minus Raison d'être


T 一年目、マチネで爪を研ぐ。




 T‐@

 ――今夜暇?
 時間を持て余した宮城に連絡が入ったのは今夜誰かと飲みに行くのを諦めて適当に過ごすかどうかの瀬戸際で、三井にしては随分とタイミングがいいものだといたく感心した。唇が自然と笑みを形作るのに気付きながら、通知のポップアップをスワイプする。シンプルなメッセージだ。学生時代に交換して互いにそのまま、特に便利でもないし不便でもないから変更していないメールアドレスのやりとりはもうとうにしなくなっている。メッセージアプリか、もしくはショートメッセージが主に彼との連絡ツールだ。まれにオープンにSNSでやりとりをすることもあるが、それは私的なものであるというよりはビジネス的な意味合いが強い。というよりは、プライベートをあえてビジネスにしているという方が正しいのかもしれなかった。
 ――そっち行けばいい?
 敬語が抜けがちになって、随分と経つ。割合としては敬語が二割程度だが、三井は今さらなのかとやかく叱ってはこなかった。二割でも残っていれば僥倖、なのか。口うるさい、というよりはまるで悪友のような、先輩後輩という枠組みでも歴戦の戦友のような、不思議な巡り合わせでこうして連絡を取り合うのは三井くらいとなっている。三井もそのようで、誘いも多いはずだがこのように突発的に宮城を誘ってくることは少なくない。まんまと宮城が乗ってしまうのもまた、三井を調子に乗せているのかもしれないが。
 今回も急な誘いであったが、互いにスケジュールはある程度予測がつくのが同業であることの利点であり不利なところだ。いずれにせよ理解できすぎてしまう。違うチームではあるが、揃ってチャンピオンシップに駒を進めることができなかったのは同じだった。一応のオフシーズンとなり、スポンサーの挨拶回りなんかも済ませてあとはさあ何をしようかというタイミングだったのだ。宮城は来るべきニュースのために身辺整理、というよりは荷物を片付けねばと思い始めていたが、まあ明日からでもいっか……と面倒さが勝ったので三井の誘いにここぞとばかりに飛びついたのである。
 ――名駅、金時計。うまい居酒屋見つけた。
 何回か待ち合わせをしたことのある場所。今から家を出れば、車でも電車でも一時間もしないうちに辿り着く。木曜日の夕方。どうやらすでに三井は店を確保してくれているらしい。
 ――17時には着くと思います。ゴチっす。
 ――しゃあねぇな。電車で来いよ。
 ――了解。
 無駄のない、ある種洗練された端的なやりとりである。これ以上ないほど余分なものが削ぎ落とされて洗練されている。駆け引きもなにもない、三井と宮城のやりとりだ。宮城が所属するチームのホームタウンは刈谷市。三井の所属しているチームは名古屋市。高校を卒業して以来同じチームになったことはないが、なんだかんだ三井が沖縄、宮城が名古屋にいた二年を除いてほぼご近所さんとも呼べる距離の、互いに手の内をある程度さらしている気安い間柄が続いている。今年もそうで、バイウィークにはふたりで計画的にせっかくの愛知を楽しもうと計画を立てて犬山へ行き満喫したのだが、オフになった途端に行き当たりばったりのこれである。
 暇なのだろうか。三井寿、アラサー、職業プロのバスケットボール選手。
 その日に誘われて即日イエスと出向くなど人のことを言えない立場であるので、宮城は非常に身軽な姿で家を出た。電車で一時間もかからない距離。飲みに行って帰ることは十分にできるし、そうでなくとも三井の部屋に泊めてもらえばいい。どうせ泊まっても問題ない程度の荷物は勝手に相手の部屋に置いているのだ。お互いに。
 東海道本線で、刈谷から名古屋までは快速に乗れば一時間どころか三十分もかからない。タイミング良くその快速に乗れたので、先ほど予告した17時よりも早く名古屋駅には辿り着きそうだ。
 夕方の名古屋行き、車社会だと思っていたが、存外電車や地下鉄に乗る人は多い。学生や仕事だろう疲れた人々の姿に混じりながら、電車に揺られている。一定のリズムを刻みながら進んでいく車体。窓枠の向こうの景色は徐々に高いビルが増えていく。三井も宮城も、愛知で暮らしはじめて二年だ。独り身という立場だから、求められていることと求めていることが合致すればどこにでも行ける。宮城は手中でスマートフォンに目線を落としながら、思っているよりも早く着きそうだとメッセージで送れば、そのメッセージはすぐに既読になった。最近三井がお気に入りでよく送ってくる、デフォルメされた犬がOKと返事を寄越してきたのを既読にして、宮城はそのままメッセージアプリを閉じてSNSを開く。一番上に表示されたのはフォローしている元チームメイトの投稿だ。彼が所属している千葉のチームは今年チャンピオンシップへ勝ち進んでいた。今月下旬の決勝戦では琉球と死闘を演じるのだろう。チームの投稿を引用する形で「応援お願いします!」と非常に健全な投稿をしていた。
 宮城はまだ、チャンピオンシップに勝ち進んだことはない。三井は川崎の時に一度、琉球の時に二度ほどあったはずだ。どうにも悔しい。どこか古めかしいクッションに身を預けるように深く座り直すと、名古屋がアナウンスされるまで宮城は目をとじたまま揺られることにしたのだった。
 改札を抜け金時計に近付けば、すぐに三井は目に入った。グレていた時代があったなんて考えられないほどの、まっすぐ伸びた背にシンプルなシャツ、デニム。近所にでかけるだけの服だろうに、妙に似合っているのが三井という男なのである。連絡を入れてから、到着時間なんて簡単に調べられる。宮城が声をかける前に、三井は腕時計をした左手をあげて、
「宮城!」
と良く通る声で宮城の名を呼んだ。
「おつかれっす」
 わずかに歩を早めて近寄る。人混みを抜けてくる宮城に三井は笑いかけながら、「そんな眩しくねえだろ今日」と宮城のサングラスのツルを軽く右手の人差し指でなぞった。
「いやけっこう晴れてんじゃん、もう暑いし」
「まあなあ」
 そう言いつつ、身を翻して地下鉄へ向かう。名古屋駅近辺かと思っていたが、どうやら違うらしい。
「どこ?」
「矢場町」
「栄だっけ?」
「のすぐ近く」
 名古屋駅はさすがに人が多い。身体のでかい自分たちはきっと邪魔になるのだろう。それでも気にせず突き進む三井について地下鉄を乗り継いで、矢場町の駅の改札を抜けようとすれば、三井のチームのPGのポスターが堂々と貼ってある。三井は変装をする様子もない。けれど、わかる。そこにいる、またはいるかもしれないと思われていれば気付かれることも多いが、平気な顔をして歩いていれば普通に町に馴染んでしまう。芸能人とは違いオーラを使うことはできないので。
 三井の後に続いて地下鉄から地上に出れば、日中太陽光によって温められた空気が地上を包んでいることを思い出させられた。ビルに囲まれた、似たような建物が建ち並ぶ場所だ。この久屋大通まで続く道路に挟まれた広場で行われるイベントに参加しようと話したことはあるが、生憎シーズン中のため叶ったことはない。広場と松坂屋に背を向けて入り組んだ道を進めば、三井の足はすぐに止まった。木枠にはめこまれたガラスの引き戸。すでに店名の暖簾がかかっている。三井は迷うこと無く、「ここ予約しねえとだめなんだよ」と戸を引いた。店内はそれほど広くはない。L字のカウンターに小上がりのこたつ席がふたつ並んでいるばかりだ。「一見さんお断り?」とこそこそ尋ねれば、三井は笑い飛ばすように首を横に振っているし、その向こう側ではまったくそんなお高くとまっていそうにない、髪を短く刈り込んだ、随分と日焼けした大将がにこやかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「お、みっちゃん。早かったね」
「後輩早く着いたんすよ。大将今日どこ座っていい?」
「座敷いいよ」
「ありがと」
 三井に誘われるように、入り口近くの座敷に上がるべくスニーカーを脱ぐ。大将は人好きのする笑みを浮かべていて、一見さんお断りではないならば、よほどの人気店なのだろうか。と思ったタイミングで、早くもネタばらしはされた。
「大将、予約ないと釣り行くから店しめちまうんだよ」
「平日はしないって!」
 大将がカウンターの中から声を張り上げる。三井がそれを笑い飛ばしていれば、バイトらしい若い金髪の男が冷たいおしぼりをふたりに手渡してくる。その心地よい冷たさで掌の熱を下げていれば、通路側に腰をおろした三井が壁に背を預けた宮城に尋ねてきた。
「お前とりあえず」
「ビール」
「だよな。何食いたい?」
「オレここはじめてだし、任せます」
 三井の舌が信用に値することは、長い時間かけて思い知ったことのひとつだ。宮城がラミネートされたメニューを眺めていれば、店員が手渡してきた黒板にもメニューはあるらしい。
「生ふたつと、串焼き塩セット、なめろうと、」
 三井はメニューと黒板メニューをそこで見比べて、眉を寄せる。真剣に悩んでいる。しばらく悩んで、それから口を開いた。
「たこぶつと、かつおのたたき。あと……生姜天」
 真剣な眼差しだった。ここは店主が釣り好きということもあり、どうやら魚がうまいらしい。メニューに真剣に目を通せば、居酒屋メニューが並んでいるが一手間手が加えられていそうな名前たちが手書きで並んでいる。
「なんか気になんのある?」
「シメこれがいい。鉄板焼き炒飯」
「お前わかってんな。絶対それシメに頼むつもりだったわ」
「マジ?」
 気が合ったとそんなことで笑っていれば、生ビールとお通しらしい煮物が威勢よく運ばれてくる。三井が店員から受け取った生ビールを宮城に渡してきた。受け取れば、冷やされたジョッキが手に心地良い。煮物は根菜と練り物のようだ。
「おーし」
「うーす」
 おつかれー、と声を合わせて、ジョッキをぶつけあった。軽い音がまだ自分たちしか客のいない店内に響く。そのままあおって喉を鳴らした。琥珀色の液体がするりと喉を通り抜けていく。三井より遅れてジョッキをテーブルに置いた宮城を見て笑いながら、三井は割り箸を取った。宮城も倣って、まずはにんじんに箸を伸ばす。口に含めばじんわりと出汁がしみてきて、唾液の分泌と食欲を刺激してくる。ビールと交互に楽しんでいると、三井は「ペース速えわ」といつも宮城に言うことを今日も繰り返しかのように笑いながら繰り出してくる。宮城は宮城で、「アンタが遅えんすよ」といつもと同じように笑った。
 なんてことはない、三井と宮城のいつもの会話だ。言葉が簡単に飛び交う居酒屋の片隅。壁に吊り下げられたテレビでは、地元局の夕方のニュースが今週末に開かれるイベントの案内をはじめていた。大将はカウンターの中で炭の様子を見たり、包丁を扱ったりしている。店員が暇そうなので、宮城はさっそくビールをお代わりすべく手を挙げた。そんな様子に、三井は「ボトル入れてるから、後半は水割りで行くぞ」と、今夜の指針を発表してくれたのだった。
 磨き上げられたテーブルの上に、刺身類はまとめてやってきた。串焼きの塩セットが到着してその串を串入れに綺麗に収める頃、ようやく次の客が現れる。というよりは、一般社会の終業の時間になったのだ。がらがらと引き戸が開けられて店内に足を踏み入れたのは男女数人の、どうやら同僚らしいグループで、彼らも常連らしい。大将は三井と宮城が座るテーブルとは逆を指せば、慣れた動作であがって座る場所なんかもスムーズに決めて腰をおろした。
 聞いていれば彼らも刺身類をまとめて頼んだので、やはりここは魚が看板なのだろう。確かに、分厚いし味が凝縮されたような旨みで口内は幸福だ。宮城がたこぶつを頬張って頷いていれば、何杯目かは忘れてしまったが、おかわりのビールがふたつ運ばれてくる。三井も追いついてきた。何回目かの乾杯を済ませジョッキを置いた後、三井は宮城の顔をじっと見つめてくる。
「あー……」
 濁ったような母音が三井の口から吐き出されて、思わず眉を寄せた。
「おっさんじゃん」
「オレがおっさんならお前も片足突っ込んでっからな」
「うっせーなわかってるよ」
 宮城がポーズで睨んでみるが、もう三井は宮城の睨み程度では怯まない。その昔は睨んだり黙り込んだりすれば、少しは「めんどくせーなどうすっか」と考えてくれたのに、もはや互いに手の内を晒しすぎている。悔しいが。鋭い眼光をものともせずになめろうを口に運ぶ様子を見ていれば、自分も食べたくなってしまったので、すぐに顔を元に戻し細かくたたかれた鰺に箸を伸ばした。
 すっかりご機嫌な様子であてをつまみながら酒を進める宮城に、三井はわずかに肩を落として、言葉をぽつりとざわめきが支配しつつある店内に落とす。いつの間にか、カウンターにも何人かが肩を並べていた。
「……もうこんな当日呼んで来てくれんの、お前くらいだわ」
 しみじみと、どこか慈愛すら滲ませた声色に自身を省みる。当日呼ばれて、のこのこと電車に乗って出向いてくる。かつての先輩と飲むために。
「……オレも、アンタくらいっすよ。こんな気軽に飲めるの」
 三十を過ぎて、周りの環境は随分と変わった。同級生で結婚していないのは三井と宮城くらいだ。元々プロのスポーツ選手と一般的な社会人では休日が合わないことは身に染みていたが、そこで家庭を築いてしまえば当然それが中心の生活になる。適当、ここでは適切という意味だが、食事を摂って眠るのもルーティンだ。けれど誰かと食事を共にして、楽しい時間を過ごしたい。先輩に声をかけてもらうのを待つか、同輩を誘うか、後輩を脅すか。そのどれもが自分にふさわしくない気がする。そんな時は、三井がふさわしい。少なくとも、宮城にとっては。
「お前、いつも呼んだら来るよな」
「アンタだってオレが呼んだら来るじゃん」
「まあなあ」
 恋人の有無だって、知っている。互いにもう何年もそういう相手はいない。バスケに人生を捧げすぎだと揶揄されることもあるくらい、三井も宮城も、諦めることを諦めなくていいと知ってからはバスケにずっと夢中だ。出会いの場がないわけではないが、そこに出向くよりも、三井とバスケの話をしたりなんてことはない話をしたりしている方が有意義だと思える。きっと三井もそう思っているから、恋人もいなければ割り切った付き合いの相手も自分たちには存在しないのだろう。
 三井はビールからはじめる。ハイボールを挟んで、それから宮城と飲むときは日本酒か、焼酎の水割りに付き合ってくれる。好きな食べ物も酒も、あまり選ばない食べ物も知っているし、知られている。次の言葉をどう繰り出すか、を迷う空気が漂いはじめる。そんなふたりの間の空気を一蹴するかのように、三井は顔と手を同時にあげた。
「ひとまず鉄板焼き餃子行くぞ。よし、んでオレハイボール行くわ」
「うわオレまだビールでいい⁉」
「いいに決まってんだろ! シメの炒飯分、胃の容量残しとけばいいんだよ」
 必死な形相の宮城に、三井はけらけらと笑い声を立てる。
「お前、これからもオレが呼んだら来いな」
「うわ命令? 先輩かよ」
「先輩だろうが!」
「はいはい」
 宮城は頷きながら、ビールをおかわりすべく手中のジョッキを傾けた。慣れ親しんで随分と経つ魔法の液体。機嫌がよくなるアルコール。言えない言葉といっしょに、それを飲み込んだ。
 言えないことが、ある。まだ誰にも。
「ほんと、お前が近くにいてよかったわ」
  おかわりとともに、生姜天が運ばれてきた。灰色の陶器の皿に、紅生姜をかき揚げにしたものと、生姜を薄切りにした天ぷら、葉生姜を揚げたものが熱いまま鎮座している。唾液が口内にじわりと滲んだ。
「……オレもっすわ」
 でもね、三井サン。来シーズン、オレ移籍すんの。もう愛知じゃねえの。来年からリーグも違うんだよ。それは三井にだって、今の段階では言えない。だって、家族じゃない。来シーズン、宮城は関東へ戻る。B1のチームではなく、B2のチームへ移籍する。今年の一月から水面下で行われてきた交渉で、求められていることと、求めていることが合致したのがそのチームだったのだ。
 だから、きっと三井とのこんな夜も、今日で最後だ。
 酔えるだけ酔っておこう。楽しい思い出だけ作ろう。鉄板焼き炒飯を頼んでも、また別の店に行ってもいいし、三井の部屋でも飲みたい。思い出をかき集めるだけかき集めて、こんな楽しくて心地よい、三井の笑顔と言葉を携えて。
 宮城は、戦う場所を変え、己が所属していたリーグへ殴り込みに行くのだ。






