03

 天人とか、幕府とか、天導衆とか。世の中には色々なくくりがあって、私の頭じゃ全然理解出来ないことは元から分かっていた。難しい事を考えるならずうっと研究したり薬のことを考えていたい。けど、けど、薬を作り続ける理由の先に、そんな『難しい事』の壁が立ちはだかっていたとしたら?


「君が殺したい奴の名前、なんだっけ」

 いつも通り傷だらけの神威の身体に治療を施していると、思い付いたように突然質問を投げかけられた。私の事に興味を示すなんて珍しいこともあるものだなあ、と思いながら、正直に「鼓滝つづみ 椿つばきだよ」と返す。実際に殺したい相手の名前を口にするのは新鮮なもので、こうして思い出したら憎しみのひとつでも湧くのだろうかと思いもしたが、そんな事は全くなく寧ろ至って平常心のままだ。

「ああ、そうそう。そいつ、多分天導衆の手先だろうね」
「……およ?」

 思わず気の抜けた返事をしてしまった。いや仕方ないだろう。今まで彼女に対する確信的な手掛かりが掴めぬまま今日(こんにち)に至っているのだから。
 天導衆。巫女という立場から、神にまつわる情報は神主の先輩達から頭が痛くなりそうな程叩き込まれており、一応その辺の知識は理解している。……と、言いたい所だが実際のところ全然覚えていない。いや待てよ、あの時私半分寝てなかったか? 前日に薬草の勉強ばかりして夜更かしして眠気MAXで死んでいた気がする。ああ、過去の私の馬鹿! なんでそんな重要な事聞いてなかったんだよ! いやまあ過ぎた事だからいいんだけど。

「阿伏兎から聞いた話なんだけどね。今天導衆で怪しい動きをしている奴が一人いるって話。人間であるにも関わらず、人ならざる動きで的確に人を殺めていく、って」

 間違いない、その人だ。私の知っている鼓滝椿は、艶やかで長い髪を翻し、軽い足取りで素早く敵の急所を狙い仕留めていく、無駄のない戦い方をする人間だった。恐らくその噂は私の探しているその人、張本人だろう。

「で、ここからが本題だ。色々あって、俺たちは洛陽へ行くことになった」
「えぇ、その色々が気になるけど……もしかして、その洛陽に?」
「そう、恐らく天導衆も来るだろうね」

 洛陽って、確か神威の故郷じゃなかっただろうか。まるでなんの思い入れもないかのように淡々と話を進めるものだから、ほんの少しだけ拍子抜けしてしまう。

「春雨は勿論、俺も君を守るつもりは毛頭ない。何があってもね。それでも良いと言うのなら、この第七師団の船に乗せてやってもいいよ」

 口元に薄く笑みを浮かべる神威の横顔をぽかんと見つめる。え、今、なんて言った? 純粋な善意というものを知らなさそうな、神威が? 私を? 船に乗せてくれるって? 数秒その言葉を噛み締めて脳内で必死に理解しようとしていると、反応のない私に疑問を抱いたのか「おーい、生きてる?」と神威が目の前で手のひらをぶんぶんと振ってきた。その行動で我に返り、治療中であった包帯を無意識下で思い切りぎゅうっと締める。

「行く! 乗せてください! ちゃんと自分の身を守れるように薬も常備する! だから!」
「〜ッ分かったから力緩めろ!」
「あ、ごめん」

 ぱっと包帯から手を離すと、神威は眉間に皺を寄せてこちらをじとりと睨みながら包帯が巻かれた部分をさする。春雨まで往診をしに行く時は念の為筋肉増強剤なるものを摂取しているため、気を抜くとこうして馬鹿力を発揮してしまう。神威に限ってこんな力で怪我をすることはないだろうが、痛いものは痛いらしい。いや申し訳ない。

「……そんな面白い奴、本当なら俺が相手したいモンだけどね」
「えっ、それは困る! 椿の相手は私だよ。いくら神威でもそれは許さないからね」
「冗談だよ。いくら俺でも、人の獲物横取りする程野暮じゃないよ」

