05
私を照りつけるまぶしい夕焼けは、夏日の様にじりじりと私の肌を熱していく。熱を持った腕をゆっくりとさすり、通学路の途中の河川敷を見下ろした。夕日が水に反射して宝石のように輝いている。

「あれ、風丸の先輩ですよね?」

突然聞こえた声にばっと振り向くと、そこにはサッカーボールを抱えてきょとんとしている少年がいた。何度も見たことがあるし、結構有名人な円堂守だった。それだけじゃない。風丸が円堂守の事を話すときは必ずきらきらとした目で語るから、嫌でも覚えてしまうものだ。

ぎこちない敬語で話しかける彼に、私はせめて失礼の無いように笑顔を作って対応する。

「うん、そうだよ。君は……円堂君、だよね」
「え、俺の事知ってるのか!?…ですか?」
「無理に敬語にしなくても大丈夫だよ」

思わずクスリと笑ってそう言うと、円堂君は再びきょとんとした顔をしてすぐに苦笑いをした。こうしてちゃんと会話を交わすのは初めてだけど、円堂君が敬語を使っている所は全く予想が出来ない。逆に無理して敬語を使われてもこちらが対応しづらくなるだけなので、外して貰った方が都合が良かった。

「えっと……網問先輩?って風丸が言ってた気がする!」
「うん、正解。…というか知ってたんだね?」
「風丸がよく網問先輩の事を話題に出すんだ。だからだな」
「へえ、風丸が」

どくん、と心臓が跳ねる。これしきりの事でバクバクと忙しく動く心臓を落ち着かせるように胸に手を当ててふぅ、と息を吐く。そろそろ重傷なのでは?と思うほどには、脳内は風丸の事でいっぱいなのである。我ながら情けない話だ。

流れで一緒に帰ることになった私達は、河川敷を眺めながら歩き始めた。円堂君はお喋りで元気な子で、大人っぽい風丸とはまるで違う性格だった。最近喋る後輩と言えば風丸くらいなので、何だか新鮮な感じがして面白い。

「あれ、あそこにいるの風丸…と」
「後輩の宮坂だね」

あっ、と声を上げた円堂君が指差す先には、川沿いに腰をかける風丸と宮坂がいた。つい最近宮坂の気持ちを知った私は二人が一緒にいる所を見るとどうしても顔を顰めてしまう。

遠くから聞いている限り、やはり内容は風丸の陸上部復帰に関するものだった。そうだろうな。宮坂は先輩である風丸を本当に尊敬しているし、勿論風丸は実力のある陸上選手だったから陸上部員としては帰ってきて欲しいというのは分からなくもない。今私が陸上を続けていたら、きっと宮坂と同じ選択をするのだろう。

早くここを通り抜けて会わないようにしよう、そう思って円堂君に声を掛けようとしたその時だった。むっとした表情で宮坂が立ち上がり、風丸から離れていった事で私達の存在がバレてしまったのだ。

宮坂が横を通り過ぎる前に円堂君が「よ!」と手を挙げて挨拶したのだが、宮坂はそれを完全スルーした。その次に私を視界に入れた宮坂はもっと顔を顰めて、フン!と鼻を鳴らして通り過ぎていった。まるで反抗期の息子を持っているかのような、そんな複雑な母の気持ちのようだ。

「ほら、なにぼーっとしてるんだよ。行こうぜ!」
「えっ?あ、ちょっ……」

不思議な顔をして宮坂を目で追った後、円堂君が私の腕を掴んで風丸の所へ引っ張っていく。私より身長の小さい彼だが、流石はスポーツマンである。踏ん張ってもよろけてしまう。きっと彼の守備は固いのだろうな、なんてぼんやりと考えながらそのまま引っ張られていく。

「聞いちゃった…と、網問先輩もいるぜ」
「……ごめん、私も聞いちゃった」

ひらりと手を振ると、風丸は驚いたように目を見開いた。陸上部の事だから、あまり聞かれたくはなかったのだろう。私が辞めてからはどこか気遣っているような素振りを見せていた所があったから、そうとも予測できるのだ。

風丸は再び前を向いて、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

「網問先輩は知っての通りだけど、あいつ、宮坂って言って、まだ荒削りだけど良いスプリンターなんだ」
「……あの1年に悪い事しちゃったかな」
「そんな事ないさ、悪いのは俺だ」