 T‐A

 正午。新情報の解禁。ネット上で飛び交う「SIGNED」。その渦中のひとりである宮城の移籍が発表されたのは、三井と矢場町で飲みその後三井の部屋で飲み直してから二日後のことだった。チャンピオンシップが進む中、アメリカ帰りでずっとB1で走り続けていた宮城の突然のB2への移籍は少なくとも、宮城が観測する範囲ではかなりの衝撃でもって受け止められたようだ。ベスト5に選出されたこともある宮城は、まだB1で、移籍するかもしれないその噂としては地元の沖縄が最有力候補だったらしい。宮城の知らない知人が漏らした噂であるが。
 その情報が投稿されてから一時間も経たないうちに、あらゆる知人、こちらは知る相手だが、人々から驚きと励ましの連絡がスマートフォンを通知で満たした。その中には三井もいて、メッセージではなく着信。ほぼワンコールで切れたそれにかけ直すが、三井が出ることは無くコール音が耳元で響くだけだ。宮城は数十秒ほどその電子音が途切れることを祈りながら、
「――しゃあねえじゃん……言えなかったんだよ……」
となぜか言い訳をひとりごち、結局はそのまま平べったい機器をベッドに放り投げた。その中は情報のるつぼだ。憶測や偏見、思い込みや嘆き、希望なんかも渦巻いている。その中心にいるはずの宮城は、けれど一度画面から目を離してしまえば、現実として押し寄せてくる引っ越しやら準備やらが目前に迫っていた。ひとつひとつ、片付ける。丁寧に、たまに粗雑に、段ボールに詰めていく。自分が母と似ていると思うのはこういう時だ。大切なものほど奥深くにしまい込んでしまう。だからすぐには使わないシューズやリストバンドは段ボールの奥底へ沈めて、すぐに使うジャージはその上に被せる。二年暮らした部屋はそれなりに宮城の城だった。白い壁に白木のフローリングは自分で選んだわけではないが、アンナはお気に入りのようでたまに母と子どもと共に遊びにきてはソファで我が物顔をしていたものだ。今度はもっと頻繁に会えるだろう。
 片付けの途中、そうだ、これがあるのだったと三井の着替えを手に取る。百均で買った適当なボックスの中にある、三井の荷物。そこで自身も似たような持ち物が似たような形態で三井の部屋に置いてあることを思い出し、着信の用件に辿り着く。後日適当にメッセージを入れておこう。好きにしてもらって構わない。けれどこれはどうしよう。まだ引っ越しまで時間はあるのだし、渡しに行こう。それがいい。三井の顔を、ちゃんと素面で見てから愛知から去ろう。せめて、それだけでも。
 そう思っていた翌日のことである。
 正午。新情報の解禁。ネット上で飛び交う「SIGNED」。その中のひとりである三井の移籍が発表されたのを宮城が知ったのは、チームから投稿された直後のことだった。
「……ハァ⁉」
 今年一の声が出た。それは過言だったかもしれない。ワイルドカードぎりぎりの試合でバスケットカウントを決めた時と同じくらいだった。
 はぁ――⁉ あの野郎、あの野郎、あの野郎! 三井寿! だから昨日ワン切りしやがったのか、慌てて!
 ふつふつと怒りがわいてきて、それはあっという間に霧散する。代わりに、笑みが浮かんできた。昂揚、期待、歓喜、驚愕。ありとあらゆる、明るく光に満ち満ちた感情が、宮城を逸らせるままに突き動かす。着信発信履歴の上から二番目。一番目には昨日あの後連絡した母の名前。その、すぐ下。
 今日は、ワンコールで出た。
「……おう。お疲れ」
 わずかに気まずそうな、けれど嬉しさを隠せない、震えた声。聞き慣れた三井の声だ。その応答を聞くやいなや、宮城は声を張り上げた。
「おい! あのさあ!」
「うるせえな、怒鳴んな!」
 三井の声も弾んだものだった。互いの耳元には、聞き馴染んだ相手の音。晴れ渡る空の下の波のように、まばゆい飛沫のような、そんな音。その波を掻き分けるかのように、昨日宮城がこぼしたひとりごとと同じ言葉を、今度は三井が叫んだ。
「しゃあねえだろ! 言えなかったんだよ!」
「そりゃそうだよ! こっちもだわあっはは!」
 言えないことがあったのはどうやらお互いにで。それもそのはずで。発表された移籍先は、宮城がサインしたチームと同じチームだった。ネット上ではふたりが示し合わせて移籍しただとかいう噂が最有力のようで、いややり手のGMが互いを餌にしてふたりを手中に収めたのだあの人ズッ友でチーム内にコンビ作るの好きだし……とかいう反論がなされ、どうやらこの二説で戦い合っているようだ。なおどちらでもない。
 宮城は宮城の考えで、移籍先を選んだ。三井もそうだろう。互いの存在で揺らぐバスケじゃない。
「昨日のオレの心境わかるかお前。今年一びびったわ」
「今日のオレの心境わかる? 今年一でけえ声出たわ」
「……お前がめちゃくちゃ嬉しそうなのはもう見えてっからな、オレ」
「こっちのセリフだわ! 絶対にやけてんだろアンタ!」
 宮城は、自身の部屋にあった三井の着替え類を、そのまま引っ越しの荷物にラベリングする。行き先は同じだ。段ボールにそのままボックスごと入れれば、片付けは終わりである。これでいつでも大手を振って新天地に行ける。後ろ髪引かれることなく胸を張って。ガムテープで蓋を留めると、ハンズフリーのスマートフォンから三井の、どこか悪巧みを持ちかけてくるような声が宮城を誘う。
「よーし、まあ、宮城くんよぉ」
「なんすか三井サン」
「殴り込んでやろうぜ、B2からトップリーグによ」
「三井サンにしちゃいい提案すね」
 かくして、三井が卒業してから十五年。十五年ぶりに、チームメイトになったのだった。



