minus Raison d'être


*「ひとり芝居じゃつまらない」








 ――好きなんだ。だから、ここで。




*「ひとり芝居じゃつまらない」




「オレから三井サンにぃ、とっておきあげるっすよぉ」
 真っ赤な顔をしている宮城が、尖りなど丸まりきった表情で笑っている。部屋中に充満するのはアルコールの匂いで、あとは寝るだけとばかりにシャワーも浴びた彼からは普段纏う香水の匂いは感じられない。自分の使っているシャンプーとボディソープ。一人暮らしをはじめた頃文句を散々言われてようやく銘柄を変えたそれに、久しぶりの泊まりでも宮城はもう何も言わずに慣れたように使う。馬鹿みたいに笑い合って、もはや今が何時なのかもわからなかった。時計を見たところでまともな思考で理解し判断できるだろうか。三井よりも早いペースでぱかぱかと酒をあけている宮城は、それがいつも通りのペースだ。店での飲みっぷりを知ってはいたのでそれなりに用意して臨んだはじめての宅飲み、宮城は普段外で見るよりも、確実に、格段に酔っていた。三井は三井で酔いながらも、家主としての理性がブレーキをきちんとかけているのかまだ宮城ほどではない。と信じたい。
「とっておきぃ?」
 駄目かも知れなかった。自身のろれつの怪しさに頭を抱えたくなりながら切り返す。宮城はにやにやと笑いながら、あのねえ、と間延びした語尾で機嫌良く部屋の隅に放ってあった三井の鞄を漁り、ルーズリーフとペンケースを取り出した。勝手知ったる、というよりは目的のためにここならあるだろうと手探りのようだった。目的のものを手に入れた宮城は、より機嫌よく唇で三日月のように弧を描く。酔うとここまで機嫌が良くなるのか、と目の前の後輩の様子に意識を奪われていれば、その後輩は鼻歌を奏でながら何やら真っ白なルーズリーフに書き始めだした。その書き出しでシャーペンの芯が折れる。力が強すぎる。
「お前なあ」
 何度かチャレンジをするが、酔っ払って力の加減が難しいのかその度に哀れなりシャーペンの芯はご丁寧に短く儚い命を終えていく。ぽき。ぽき。ぽき。それが四回続いたあたりで、ついに宮城が音を上げた。上げたかったのはシャープ芯の方かもしれないが。
「よっわ……普通のペンはぁ?」
「入ってるだろ」
「ええ? どこ」
「ったく、ほらよ」
 そう言いながら、ペンケースから安いボールペンを取り出して渡してやる。実家に帰った時に電話の近くのペン立てにあったものを母親に一言入れてもらってきたものだと思う。三井の知らない会社名が印刷してある、何かのノベルティだろうものだ。アメリカから帰ってきたばかりの宮城は再び英語の、三井の知らない歌を口遊みながらさらさらと何か模様のようなものを流れるように綴り始めた。やがてそれはすぐに描き終わり、紙面には何か暗号のようなものが現れる。油性インクで描き出されたのは、三井の知らないかたち。
「……んだこれ?」
「これねえ、三井サンのサイン!」
 満面の笑みが返ってきて、三井は目を瞠る。宮城はルーズリーフを三井にぺら、と差し出した。その紙が卓上のアルコール――今は焼酎のソーダ割りがふたつ並んでいる――を吸わないように受け取って、まじまじと見つめる。三井の三だろうか、三本線と名前の頭文字であるH、あと、
「三井寿、14番!」
数字の14が込められたデザインだった。
「……おう」
 返せたのはそれだけだった。プロになりたい。バスケで飯が食いたい。そんな夢を語りながら、まだ学生の身分が揃って酒を交わす。よくある光景だ。よくある話だ。三井と宮城の、なんてことはない、ありふれた夢の話だ。語り合いながら、笑って、それで。さきいかをくわえながら、チーズ鱈に手を伸ばす三井に、宮城は、とっておきをくれた。
「プロになったらそれ使っていーよ」
 三井に、三井だけのサインをくれた。
 今、大学では違う番号を背負っている。そんな三井に。自分の再スタートとなった特別な数字、自分だけの名前、自分だけの、サイン。
「……サンキュ、これ、使うわ」
「あはは、オレに一番にちょうだいね! オレもプロになったらサイン、一番に三井サンにあげる」
「プレミアつくだろうな、お互い」
「いくらで売れっかな?」
「35億」
「アハハ! ばっかでー!」
 まるでパスみたいだった。三井にとって、最高のパスはと考えたら真っ先にいつでも宮城の顔が浮かんでくる。脅してくるような、信頼の証のような、命令のような、コミュニケーションのような。そう、コミュニケーションが一番近いかもしれない。三井にとって、宮城の心を一番感じるのがバスケをしている時だった。手に取るように鮮明に、理解し合える。その時の宮城は、鎧で武装しているくせに無垢だから。剥き出しの魂のような、そんな。心と心で向き合える、そんな気がするのだ。
「これ使いてえから、オレずっと14番にするわ」
「……うん、いーんじゃね。にあってるよ」
 ――なんて会話したことを、普段はどれだけ呑んでも記憶を飛ばさないくせに、翌朝の宮城はすっかり忘れていたのだけれど。



