minus Raison d'être


★幕間にだってボレロ


 利き手を使えないというデメリットをまさかここにきて思い知るとは。
「……」
 生理的なものだ。これは仕方がないことなのである。そう言い聞かせながら、腹の奥底から湧き出てくるような性欲をどうしたものかと思いながら宮城はスケジュールアプリを確認する。三井はアウェイ戦のため現在関西地方に遠征中だ。本日を勝利で終えたのはライブ配信で最後まで見届けた。どんな状況でもスリーを決める三井はいっそ理不尽の嵐だった。最高だった。第4Q序盤の判定には「ハァ⁉ 節穴かよ!」と配信を見ながらブチ切れてしまったが、留守番組でよかったと心から思う。宮城がその場にいたらベンチテクニカルで相手にフリースローを献上していたに違いない。
 リハビリを終え三井の部屋に腰を落ち着かせている宮城は、そんな家主が戦いに赴いている中でも顔をもたげてきた興奮にどうにか首輪をつけようと、ソファに座りながら貧乏ゆすりをした。落ち着け、と念じながら足を軽く開く。膝に右腕を預けながら、左手で顎をさするなどしてみた。それでも悶々とした渦巻くむらむらとしたもの。
 ぶっちゃけ、エロい何か見て性器をしごいておもいっきり精子を出したい。
 そんな自分と、いや三井やチームメイトがそんな時に? という理性が戦いながら、そうは言いつつ前回マスターベーションしたのは、と思い返し、かなりの空白期間に怪我による余裕のなさとリハビリによる多忙を思い知る。
 三井の帰りは明日の昼頃。現在は日付を越える少し手前。
「……最低だオレ……」
 せめてトイレで、と考えたが右手の状態を思えばスマートフォンを落としてしまう可能性が頭によぎってしまった。スマートフォンは必要だ。だからといって家主がいない部屋のリビングで堂々とオナニーする後輩。最低最悪だ。絶対悪だ。でももう興奮を押さえ込める段階ではない。ここまで来ると判断能力が著しく低下してしまう。そういう生き物だ、男って。
 ……明日、三井が帰って来る前にゴミを出せば証拠隠滅は図れる。よし。
 宮城は自身のバッグの中からイヤホンを取り出す。左手で小さいそれを耳にはめ込むのにはもう慣れた。スマートフォンと繋がった電子機器。じ、というわずかな音の後静寂が訪れる。学生の頃はこんな風になる未来は想像できなかった。そんなことを思いつつ、宮城は絶対に誰にも明かせない動画サイトに飛び込んだ。ただ三井も同じところに登録していると酒の席で話したことはあるし、好きな女優の話で盛り上がったこともある。そう、男なんだ、仕方ない。対価は払っている。
 動画を再生しながらぼんやりと時間の経過を追う。宮城は自身の傾向として、女の子が痛い目にあっていたり酷い目にあっていたりするものは好きではない。気持ちよさそうな姿の方がよほど良い。それすら演技だとわかっているが、徐々に自身の欲望がもたげてくるのがわかる。漏れ出るような喘ぎ声。鼓膜に直接響いてくる息遣いに、ジャージをくつろげて己の芯をもちはじめた性器に左手を添わせる。乾いた掌だとまだ擦れて多少ひきつるかもしれない。それでも興奮による手汗と、先走りで少しずつ粘度のある液体が足されていき、擦るには問題ないものとなった。
 動画の中では近所のお姉さんに、童貞を騎乗位で現在進行形で食われている男がなまめかしい腰つきに両手を添えていた。開脚しながら踊るように跳ねる身体に、嘘みたいな大きさの乳房が揺れている。勢いがよく一度抜けてしまった男性器を再び挿入しようと、彼女の細い指先が、男の性器を支えていた。はあ、と感じ入る鼻から抜ける声とともに、ずぷ、と再び彼女の膣が男の性器を飲み込んでいく。後ろからのカメラワーク。小ぶりな尻が、ぺち、と玉を叩く。彼女の手が男に伸ばされて、恋人であるかのようにふたりは指を絡めた。
