誘い


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「申し訳ありませんでした」

一番隊隊舎を出る直前、
紫乃は総合経費担当者へ深々と頭を下げた。

結局、大前田から渡された精算書は
差し替えられたものの、
その過程で経費の使い方について、
散々小言を言われることになった。

全額がそのまま認められないとはいえ、
隊として経費から落とせるものと、
そうでないものを一つひとつ
選別しなければならない。

担当者からすれば、
余計な手間を増やされているのだから、
文句を言いたくなるのも分からなくはない。

紫乃自身も、その言い分には
納得できる部分があった。

夜一も大前田も、申請が通らなければ
自分の懐から出せばいい、
という感覚がどこかにある。

二人とも裕福な貴族の家の出身だからこそ、
経費の申請を細かく気にする習慣が薄いのだろう。

もっとも、それを言うなら紫乃も
十分に上流貴族の家柄である。

それでも、こうして事務仕事をしていると、
手続きをする側にもされる側にも
余計な負担を掛けないよう、
できるだけ丁寧に進めたくなってしまう。

「はぁ……集中、切れちゃったな」

一番隊隊舎を出た紫乃は、
外を歩きながら空へ目を向けた。

よく晴れている。

穏やかな日差しが瀞霊廷を照らしていた。

こんな日には、また餡蜜が食べたくなる。

けれど、先日食べたばかりだ。

そうなると、次に思い浮かぶものは――。

「……久しぶりに、海燕を飲みに誘おうかな」

酒だった。

その瞬間、紫乃の足がわずかに止まりかける。

脳裏に蘇ったのは、つい先日の海燕の言葉だった。

『お前、酒を飲むと別人だからな。
そこだけは唯一、気をつけた方が良いと思うぜ』

「……」

紫乃は無言のまま、再び歩き始める。

つい先日、気をつけた方がいいと
言われたばかりだ。

そんな相手を、こちらから飲みに誘うのは
どうなのだろう。

紫乃は歩きながら、少しだけ考え込む。

「でも、海燕だって飲むし……」

ぽつりと呟いた、その時だった。

「紫乃ちゃん」

背後から声を掛けられ、紫乃は振り返った。

そこにいたのは、八番隊隊長・京楽春水と、
その副隊長である矢胴丸リサだった。

「京楽隊長、矢胴丸副隊長。お疲れ様です」

紫乃は二人に向かって、礼儀正しく頭を下げる。

「お疲れ様。今、一番隊を出たところ?」

京楽はいつもの柔らかな物腰で尋ねた。

「はい。差し替えたい書類があったもので……」

「相変わらず偉いねぇ」

まるで他人事のように、京楽はのんびりと言う。

すると、隣にいたリサが呆れたように口を挟んだ。

「あんたも見習いや」

「リサちゃんは厳しいよねぇ」

京楽はまったく気にした様子もなく笑っている。

真面目な紫乃からすれば、
隊長に対して随分と無礼な物言いにも思える。

けれど、八番隊ではこれが普通なのだろう。

隊によって、上下関係の距離感も
寛容さもまるで違う。

紫乃は内心でそんなことを考えながら、
二人のやり取りを眺めていた。

すると、京楽がふと思い出したように尋ねる。

「そうだ。花房当主は元気?」

同じ上流貴族の家柄ということもあり、
京楽は紫乃の父親とも面識がある。

すでに隠居している花房家当主の身を
案じているらしい。

「父なら元気ですよ。
最近は生花にすっかり夢中になって、
楽しんでいるみたいです」

紫乃は、最近父から聞いた話を
思い出しながら答えた。

「それなら良かったよ」

京楽は安心したように目を細める。

そして、何かを思いついたように
「あ」と声を漏らした。

「そうだ。久々に飲みに行かない?」

「え」

思いもよらない誘いに、
紫乃の口から思わず声が漏れる。

「今夜、どう?」

京楽はにこにこと笑っている。

紫乃は一瞬、先ほどの海燕の言葉を思い出した。

酒を飲むと別人。

気をつけた方がいい。

そんな忠告を受けたばかりなのに――。

「……」

けれど、目の前にいるのは八番隊隊長。

まさか「先日、酒に気をつけろと言われたので」と
断るわけにもいかない。

「……はい。ご一緒します」

こうして紫乃は、偶然通り掛かった京楽と
リサも交え、今夜、酒を飲みに行くことになった。







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