 新しいチームの始動は七月だった。まだ海外に帰ったままの選手もいるが、揃うメンバーでの挨拶からはじまり、宣材写真の撮影、グッズ用写真撮影、神主を呼んでの儀式なんかも済ませれば後はいつでもどこでも変わらない、バスケがはじまる。ヘッドコーチは2シーズン前から引き続き、かつて選手として代表経験もある柏崎が務めることになっている。全体でのアップを終え、初めての練習ではまだそこまで連携や細かな作戦の詰め込みはない。互いのなんとなく癖や動きの特徴なんかを把握するのが目的のようだった。
 まだ、B1に上がったことのないチーム。歴史はあるが、いつも惜しいところで昇格を逃すのがこのチームだった。練習量、時間、その密さは噂には聞いているが、確かにチームの軸としてそれがありその土台の上にヘッドコーチが考える約束事が絡み合っているのがすぐにうかがえる。もうひとつ。このチームには柱があった。
 前のシーズンで引退し、その背番号が永久欠番となった日本人ビッグマンの存在だ。その彼がいなくなり、はじめてのシーズンとなる。宮城も名前や影響力はよく知っているが、きちんとコミュニケーションを取ったことはない、レジェンドとこのチームが誇る選手。彼は母校の大学で指導者としてのセカンドキャリアを歩み始めているという。
 そんな彼に次いで、チーム歴が長いのが奥田という男だった。身長はそれほどないと本人は言うが、宮城よりは高い。だいたいどこのチームでも、宮城は平均身長を下げる方である。彼は穏やかでしたたかで、オールドスタイルの、自らスリーで射抜くこともあるが、どちらかと言えば戦略をコート場で鮮やかに咲かせる策士、という印象がある。
「宮城さあ、なんとなくだから当たってるかわかんないけど」
 そんなベテランの奥田がタオルで汗を拭いながら、まるで知己であるかのように宮城に声をかけてきた。ポジションは同じ。ここ数年控えからのスタートだが、確実に決めきる力と盤面を支配する能力に長けているから、このチームはベンチスコアが非常に安定している。
「……はい」
「人見知りでしょ」
 初手でそんなこと言うか? 普通。いやこの人が普通でないことがわかっただけいいが。
「いや、そ……んなことないっすけど」
「その返しするやつだいたい人見知りだね」
 名門の高校出身で、名門の大学を出て、そのままリーグ黎明期を駆け抜けこのチームでは八年目。立派な重鎮だ。後輩の面倒見もいいと聞く、フラットなタイプらしい。
「俺はさ、ガチガチの体育会系合わないから」
「え、奥田さん山王出身すよね? 許されたんですか」
 そう、奥田はあの名高き山王出身だ。自分たちの世代よりは数世代上の。彼は目を細めて、どこか昏い光を灯した視線を虚空へ放つ。宮城はかつて雌雄を決した彼らの姿を思い浮かべながら、この今はハイライトおしゃれパーマなんかをかけているこの人も当時は坊主だったのか、と思わず慰めたくなってしまった。
「許されるわけないじゃん。逃げ切っただけ」
「うわ……」
「まあプロになってからものらりくらりやってきたけど」
「のらりくらりでプロはできなくないっすか」
「あはは、性に合ってんだよたぶん。仕事としてのバスケが。仕事って生活だし」 
 仕事としてのバスケ。生活としてのバスケ。全体練習はアップのような内容だった。宮城は自主練ではいつも、ドリブルと、それからフリースローを主軸にしている。奥田はボールを数度つきながら、スリーポイントラインからボールを放つ。三井とは少し違うフォームだ。それはそうだ。だって、身体が違うのだ。宮城はその軌道を追う。あ、入る。リングに当たりはしたが、ボールはネットに吸い込まれていった。そのボールがバウンドしたあたりで、奥田は「まあ最低限かっこついたな」と笑いながら宮城を見つめてきた。
「宮城はこのチームで好きにしな。そのために呼ばれたんだし。俺は若い奴らが好き勝手やるためにこのチームにいるから」
 仕事として、生活として。奥田はそのために。きっと、今はいない去年までいたそのビッグマンの背中をずっと彼は見てきたはずだ。その存在の大きさと自分のなすべきことを比べていて、だからこんな風に同じポジションの後輩に声をかけてきた。宮城は大先輩に笑いかけられて、にらみ返すような体育会系ではない。少なくともそう自認している。なので、静かに頷いた。
「……オレもうそんな若くないすけど……はい」
「うわ声ちっさ」
「すんません、オレもガチガチの体育会系ではなかったんで……」
 宮城が苦笑いを浮かべて、それに奥田が曖昧に笑い返した時だった。奥田の背後から影がかかる。見上げれば、名前はよく知っているSGとPGをこなす男が快活な笑みを浮かべている。チーム二年目の男だ。
「誉さん、いっすか」
「ん、どうした小西」
「はじめてっすよね、三井。……お、宮城もやんな」
 その後ろには三井が控えていて、宮城はそのいつも通りの顔にどこかほっとする。軽く会釈のように小西に頭をさげた。
「はじめまして」
「おお、よろしくな!」
 人好きのする笑みを浮かべる男だ。快活に笑う男は前髪をセンターパートで分けていて、爽やかさはどこかかつての、中学時代の三井と似ているかもしれない。三井よりわずかに上背はあるようだ。小西の隣に並んだ三井が、奥田に頭を下げる。このチームの重鎮。チームのことを知り尽くした男。その男に三井が口を開く。
「オレ小西とは川崎で同じだったんです」
「へえ……あ、じゃあ新人の時一緒だったんだ?」
「はい」
「キャラ掴めへんままコイツ移籍しよったけど」
「小西もキャラブレしてただろうが当時」
「ルーキーは許せやキャラブレ」
 小西。名前は確か大和だった。その元チームメイトを名字で呼んだ。ということは、三井にとって小西は友人ではなくてバスケをする相手だ。本人に自覚があるかどうかはわからないが、宮城はなんとなくそんな線引きが彼の中でされていることに気付いている。今に至るまで指摘をしたことはないが。
「あれ、三井と宮城は? 仲良いのはなんとなく知ってるけどいつ一緒だったの」
 奥田に問われて、三井と顔を見合わせる。はじめてのふりするか? と無言で笑われて、眉をしかめてするかバカ、と無言で睨み付ける。それにわかってる、と軽く肩を抱かれたので、大人しくふたりに向き合った。
「高校一緒っす」
「高校一緒でした」
「……今無言でやりとりした?」
「しかもその後はもっとるやん」
 小西のツッコミが入る。イントネーションを聞くに、どうやら関西出身らしい。三井に聞いてわかるか怪しいので、正しい出身地情報はチームの選手情報で確認することにした。三井が宮城の肩を抱いたまま、顔を覗き込んでくる。
「いやでもなあ? ちょっとリハビリ必要だよな」
「なにせチームメイトやんの十五年ぶりなんで」
 三井の腕を振り払うが、三井は気にするそぶりも見せない。三井はその仕返しか、宮城が抱えていたボールを奪うと、そのままスリーを放った。ほぼノーモーションにも見える、すばやいリリース。いつも通り、美しいフォームに軌道。宮城は今までは憎らしいくらいのそれを、今年からは存分に喜べるのだ。三井が宮城に手を伸ばしてきたので、それに己の掌を合わせた。小気味良いロータッチの音が練習場に響く。
「リハビリ? いる? 本気?」
 小西の純粋たる疑問が落とされるが、返答の声は発せられない。同級生で元チームメイトに対する雑な扱いだ。三井は宮城を振り返ると、思い出したように当たり前のように尋ねはじめた。
「あ、そうだ宮城、今日一回実家帰るつってたよな」
「あーうん。泡盛取りに来いって」
 母親に呼ばれている。なんでも親戚から届いた泡盛があるらしい。それを受け取って、三井と飲む。その流れを完璧に思い描けたところで、三井は言葉を続けた。
「オレもお袋に呼ばれてんだよ。なんかお中元のおすそ分けしてやるからいろいろもらいに来いだとよ」
「え、マジ?」
 なんとつまみも揃った。経験上知っている。三井家のお中元は、非常に腹も心も満たすラインナップなのである。普段は買わない高いそうめんとか乾物とかだ。
「……揃ったな、カードが」
「これロイヤルストレートフラッシュでしょ」
「最高かよ。あ、んで、オレ今日車だし乗ってくか」
「マジで? あざす」
「ついでにオレの車とオレのスマホ繋げてくれ」
「えーまたぁ? まだ仲良くできないのBluetoothと」
「仲良くできるやついんのかアイツと」
「アンタ以外だいたいともだちだよ」
「嘘だろそれは。……やべ、そろそろ道混むな。うし、帰んぞ。じゃあ、そろそろ失礼します」
「お疲れ様っす」
 淡々と、十五年ぶりとは思えないやりとりが続けられていた。チームメイトが十五年ぶりなだけで、繋がりはずっとあったのでそれはそうなのだが。ふたりの会釈に手を振る奥田と小西は、その背が小さくなっていくのを眺めつつ、あ、と声をあげた。
「……宮城が体育会系じゃないってそっち? 生意気で文化的にケチつけちゃうってこと?」
「つかあのふたり、それぞれGM餌にしとったやろ。せやないとここでうちに揃う説明つかんねん」
「小西、久しぶりだからって三井来るの楽しみにしてたのにね」
「いや〜あのふたりのことコンビとしての逸材に見えてきたんで、別の意味でわくわくしてきましたァ!」
「コンビってバスケの話じゃなくない? その言い方」
 ま、俺はなんでもいいけど。奥田が笑えば、小西はそれに応えるように笑みをつくる。常に明るくポジティブに。腐っていてもいいことはない。楽観とも呼べるふたりは、新たなチームメイトたちの背中を見送るのだった。



そうして地元へふたりで帰った。その地元の、海で。三井は宮城に言ったのだ。宮城にだけ、笑いかけたのだ。
「オレたち、ずっといっしょにいるしかないぜ」






 T‐B

 Bリーグの各チームはひとつの組織であり協同体だ。前面で身体を張るのは確かに選手たちだが、その選手たちとともに移動し試合に臨むスタッフ陣や、組織の運営自体を主体として全うするフロント陣や社員たちなくして組織は動かない。ボランティアの力も運営上、かなりのリソースである。そこにおいてマネジメントの問題、利益の問題、ブランドイメージやスポンサー。ありとあらゆるステークホルダーなくして立ちゆかないし、経営的な側面や運営について全員が同じ方向を見据えなければまとまりに欠けたものになる。その居心地の悪い雰囲気は外から見れば察せられてしまう。特にその険悪な様子や不満げな様子はずっと近くで見ているブースターからは一目瞭然で、そんな不安を払拭するかのように新たなチームが始動する頃、メディアでの露出はいっそう明るいものとなる。前向きな気持ちになるようなものでなくてはならない。
 特に、大ベテランの引退があったのだ。虚無とも呼べる中、何かしらの新たなニュースがほしい。それはチームも、ブースターもだ。
 今シーズン開幕を間近に迎えた頃、新たな外国籍選手や新加入選手を掘り下げる動画が投稿されるのは毎年のことで、その例に漏れることなく、三井と宮城の英語力を帰化選手、外国籍選手とのコミュニケーション方法の対比で編集された動画はそれなりの人気を博した。留学していた宮城はともかく、なぜか「掘った芋いじるな」としか聞こえない日本語が「What time is it now?」として通じてしまう三井の英語となぜか把握してしまう勘の良さに宮城が忌々しげに舌打ちをしながら、最終的には「もうわかんねーよアンタが……」と両手をあげる一連の流れは三井と宮城の元々のファンたちは勿論、二人揃って獲得した新チームのブースターたちにもある程度快く受け入れられたようだ。
チーム歴四年となり、キャリアのほとんどを日本で過ごしてきたトミー・メリアム=スミスの力も大きい。彼は帰化選手としてあらゆるチームを渡り歩いてきた経験から日本のチームでの過ごし方と、自身の身体のメンテナンス、そして何より外国籍選手たちにとっての父や兄といった存在としての振る舞い方も心得ていた。今年で四十歳となる肉体には確かに全盛期と比べてしまえば劣る部分はあれど、毎試合のタフな献身や精度の高いスリーポイントは彼、そしてチームの大きな武器である。
 三井はなぜかすでに彼の家へ遊びに行っており、バーベキューを楽しむ姿が夏の間に公開されていた。その三井に連れられて宮城も一緒に行ったのだが、そこでなぜか通じる三井の英語に衝撃を受け、広報に伝わり企画となったのである。

 二人がチームに合流してから二ヶ月ほど経った頃、三年目を迎えるヘッドコーチである柏崎が、練習中の叱責とは全く違う声色で宮城に声をかけてきた。その噂と違わぬ厳しい練習は終わっており、あとは自主練に切り替わった直後だった。
「そういえば、宮城さ」
 練習場は長年スポンサーである企業のものだ。かなりタフな運動量だったため、額から汗を流す宮城は「はい」と自身よりも背の高いヘッドコーチを見上げて返事だけをした。息も上がっており、練習はかなり熱の入ったものだったことがうかがえる。コーチはとにかくディフェンスからを信条としており、スイッチやディフェンスの約束事が非常に多い。それについていけなかったり、約束をはたせなかったりした若手なんかは懲罰的に交代をさせられることから、その厳しさはリーグ全体でも有名だ。けれどついていければ力はつく。それでもプレイタイムを求めてチームがいわゆる流出させてしまった選手も多かった。
「なんすか」
 まだ何もしていないはずだ。そもそも宮城とて、プロのリーグでやってきた人間だ。抜けた屋台骨。引退した大黒柱。このチームの顔であり、核であった元キャプテン。その大きすぎる穴を補強する形で呼ばれたのが、宮城と三井だ。このコーチの元でやっていけると、挑戦したいと思っての移籍だったことに間違いはない。
「見たわけじゃないし、当時の映像はないから人伝なんだけど」
 柏崎は、別のリングに向けてトミーとスリーを打っている三井に視線を向けながら、淡々と続ける。
「ルーキーの時、本番の試合中にうっかり対戦相手の三井にパスしたことあるって本当?」
 尋ねられて、膝から崩れ落ちた。
 紛れもない事実だったからである。そうだ。したことがある。日本に戻ってきて、当然チームの練習に参加して、はじめてのアウェイ戦の時のことだ。神奈川ダービーで、地元だったということは言い訳にもならない。三井と同じチームだったことなんて数年以上前のことで、でも、日本に帰る度に練習に付き合ってもらっていた、誰よりも安心する顔が三井だった。
 だから、うっかり。つい、顔が目に入って。咄嗟に。無意識で。
「……え?」
 スティールするつもりでもない三井が自身の両手に綺麗におさまったボールを見下ろしながらこぼした疑問の声を、今でもはっきりと思い出せる。人生で忘れられないターンオーバーだ。宮城はそれを戒めとしつつ、ここまで過ごしてきた。
 柏崎は、笑みをこらえきれない様子で崩れ落ちた宮城を見下ろしている。それを睨みながら、
「なんで知ってんですか!」
怒鳴り上げる。その様子に三井とトミーが近付いてきて、何かと首をひねっているところに、柏崎が端的に解説を入れて、ああ、と三井もにやにやと笑みを浮かべた。トミーは「本当にそんなことがあるのか」と大袈裟に首をすくめている。周囲からの反応を受け、宮城は眉を寄せて頭を抱える。
「それオレの黒歴史なんですけど⁉」
「あったな、それ。いやオレもびびったわ。カットしてねえのにスティールついたからよ」
「うっせーな!」
 身体のでかい連中に囲まれながら、ちっとも萎縮していない宮城は颯爽と立ち上がると、きっとまなじりを吊り上げて、他の誰でもない、三井を指さした。三井は一切動じない。
「もうしないんで! 三井サンにはパスしないんで!」
「いやしていーんだよ、同じチームだろうが!」
 そうツッコミを入れた三井に宮城は中指を立てる。当然その部分にはモザイクが入った状態で、この様子も全世界に流れたところ、やはり再生回数はそれなりのものとなった。広報の田中はふたりに対してほくそ笑みながら積極的にカメラを回すようになった、その発端となったエピソードである。