 ……一度だけ。
 ああそうだ、一度だけ。ふたりの熱い手が重なったことがあった。
「は、あ……っ」
 若気の至りだ。その昔、まだ互いに成人もしていなかった頃。息が荒くなる。固くなった性器を上下に扱き上げる。筋、亀頭。さきっぽの鈴口。じわりと滲むカウパー液。それを伸ばすように己を高めていく。利き手ではない分、力加減が、少しだけわからない。けれど、上り詰められる。あと少し、もう少し。快感を追って左手の分厚い掌で血管の浮き出た竿を扱いて。その、この、自分の性器に。
 あの人の綺麗な指が触れたことが、一度だけ。
「あっ、」



「ただい、まー……」
 イヤホンのクリアな音の外に、幻聴だと思いたい声が聞こえた。咄嗟にスマートフォンの画面を消す。
「……」
 宮城はその妙に最後の一音が間延びした声に、ことさらゆっくりとイヤホンを耳から外した。いやそれより先に隠すべきものがあるのだが。なぜだか理性と身体がうまくリンクしない。ぎこちない音を立てそうなくらい、わざとらしいくらいにゆっくりと、右手、扉を振り返る。嘘だろ。幻覚であってくれ。その願いは残念ながら叶えられなかったようで。当たり前のように荷物を背負った三井が、リビングの扉を開けて立っていた。その目はソファに腰掛けながらジャージをくつろげて自慰をしている宮城に、当然のように注がれている。
「……」
 無言で見上げているだけの宮城は、どこか現実逃避を図ろうとしているかのように、放心しつつ手を震わせる。三井はすべてを察したようで、同じ男だもんな、助かる。いや助かっていない。ぜんぜん助かっていない。これから断罪だ絶対。あー、その。そんな気まずそうに先輩は宮城に向けて何を言おうか迷ったのか音を発して。それから。
「……わり、お前心配で先に帰ってきた」
 死。怪我をしている後輩を心配して帰ってきたら後輩はひとりでマスかいてた。極悪。重罪。流罪もしくは死罪にあたる罪。
 なぜ三井が謝罪を口にしているのか。おかしい。宮城はどう考えても謝罪すべきはこちらだと、慌てて口を開く。
「っほんとごめんなさい見ないで忘れてマジですんません……!」
 宮城の目に、じわりと涙が滲む。じん、と恥辱と罪悪感で歪む視界と、胸がいっきに冷えていくような感覚に、慌てて足を閉じる。ティッシュを手に取ろうとするが、角度からして腰を浮かせることで三井に下半身を見せつけてしまうのを躊躇ってできないでいる。馬鹿になったままの頭では、ただただ身を縮ませて己の勃起した性器を隠すことしかできないでいれば、なぜか三井は息を飲んで、大股で近付いてきた。
 そのままあろうことか、鞄を床におろすと宮城の目の前に跪く。
「は、……はぁ⁉」
「……つか、お前利き手じゃねえだろ。うまく扱けんの?」
「ッ聞かないでよそういうことぉ!」
 視線を注がれて、真剣な疑問に思わず声を荒げる。三井の顔はどこか汗ばんでいて、瞳には興奮が宿っている。どうして。腹が減ってしかたがないような、そんな顔で見上げられて。いつもとは違う角度の三井に、己の左手で必死に隠した性器がやけに醜い。さっき、さっき見た角度だ。女優が、童貞だという男のペニスを舐めるような、下品な音を立ててしゃぶるような、そんな。
 三井は舌なめずりをしてから、よし、と小さく笑って。それから。
「ほら暴れんな、もう手は洗ってるし」
「なに言ってんのアンタっ、……ぁ、」
 宮城の性器に、大きな手を這わせた。宮城の左手は三井の右手に絡め取られて、握り込まれてしまっている。怪我をした右手は動かしてはいけない。指同士が絡み合って、三井の親指が宮城の親指の関節を優しく撫で上げた。彼の左手が性器に添ったかと思えば、熱くて汗ばんだ掌が竿を柔く握り込む。