 三井がプロになるのと同じ年に、アメリカから帰ってきた宮城もプロになった。三井が所属したのは川崎で、宮城は横浜。背番号は三井が14番で、宮城は7番。高校時代の再演のような背番号にお互い指を指して笑っていたけれど、三井は「お前が言ったんだろうが」とは言わず、笑うだけにとどめる。宮城が忘れていることを、あえて詳らかにする必要はない。そんなことをわざわざ繙く必要はない。暴かなくて、いい。
 神奈川ダービーを演じられたのは、翌年都内のチームへ三井が移籍してしまったため一年だけだった。プロのスケジュール、めまぐるしさ、多忙さに目を回しながら、必死でくらいついていく若手生活を送っているうちに、気が付けばチームメイトとばかりつるんでいることに気付く。シーズン中の半分は遠征だ。それはそうだ。先輩の中でも、どれだけ仲が良くてもチームがわかれ遠方になった途端に、全く会うことがなくなったという話を懇々と聞かされて、ぞっとした。まるでそれがプロで、それを受け入れることが大人であるかのような。
 だから、三井は。

「よう宮城、見たぜこないだの試合」
――……見んな。
「見るわ。ま、今度また飯行こうぜ。オレも話したいことあるし」
――おごりならいいすよ。
「ばあか、後輩に金出させねえよ」
――はは、三井サン、男気じゃんけんの勝ちすぎで聞き分けよくなってんじゃん。

 そうだよ、お前にだけ。絶対に途切らせてなるものかと、そう思ったのだ。ずっと繋がっていたいと、そう願ってしまったのだ。
 勝手にすれば、勝手に切れていく。縁とはそういうものもある。生きていきながら、それを実感しながら年を重ねていく。実際に連絡を取らなくなってしまった元チームメイトが何人もできた。宮城がどこまで意識しているのかはわからないけれど、きっとしていないのだろう。それだけ三井は「なんでもない」存在なのだ。チームメイトではない。昔先輩だった男。昔傷つけてきた最低のヤツ。そこそこ本気だったチームメイトだったこともある。それが三井だ。けれど不思議と、三井からの連絡を宮城が無視することもなければ、宮城から連絡してくることもあった。地理的に近いチームにいる時は休みの度に遊んだし、オフシーズンには旅行に行くこともあった。離れたチームの時も、やりとりが断絶することはなく続く。
 双方向のやりとりは当たり前になり、それはチームが変わっても、暮らす場所が変わっても、置かれる環境が変わっても変わることは無かった。
 そのうち、今度は世代という環境が変化するようになった。同級生たちは結婚し、家庭を築くようになったのだ。出世をし、余暇を謳歌する者もいる。三井と宮城は不思議とそれに出遅れてしまっていた。いつまでも仲良しこよしの先輩後輩をやりながら、バスケ以上に何かを注げるものといえば、何も浮かばない。バスケのために生きていて、その傍らに、三井には宮城がいるけれど。バスケにのめり込んで何年も十何年も、二十年以上を数えるとこうなるものなのか。親や親戚からやれ結婚だの恋人だのこどもはだの特に望んでいない未来をせっつかれることも多くなったが、頑なに同じ回答を続ければやがてその攻勢も止む。宮城家の実際を知らないが、妹が結婚してこどもが生まれたあたりから、宮城家次男はもう一生独身貴族だろうと勝手に思われているとのことだ。似たり寄ったりである。
 三井が沖縄のチームに所属していた二十代後半、宮城は名古屋にいた。覚えた英語やうちなーぐちを披露しようにも、チームスタッフやチームメイト、地元にひとに教えられたのは愛の言葉ばかりで。
「でーじ、しちゅん。かなさんどー……」
 呟くことばかり得意になってしまって、そのままだ。他に誰か? 誰が? 恋人もいない。セフレもいない。そんな暇があればもっとバスケがしたい。もっと宮城と話したい。変わらぬ数字を背負って、変わらぬサインを描き続ける。まるで、馬鹿のひとつ覚えみたいに。そうだ、馬鹿みたいに、三井は。
強がりで強くて、寂しがりやで愛情深くて、素直じゃなくて甘えたで、わがままで面倒見の良い、バスケを愛している、宮城のことを。ちぐはぐなこどものようで、不器用で、なんでも平気なふりをしている、宮城の魂を。