 そんな動画があるよ、と教えてきたのは妻で、妻は息子から送られてきたURLを再生しただけらしかった。それを見せられた瞬間、久保田は眉をしかめながら妻の顔をじっと見つめ返した。が、妻ははしゃいでいる様子で「宮城のタオル買お」と笑っている。
 今年は11番じゃないのか。久保田は地元チームのバスケチームを長年応援し続けてきた。いわゆる古参と自負もしている。シーズンシートのチケットも毎回おさえているし、今年チームで一番長いチーム歴となった奥田だって新加入の時から応援してきた。彼がチームの顔となるのだろうか。昨シーズン、惜しまれながら引退をした彼が応援をはじめた時からずっとチームの顔だった11番。永久欠番となることが発表され、それはそうだろう、と涙を流したものだ。
 はじまりは、よくあることだった。子どもがミニバスに入り、地元チームのチケットが保護者にも配られたのである。チームは始動したばかり。スポンサーの数も少なく、練習場にはクーラーもなかった。汗まみれになりながら、選手がチケットを手売りもしていた。涙ぐましい、実際に何度もチームは悔し涙を飲んできた。苦渋をなめてきた。それを自分も妻も知っていて、だから今もアリーナに通っているのだ。長男がミニバスから中学の部活、高校、そのすべてにバスケを選んでも、それからバスケとはまったく関係のない道を選ぶために大学に進学しても、自分も妻も、アリーナに通い続けることは変わらなかった。
 勤務する会社には圧倒的に野球とサッカーファンが多く、バスケの試合を観に行く、それこそ毎週妻とふたりで行きアウェイまで追いかけるなんて、自分くらいだ。それくらいに、もう自分と同世代の選手はいなくなり、ずっと自分のこどものような年齢の選手がついに試合に出るようになってまで同じ席に座り続けている。
 何年も前のデザインのオーセンティックユニフォームを着る。そのユニフォームにサインをもらったのは、このチームでまるでずっと自分たちと同じように歩んでくれていたと信じられる元キャプテン、11番だ。もういなくなってしまった彼。彼なくして、チームとなるのか。自分の好きなバスケチームではなくなってしまうのではないか。そんな不安を抱えながら開幕を待っていたところに、毎年のことであるが動画が連日目白押しだった。
 広報担当が変わったのは数年前で、いわゆる硬派なものからバラエティに富んだものが増えたように感じる。それを好ましいと思うかは別の問題で、間口を広げる必要がバスケにあることは社内の趣味の立ち位置や勢力図でも薄々気付いてはいる。実際自身の会社は地元サッカーチームのスポンサーであるし。
 久保田は今年も11番のサインの入ったユニフォームを着るし、タオルを掲げる。それでなければ、タオルは31番の奥田か、24番のトミーのものにする。面倒な古参ファンである自覚はある。けれど今年加入した三井や宮城のような、B1からなぜか移籍してきただけあって華があるのはわかる。けれどそいつらが、はたして、泥臭い自分たちのチームに合うのだろうか。
 練習風景を見るからに、真剣に臨む様子はわかるけれど。
「お父さん、いつまで動画見てんの」
「……こいつら、特に宮城、こんなちゃらついてんのにスタメンが有力なのか?」
「ちゃらついてるって。今時普通なくらいよ。うちの子なんて今金髪じゃない」
「でもプレイちゃらついてねえか。ガラも悪いし」
「三井は得点王だったこともあるし、宮城だってベストファイブだったことあるんだから」
「小西いるのに」
「そんなの小西だってわかってるでしょ、プロなんだから」
 ことごとく正論である。妻の言葉は正しい。ずっとずっと、11番の日本人ビッグマンである彼を、チームの柱を顔を、伝説を追い続けていた。そんな半生だった。熱く泥臭く、どこまでもひたむきにチームのために尽くす彼の背中が、鼓舞する声が、傷だらけの身体が、そんな彼がいつの間にか地元の人間であるかのように振る舞ってくれるのが、誇りだったし誇ってほしかった。
 彼の花道は決して鮮やかで清廉なだけのものではなかったことは、チームに関わるすべての人が思っていることだろう。あと一歩、もう一歩。そんな彼の最後のシーズン、やはり爪をかけておきながら登り切れなかったのが、B1という舞台だった。最後の試合。ベンチ。彼は一進一退の試合を見守り誰よりも声を張り上げ、そうして試合終了のブザーが鳴った時、天を見上げていた。やりきったと言えるのか。チームが低迷していた時も、外国籍選手が無免許運転で問題を起こした時も、契約の問題で若手選手とB1のチームとのいざこざがあった時も、そのすべてを矢面に立ってすべての清濁を飲み込んで、傷を負ってきた彼は。
 それでもひたすら、いつものように笑顔を浮かべてチームメイトをスタッフを、そして駆けつけたブースターを見回して、ひとりひとりを見つめて。彼はチームに残る選択肢もあっただろうにそれらを蹴って、自身がプロになるにあたり世話になったらしい恩師の跡を継ぐべく生まれ故郷でもない長年過ごした場所でもないところへ戦う場所を移した。そんな、義理堅さも下町の人情と合っていたと思う。
「ねえお父さん。もう鍋島はチームから離れたんだよ」
「でも、柏崎コーチもいるし奥田もいるだろ」
「あのね。毎年そうじゃない。毎年違うチームでしょ」
 妻は、的確だ。自分はどこか悔しいのかもしれない。ずっとB2のチーム。その泥臭いメンバーでB1に駆け上がるそのドラマを夢見て、鍋島にそれを勝手に託していたのかもしれない。でも、鍋島もずっと「ブースターのみなさんといっしょ」だと繰り返していた。だから、そのつもりでいるのだってきっと間違いじゃない。
「シーズンチケット、今年もベンチ裏にするって言ったのお父さんじゃん」
「それはそうだろ。鍋島がいなくても、チームの応援すんだから」
「あっそう。できるといいね」
 そう笑う妻の顔には皺が刻まれている。チームに浮き沈みがあるように、平凡な我が家にも浮き沈みはあった。子どもが手を離れて、もちろんまだまだ目は離せないが、新婚の頃のように妻とふたりの生活がはじまってから、当時と違うことはバスケが生活に根付いていることだ。
 ……大丈夫だ。アリーナに行かないとわからないことはある。もう鍋島はいない。あの場所のどこにも。だからきっと燃え上がるような熱を生み出すことはもうないのかもしれないけれど、アリーナを駆け抜ける彼らのことを自分はいつも通り声をあげて応援できるはずだ。たぶん。おそらく。……そうであってほしい。

 プレシーズンマッチは、渋谷との一戦だった。ロスターが確定してから噂されていたように、スターティングメンバーには三井と宮城が名を連ねており、昨年までいた、つまりチーム二年目以降の選手は帰化選手であるトミーと、外国籍選手のデヴィッドだけだ。もう一人は今年オーストラリアリーグから加入した新外国籍選手。
 当たり前だが、ベンチに鍋島はいない。けれど、そこに長年チームに携わっている柏崎ヘッドコーチの姿や、鍋島に次いでチーム歴の長い奥田の姿を見てほっとする。変わらないチームがそこにある。
 リーグこそ違うが、お隣さんである渋谷。当然格上だ。ただやはり知人が多いのだろう。三井と宮城は、渋谷の選手の何人かと気の置けないようなやりとりをしている様子がうかがえる。
 試合開始前、客席をぐるりと見回してみた。いつものバナーの他に、三井のものや宮城のものが増えている。見慣れたブースター。よく知るが会話したことはあまりない顔ぶれの中に、三井と宮城の元チームのユニフォームを着たブースターたちの姿がちらほら混じっていた。間に合ったユニフォームを着ている人も何人かいる。自分は変わらず11を背負っていて、妻は今年チームに三シーズンぶりに戻ってきた奥田と同い年の伊万里の当時のユニフォームをひっぱり出してきていた。距離としては近距離のため、遠征とも呼べない観戦に、渋谷のブースターたちの姿も多い。でもここは俺たちのホームだ。声で負けていられるか。
 この試合は、特に中継の予定はない。それでも昨年同様さながらライブのようにはじまった試合は、昨年までなら点差をどこまで縮められるだろうか、と思ってしまう相手に一進一退の攻防を繰り広げた。躍動したのは新しい外国籍選手だけではない。下馬評通り、三井と宮城のポテンシャルも、実力も、なぜ今このチームに来たのか、もっとB1の最前線で駆けられるのではないかと不思議に思うほどの鮮やかさだった。けれど不思議に思うのも一瞬で、気が付けばチームとしてのフィロソフィーの完成形、柏崎コーチが目指したかったバスケはこれだったのだと思い知る。
 インサイドとアウトサイド。戦術理解度の高いメンバーによる緻密なディフェンスの完遂。高さはなくてもいい。速さとタフさで、相手と不利なところで戦うのでは無くて、正確さと追いつけないほどのテンポで展開するバスケ。その起点には、三井と、そして宮城が必要だったのだ。自分だけのためのバスケじゃない。ひとりよがりのパワープレイをするのではないかとなぜ恐れていたのか。ふたりとも、チームへの献身を何よりも果たしているじゃないか。
 アリーナMCが、得点を決めるたび選手の名前をコールする。スリーが決まる度、それを称える言葉も添えられる。渋谷に。あの、B1でトップに食い込む渋谷相手に。三井と宮城だって古巣だと息子が言っていた。
 控えの選手になっても、勢いは落ちない。宮城が残っていれば場のコントロールはうまくいくし、その流れを押さえる奥田はいつも通り飄々としている。三井はなんていいデコイなんだ。いるだけで相手が釣られる。脅威なのだ。スリーだけの選手かと思っていたが、ディフェンス強度が非常に高い。これも息子から聞いた話だったが、三井は学生時代大きな怪我をしているから身体作りから見直したのだということを久保田は脳内で今の姿とかぶらせる。三井がスリーを決める度、コールよりも早く観客席が興奮の渦を生んだ。いつの間にか、自分もそのひとりになっている。
 スリーのチームとしての確率は、課題のひとつでもあった。親指と人差し指で円を作って、残りの3本を立てた手を拳のように天につきあげる。何度も、何度も。その一条の光のような軌跡がリングを穿つたびに。
 結局試合は、ぎりぎりの接戦、勝ち負けの境界線を何度も互いになぞりながらの、惜敗だった。あとひとつ。あと一歩。手が届かなかったB1リーグ強豪への勝利。悔しい。仕方ないと思えなかったくらいに、悔しい。
 そう思えるのが、妙に心地良い。悔しいのに。久保田は応援しているだけで上がった息を整える。肩を上下させながら、選手たちを称えるべく、アリーナへ視線を移す。汗まみれで、疲れ果てている彼ら。誰一人として下を向いていなかった。もちろん、リーグの成績には影響しない。けれど、それだけでないのはわかった。やれる。このチームならやれる。勝てる。内容は決して悪くなかった。むしろ良かった。渋谷のスリーの確率だってかなりよくて、昨年からほぼ同じ体制であるチーム相手に、選手の入れ替わりが激しかった自分たちのチームは、二点差。たった一ポゼッション差まで攻め続けた。下を向くことなく攻め続けられた。
 見れば、宮城と三井は肩をたたき合いながら、それから、三井は。三井は、顔を上げた。眩しげに照明を見つめて、悔しそうに、眉を一瞬寄せる。それから相手を、チームメイトを励まし、たたえ合うべく笑顔をすぐに浮かべた。
 ――鍋島と同じだ。
 久保田は、その光を見て、涙ぐむ。形が違う。魂も違う。けれど、彼の見たいものはまだ、ここにあった。
「……母さん」
「何?」
「タオルって、いくらすんだっけ」
「あ、買うの。何年振り?」
「知らん」
「五年ぶりくらいじゃない?」
 静かに問われて頷く。ユニフォームは鍋島、11番。チーム伝説の、永久欠番のビッグマン。けれど、タオルを振ろう。ここに、このずっといつも同じ場所に座る人間に、お前を応援する人間がいるのだ。それを知らせたい。久保田が新しいタオルを買うと言えば、妻は新しいデザインになったしせっかくだから、7番を買うという。息子のポジションがそうだったからか、昔から妻はポイントガード贔屓だ。奥田のタオルも小西のタオルもあるのに。でもならば、自分は14番を買おう。
 ブースターの顔も入れ替わる。けれど、自分も妻も、ここにいる。ここで彼らと共に戦い続ける。ただの趣味。よくある趣味だろう、スポーツ観戦なんて。ありふれた余暇の過ごし方だ。けれどその目映さも歯がゆさも輝きも翳りも、自分にとっての最前線で追い続ける。それが、久保田にとっての、バスケだから。人生を彩るものだから。
そのバスケのまた新しいシーズンが、今年もはじまる。