 嘘つけやい。今の目は本気だったぞ。私、一瞬ヒヤッとしたんだからな。とはいえ、少しでも私が気を抜けば神威なら横取りしかねない気がするからどうにか気を引き締めていかないと。

「で? お前がそいつを殺したい理由は?」
「……理由?」
「そ。親代わりを殺された復讐、とか」
「復讐……かあ」

 復讐。確かに動機は復讐であると言っても良い。朱雀さんを椿が殺したあの時、椿に対して怒り、憎しみがこれ程までにないくらい湧いたのは事実だ。でも何故だろうか、復讐という単語を聞いても特にしっくり来ないのは。怒りが風化する程軽い感情ではなかった事くらい私は理解しているし、だからこそ薬の研究だってここまでやって来られた。
 じゃあ、私はなんで、彼女を殺したいんだろう。

「珍しい事もあるもんだね。そんなに悩むなんてさ」

 そんな神威の一声で、思考の渦に飲まれていた意識が現実に戻ってきた。ごめんごめん、と平謝りをすると「思っていない事を口にするもんじゃないよ」なんて言われてしまった。よりにもよって神威に。ちょっとイラッとしたから軽く小突いてやろうかと思ったけど仕返しが余りにも怖いからやめておいた。

「まさかそいつに情でも沸いた?」
「そんなまさか! 今更情なんて沸く方がおかしいでしょ」

 けらけらと笑って、何を考えているか分からない彼の視線からさり気なく逃げる。情なんて、沸くわけない。ここで情が沸いてしまったのなら、私の今までの時間はなんだったんだ。情なんて。
 沸くわけ、ないのに。どきりと心臓が大きく脈打ったのは、きっと気のせいだ。





 今日は本当に最悪な日だ。
 神威の船に態々乗せてもらって、大金はたいて薬まで作って、武器を握る手がじんじんと痛むくらい敵と戦って、相手のべっとりとした血液を身体に浴びて。そうまでして追い詰めた私の椿は武器を構え馬乗りになる私を見上げ、寂しそうに笑った。

 彼女に会って、戦いはどこからともなく始まった。相手に宣戦布告するのも勿体無いと思うくらい、私はこの時を待ち侘びていたのだ。彼女を倒すために作ったこの薬で、私は『今の椿と過去の椿、どちらが強いか』を証明したかった。今のお前は腑抜けなのだと、私の薬の力をもって証明したかった。

「……宮司、否……朱雀が何者か、まだ突き詰めていないのか」

 椿は昔のような大人びた笑みを貼り付けることなく、表情を無にして私の瞳を真っ直ぐ見据えた。思わずその見慣れない視線にたじろぎそうになるが「……何者か?」とオウム返しのように言葉を漏らした。

「そうだ。彼奴は、」

 何となく、聞きたくないと反射的に思ってしまった。聞いてしまったら、今まで積み上げてきた何かが水泡に帰してしまうような気がして。武器を構える、いつの間にか震えていた私の手を制するように、椿はその冷たい手をそっと重ねた。

「お前の生みの親を殺した、張本人だよ」

 一瞬その場の空気が止まったような、そんな感覚に陥った。風で枯葉がからからと飛んでいく音と、自分の心臓の音がうるさいほどに耳に残る。
 嘘だ、嘘だ、嘘だ! そんな訳、そんな事があってたまるか! これは椿のついた嘘に違いない。敵として、私を陥れようと。……でも、この目を私は知っている。かぶき町に来て、色々な人と触れ合って、よく見てきた目。
 侍の、目なんだ。

「……嫌な予感、的中したなあ」

 武器を持つ手をぶらりと下ろし、まだざわめいている心臓に知らん振りをしながらやるせなく笑う。それでも表情を変えない椿が一体今何を考えているのかなんて少しも分からなかった。幼い頃からずっと一緒に居たというのに。それについては朱雀さんも同じだ。 一番信頼してきた人が私の肉親を殺した張本人とは。

「彼奴は私と同じ天導衆の手先だった。生まれた時から天導衆に身を置いていてな。本当の名を、鼓滝朱雀という」
「……! 鼓滝って、」
「そうだ。……彼奴は私の、父親だ」

 知らなかった。椿と朱雀さんが血縁だと今まで気付かなかったということは、ずっと隠してきたということだろうか。そう言えば今まで二人が家族のように会話をしている姿を見たことが一度も無かった気もする。……じゃあ、椿は初めから朱雀さんの企みに気付いていたのか。

「お前の肉親は幕府の重鎮でな。天導衆……つまりは天人との貿易に大変厳しいお方だった。まあ、その噂はこちら側でも幕府側でも有名な話だったのだがな。そんな危険視されている人間側の重鎮が『天導衆の重要な情報』を持っていたら、天導衆はどうする?」
「それって……!」
「そう、邪魔者は排除してしまえばいい」

 椿が言うには、不老不死についての情報なのだと言う。詳しい事は知らないが、恐らく天導衆の中心である虚に関する情報だ。どこでその情報を手に入れたのかも、詳しいその情報も分からないのは、当事者がどちらも死んでしまったのが原因と言える。
 だから、朱雀は。天導衆はお前の肉親を殺したんだ。そう告げられて、ふと一つだけ疑問が頭をよぎった。

「……椿はどうしてすぐに自分の親を、」

 言いかけたその時だった。キィン、と金属がぶつかり合う音が真後ろで聞こえる。刀の音だ。急いで後ろを向くと、苦無が心臓に突き刺さった天導衆の手先が血を流して倒れている。よろけながらも立ち上がり椿の方を向くと、懐から出した苦無を構えていつもの余裕そうな笑みで敵を見ていた。

「どうやら話している暇は無さそう、だッ!」

 椿は次々に襲いかかって来る敵に苦無を投げたり、持ち前の長刀で踊るように斬っていく。ぼーっとしちゃ居られないと、椿に背を向ける形で私も武器を握り直して目の前の敵を一心不乱に切り倒していく。

 そうして倒し続けてどのくらい経ったのだろうか。少しずつ敵が減って、戦うのが少しずつ楽になってきた。

「私がどうして自分の肉親を殺せたのか、」
「!」

 先程言いかけた言葉を汲み取るように、椿は敵を切り倒しながらも私に話しかけて来た。

「お前が、私を愛してくれたからさ。」
「……は、どういう、」
「私はな、お前の笑顔に救われていたんだよ、暁。肉親があんなだから、私はまともに普通の愛を知らずに生きてきた。人並みの幸せを知らずに生きてきた」

 覚えていないだろうな。でもある時、お前は私に対してこう言ったんだ。

『楽しくないときに笑っても辛いだけだよ。……ええ、それでも笑いたい? ううん、そうだなあ……じゃあ、わたしが椿ねえを笑わせてあげる!』

 覚えていない、訳がなかった。否、私は忘れようとしていたんだ。今の私は、楽しくない時でも笑顔を作って過ごしているから。その自覚が、私にはあったから。

「だから私は、決心がついたんだよ。暁を、妹を守ってみせると」

 目の前の敵を斬り終わり、思わずばっと振り向く。その時の椿の表情は、過去を思い返して懐かしげに目を細め、

「ッ危ない、暁!」

 瞬きをする余裕もなく、どん、と思い切り身体を押される。ぐらりと傾いた身体は地面に近づき尻もちをついた。文句のひとつでも言ってやろうと顔を上げると、ぽたり、ぽたりと私の頬に生温い液体が降ってくる。重力に従うように頬を滑るその匂いは、鉄。目の前には私を庇って血を流す。

「……椿!?」

 身体を自らの血で真っ赤に染めた椿が、変わらぬ笑顔で立っていた。私はほぼ衝動的に起き上がり、一刺しで敵の生命を止める。そうして力が抜けたように地面に倒れ込む椿の肩を抱き上げ、必死になって声をかけ続けた。

「殺せ、私を」
「……は、?」

 血が流れすぎている。傷口からどくどくと流れ出す血はまるで生命のタイムリミットを表しているかのようで、とてもじゃないが見るに堪えない。その証拠に、掠れた声でそんな事を言われるものだから、つい耳を疑ってしまう。

「元を辿れば……私も彼奴朱雀の仲間だ。私を殺さねば、お前が積み上げてきたモノは……一瞬で無に帰すぞ」
「……!」

 私の立場を思っての言葉だろう。私が攘夷浪士であれど宇宙海賊であれど、ずっと往診を続けて来られたのは今までの信頼の積み重ねがあってこそだ。今ここで、天導衆との関わりを世に知られてしまえば、今の職でまともに働くことは不可能だろう。

「でも椿! あんたは、」
「一度私を殺すと決めたのなら、その意志を曲げるな。人の命を奪うと決めたのなら、躊躇しては命取りになるぞ」
「ッ、」

 その通りだ。そんなの、神威にだって同じような事を言われたのに、私は結局情に流されようとしていた。大切なものを見誤って、目指してきた事を簡単に諦めて、私は一体なにをしているんだ。
 初めて悔しいと思った。絶対に曲がらない強い意志を持っていると自負していたからこそ、腑抜けた自分の考えに腹が立った。誰よりも何よりも私を愛してくれていた人に一瞬でも憎しみを抱いてしまった自分に、腹が立った。

「……殺さないなんて選択肢、無いに決まってんでしょ」

 これで何度目なのだろうか、もう握りなれた刀を、手から血が出そうな程に両手でぎゅうっと握り締める。流れるようにゆっくりと椿の心臓の上で刀を構えると、殺される直前だと言うのにも関わらず、椿は幸せそうにふわりと笑った。私が今まで見たことの無い、心からの笑顔で。
 なんでこのタイミングで、この人はこんな笑顔を浮かべられるのかなあ。なんで、よりにもよって。

「……ありがとう。私を、守ってくれて」

 なんでか震える口角を必死に上げて、なんでかぼやけて見えない視界で椿の笑顔を捉えて。

「       」

 音もなく刀が空気を両断し、何度経験したか分からない、肉を裂く感覚が手元に残る。未だに震える手を刀の柄に添えて、顔を隠すように下を向いた。視界にうつる椿の四肢はぶらりと地面に放り出され、ぴくりとも動く様子はない。
 刀を突刺す前に言われた言葉を脳内で数回復唱し、もう私の声なんて届かないであろう椿の艶やかな黒髪を撫でて目を細める。

「私も大好きだよ。……椿ねえ」

 この日私は、初めて自分の力で人を殺した。







「戻るよ、暁」

 私の意識はそんな神威の一言で戻った。ハッとして顔を上げると、どこかで散々戦ったのか、あちこちに傷跡と血痕を散らばせて神威がこちらを見ていた。いつもと変わらない様子で私に声をかける神威は、先程会った時よりどこか違って見える。

「海坊主さんと神楽に、会ったんだね」
「……お前、変なとこで鋭くなるよね」

 だって、どこか吹っ切れたような表情をしていたから。なんて口にはしないけれど、昔から一緒に居る私には手に取るようにわかる。いや、言い過ぎかもしれないけど。
 苦虫を噛み潰したような表情をする神威をぽけーっと見つめていると、神威は突如表情を消して、地べたに座っていた私の視線に合わせてしゃがむ。

「やっぱ、情でも沸いた?」
「……神威も鋭いじゃんか。人の事言えないって」

 否定、できなかった。
 不貞腐れるように軽く頬を膨らますと、神威は傷だらけの手を私の顔に伸ばしてさらりと目元を擦る。

「泣き跡」

 こんなの俺じゃなくても分かるよ。そう言った神威は、情が沸いた私を軽蔑するでもなく、呆れたようにふっと笑ってみせた。そんな表情、初めて見たかもしれない。思わず笑ってしまったような、自然に出る笑みなんて。ちょっとだけ驚いて呆然としていると、「聞いてんの?」と不機嫌そうに顔を歪めながら軽く(当社比)デコピンをしてきた。だからそれ痛いんだってば。

「お前には俺が居るだろ。……だから、そいつの為に泣くのはもうやめたら」
「かむい、」

 神威は少しだけ俯いたまま、私の頭をくしゃりと撫でた。乱暴だけど何処か優しさの籠ったその手がなんだかとても暖かく感じて、神威のその言葉がじんわりと心に滲む。

「うん。……ありがと、神威」

 緩みきった涙腺からまた雫が零れないように精一杯我慢しながら、震える唇をきゅっと結んで笑って見せた。
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