コスモスの花言葉に揺れながら
それはポアロに入ってしばらくした頃。
もうホールもキッチンも一通りの作業を覚えて、毛利さんにもようやく本気で助手になるつもりであることを理解してもらえた頃だった。
公安の仕事も組織の仕事も一つかたがつき、つかの間の平穏だと考えていた。
だから、油断してはいないけれど、いつもよりはリラックスしていたのかもしれない。
___________
その日はうまくいっていた。
おいしいコーヒーの入れ方も、メニューで迷っているお客さんへの声がけも、キッチンでの軽食のレシピも問題なかった。
この仕事にも慣れて、常連の人の好みも把握していたため、指示語でだされた注文もすぐに捌いて。
組織や公安の仕事との兼ね合いでシフトを飛ばさざるを得ないことが何度かあったが、探偵助手として働いているという設定___まあこれは事実でもあるのだが___によって理解を得られていた。
マスターも梓さんもいい人たちで助かっていた。
16時40分。
夜の仕込みもあらかた終わってきていた。
まさか自分がこんなふうに生姜焼きの仕込みや、切り干し大根の下ごしらえをやることになるとは思っていなかった。
いや、公安に入った以上何年も潜入して全く違った職業に就くことも当然ありうるとは分かっていた。
でもまあこれで一通り料理もできるようになったしな。
トントントントン。
リズミカルに包丁が滑る音はこんなにも気持ちがいい。
___「いらっしゃいませ」
遠くでドアベルの音と同時に梓さんの元気な声が聞こえる。
仕込み用の食材が詰まった冷蔵庫のそばの奥まった所にいたからか、声は遠かった。
___「久しぶりじゃないですか!」
今度はマスターの声。
マスターが弾んだ声をあげるなんて珍しいな。
話もはずんでいるようだった。
梓さんの声も楽しそうで2人の知り合いのようだ。
久しぶりに来た常連、といったところだろうか。
会話の内容までは聞き取れない。
しかし声の高さからして女性。
風鈴のような涼やかな声。
恐らく俺は知らない人だし、後でホールに出た時に確認しておいた方がいいだろう。
毛利探偵やコナンくんと関わりがあるかもわからない。
公安としても、組織としても、ポアロのアルバイターとしても、
早急に。
___「ごゆっくりしてくださいね!」
トントントントン。
「どなたかいらっしゃったんですか?」
手を休めることなく奥のキッチンに入ってきて入ってきて後ろを歩く梓さんに俺は声をかけた。
横目で捉えた梓さんは嬉しそうに弾むような声で答えてくれた。
「常連のお客様ですよ!最近いらしてなかったんですけど久しぶりに」
お土産まで頂いちゃいましたと楽しそうな声が聞こえたので梓さんの方をようやく振り返ってみると手にしているお菓子は最近ニューヨークでセレブに人気のオーガニックのチョコレートブラウニーでベルモットも口にしていたものだった。
こんなところで。
しかし本当に人気のものだから関係ない可能性も高い。
6個入で35ドルだったはず。なかなかの値段である。
「そのブラウニー、買うの大変だってテレビでやってましたよ」
「そうなんです!わたしが好きなんじゃないかって近くを通ったから買ってきてくれたみたいで」
良かったですねと安室透の顔でにっこりと笑えば、梓さんはうふふときれいに笑ってから安室さんも後でどうぞと言いながら包装紙を開いていた。
あとで頂きますよと返せば、すぐになくなっちゃうかもしれませんよ、といたずらっぽく笑っていた。
そう言って彼女は1口齧り付くと固まる。
一瞬置いてわなわなと震えてから美味しいです!!!と目を輝かせた。
「梓さんが働き始めるより前からいらしていた方なんですか?」
「そうなんです!7年くらい前からいらっしゃってたみたいで」
「7年ですか。そんなに長く。ポアロの大先輩じゃないですか」
「そうですね!お医者様でとっても美人で素敵な方なんですよ」
「ほぉーそれはそれは。僕も後でご挨拶しますね」
話しながらも手は止めず、着々と夜の仕込みは進めていく。
16時50分。
あと10分で梓さんの休憩なので、それまでに終わらせて今度は自分がホールに出る必要がある。
とんかつ用のキャベツの千切りはここ数日の連日による仕込みによってどんどん細く、手早くなったことが自分でも分かる。
7年。
数字として聞くと長いと感じる。
しかし7年前自分は何をしていたかと考えると。
ザクザクとリズムよくキャベツを刻む手が一瞬止まる。
7年前。22の頃。
大学を卒業してすぐ、俺は。
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