 T‐C

 田中がこのチームに広報として採用されたのは二年前だった。前職から転職しようと考えたのは単純に待遇の改善を求めてで、褒められるべき情熱や向上心あってのことではない。履歴書や面接の手ごたえからして地元のJ3チームの広報に新卒として採用されていたのが決め手だったが、そもそも広報として採用されたというよりは、チームに採用されて気が付けば広報に配置されていたという方が正しい。確かに大学時代は社会学部で、経済学科でもなく自分は「メディア」のつく学科を卒業したから、広報やメディア対策などという仰々しい部署など、とは思ったのだが思っていた以上に肌に合ったというのが感覚として理解はできた。だって、選手って意外にちゃんと「人間」なのだ。まるで一線を画すと思われていがちだし、自分だってそう思っていた。
 けれどよくよく考えてみれば、運動部の中にはプロを目指す人間もいたし、そういう人間は努力できる才能や違う考え方をしている。ただその場から離れてクラスの喧噪の中にいれば、学年の中にいれば、学校の中にいれば少し特別な誰かでしかない。特別扱いしなかったからかどうかはわからない。けれど田中の繋がる相手には、いわゆるそういう普通のサラリーマンではない相手が他の人より少しだけ多いのは事実だった。
 決定的に違うのは、もちろん生活や日々の意識で、それにくわえて「ブランド」が彼らには勝手につく。値踏みされて、値札がつく。イメージが固まってしまい、清廉潔白な完全無欠のヒーロー像だけが求められる。
 それなら、と思ってしまった。健全さは確かに必要だ。地元の顔になるのだし。けれど彼らは穢れなき聖人じゃない。なら、許される範囲で彼らの素の表情や仲の良さをもっと広報が知らしめた方がいいのでは? 有り難いことに、広報部長とGMの方針がここ数年で方向性が変化し、当然最終チェックは入るが放し飼いにされている自覚のある田中は好き勝手に選手のプライベートな魅力を伝えているつもりだ。B2リーグの中では視聴回数ではトップに入る。当然、三井と宮城というキャラクター含め、キャラクターが立っている選手ばかりなので、こればかりはポテンシャル豊かな彼らのことを思えば当然かもしれない。ありがたいことである。
 今日も試合前の裏側を撮るべく、カメラを回しながら前回はセンター中心だったしとポイントガード陣に狙いを定めていた。陽気な外国籍選手たちは手を振ってくれるし、それに倣うように日本人センターである伊万里が同じように英語を駆使しながら手を振ってくれる。これも採用することにして、すでに着替えを終えチームジャージを羽織っていた宮城へピントを合わせた。GMの差し入れらしい苺を口に入れており、壁際に座っている三井に「田中ァ、早くそいつ止めねえとひとりで食っちまうぞ」と野次を入れられている。その野次を半眼で一度睨むと、顔を背けてもうひとつ苺を口に放り入れた。
「三井サンも食えばいいじゃん。うまいよ」
「おう。食うわ、どれ?」
「これ」
「うわでかくね」
「めっちゃ甘い。やばい」
 ふくらはぎをマッサージしていたはずの三井が立ち上がり、宮城の元へ寄ってきて、自分の後輩が持っていたつまようじを奪う。他にも用意はあるが、宮城は特に気にせずに三井がいちごにそれを刺すのを見つつ、自身に寄ってきた田中に尋ねてきた。
「どうした?」
「宮城さん、誉様とこにっさんとコテツは?」
「奥田さんと小西さんはまだ見てないけど、虎徹なら、虎徹―っ!」
「はーい! ここです!」
 ドアの向こうから名前を呼ばれて駆けてきたのは、特別指定選手である宮尾虎徹だ。まだ成人したばかりの彼は、大学に所属していながらチームに合流したポイントガードである。高校時代は強豪校、大学も強豪校でエースガードでありながらB1リーグではなくこのチームに来たのは、地元だからというその一点が強いらしい。自身がバスケをはじめた頃ミニバスに送り迎えをしてくれた祖父母が行ける範囲のアリーナで自身の姿を見て欲しい、というのが、寮生活である強豪校を選び実家を飛び出た彼の出した答えだった。
「お前どんだけトイレこもってんだよ」
「トイレじゃなくて鏡ですって。ほら、前髪固めたんすよ」
 宮尾は苺を頬張る三井にじとりと睨まれて、先輩に白い歯を見せて笑う。強気な若者で、遠慮のない姿勢がプレイにも繋がっており、ベテランや外国籍選手にも物怖じしない。
「試合中見えなくなるの嫌じゃないっすか」
 前髪をセンターで分けてしっかりと固めている。三井は見下ろしながら「よくわかんねーな最近のは」とぶつぶつとこぼしながら苺を咀嚼している。「アンタ試合中結局いつもへたってたもんね」とどうやら宮城と昔の話をはじめたふたりに、田中は宮尾に「ワックス忘れたって言ってなかった?」と尋ねる。午後からの試合、正午を過ぎた頃、余裕で間に合うのに駆け込んできてマネージャーである水野に、まるで廊下を走り「走らない!」と教師に叱られる小学生のように叱られうなだれる姿を見た。その直後、「あっ、ワックス忘れた! 水野さん沖田さん持ってないですか⁉」とすぐに顔を上げていたのも見ている。マネージャーの水野も通訳の沖田も、持っているわけがない。
「俺が貸したったわ」
「うわそこにいたのかよ」
 小西がのそり、と三井とは逆側の壁際から現れた。目深な帽子にアイマスクにマスクにブランケットに身体を包んで昼寝をしていたから、誰かわからなかったのだ。田中からすれば、どいつもこいつも身体がでかいのである。親近感を抱けるのは、宮城と奥田、宮尾くらいだ。
「バスケにビジュアル関係ないとでも言いたそうな顔やな、三井」
「関係ないだろうが」
「うわ出たよ、イケメンランキング1位」
「あんなん持ち回りみたいなもんだろ」
「よう言うわ。お前が1位の時、宮城なんて髭まで整えてたのにかっさらって」
「小西さんさあ! たまにオレの昔の情報持ってんの何⁉」
 突然過去を詳らかにされ、宮城はいまだにアイマスクを首にかけたままの小西に叫ぶ。小西はスマートフォンに映した当時の写真をあからさまにカメラに向けており、宮城が咄嗟にとびかかろうとしたのを、三井がタイミングがわかっていたかのように後ろから抱きかかえておさえている。
「わはは、懐かしいな」
「うわ宮城さんいかつ!」
「うるせーなお前はワックスで永遠に前髪固めてろよ!」
「もうはやさないんです?」
 カメラ越しに尋ねれば、その理由までは知らないらしい小西が三井と宮城に首をかしげた。宮城は唇を鎖す。頑なに話すつもりはない様子である。三井を睨み上げながら言うなよという視線を無言で送っているが、三井にそれは通じなかったようだ。
「ついでに金髪にしてたから職質されすぎてすぐやめたんだよな、な? 宮城」
「テメエも柄シャツ着てたら職質されんだろうが!」
「お前と一緒の時だけだわ! オレ一人だとただの一般市民だっつの!」
「チッ、どの口が言ってんだよ……」
「ふたり、ほんまに先輩後輩やんな?」
 このチームで一緒になってから、ふたりの仲の良さは掘り下げても掘り下げても底がない。ふたりしか知らないエピソードがきっとたくさんあるのだろうが、とてもすべてを明かせる気はしないしそんなつもりもない。田中は小西の言葉に頷きつつ、いろいろとインターネット上で形容されるふたりのことを思う。ありがたく公式タグで使わせてもらってもいる。ズッ友ライン。元湘北コンビ。Mセット。仲良しガード。狼とリスの絵文字などである。常に募集をしているので、気が向いたブースターたちには新たなコンビ名をずっとあげ続けてほしい。チームの成績が上向いているからか、大変快いメッセージばかりで嬉しい限りだ。
 とは言いつつ、己の職務としてポイントガードをまとめて撮りたいのだと思い出した田中は、4人に大ベテランの所在を聞いてみる。
「んで、誉様は?」
 四人は顔を見合わせて、少し言葉につまりながらもため息交じりに吐き出した。
「……いつものやろ……」
「……いつものだな……」
「……いつものかー……」
「……いつものっすね……」
 初代イケメンランキングbP、いまだに名前に様をつけて呼ばれることも多い奥田は、ここまできてなお、遅刻魔でもある。






 T‐D

 バスケ観に行かない? とまるでこの世の終わりにプロポーズをするかのような、としか言いようのない表情で観戦に誘ってきたのは、付き合って半年の恋人だった。はじめて見る悲壮な顔つきに、思わずそうするのが礼儀であるかのように、おもむろに息を呑んでみた。大学の図書館でいちばん上の段にみっしり詰まっていた資料を手に取れなかった東根に背の高い西が取って渡してくれた、というのがありきたりな出会いで、けれど特別な出会い。3年生の時に同じゼミだった彼の背の高くて優しいところに惹かれた東根は、彼が元バスケ部だったということも、怪我をして最後の大会前にマネージャーに転身したことも、高校でバスケを辞めたことも聞いていた。膝に残る手術の痕も見たことがある。
 ――あ、バスケって、部活だけじゃないんだ。
西に誘われてはじめに脳内に浮かんだのがそれだった。
 大学にもサークルだか愛好会だか、部活だかがあるのは知っている。だから知っているだけで、それ以上の世界を想像したこともなかった。アメリカではプロのリーグがあって、クラスに一人くらいはバッシュに凝っている人間がいないこともない。その程度しか知らない東根は、大学では清く正しく静かで穏やかな鉱物愛好会に所属している。
 身長をゆうに180センチを超えている西。彼との身長差はほぼ30センチだ。正確に言えば、186センチの彼と、154センチの自分の距離は32センチ。東根が好む鉱物の世界は、身長差ですら大きすぎる。
 スクエア型の眼鏡の奥で、彼の瞳が揺れていた。好きなものを恋人に開示するのは、少しだけ勇気がいることだ。自身もそうだった、と二週間前のことを思い出す。ネックレスも指輪もピアスもいいけれど、それよりももっと小さくてきらきらしている石が好き。東根の一人暮らしの城に大切にしまわれている宝箱は、本当の、本物の宝箱。専門店で、イベントで少しずつアルバイト代から購入してきた、小さな小さな鉱物。鉱石。そのひとつぶたちの息吹の輝き。色とりどりの光。これがね、タンザナイトでこれがパライバトルマリン、でもこのフローライトの淡さが好きで、レインボーガーネットが、こっちのクロム透閃石がちょっと高いんだけどすごく深みのある色で!
 それを「俺にはちっちゃい世界だぁ……」受け入れてくれた西。すぐに「おっきい世界だよ」と返してしまったけれど。そんなことを話した後だったから、クリスマスだって、一緒にアクセサリーを見るのではなくてなんと専門店のはしごに付き合ってくれた。そんな彼の瞳が揺れている。まるで、まばらなインクルージョンが悠久の時間を光線に揺らしているような、そんな瞬きのようなきらめき。揺らぎ。角度によって変わる表情。ひとの表情に心を動かされることは、今まであまりなかったけれど。
「私、バスケ選手ってひとりも知らないし、……ごめん本当に何も知らないんだけど」
「……だよね」
「だから、ルールとかも教えてくれる?」
 そう告げた瞬間、彼の瞳は輝いた。破顔した瞬間の輝き。それを見た瞬間、東根はほっとしたように肩をおろした。まだバスケのことは何も知らない。そんな彼女だった。それでも好きになったひとの笑顔があまりにも、何年も何十年も何百年も、何千年も。地球の営みのきらめきにだって負けない、そんな笑顔だったから。だから、そのひとの好きなものを知ってみたいと思ったのだ。
 ――待って、もしかしてクリスマス、ウィンターカップを観に行きたかったのでは? 東根がはじめて彼と過ごしたクリスマスのことをそう省みるのは、バスケを知ってからのこと。あと半年以上先の出来事である。



