アザとなり残る記憶


ホールに出て目に飛び込んできたのは、隅の二人がけでぼんやりとコーヒーを口にする山田夢子その人だった。

俺の記憶ではギリギリ結べる長さだったまっすぐな髪は今は長く伸びていて緩やかなカーブを描いていた。
あの頃と比べてずっと大人びた服装。
相変わらずの童顔と烏の濡れ羽色の黒髪。
童顔と言えば、零くんには言われたくないとよくむすっとされたっけ。
綺麗な色、とよく俺の金髪を部屋の明かりで透かして見ていた。
だめだ。思い出してしまう。

あの日置いてきたアルバムが、風でページが舞い上がるように繰られるのだ。

カチリと小さな音がした。
夢子がカップをソーサーに載せていた。
少し痩せたし、ますます白くなった。
目の下にクマがある。
誤魔化し程度の化粧では隠せていない。
ちゃんと食べているのだろうか。

___『身体だけは大事にね』

そういったのは夢子じゃないか。

こんなに華奢だっただろうか。
こんな、折れそうな手首をしていただろうか。
カップの持ち手にかかる指は細すぎて妙に繊細な作り物じみて見える。

俺が鍛えたから?
それとも、夢子のことを忘れてしまったのは俺なんだろうか。

あの日、ボストンバッグを受け取った夢子は、今の彼女なのだろうか。





「安室くん仕込みありがとう!こちら常連の山田さんですよ
山田さん、こちら最近入った安室くんていってすごく覚えが良くて助かってるんだよ」

「はじめまして、安室透です」

「はじめまして、山田夢子で……」

マスターの紹介に意識を向けた夢子は俺を見て息を詰まらせた。
はじめましても名前も訂正されなかったが、間違いなく俺を覚えていた。

「山田さんどうかしましたか?」

「い、いえ」

安室透はなんて白々しい人間なんだ。
目の前に7年前に消えたかつての恋人が現れたのだ。
俺が公安を目指していたことを知っていたって、どうかしたに決まっている。

「顔色もよくないですし、お疲れなんですか?先程梓さんからお医者様だと伺いましたが激務ですよね」

「あ、えっと…当直明けだからですかね」

「それはお疲れ様です、なにか軽いものでもご用意しますよ」

俺は最低だ。

ポアロのマスターに勧められるがままに夢子が注文したハムサンドを準備する。
彼女は俺を特に見ることもなくぼんやりとまたコーヒーを口にして、横文字の医学書を読んでいた。
ページを繰る音にこちらがドギマギしてしまう。

疲れているのは明らかだったが、綺麗になったと思った。
白のVネックのニットから覗く薄いデコルテやカーブを描く鎖骨が艶やかで眩しかった。
そこを滑る華奢なネックレスはブルーグレーの小さな石が1粒だけ付いていた。

煩悩を振り払って最後に出来上がったサンドイッチを一口大に切り分けて盛り付けた。
これを運ぶのが憂鬱だった。
そんなことは言ってられないのだが。

「お待たせしました」

「あ、ありがとうございます」

店員に目を合わせてしっかりお礼を言うのも彼女の癖の一つ。
それからちゃんと、

「いただきます」

ちゃんとそれを口にしてから手をつける。

「ゆっくり召し上がってください」

そろりとハムサンドに伸びる指先を捕まえることがなぜ出来ないのか。
その手を取って椅子から引っ張りあげて抱きしめたかった。
痛いと文句を言われたかった。
文句を言うその唇を奪いたかった。

「おいしい」

「それはよかった」

こんな言葉じゃなくて。


______________キキキキキィィィィィィッーーーー!


次の瞬間、隣のビルの窓ガラスがぶち敗れる音がした。
強烈なブレーキ音に店内の人はみな外を眺め、その瞬間を目にした。

滑ったバイクに後からトラックが突っ込んで、バイクが飛んでいく。
そのままビルに叩きつけられ、ガラスが一点から蜘蛛の巣のように割れていく。
全てがスローモーションのようだった。
人は見えない。轢かれたようには見えなかったが。

「もしもしお疲れ、すぐに急患が一人行く。トラックが後ろからバイクに突っ込んバイクのドライバーが飛んだみたい」

彼女の声が静かに聞こえてきた。
ガタリと椅子が揺れる音。
振り返ったのは自分だけだった。

「うん、わたし今から見る…え?休みだけど大丈夫だよ救急車までは流石に乗らないし、…うん、お願いできる?」

夢子は誰もが固まっている中もう救急車を呼び、自分の病院に電話をかけて荷物はそのまま携帯を耳にあてて飛び出して行った。

清潔なタオルをもって追いかけていけばもう彼女は真っ白なニットを血濡れにして処置を進めていた。

隣にしゃがめば一瞬だけ俺を見てタオルを目にするとお借りしますとだけ口にして意識のない男性に向き直って止血をしていく。
的確で迷いのない手つき。
顔色の悪い男性も見た限りそれ以上悪化する様子はなかった。

しばらくしてようやく救急車が着た。
記憶に中ではわりとおっとりと話していた夢子が土石流のように医療用語を紡いで救急隊に引き継ぐ様は圧巻だった。
救急車は病院が決まらないと発信できないが、それも彼女が話をつけていたためすぐにサイレンを鳴らして去っていく。
そうしてやっと彼女は息をついて、俺を見上げた。


「タオル、すみません」

「いえ、いいんですよ。それよりお洋服が…」

「あぁ、お気になさらないでください」

「でもそれじゃあ家に帰るのにも困るでしょう?
僕が弟子入りしている毛利探偵のお嬢さんが上に住んでらっしゃるのでなにかお借りできないか聞いてきますよ」

今度は自分が土石流のように話した。
強引だ。
手段を選ばない自分らしい。
こうでもしないと、もう会うことはないとわかっていたからだ。

嫌ちがう。

頭がかっと熱くなっているのを感じる。
何を考えているんだ。
”もう会わない方がいい”はずなんだ。


彼女を巻き込んではいけない。

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