円堂君が申し訳なさそうに眉を八の字に下げて苦笑いをすると、風丸は微笑を浮かべて否定した。悩んでいると言うのにも関わらず、どこか清々しいような雰囲気を感じ取れるのだから彼は不思議な子だ。

円堂君は持っていたボールを地面に置き、その上に軽く腰掛ける。それを見て、私も風丸の隣りにゆっくりとしゃがみ込む。

「俺、お前はもうサッカー部のメンバーのつもりだった。けどそうだよな。助っ人で頼んだんだよな」
「お前のメチャクチャな練習と、熱さが気に入ってな」
「……確かに、あの時の風丸は楽しそうだったね」
「あんときはさあ!必死だったからさあ!」

ふっと笑って腕に半分だけ顔を埋めれば、風丸は恥ずかしそうに頭を掻きながら笑った。

円堂君がずっとサッカー部に色々な人を勧誘しているのは学校中で噂になっていたし、その時点でもう陸上をやめていた私でさえも存在は知っていた。まさか部活に入っている人を余裕で誘うとは思ってもいなく、風丸が助っ人に入ると聞いたときは大変驚いた。どんな時も行動力が計り知れない子、という印象が根強く残ってしまった一件である。

「……初めは、本当に助っ人のつもりだったけど、気が付いたらいつもサッカーの事を考えてる。この感じ、陸上を始めた頃みたいなんだ。何ていうか、楽しいんだよ」
「戻るのか?」
「……分からない。陸上の仲間もお前達も、俺には大事な仲間だ。どっちを選んでも、どっちを裏切るような気がして…」

苦しそうに打ち明ける風丸を見て、ひゅ、と息が止まった。風丸は初めから優しい、優しすぎる子だった。そんな性格が、現状をキリキリと苦しめているのだ。ずっと長くやってきた仲間と、なれ合って日の浅い仲間。そんな双方とも、風丸は大切だと言うのだ。優劣は付けられないと、苦しんでいるのだ。

「風丸はさ、もっと我が儘を言ってもいいと思う。仲間を思う気持ちは確かに大切だけど……風丸の気持ちはどうなの?他人は関係なしに、自分の心に直接聞いてみな?」
「ああ、網問先輩の言うとおりだ。俺は風丸の選択を信じるぜ!納得できるまで、いっぱい考えとけ!」

ニカッと笑って風丸の肩に手をぽん、と置いたのを見て、私もふっと微笑……もうとしたその時だった。円堂君がバランスを崩したせいで、ボールは川の方に転がって行って尻餅をついてしまった。そんな事件に思わず口をつぐんだが、私の中には円堂君のさっきの言葉がずっと頭に残っていた。

”納得できるまで、いっぱい考えとけ!”

私は陸上を辞めて、納得できていたのだろうか。陸上を辞めても、風丸を見る度に痛むこの心は、何より大好きだった陸上に未練が残っている証拠だった。私は陸上を続けている最中、器具のトラブルで足を壊して復帰は難しいとされた。入院生活は耐えることが出来た。部員達がずっと待っていると、背中を押してくれたから。

でも、すぐに両親が事故で亡くなったのだ。唯一の姉弟である弟を残して、大切な人は事故で亡くなってしまったのだ。突然の知らせに私は何もかもが嫌になった。大好きだった陸上で怪我をしなければ、もしかしたら変わっていたのかもしれない。私がもっと周りを見ていれば、両親に何か出来ることがあったのかもしれない。

単なる事故だというのに、私は関係の無い事まで自分のせいにして責めていた。そんな精神ギリギリの状態でも、ずっと側で支えようとしていたのは風丸だった。その優しさに、その時は目が眩んだ。まぶしすぎた。ただそれだけの感情で風丸を見ていたのだ。

……でも、今は違う。まぶしさは勿論だけど、風丸は一人で抱え込んで、仲間を思って悩んでしまう欠点があると知った。

後輩が、こんなにも前向きに解決しようと努力をしていると言うのに、私は一体何をしているのだろう。

「……変わらなきゃ、だよね」

風丸達に聞こえない位の声でぽつりと呟く。

顔を上げた私の意志は鋭く、心の底からめらめらと湧き上がってくる何かを感じとれた。