「……すごい、こんな盛り上がるんだ」
 会場に着くまでも、駅からの道は「あああの人たちに着いていけばいいんだな」と思えるくらいにバスケを観に行く人々が連なって歩いていた。ただ西に連れられるだけで道までは予習してこなかったので、東根は少しだけ申し訳なく思いつつ、彼のエスコートに素直に従うことにする。近付けば盛況な様子が見受けられ、アリーナの外にもたくさんの人だかりが見えた。その先にはキッチンカーが建ち並び、グッズ売り場も並んでいる。吐く息の白さよりも、それを感じさせない熱があたりには漂っている。
「俺も来たことそんなないけど、やっぱ今シーズンの盛り上がりすごいみたいだよ」
 西にスマートフォンの画面を見せられて、うわあ、と思わず声をあげた。そこには、チームの公式アカウントの、昨シーズンが終わった直後と今との比較だった。スポーツ観戦自体あまりしたことはないが、屋内であれば丈の長いコートは邪魔になるだろう。短い丈のPコートで、一応ホームチームのカラーだと聞いたネイビーのセーターを着てきてはみたけれど。東根は西を見上げる。彼は東根が話したいのだと察すると、ただでさえある身長差を縮めるために身をかがめる。西は東根がプレゼントした臙脂色のマフラーを巻いていて、そこに白い息を吸わせていた。
「あ、てかごめん、その色今日のライバルチームの色だよね?」
「平気平気、奈良アウェイだから今日白ユニだし、サッカーじゃないし」
「……」
 思わず言葉が詰まる。知らない世界はどこにでもあるものらしい。
「……サッカーてそんなスポーツだっけ?」
「けっこうニュースにならない? バスケはチームごとに入り口とか区切られてないし大丈夫だよ」
 警備員が増えたとか。警察がどうとか。続く西の言葉を聞きながら、それよりも気軽に観られるというバスケに安心を自身にもたらしたいのだと信じることにする。赤を身につけているひとたちは奈良から来たのだろうか。そんなことに思いを馳せていれば、しばらく考えた末に、素直に暴露するかのような、自白かの勢いで西はやたらと早口になった。
「……ごめんサッカーやり玉にあげたけどほんとごめんフリースローの時のノイズっていうかブーイングはちょっとってかかなりびっくりすると思うけっこう過激だから引くかもしれないその時はほんとにごめん耳塞いでて大丈夫だから」
 急に早口になるのって、どのオタクでも変わらないんだ。東根はその西の言葉を笑ったが、笑い事でなかったと知るのはここから一時間ほど経ってからである。
 席は二階席の中央あたりだった。初心者に見やすい場所を確保してくれたらしい。ホームだけあって、会場をネイビーが覆い尽くしている。下町のチーム。祭りのイメージ、その法被からチームカラーは選ばれたらしい。応援のスティックも太鼓のバチを模しているようで、まずはこれさえあればと西に言われてそれを購入した。すでに彼は好きな選手のTシャツとタオルを持っていて、何度か来たことがあるのか指定席までの案内もスムーズだ。コートを脱いでタオルを首にかけた彼を見て、思わず疑問が口をついて出る。
「え、西くんTシャツとタオルで番号違うの? 7番と14番?」
「このふたりがオールスターで同じチームになったことあったんだよ。その時たまたま応援行って、高校時代からのホットライン最高じゃんってなって」
「今年からこのチームなんだっけ?」
「そう。まだB1でやってけるはずなのに、なぜか二人揃って」
「そっか。でもふたり揃ってならラッキーだったね」
「うん。今年は鍋島がいなくなったからチームぐらつくんじゃないかって思ってたけど、全然そんなことなくてさ」
「ああ、レジェンドだっけ? その人いなくても勝率良いって言ってなかった?」
「今のところ、リーグ一位」
 アリーナの中にはいろいろな音と光で溢れている。アリーナMC、DJ、チア、ライト、音楽。すべてがここにいるすべての人の愉しみになる。その音と光に紛れるように、西はやはり身をかがめてくれた。東根は少しだけ背を正す。徐々にボルテージの上がる音楽。埋まりはじめる席、その席に座る人々の昂揚が空気を作り始めている。暖房だけではない熱気。拍手の音に、スティックがひとつの音のうねりとなってこだまする。選手が入場してきた。
がらりと空気が再び変容する。拍手が爆発して勢いがどんどん増していく。見逃さないようにと思わないと、あっという間に名前のコールは終わってしまう。見上げれば、画面には今日の相手と出迎える我らがホームチームのメンバーが一覧で並んでいた。裏打ちのベース。ドラム。鼓動のように響く重低音。選手たちの顔が、身体が、どこかに和楽器の音が混じるEDMと共に興奮を高めていく。すごい。かっこいい。シンプルに。ああ、まるで。とてつもない、ただひとつのお祭りがはじまるみたいだ。そんなことを東根が感じていた時、耳元で西の声が囁いた。
「俺たちは、強いよ」
 俺たち、なんだ。ひとつなんだ。この席にいる私たちも。あの今目の前で試合開始の合図を待っている、研ぎ澄まされた集中を目に宿らせ、己の身体を研ぎ澄ませた彼らと、ここにいる、ひとたちが。
「……ッ」
 息を飲んだ。
 光の数字がカウントダウンをはじめる。ティップオフ。バスケのゴングはそんな風に言うらしい。サポーターでもファンでもなく、ブースター。ブースターたちの息巻く雰囲気が、会場中に満ちていく。アリーナMCがそれを煽る。東根は、心臓が駆り立てられるように早鐘を打ち始めるのを感じていた。体温が上がってくる。鼓動が大きく聞こえる気がして、鼓膜に会場のあらゆる音が反響しこだまする。選手たちが中央に集まって、ボールが、放たれる。40分。限りある、バスケの時間がはじまった。
 ルールは付け焼き刃だ。ただ西からは、難しい事は考えずに目の前で繰り広げられるスピードに、技に驚いたり楽しんだりすればいい。そんなことを事前に伝えられていた。実際、それだけで精一杯だった。あまりにめまぐるしい。普段悠久の地球と自然の営みを眺めているだけの自分にとっては、こんなに左右に展開されるスピード感満載のスポーツはボールを追うのに必死だ。どうやら西は戦術的に理解しているところがあるらしく「ピックアンドロール……!」「フラーズ神……」「ズッ友ライン!」「トミー……」などと拝んだり叫んだり忙しい。どうやらピックアンドロールが人名でないことは第2Qがはじまる頃に薄っすら気付いた。
「あっ、あの人まただー! すごーい!」
「愛してるぜ三井ー!」
 14番の選手がスリーポイントをまた決めた。バックステップからのスリー。東根はこっそり西に尋ねれば、その手の形をすぐに教えてくれた。みんながやっている、スリーポイントの時にかざす手。中指と薬指、それから小指で3を表現していることはなんとなくわかる。三井が打つたびに、気の早い人々はそのポーズを宙にかざしている。
「あはは、すごいね!」
 会場の声に負けないように、西の耳に届くように背伸びするようにして叫ぶ。西のまっすぐな笑顔が返されて、紅潮する頬に熱がまた集まる。会場のボルテージはどんどん高まっていく。攻撃する時の音楽。ディフェンスコール。フリースローの時の部ブーイングはやはり、東根が経験したことのない圧だった。でも、嫌じゃない。自分の場所じゃないと思っていたけれど、隣には西もいるし。
 時間はあっという間に過ぎていく。電子掲示板で目減りしていく時間を表す数字。増えていくファウルカウント。24秒の数字。バスケって、こんなにも時間との闘いなんだ。
 東根が巨大な画面で第2Q残り時間、1分09秒を認めた時だった。
 会場中がざわめき、息を呑む。瞬きの次の瞬間、鳴り響くレフェリーの笛。どこか緊迫した雰囲気が、会場中を支配する。思わずスティックから放した手で、西の腕をつかむ。西も労るように、安心させるように自身の大きな手で東根の左手を優しく包んだ。
 ふたりの視線は、アリーナのリング下、激しく交錯、接触し転倒した選手に向けられる。
「……三井、」
 そのうちの一人は三井だった。会場を見上げる。時間は止まった。激しいディフェンスだったのだろうか。見上げる西の横顔。その瞳は不安に揺れている。レフェリーが何かをコールするのを待つ間もなく、アリーナの観客たちは自身の手首を片手で握って突き上げている。
「アンスポだとは思うけど……」
「アンスポ?」
「アンスポーツマンライクっていう、必要ないファウルで、……三井、顔おさえてる」
 三井はまだ起き上がれない。場がざわめき、祈りのような時間が刻まれ始めた。立って、無事でいて。
接触してしまったらしい相手の外国籍選手は、一度その場を離れている。三井は顔を押さえ仰向けのまま立ち上がろうとしない。できないのだろうか。周りをスタッフ陣が囲んで様子をうかがっていた。宮城は異変を認めた直後に駆け寄っていて膝をついて三井の声を聞き取ろうと顔を近付けている。頭へのダメージがあるからか、抱き起こすアクションは起こしていない。どこか、知らない企業のロゴの入った担架が持ち込まれてきた。それを見て、審判団はビデオ判定へ動いた様子だ。その様子に、自分の手を包む西の手が震えていることに気付く。東根はもう片方の手からもスティックをはなして、手を重ねた。肩からさげているのでスティックは落ちない。それよりも、好きな選手が倒れているシーンを見守るしかできない西に手を触れさせていたい。
「……アンスポだ」
 会場にそうしている人々と同じように、主審が手首を握り記録員たちにそれを見せている。どよめきながらも、大袈裟な喜びは生まれない。なにせ三井はいまだに立ててすらいないのだ。結局三井は目の辺りに氷だろうか、アイシングをしながら担架で運ばれていった。何か、宮城の手を握って、宮城がそれに応えるように一度だけ下を向いて、顔をあげて頷いた。
 三井と交代してきたのは、2番、青柳。危なげなくフリースローを決め、ホームチームのポゼッションから試合は再開する。西はありがとう、とだけ呟いてそれから、再び声をあげはじめた。
 自身はあまり慣れていない。それでもわかる。バスケって、本当に空気が大事なのだ。勝っているとき、負けているとき。優勢劣勢関係なく声をあげられるのは、ホームのアドバンテージなのだ。ディフェンスはわかりやすいから、声をあげられる。オフェンスの時はリズムが難しい時もあるから、スティックを叩く。
 試合は結局、同点のままハーフタイムに突入した。人の波が動きはじめる。その流れに乗ろうと、東根は颯爽と立ち上がった。西が見上げてくる。視線の距離も角度も、いつもと違う。
「……待ってて」
「え、待つけど、どうしたの」
「私も買ってくる、あのひと、怪我しちゃったひとって、14番?」
「三井?そうだよ」
「西くん、Tシャツ7番でタオル14番だよね。じゃあ私逆にする」
「え、マジで?」
「マジで。そうすれば揃うでしょ」
 笑えば、グッズ売り場一緒に行く、と西は立ち上がった。背の高い、私の恋人。恋人がそうであるように、私もそうだった。怪我しても、仲間が怪我をしても前を向く彼ら。そんな彼らを応援したいというその気持ちを、今は大切にしたい。




