厄介事
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「これは八番隊。こっちは十番隊に届けて」
「は!」
二番隊隊舎の執務室。
紫乃はいつものように、
机に積まれた書類を手際よく処理していた。
相変わらず量は多い。
それでも机の上は乱雑には見えなかった。
処理の進捗や提出先ごとに書類がきちんと仕分けされ、
どこに何があるのか一目で分かるようになっている。
その時、別の隊士が一枚の書類を手に近づいてきた。
「花房三席、大前田副隊長から
経費精算書をお預かりしております」
「ありがとう」
受け取った紫乃は、その場で内容に目を通す。
警邏隊訓練場の増築費用。
それに伴う訓練用備品の購入費。
金額は、かなり高い。
「……反対されても、
実費でやるんだろうし。いっか」
紫乃は深く考えることをやめ、認印を押した。
「これを一番隊へ」
「はい!」
隊士に他の書類とまとめて渡すと、
隊士はすぐさま執務室を出ていった。
隠密機動の隊士たちは、とにかく仕事が早い。
書類を届けるだけなら、
わざわざ自分で出向く必要もない。
そうして今日も滞りなく仕事が進んでいく
――はずだった。
「花房三席ぃー!」
突然、廊下から響いた声。
次の瞬間、ドタドタと荒々しい足音が
近づいてきた。
「花房三席!」
勢いよく執務室へ入ってきたのは、大前田だった。
「大前田副隊長、お疲れ様です」
紫乃は立ち上がって挨拶する。
すると大前田は、開口一番に書類を突き出した。
「さっき届けた精算書、桁が違っていた。
こっちが正しい方だ」
「……え?」
紫乃は受け取った書類に目を落とす。
そして――固まった。
先ほど見た金額より、一桁多い。
「……まだ上乗せするんですか!?」
思わず声が大きくなる。
「壁を漆喰の珪藻土にして、
組子細工も加えりゃこんな額だろ」
大前田は、さも当然のように答えた。
「訓練場に……?」
紫乃の眉間に皺が寄る。
どう考えても、訓練場の増築に
掛かる費用としては高すぎる。
「良いから、とりあえず隊の経費として
落とせるだけ落とすんだ。精算書、差し替えとけ」
「もう一番隊に届けさせたのですが……」
「何ぃ!?」
大前田が目を見開く。
「相変わらず無駄に仕事が早いな!」
「……」
無駄に。
その一言が、紫乃の胸に小さく引っ掛かった。
しかし、目の前にいるのは上司である。
紫乃は何も言わず、にこりと笑った。
「とにかく、追い掛けてでも差し替えとけよ!」
「はい……」
大前田はそれだけ言うと、
訂正された精算書を紫乃に押し付け、
そのまま出ていった。
執務室に、静けさが戻る。
紫乃は手元の書類を見下ろした。
「……はぁ」
思わず溜め息が漏れる。
まだ他の仕事も途中だというのに。
こちらの仕事を止めてまで、
一番隊に届けた書類を差し替えに
行かなければならない。
しかも、先ほどの時点でも
十分に高額だった精算書を、
さらに高額なものへ差し替えるというのだから、
気が重くなるのも当然だった。
紫乃は新しい精算書を手にしたまま、
執務室にいる隊士たちへ視線を向ける。
「……誰か、これを一番隊に届けてもらえない?」
その瞬間。
隊士たちの視線が一斉に逸れた。
誰も口には出さない。
けれど、その顔にははっきりと書いてある。
――行きたくない。
紫乃はそれを見て、諦めたように肩を落とした。
無理もない。
一番隊は、瀞霊廷の中でも
特に規律に厳しい者たちが集まっている。
一度届けた書類を「間違っていました」と
差し替えに行けば、何を言われるか分からない。
わざわざ小言を言われるために出向きたい者など、
そうそういないだろう。
「……仕方ないか」
紫乃は精算書を持ち直す。
「どうせ全額、精算は下りないんだから…
全部自腹にすればいいのに」
ぽつりと大前田への文句を零しながら、
紫乃は執務室を出た。
向かう先は、一番隊隊舎。
本日二度目の書類提出は、
どうやら少しばかり面倒な仕事になりそうだった。
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