。
「………とまあ そんな事があって、
ヴィランの動きを警戒し、
例年使わせて頂いてる合宿先を急遽キャンセル。
行き先は当日まで明かされない運びとなった。」
教壇に立つ相澤が、淡々と説明を終える。
次の瞬間――
ビリッ、と音を立てて、
手に持っていた林間合宿のしおりを破り捨てた。
「「「「「えー!!!」」」」」
教室に一斉に驚きの声が響く。
(え、破るんだ…)
思わず目を瞬かせる。
「もう親に言っちゃってるよ」
峰田くんが困ったように言う。
「故にですわね…。
話が誰にどう伝わっているのか、
学校側が把握出来ませんもの」
百ちゃんが落ち着いた声で状況を整理する。
(確かに…情報が漏れてたら危ないもんね)
納得はできる。
「合宿自体をキャンセルしねえの
英断すぎんだろ!」
峰田くんは相変わらずのテンションで叫んでいる。
その時。
前の席から、低い声が落ちた。
「てめェ。骨折してでも殺しとけよ」
爆豪くんが、こちらに背を向けたまま言い放つ。
その言葉の先にいるのは――後ろの席の緑谷くん。
(また始まった…)
位置的に、完全に私越しに
話している形になっている。
(これだと私に言ってるみたいなんだけど…)
私は思わず間に入るように少し身を乗り出す。
「ねー、せめて振り向いて言ってもらわないと、
私が言われてるみたいじゃん!
それに公共の場で個性の使用は禁止だよ?」
そう思いながら軽く注意するけど、
「知るか。とりあえず骨が折れろ」
爆豪くんは振り返ることもなく、
ぶっきらぼうに言い捨てた。
(絶対意味違うよねそれ…)
思わず小さく苦笑いがこぼれる。
後ろから、かすかに聞こえる声。
「かっちゃん……」
緑谷くんのその呟きは、どこか寂しそうで。
(ほんとこの2人…)
仲が悪いのか、そうじゃないのか。
よく分からない関係だなと思いながら、
私は前を向いた。
けれど、教室の空気の奥にはまだ、
昨日の出来事の余韻が残っている。
(ヴィランが…もう動いてる)
その現実が、静かに胸の奥に残っていた。
期末テストの返却も終わり、
多少の不安は残っているものの、
教室の空気はすっかり夏休みへと向いていた。
さっきまでの試験や合宿の話題すら、
どこか浮き足立ったものに変わっていて、
廊下を歩く生徒たちの声もどこか軽い。
(もうすぐ夏休みかあ…)
そんなことを思いながら迎えた終業式。
雄英の全生徒が講堂に集まり、
整然と並ぶその光景はやっぱり少し圧倒される。
壇上では根津校長がいつもの調子で話をしていて、
その内容は興味深いはずなのに――
(ちょっと長いなあ…)
気を抜くと意識がふわっと遠のきそうになる。
それでも、続くハウンドドッグの話は
一気に現実に引き戻された。
危険行為の禁止、個性使用のルール、
外出時の心構え。
言葉一つ一つが重く、厳しい。
(ちゃんと気をつけないと…)
特に最近はヴィランの動きも活発になっている。
昨日のこともあって、
ただの注意喚起じゃないことは、
よく分かっていた。
ようやく解散の声がかかり、
講堂から人の流れが動き出す。
その中で、ふと隣を歩く緑谷くんの視線が
一点に向いているのに気付いた。
その先には、普通科の心操くん。
緑谷くんが軽く手を振る。
けれど――
あっさりとスルーされてしまった。
(あ、スルーされた…)
思わずそのまま口に出る。
「心操くん、人見知りっぽいね」
「星宮さん!」
少し驚いたように緑谷くんが振り返る。
(そんな驚く…?)
「い、いや…体育祭以降話した事ないし、
目が合ったから何となく手を振っただけで、
僕が馴れ馴れしかったというか…」
少し焦ったように言葉を並べる様子に、
思わずくすっと笑いそうになる。
「そうなの?体育祭熱く取っ組み合ってたから、
てっきりもう友達かと思ってた!」
あの時の激しいやり取りを思い出しながら言うと、
「ええ!?それは少年漫画的発想では…?」
緑谷くんは本気で動揺していた。
(え、違うの?)
首を傾げる。
拳を交えたら友達、みたいな流れって普通だと
思ってたけど、どうやらそうでもないらしい。
(難しいなあ…)
「でも…星宮さんのコミュニケーション力が
羨ましいよ。あのかっちゃんとも
職場体験一緒にこなせて、
この間だってかっちゃんに意見言えてたし…」
目を合わせないまま、
少し遠慮がちに言われたその言葉に、
私は少し考える。
(そうかな…?)
「爆豪くんは多分緑谷くん以外は
もう普通に話せるよ?
私にだって全然怒る時あるし!通常運転!」
思ったままをそのまま返すと、
「う…それはそうなんだけど…!」
緑谷くんは少し困ったように、
それでもどこか安心したように目を細めた。
(あれ、なんか眩しそう…?)
不思議に思いながらも、そのまま言葉を続ける。
「てゆーか、緑谷くんとこうして話すの
何気に初めてだね!席後ろなのに!」
振り返れば、いつも後ろにいるのに、
こうしてしっかり話すのは確かに初めてだ。
「た、確かに…!あと、そういえば、
ずっと言い逃してたんだけど…
入試の時、助けてくれてありがとう」
(あ)
その言葉で、一気に記憶が引き戻される。
瓦礫、崩れる足場、落下する体。
あの時の光景が鮮明に浮かぶ。
「ヒーローみたいだったって、
言ってもらえて…凄く嬉しかったので…」
少し照れたように言うその姿に、
私は別の感情が先に来た。
(覚えててくれたんだ…!)
「そんな前の事なのに、態々ありがとう!
だって緑谷くん、私よりも先に動いてて、
バコンってロボ壊してて凄かったから、
ビックリしたよー!」
思い出しながら、つい身振りまでついてしまう。
あの時の衝撃は今でもはっきり覚えている。
(あれ、本当にすごかったなあ)
「今更だけど、お互いヒーロー科
入学出来て良かったね!」
そう言うと、緑谷くんは
少しだけはにかんで笑った。
その表情が、なんだかとても自然で。
(あ、いい笑顔だなあ)
そんなことを思いながら、私は前を向いた。
夏休みが始まる。
その前の、ほんの少しの穏やかな時間だった。
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