 その後、三井の怪我を背負った選手たちが辛くも勝利を納めた四日後のことだ。

「#14三井寿選手が2月20日(水)の奈良戦において負傷し、以下の診断を受けましたのでお知らせいたします。

――――――――――
診断名:眼窩底骨折
復帰時期:未定
――――――――――

ご心配をおかけしますが、引き続き三井寿選手への温かい応援をよろしくお願いいたします。」



 東根がそれを知ったのは、チームよりも先にフォローしていた宮城のアカウントが、その情報を引用していたからだ。宮城曰く、「本人は一日も早い復帰を目指してます」とのことで。目の前で起きたことをそんな風に気丈に見せる宮城はきっと強いのだろう。そんなことを思いながら、西に連絡をする。
 また三井が試合に出場するまで。今シーズンが厳しいなら来シーズンまで。行けるだけ行きたい。見守っていたい。そう告げるために、メッセージアプリを開くのだった。










 T‐E

 三井の離脱から一ヶ月経った。公式戦には姿を見せず、チームのSNSでもその姿を三井は現していない。名前が出るとすれば、試合登録されるロスターの告知の際「先日発表した怪我のため、三井寿選手は帯同・登録しておりません。」のみだ。シーズン後半に、まさかの主力の離脱。けれどバスケは怪我がつきものだ。三井の様子は宮城も聞けばわかるかもしれないと思ったが、宮尾が詳しく聞きにいけるような状態ではなかった。
 三井が怪我をしてから、しきりに「若手の成長」「これを機にプレイタイムを伸ばしてほしいですね」という声がよく聞かれる。それはGMやコーチといった身内からだったり、ライブ配信での解説だったり、SNSでだったり。けれど、実際難しいというのがチームの実情であることは、特別指定で今年からプロのチームに一歩足を踏み入れた宮尾にもわかっていた。痛いくらいに、チーム事情は厳しい。前半の快進撃を貯金とまで言われてしまうのは、いたしかたない。けれど、それでも前を向かないといけない。
 そんな姿勢は、特に奥田や小西、宮城の背中を見ていればよくわかった。状況を嘆いていて、何になる? 怪我で離脱している三井は主力で、インフルエンザで体調が戻らない日本人ビッグマンの伊万里がいなくて、そのために酷使される形となったジョセフも肉離れで離脱して、三井の代わりにスタメンとなった青柳の後ろにいるはずの、自身と仲の良い西岡は怪我で離脱している。帰化選手のトミーは連日のフルに近いプレイタイムでさすがに鉄人と呼ばれている肉体にも明らかに疲労が隠しきれないでいた。
 それでも、一年のリーグをどうにか戦い抜くしかないのだ。ファウルトラブルが起きれば、途端にうまくいかなくなる。けれど、そんなこと言っていられない。
 宮尾は奇しくもプレイタイムが伸びることになったが、だからこそ自身の武器であり、チームに買われた泥臭いディフェンスをするポイントガードとして食らいついていくしかない。
「虎徹、わり」
「いや宮城さんファールする分もらってるじゃないですか」
「お前も気をつけろってことだよ」
「うっす!」
 小西がファウルアウト寸前で、宮城もあとひとつで第4Qのプレイタイムが制限される。奥田は本日体調不良のため帯同はしているがロスターは登録外。そのタイミングで、宮尾はコートに送り出された。怪我人病人続出、スモールラインナップもやむなし。宮尾は177センチ。奥田よりわずかに高いが、この世界では2センチなんて微々たる差だ。奥田と違うのは、強豪校で揉まれ仕込まれ続けたしつこい前からのディフェンス。の若さ。
「コテツー! かましてやれ!」
 名前があまりにも馴染むらしい。宮尾は、チームのスタッフにもブースターにも名前でしか呼ばれない。けれどそれでいいと思う。呼びたいように呼んでくれるのが嬉しい。
 相手は千葉。今日はアウェイ。いつものネイビーではなく、白いアウェイユニフォーム。祭りでいうところの、襷の色らしい。千葉は会場が近いせいか、自分たちを応援するブースターの姿も多かった。重低音がアリーナに響いている。ホームのブースターの声援でかき消されるかのようなホイッスル。それに混じって、ベンチ裏から自分の名前を呼ぶブースターの声が聞こえてくる。
 このチームは、柏崎はディフェンスを第一としている。そのポジショニング、スイッチ、フォーメーション。細かに覚えなければならないことがあって、慣れないうちはよくミスをしてベンチに下げられてしまった。けれどそんな余裕、今のうちにはないんだよな。宮尾は、少しだけ笑ってしまった。うちだって。まだ一年も経っていないチームが、プレイタイムもそれほどない自分を、まるで家族かのように温かく迎え入れてくれた。だから、少しでも役に立ちたい。自分のバスケをしたい。
 あ、いける。
 瞬間、右手を伸ばして相手ガードからボールを奪う。そんな高いドリブル、チビの餌だろ。まっすぐに相手コートに切り込んでいく。駆けて駆けて、全力で相手センターの股を抜いて、フックシュート、のところに、戻りが早かった、フラーズと交代で入っていた黒田にボールをパスする。相手のPFが釣られてジャンプするが、タイミングは完璧だった。
「虎徹よくやったァ!」
 ベンチから、チームメイトの声が響いてくる。落ち着いて2点を決めた黒田に乱暴に頭を撫でられながら、電子掲示板を探して点差を見る。62-74。追いつけない点差じゃない。
「こっからこっから!」
 手を叩きながら、今コートにいるメンバーのスリーポイントの確率を思い描く。託したい相手。当然全員信頼している。脅しみたいにパスだって出す。自分だって出されるから。その瞬間、宮尾は、ああ、とふと思い至った。
 ああ、だから宮城さん。三井さんがいなくなって気落ちすると思ったけど、逆に怖いくらいスイッチ入ってんだ。
 宮城にとって、三井は絶対に最後を託す相手だ。いくつ三井とのふたりだけのフィニッシュの形があるのだろう。だからこそ三井がいないからって情けない姿をさらせない。自分はこのチームで、誰かとそれを築けるのだろうか。
 自分が「宮尾」という名字だから、「虎徹」って呼ぶわ。そう告げてきた三井の顔と、それを「はあ?」ととても機嫌が良いとは言えない目つきで無言で見上げていた宮城の顔を思い出す。その宮城がベンチで手を叩いている。全員、疲れるんだから座れば良いのに座らずに声を張り上げていた。宮尾はそのチームメイトたちを横目に、ボールをバウンドさせつつ低く構えてゆったりと進む。トミーのリバウンドを次の得点になんとしてもつなげたい。
 けれどコントロールされそうになっている。相手のガードに。手練れのベテランガードの胸元には自分は会ったことのない、自分たちのチームの伝説であるひとと同じ、11が刻まれていた。
「……ッ」
 誰がどこにいる。視線を巡らし把握して、右から抜こうとしてギアを上げる。上げて、インサイドにいけると判断した。こうしてドリブルでクリエイトするパターンをまだ今日自分は見せていないから、だから。ペイントエリアへ、
「コテツ!」
叫んだのは、トミーだ。自分と一番年齢差がある、自分が生まれた時にはすでに大学で名を馳せていたビッグマン。その声がトミーのものであると呑気に思った、その瞬間、暗闇と光が交錯して、衝撃。気が付いたらまばゆい天井を見上げていた。天井。転んだ。転んだ? 倒れた?
 ホイッスルが遅れて聞こえてきて、ああ一端止まったんだ、どっちのファールだろういや絶対に俺じゃない。オフェンスじゃないディフェンスの、そう思ったのも束の間。

 え?

 宮尾は意識に牙を剥いてきた痛覚に、顔を背けたくなって、ああ駄目だと、涙がじわりとにじんできた。いたい。痛い、痛い。悔しい、痛い。知らない痛みで、だからどうしたらいいかわからなくなってしまったのだ。

 ――足、足? 脚だ。あし。
 待って、嘘だろ、足、いた、痛い、え?

 焦りと衝撃が混乱の渦を脳内に作る。どうしよう、痛い。立たなきゃやばい。え、立つ?どうやって? じわじわと痛みが熱を持ち、代わりに心臓が冷えていく。血液、脈、酸素、神経、肌、筋肉。体中のコントロールがきかないまま、痛みをこらえようと奥歯を噛みしめて目をつむる。
 開けたら、夢だったことにならないだろうか。そう一瞬過るが、目を開けたところで何一つ変わっていなかった。どうやら自分はレイアップに入ったところで相手のセンターと接触し、しかも着地の際相手の脚を踏んで、その上に相手が倒れてきてしまったらしかった。息が荒くなる。向こうのセンターは帰化選手だったはずだ。普段は優しいドレッドヘアがよく似合う陽気な男。その男は無事だったらしい。よかった。心配そうな瞳が何対も覗き込んでくる。力を入れようとするが、うまく入らなかった。きっと立ったところでバランスが取れない。自在にならないことはよくわかる。それが、それが悔しくて、怖くて、仕方がない。
「虎徹、とりあえず一回行こう」
「ありがさん」
 アスレティックトレーナーの有賀の声が降ってくる。薄目で見上げれば、いつも通りの力強いあごひげがもごもごと動いていた。
「でも、試合……っ!」
「大丈夫だから、な?」
 優しげな眼差しが注がれて、泣きそうになったところにタオルがかけられた。軽く頭を撫でられて、無性に目の奥が熱くなってくる。チームロゴの入ったタオルは柔らかくて温かい。いつも自分を担任であるかのように叱ってくるマネージャーである水野が、毎回洗濯をしてくれているタオルだ。サポーターをそのままにしがちな三井とリストバンドをそのままにしがちな宮城は飽きないのかいつも怒られている。あったかい、タオルだ。それに、汗だか涙だかが滲んでいく。吸収性抜群だなこのタオル。そんなことでも考えないと、叫び出してしまいそうだった。噛みしめて、口を固く鎖す。なんで、立てないんだ。どうして、痛いんだ。自分の力では起き上がれないから、スタッフに抱えられて担架に載せられる。
 ついこの間、同じように運ばれていく三井を、宮尾はベンチから見ていた。三井は泣いてなんていなかった。きっと悔しかっただろうに、それ以上に、信じたのだ、チームを。自分は、自分は。
 宮尾虎徹。特別指定選手。大学に所属しながら、プロのチームでプレイする。そんな特別な時間は、あっという間だった。公式戦出場、8試合。プレイタイムは平均で1分40秒。それが、宮尾の一年目だった。



「おっと、宮尾は立ち上がれないか」
「ちょっと……嫌な転倒の仕方でしたね」
「いいプレイの直後でしたから、心配です」
「よく黒田の動きが見えていましたから」
「これで千葉はウィルキンソンにファウル4つ目、一旦下がります」
「宮尾の代わりに……小西ですか。身長では千葉と同等くらいにはなりますか」
「ただこちらもファウルトラブルが続いています。……しかし怪我人が続きますね」
「シーズン終盤ですから、チームの底力が試されます。若手の成長は鍵ですが、」
「元々どちらのチームも平均年齢が少し高めでしたが、今シーズン若返りをはかりたかったところ。ただベンチ事情はどちらも厳しいものを感じます」
 ここで一度、松岡は言葉を区切る。ライブ配信がされるようになり必ず各アリーナに作られるようになった実況解説席。この会場では、二階席中央の最後列に位置する。映像は流れない。だからスーツを互いにまとってはいない。アリーナのすべてを見渡せる席だ。今は状況にどよめきが広がっており、宮尾が担架で運ばれている様子にナイスファイトの拍手が送られている。それに決して追随できず、ここからの作戦や展望を顔を寄せ合っているのがアウェイ側のベンチだ。まだ、誰も諦めていない。
 松岡は、普段はアウェイ側チームのホームアリーナでよく実況をしている。今日はスケジュールの都合でこのアリーナにいた。立場上、どんな試合も公正に、公平に何よりも観ている側にすべてを伝えられるような実況を心がけているが。
 ずっとロスターとして名前を呼んでいた選手が怪我をする場面、辛そうな場面。それを伝えるのはどうにも心苦しいものがある。
「……試合終わるまでに戻ってこられたら安心できますよね」
 本日の相方である元プロの選手、現在は大学のコーチをしている米山が気を遣うように言葉を紡いだ。きっと彼の方が、怪我をする若者との向き合い方を知っている。松岡は、そうですね、と相槌を打った。
「そうですね。一度下がってしまっても、戻ってくることができれば怪我の程度はきっと軽いでしょうから」
 三井に続き、ジョセフも試合中に裏に行ったまま戻ってこなかった。試合の最初からいなかったのは、伊万里に西岡。バスケは交代の激しいスポーツだ。シーズン開始直後はあれほど盤石だと思われていたロスターは、今や手薄と言わざるを得なかった。
 柏崎コーチの眉間に皺が寄っている。
 チームはオーストラリアからの移籍してきたデヴィッドが面目躍如の活躍を見せたものの、その日は千葉に軍配が上がった。ついに勝率と順位で千葉がトップを奪取したのだ。
 そして宮尾は裏に運ばれたきり、ベンチに戻ってくることはなかった。負傷としてリリースされたのは「左前十字靱帯断裂・内側側副靱帯損傷・外側半月板損傷」の診断。松岡が彼の名をホームアリーナで叫ぶのは、まだ先のこととなる。