 同じ愛知県のチームにいる頃は、まるで学生の頃に戻ったかのように、ふたりでいることに拍車がかかっていた。スパイだと笑われるほどにふたりでいたので、三井も宮城もその有り難くない不名誉な言いがかりを笑い飛ばして連れ立って飲みに行く。だから自分が愛知を離れると決まった時、宮城を呼び出して呑んだ夜は勝手に感傷に浸っていたのだけれど。けれどそんな感傷はあっという間に爆発のような衝撃とともに崩れ去ったのだった。
 宮城と再び同じチームになったと知った日、咄嗟に電話をかけて、何をやっているんだ何を言えるんだこの段階で! とすぐに切った。切れた。まだ三井の契約は公表されていない。心臓が高鳴って、血液が沸騰しそうで、叫びだしてしまいそうで、実際に声は出た。衝撃が己を突き抜けた瞬間、三井は我が目を疑うことなくその画像を何度も何度も穴があくほどに見つめる。何度も何度も。同じチーム。同じチームだ!
 また、宮城と同じチームになる。あのパスを受けられる。すでに番号は決まっていた。当然、14番だ。ことあるごとに聞かれる背番号の由来。いつもと変わらず、「初心を思い出す数字だから」という答え。もうひとつ。誰にも、宮城にも告げたことのない、ひみつのこたえ。
 ――サインを、変えたくないから。





 呪縛かもしれない。祝福だったのかもしれない。本人がもうとうに覚えていないことをいつまでもいつまでも、三井だけが覚えている。それでもいい。それで、いい。
 再び同じチームになった年の夏だ。実家に向かう三井の車に同乗した宮城が、助手席からそういえば、と声をあげる。今の車は走行時の騒音が少ないので、簡単に聞き取れた。
「そういえばさぁ、三井サンのサイン、ずっと変わんないよね」
 ……当たり前だろうが! 思わずそう叫びそうになって、三井は口を噤んだまま海沿いの道、適当な駐車場に入り停めた。あと少しで実家なのに、と訝しげな宮城の表情を無視して、砂浜へと連れ出す。文句を言いながらも、宮城は三井の背中を追ってきた。
 オレは、三井寿。14番。今年から15年ぶりのお前の、チームメイト。コイツは宮城リョータ。7番。15年ぶりに自分と同じチームに所属するポイントガードで、三井がずっと変わらずに大切に想い続けている相手。波の音に紛れるように、その名前を呼ぶ。
「……はあ」
 三井の呼びかけに、宮城はたった二音で返事をした。少しだけ機嫌の悪い溜息のように聞こえるが、馬鹿野郎、長い付き合いのおかげでただの相槌であり、曖昧な返答をしたい時の態度だということはわかりきっている。だから気にせずに続けた。
「なぁ、宮城」
 あのさ、宮城。オレ、この数字を背負ってるよ。ずっと背負い続けるよ。
 お前の背負う数字の特別さを少しだけ聞いたことはある。その特別が、オレの中にいる。オレの中には、お前がいる。ずっと、ずっといる。
 ……星が、綺麗な夜ではなかった。
「もうここまできたらよ」
 ――湘南の海だった。満天の降りそそぐような星空もない。シャンデリアも、小洒落たワインやシャンパンもない。トレモロを奏でる金管楽器も、流麗で高らかに歌い上げるようなヴァイオリンの音階もどこにもない。なんてことはない、地元の海。慣れ親しんだ潮風。走ったこともある、歩いたこともある、濡れたこともある、そのどれにも宮城がいた。全部三井は宮城と、ここで。
 吹き抜ける風は、懐かしい潮の香りを纏っている。わずかに湿った砂浜。濡れて濃くなった砂に、二本の脚で立っている。三井と宮城が、そこにいた。自身を見上げてくる宮城の、いつも通り変わらぬ表情を見下ろす。どこかのビル解体らしい工事の音が一度止まって、まるで指揮者がどこかにいるかのようだった。タクトが再び振り下ろされるその前に。
 三井は、宮城の静かでけれど奥底に炎を揺らす瞳を見つめて、込み上げてくるものを抱きしめるつもりで笑う。
好きなんだと思う。好きなんだ。オレは、宮城が。お前がどうであれ。それでここまで来ちまった。お前はなんで、まだオレといんの。それが、答えじゃないのか。……まあここまで来たらお前が気付くまで、オレはいつまでだって待てるけれど。
 なあ、宮城。だからさ。どこまでもどこまでも、いつまでもいつまでだって。
「オレたち、ずっといっしょにいるしかないぜ」
 






(だから、舞台でお前を待っている。)

- 7 -

*前次#


ページ: