06
いつもより一、二時間早く起きて支度をし始める。制服ではなく、動きやすいジャージを身に纏い、腰にポーチを付けてその中にミネラルウォーターが入ったペットボトルを入れる。朝食もバッチリ食べたし、これで問題ない。

「……取り戻さなきゃ」

ぽつりとそう呟いて、玄関のドアノブにぐっと力をこめて開けた。

私の両親が居なくなってしまったあの事故から、私は全く走ることを辞めてしまった。けど、こうしていられないと決心した私は「全てを取り戻す」気持ちでまた再び陸上に専念することにした。これ以上、後輩達に情けない姿は見せられないから。

まだ日が登り切っていないその空の下、私は思ったよりも軽い足取りで今まで練習で使っていた道を走る。久しぶりのその道は何だか新鮮で、俄然私のやる気を沸き上がらせた。

途中、あるものを見て思わず足を止めた。稲妻町の橋を目の前に、ふと視線を下にずらすとそこには雷門中サッカー部が猛練習している姿があったのだ。そこには勿論風丸と、その幼馴染である円堂君がいた。他にも見覚えのある下級生が必死にボールを追いかけて走り回っていた。ミスをしても、転んでも立ち上がってひたむきにボールを追いかける彼らは正に「青春」という言葉がピッタリであった。

私も、あそこまでとは行かずとも、ちゃんと目標に向かってひたむきに走れるようになりたい。

パシンと自らの頬を両手で打って、走り出そうとしたその時だった。

「あれ?網問先輩じゃないか?」

大きな声がこちらに降り掛かってきた。この元気の良い溌剌とした声は、勿論円堂君の声である。

私はギクリと肩を揺らして振り向くと、ぎこちない笑顔を浮かべて「…や、やあ」と短く返事をした。



「こんな朝早くから何してたんだ?」

円堂君に見つかると、何故か円堂君は全力で風丸を連れ出してこちらへ歩いてきた。風丸を連れてきた意味あったか?

一方私の姿を見た風丸は大変驚いたような表情をしていた。こんな朝早くに私の姿を見るのは久しぶりだろうから無理はない。そんな彼の表情を見て、覚悟を決めて口を開く。

「…私、また陸上やろうと思う」

そう言ってまっすぐ風丸の目を見つめると、風丸はぽかんと口を開けて呆然と私を見つめ返す。暫くして風丸はやっと「…え、」と声を漏らした。

「ほ、本当に、ですか?」
「うん、本当に。……もう、逃げたくないんだ。このままここでくよくよしてたって、私は何処にも進めないから。…それに、風丸には私の走っている姿を見ていて欲しいから」

ゆっくりと自分の気持ちをさらけ出すと、何だか心が軽くなってきて自然と笑みが零れる。まだ両親の死に納得している訳では無いけれど、きっとこのままの私を見たら、2人は悲しむだろうから。何よりも私の周りには暖かい仲間が多いのだ。それを無視して自分中心になるだなんて、そんな勝手はこれ以上したくなかった。

「……よかった」

心底安心したような声色でぽつり、と呟く風丸に首を傾げる。…そこまで心配させてしまっていたのだろうか。もしそうなら申し訳なさで心がいっぱいだ。

「陸上辞めた後の網問先輩、何だか元気が無いように見えたんです。だから俺心配で……。でも、またやるんですね」
「そ、そんなにだった?」
「確かにそうだな!それに網問先輩が陸上辞めた時風丸も元気無かっ」
「わーー!!ちょっと黙れ円堂!!」

大声をあげて思い切り円堂君の口を塞ぐ風丸。円堂君はもごとごと口を動かして苦しそうにしている。…今のは痛そうだった。だって遠心力でぶつかってバシーンなんて音が鳴った位だよ?絶対に痛いじゃん……風丸容赦ないな……。

風丸は少しだけ顔を赤くしながら円堂君にコソコソと何かを話している。うん、後輩って可愛いなあ。私を心配する位でそんなに照れることないのに。寧ろ嬉しいのに。

「…それで、風丸はどうするの?」
「どうするって……」
「宮坂だよ、宮坂」

忘れたら面倒だぞ〜?と意地悪く笑ってみせると、風丸は「ああ…」と言って苦笑いを浮かべた。

「宮坂には俺のサッカーを見て納得してもらいたくて。それで、次の試合に来るように言ったんです」
「へえ、意外と大胆な事するね」
「言葉で言っても伝わらないなら行動で示す、って感じです」

まあ宮坂相手ならそれしか無いのか。宮坂の不機嫌そうな顔を思い浮かべて、私も苦笑する。

やり方はどうであれ、二人が納得のいく答えを導き出せればそれでいい。どちらも大切な後輩なのだ。このままで終わって欲しくはない。(宮坂には良く思われていないけれど)

「上手くいくといいね、風丸」
「そうですね。ありがとうございます、網問先輩!」
「……んー、よく分からないけど…網問先輩もサッカーやろうぜ!」
「えっ何でそうなった」

頭をガシガシと掻いた円堂君はバッと顔を上げて、私にお決まり文句の「サッカーやろうぜ!」を繰り出した。まさかサッカーをやろうと言われるとは思ってもいなかったのでめちゃくちゃ驚いている。誰か彼の思考回路を分析してくれ。

「お、おい円堂!話聞いてたか?網問先輩は陸上を……」
「まあいいよ、楽しそうだし」
「網問先輩!?」
「よーしじゃあ決まりだな!風丸もやろうぜ!」
「お、おい!」

単純に、円堂君に誘われた風丸がここまで熱中出来るサッカーとはどんな物なのだろうと気になったのだ。結局サッカーも足を使うんだし、練習にならない事はないだろうと楽観的思考で返事をした。風丸は慌てた様子で私達の名前を呼んで引き止めるが、私は1度決めたら引き戻れない性格なのだ。良くも悪くも猪突猛進とよく言われる。

「ね、風丸の大好きなサッカーを私に見せてよ」

そうでなきゃ、私も宮坂と同じように風丸を止めちゃうかもよ?なんて言って笑ってみせると、風丸はピタリと動きを止めてぶらりと腕を下げる。そして今日何度目かの苦笑を浮かべると、風丸は元気よくそれに答えた。

「絶対に、納得させてみせますから!」