「んぅっ」
 思わず喘ぐような声が出る。口を塞ごうとするが、
「声出せよ、そっちのが気持ちいだろ」
と先んじて三井に遮られてしまう。どうしてか逆らえなかった。三井の大きな手が、宮城の性器を上下に扱きはじめる。その自分ではない熱に包まれて、感覚が嫌に研ぎ澄まされて、快感のかたちをなぞられているようだった。
「っは、あっ、んっ、ぅあ……ッ」
「気持ちいな、宮城」
「は、あ、ん、んんっ」
 声を出せ。三井に言われたから。だから出てしまう。気持ちいい。敏感になった性器に、直接脳髄にたたき込まれるような快感が波となって押し寄せてくる。宮城は一度強く目をつむって、それからうっすらとあけた。涙で輪郭がぼやける視界に、三井の笑みをこらえるような歪な唇が映っている。その唇から掠れた声が、宮城の身体をなぞって這うように耳に届いた。
「……昔、一回だけ抜き合ったことあったの、お前覚えてる?」
 なんで、そんな気が合うんだ。さっき、思い出していたところだった。
「ぁ……んぅ、っいつの話だよ……!」
「忘れちまったのかよ」
 先端を、三井の親指が抉るように刺激してくる。何も考えられなくなるくらいの快感に晒されて、それでも言葉を咀嚼しようと声に追いすがる。
「あ、ぁあ、……ぐ、ぅ、」
 必死で首を横に振る。覚えている。その意思表示は正しく伝わったらしい。三井はソファに乗り上げてくると、身体全体で宮城に密着してきた。一度離された左手も、もう一度絡め取られる。熱い。三井の、においがする。全部が三井でいっぱいになる。もう興奮を追うのではなく、熱さと快感で身体全体を追い詰められている気分だった。三井は宮城の耳元で小さく、吐息を漏らすように笑った。
「……はは、だよな」
 低い声。どこか満足げな、笑う声。鼓膜に響かせるような声に、あの瞬間の光景が脳裏に蘇る。噎せ返るような夏だった。冷房なんてまだだと粘っていた三井の一人暮らしの部屋だった。宮城の実家ではなかなか自由にできないことを話せば、三井が友人たちから回ってきたという当時の宮城にとってはたいへんに刺激の強いものをふたりで見て、それで。なぜか、互いの性器を合わせて。
「――っぁあ……!」
 今は、宮城だけが一方的に高められている。三井の指と絡み合っている左手を握りしめる。息に熱がこもって、腰の奥から駆け抜ける快感が、背筋を駆け巡る。簡単に快感に変換されたそれが体中に一度こわばらせて、それから。
「はぁ……あっ、ああっ……」
 白濁を放って、弛緩した。
「ん、いっぱい出たな」
 なぜか宮城を褒めた三井は、手早くティッシュとウェットティッシュで始末する。それから宮城には触れることなく、気まずそうに目を逸らした。それがなぜだか申し訳なさと寂しさを宮城にもたらす。熱に浮かされていたのに、急に冷え込んだ心地に、三井の熱が離れていったことを知る。
「……嫌だったよな、悪い。忘れろ」
 三井は、なぜだか宮城に頭を下げた。そのつむじを眺めつつ、宮城は先ほどウェットティッシュで拭われた左手を伸ばして、ぽん、と軽く叩いた。
「……いや、きもちかったんで……」
 いやなんのフォロー⁉ でも、三井の罪悪感に駆られる表情があまりにも切なくて。はあ、はあ。荒い息を整えながら告げれば、三井はそっか、と顔をあげた。
「……またやってやろうか?」
「うっせ、バカ!」
 ティッシュに手を伸ばす途中で、今度は少し強めに頭を叩く。けらけらと笑い飛ばす三井に、宮城は左手だけでジャージをたくしあげる。どこか熱の霧散した雰囲気は、もういつものふたりだった。

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