T‐F

宮城が宮尾を見かけたのは、チームの練習場の一室だった。メディアのインタビューも行われる場所である。どうやら怪我人たちが揃っているらしい、というのは雰囲気でわかったが、ジョセフは怪我の程度が軽かったからかすぐお役御免となった様子だ。西岡はアスレティックトレーナーの有賀に頭を下げると、颯爽と去って行く。すれ違い際、軽く頭を下げられてこちらも会釈を返した。
 扉が半分開いている部屋の中では有賀が明るい声を努めて出しているようだ。
「じゃあ、三井は後半休んでた分、来シーズンからバリバリ働いてくれるということで」
「もちろんです。得点王くらい取らないと収支が合わないでしょ」
「頼もしいな。……虎徹は本当に無理しないこと」
「はい……」
 久しぶりに聞く後輩の声は、明らかに気落ちしている声だった。そのあからさまな声に有賀が名前を呼ぼうとして、それから三井にそれを制される。その有賀はわずかに笑いながら頷いて、席を立ち退出してきた。足音を立てないようにしていた宮城とドアのすぐ近くですれ違うが、声も出さずに軽く微笑むだけで立ち去ってくれた。宮城は壁によりかかることもせずに、どうしたものか、とたたずんでいるうちに三井が口を開くのでその声に耳を傾ける。
「虎徹」
「なんすか」
「お前は大丈夫だから、絶対焦るなよ」
「……三井さん、俺の怪我のことなんてわかんないじゃないすか」
「わかるよ。焦んなきゃどうとでもなる」
「え、」
「オレはわかるんだよ。オレは二年だった」
「……?」
「二年、バスケから離れてた」
「……」
「お前は無理しなきゃもっと早く戻ってこられる」
 その声色に、突如として意識が高校時代に戻っていく。思い出の中の三井も、桜木にまったく同じことを言っていた。三井にはわかる。怪我のこと。体だけではない、痛さに辛さ、歯がゆさ、悔しさ、自己否定に陥るメンタルも、そのバイオリズムも。後悔と同じだけバスケへの愛おしさをひっさげて戻ってきた男が三井だということを、そうだ、このチームでは宮城しか知らなかったのだ。
 宮城しか知らない。この痛みを孕むあたたかさを、輪郭がぼやけるほどのまばゆさを、後悔ごと抱きしめたくなる切実さを、誰も知らない。
 なのに、今三井は平気な顔をして、宮城ではなく宮尾を懇々と諭している。こんなに不満なテメエの後輩がここにいるのに。
「もしお前が許可なく勝手に練習するようだったら殴るからな。殴って止めるとかってフリじゃなくて、ガチで殴るぞオレは」
「どんな脅し方っすかぁ……」
「大人の脅し方だろ。それで暴力沙汰になって困るのはお前だけじゃなくてチームだからってこと忘れんじゃねえぞ」
「人質の取り方急にガキ⁉」
「どう聞いても大人の脅し方じゃねえだろ。不良だ不良」
 聞いていられなくなった宮城がツッコミを入れつつ突然部屋に乱入しても、三井は驚くそぶりも見せずに「おーお疲れ」と片手をあげている。その手にも顔にも、もうガーゼのひとつもない。それを一瞥して、ふたりがテーブルを挟んで向き合っている、三井の隣のパイプ椅子に腰掛ける。宮尾は宮城の顔を気まずげにうつむき加減で覗いてくる。顔の色を伺っているようだった。気にせずに、言葉を続ける。
「まあでも、虎徹さ。この人怪我については一家言あるから聞いといて損はないぜ」
「はあ……?」
 三井は腕を組みながら誇らしげに頷いている。三井をちらりと見上げる。宮城の視線を受けて、三井は言葉を引き継いだ
「お前、来シーズンもうちだろ?」
「……はい。契約はもう済んでるんで」
 一瞬面食らったようだったが、もうすぐに発表になる情報だ。実際、年明けから来シーズンの契約有無、更新、自由契約リストなどの話は水面下で進む。それが早いのか遅いのかは、いまだに手探りのリーグでは判断がつかない。
「……でも怪我したからどうなんのかなって、思ってたら、安藤GMが」
「ああ、あの人、お前んちまで絶対押しかけただろ」
「え? なんでわかるんすか」
「うちにも来たから」
「えっ、三井サンちに?」
 それは初めて聞くことだった。そういうことをする人だと聞いてはいたが、それは若手に限ると思っていた。驚きと共に三井の顔をまじまじと見つめると、三井は懐かしむように目をとじた。
「おう。オレんとこには良い酒持ってきたけどその時飲めなかったし、あ、宮城今度うち来いよ、飲もうぜ」
「ああ、うん。それで?」
 三井に言葉の続きを促せば、堂々と胸を張った。
「言っとくけど、安藤GMは絶対お前手放さないぜ」
「……え?」
「お前が怪我完璧に治すまでとことん支える気だよあの人は」
「あーわかる。そういう人だわ、安藤さん」
 え、え? 宮尾は戸惑うかのように、三井と宮城の顔を交互に視界に映す。きょろきょろとした様子は戸惑いそのもので、それはそうかもしれない。きっと安藤は熱く優しくどこまでも真摯に、怪我をした若者に向き合って自身の情熱を、慈愛を注いだのだろう。三井は宮尾に微笑みながら、安藤の人となりを語り始める。
「……まあ、祭り大好きなんだよな」
「祭りが?」
「音頭取るのも」
「音頭……」
 宮城もそれに続けば、言葉を三井は更に受けた。
「んで、このチームはあの人にとっては神輿なわけ」
「だから一度担いだら、最後まで担ぐよ。そういう義理人情の人なの」
 宮城も、宮尾に向けて微笑みを浮かべた。宮尾は泣きそうに眉を寄せながら、幾分か痩せたらしい頬をひくつかせている。
「だからお前は安心して、またバスケできるまでゆっくり怪我を治せよ、虎徹」
 三井のその言葉がとどめだったようで、21歳の青年は、涙を流しながら何度も何度も頷いていた。ジャージの裾に吸わせた涙で、紺色は黒に変わってしまう。それを眺めながら、三井と宮城は気が済むまで泣かせてやることにして、泣き声が外に漏れぬよう、扉をしめたのだった。

 宮尾がリハビリ行ってきます、と泣きはらした顔で部屋を出てから、三井は隣に座る宮城の肩を抱きながら尋ねてきた。パイプ椅子が無理な体重移動に軋んで、鈍い金属音を響かせる。
「……んで、お前は何キレてんだよ」
「はあ? キレてねえよ」
「嘘つけ、こないだっからずっと怒ってんだろ。オレ完全復活したぜ?」
 経過も問題なし。医者の言うことはこの世界で最もきちんと聞く。いわく、視力も万全。これ以上バスケをする上で遮るものはもうないらしい。
「……その完全復活まで全然連絡なかったの、なんでっすか」
「は? いやお前、シーズン中に逐一オレに連絡されてえのかよ。お前だってオレに連絡してこなかっただろ」
「……」
「どう見てもお前もチームも余裕ねえし、支えてやりたかったけどオレも処置やらなんやらで余裕なかったからよ」
「それは……そうすけど」
 眼帯が取れた三井と先日会ったとき、全治未定がいつの間にか完治になっていたことを聞いて、殴ってやりたくなった衝動を抑えるので必死だった。は? いつの間に? 宮城はシーズン中だったとはいえ、三井はなにひとつ教えてくれなかったのだ。宮城も聞かなかったから、と言われれば黙るしかない。チームメイトで、必要な情報はスタッフに共有している。それでも、三井の言葉で。
「ちょっとくらい、状況知りたかったし」
 でも、自分は、宮城は三井にとってそんな相手なのか。心配することも許されない距離なのか。シーズンが始まる前、ふたりきりで、三井が言ったのに。「いっしょにいるしかない」と。なんで。疑問がわいてくる。ただのチームメイトなら、そんなこと言わないでほしかったのに。
 言い訳じみた想いがどんどん浮かんでくる。宮城が三井にメッセージのひとつだって送れなかったのは、チームがうまくいってなかったからだ。担架で運ばれる間際に言われた一言も腹が立った。なんだ「相手大丈夫だったか」って。お前は自分の心配してろよ。それなのに三井は相手の心配で、宮城はチームがうまくいかないから何も報告できなかった。情けなくてしかたなかった。三井がいなくてうまく回らない、きっかけにしてしまったのが。それで指先は何度も躊躇った末に、何も想いを綴れなかったのだ。
「……悪かったよ、オレ」
「オレ、殴り込みに行こうぜって言われたんすよ、安藤さんに」
 三井の言葉を遮る。けれどそれに気を悪くすることも無く、三井は頷いて聞いてくれる。宮城は肩に回された腕の温度を懐かしく思いながら、言葉を、紡ぐ。
「お前らが堂々と望まれた環境でやっているリーグに、この下町から殴り込んでやるの最高に楽しいバスケだと思わないかって」
「……オレもだわ。楽しいだろ、そういうの。わくわくするだろって」
「所詮オレらワルモノっすからね」
「おう。ま、来年こそは行くぞ」
 断言した三井に、一度唇を吊り上げて笑みを作る。勝ち気な笑みになっているかは自信がない。それでも三井は宮城の肩を軽く叩くと、腕をほどく。その腕を逃がさないように、咄嗟にその左手首を自身の左手で強く掴んだ。疑問を浮かべる瞳がそこに注がれる。熱のこもった掌に、きっと三井は気付いている。ジャージ越しでは、脈拍も数えられない。
「――なのに、オレは怪我もしてねえのにそれできなかった」
 慰めは欲しくない。オレがいなかったから、というのも聞きたくない。三井のせいじゃない。三井がいないせいで、なんてなんで三井に責任を、他の誰でもない宮城が負わせなければいけないのだ。これは宮城の問題で、だけど、全く違うところで勝手に三井を詰っている。
「アンタはアンタで、オレなんかちっとも気にしてねえし」
「え、何お前拗ねてただけかよ」
「っ拗ねてねえよ!」
「うお危ねっ、」
 三井の腕を今度は思い切り振り払った。ようやくいつも通りになった宮城に、三井もいつも通りの笑みを浮かべた。宮城が知る、宮城だけに向けられる笑み。
「何はともあれ、来年もよろしくな、宮城」
「……うん、よろしく。三井サン」
 三井と宮城が高校時代にバスケをしていたのは、一年にも満たない時間だ。来シーズンも契約継続は決まっている。宮城のまだ知らない、三井との二年目のバスケがはじまる。
 今年、チームは地区の一位から出発し、一時は勝率だってトップをひた走り今年こそ昇格だと評判は上々。けれど怪我や体調不良により主力を欠いたチームは徐々に失速し、プレーオフで惜敗。ひとつの白星もあげられないまま、精細の欠くバスケで敗北を喫していた。
 来年はこうはいかない。三井と拳を付き合わせる。これがきっと自分たちの誓いで、自分たちが誓いを捧げるとすれば、自分自身にだ。
「勝とうぜ、最後まで」
「当たり前でしょ。もうこれ以上、負けてたまるかよ」
 祭囃子のような応援歌。一年で聞き慣れた高揚と興奮を連れてくるうた。それが耳の奥で鳴り響いている。祭りは、まだはじまったばかりだ。

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