夜を感じるアイシャドーと魚の骨


警察庁での仕事を片付けてポアロに向かう途中のことだった。
梓さんからの連絡を確認すれば急遽買出しをお願いしたいとの事で、俺はたまたま通りかかったスーパーに車を滑り込ませた。
時刻は18時。
本当は既に出勤しているはずだったが、ポアロには連絡済み。
夕食どきということもあってか店内は混雑していて、はじめての店ということもあり目的の売り場まで多少時間がかかってしまった。

そんな時だった。
すっと伸びた背筋の和装の女性が目に入った。
髪はそんなに長くないのだろうか、ギリギリのところで編み込まれてアップになっており、真っ白な首筋があらわになっていた。
袂を抑えて品物に手を伸ばす所作があまりに美しく、周囲の目をひいているのは明らかだった。
そこから伸びた腕も折れそうな程に細く雪のように白かった。
もっとも繊細な指先が触れているのはただの卵だったのだが、目が離せなかった。

ゆっくりと視線を移せば、しっかり睫毛が影を落としていた伏せめがちだった瞳とパチリと目が合ってしまった。
くりくりとしたアーモンドアイは涼やかだった。
作り物のように整った小さな顔。
濡れたようなアイシャドーが艶っぽく夜を感じさせる。
主張しすぎないがぽってりと潤った唇は流行りのきつい赤リップではなく、桜貝のような仄かな色付き。
ほんの数秒だったが、永遠のようだった。
楚々とした彼女は俺に場所を譲るように身体をずらした。

「あ、すみません」

特に卵は買う予定はなかったのだが、こうされてしまえば買うしかなかった。
軽く会釈をして去ろうとする彼女の仕草にふと記憶が過ぎる。

「あの、以前お会いしたことがありませんでしたか」

その細い手首を掴んで。
立ち去ろうとする彼女を引き止めた。
思った以上の細さで、俺の指は彼女の手首を掴んでも十分に余っていた。
一周した自分の指先から、自分の鼓動を感じた気がする。
この拍動が彼女に伝わっているのではないかとなぜだか気が気でならない。

「いえ、初対面ですよ」

彼女は戸惑ったように眉を寄せた。
触れた瞬間にびくりと震えたことに今更ながらに気がついて、俺ははっと手を離した。

「失礼しました、驚かれましたよね」

「いえ、それでは」

それ以降、彼女は何も言わずにもう一度だけ会釈して去っていった。
あのキラキラと光る瞳と視線を交わすこともない。
そ追うこともさらに声をかけて引き止めることも、なぜだか躊躇われてしまった。







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あとから考えれば、あの時のあの行動はただのナンパとしか彼女は思えなかっただろう。
もっとも、どこかで見かけた気がするというのは本当のことだった。
だから梓さんとポアロには申し訳ないと思いながらも彼女を尾行して行き先を突き止めたし、彼女とその店の写真も押さえていた。

「ナンパというか、ストーカーか」

ポアロに向かう途中、車内でそう呟くのも仕方がなかった。
しかし、自分は彼女とどこで会ったのだろうか。

先程尾行した先の店は"花の里"という小料理屋だった。
しかしこの店に覚えはなく、会ったことがあるとしたら別の場所のはずだった。
ネットで検索したところ、この店はどうやらホームページを持たない店のようで、誰かのブログにも載っている様子はなく、花畑や公園などの観光情報がヒットするばかりだった。
どうやら従業員は彼女ともう一人女性がいて、こちらが店を切り盛りしている様子だった。
もっともスナックや居酒屋ではなく、本当に小料理屋といった体裁であることは後にわかったことなのだが。

梓さんに連絡して休みにしてもらってその店に入ろうにも入口には本日貸切の文字。
どうにもついていない。
とにかく彼女と店の写真を風見に送って調べるように頼み、ポアロへと向かうことになった。

彼女が俺を知っている様子はなかった。
ということは会ったわけではなくなにかのタイミングで見かけたはずだ。
やけにひっかかるし、何か重要なタイミングだったはず。
組織関係なのか、探偵関係なのか、それとも公安の仕事の時なのか。
あと少しで出てきそうなのに、喉元にささった魚の骨のようで。
この使い古した比喩が本当にぴったりとはまる状況にイライラして思わず舌打ちした。
そんな自分に今度は笑ってしまう。

たかが女一人。
それだけのこと。だったはずだった。

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