02

 初めて、彼女の寂しそうな笑顔を見た気がする。

 暁は、彼女は『恐怖』という文字が一番似合い、そして一番似合わない人間だと思っていた。ずっと自分が投与している薬について、弱いだけで実は『戦える術』を持っている事をひた隠してきた暁の、薬のためだけに戦う彼女の姿を見て、恐怖に似た高揚感を覚えたのは今でも忘れない。弱い人間が戦場で怯える様子もなく真っ直ぐ進んでいく様はとてもじゃないが異様だと言えた。普通の人間はそんな暁の姿を見て『異様だ』『可笑しい』と恐怖するのだろう。対する暁は、どんな場所に居てもどんな事が起きても恐怖の『き』の字もない女だと、そう認識していた。

 それが間違いであると気が付いたのは、そう遅くはなかった。

「君はなんの為に戦ってるの?」

 何気なく聞いた。なんとなく浮かんだ疑問を、なんとなく口にしてみただけだった。『やってしまった』という気持ちは全くないし、これは元々気になっていたことだから何の後悔もないけど、ほんの一瞬だけ動揺を見せた暁を見ると何故だか微かな苛立ちを覚えてしまった。しかし言った通りそれは一瞬のことであり、すぐにいつもの笑顔を作ってカラカラと笑う。

「相変わらず神威は唐突だねえ。……なんの為、かあ」

 考えるような仕草で顎に指を当てる暁を見る。伏し目がちの大きな瞳が女らしい長い睫毛で見え隠れしているのを見ると、ただの薬オタクという認識の彼女もちゃんと年相応の人間なのだと改めて理解できる。

「私、家族だった人を殺したいんだ。私が作ったこの薬で、『その人になって』、私が弱いままで」

 明るい声が、弾むような声が、いつもより静かに聞こえた。暁は自分の手を自分の胸にそっと当てて、まるで何かを耐えるようにぎゅうっと巫女装束の襟を掴む。『家族だった人』を殺すなら、俺も同じだ。俺も俺として、あのハゲ親父をぶん殴るため、強くなるためにこうして戦ってきた。強くなるには戦い、戦えるためには強くなる。それは俺たち夜兎のように血に塗れた種族ではごく普通の当たり前の思考であり、今こうして言い放った暁の発言はまるで理解できないものだ。
 弱いままで戦う? 弱いままじゃ死んで終わりだ。
 その人になって戦う? 他人ではなく、自分が戦わなければ意味がない。
 お互いにとって同じような存在を、全く違う感情で殺そうとしている俺たちは、似ているようで似ていないのだとその時やんわりと理解した。前髪が影を作って表情が見えないままの彼女から目を逸らせずに、きゅっと結ばれたその口からいつになったら彼女の言葉で真実を打ち明かされるのだろうと、今はそんなくだらないことが脳裏に浮かんで邪魔をする。

「言ったよね。弱い奴に興味は無いって」
「言ってたねえ。でも、私も最初に言ったよね。『私は弱い』って」
「そんなんじゃいつかコロッとおっ死ぬかもね」
「あはは、それは嫌だなあ。でも大丈夫、こんな私でもそう簡単には死なないよ」

 暁の決まり文句と化した親の名前よりも聞いたと言っても過言では無い口癖を耳にすると、黒い靄がかかったように重苦しい心が何故だか徐々に晴れていくのを感じる。弱い奴が戦場で死んでいくのを俺は何千人も見てきた。弱い奴が俺に殺されるのを俺は何千人も見てきた。弱い奴は死ぬんだ。戦える、強い奴に殺されて。そんな弱肉強食の世界で、こうして緊張感もなくのうのうと生き延びている弱い奴を、暁以外見たことがない。

「もしかしたら気が変わって、俺が暁を殺しちゃうかもよ?」
「そっかあ。そうしたら、神威はいつ死んでくれるの?」
「俺は死なないよ。そう簡単に死ぬ訳にはいかないからね」
「うーん、じゃあ、退屈になっちゃうね」

 滅多に人に執着しない暁がまさかそんなことを言い出すとは思わず、つい目を見開いてなんでもないように振舞う彼女を凝視する。いつも通り「そんなに見つめないでよ、照れちゃうなあ」なんて茶化してきたことも一蹴せず、今言われたことをこの頭で咀嚼して理解するのに精一杯だ。

 きっと、神威のいないあの世は、全然楽しくないだろうね。
 らしくなく眉を八の字に下げる彼女は、どこか寂寥感のある表情で笑ってみせた。