ちゃんと心に決めた事は最後まで成し遂げる。そんな言葉は今でも自分の中に残っていて、ちゃんと陸上部に戻れるような体力や技術だって取り戻してきた。そりゃあまあ、取り戻すと言ったって容易な事ではないのだけれど、後輩にあんなキラキラしてかっこ良い姿を見せつけられて黙ってじっとしているなんて私には到底出来そうになかったのだ。
陸上部の同級生にも後輩にも、そろそろ戻って来いと誘いが来ている。勿論、風丸からもちょくちょく誘いは受けている。現役時代の技術面等は私の根気と気合いで取り戻しつつあるから、今戻ってもまあ人並みには出来ると思うし大丈夫なのかな、なんて考えも浮かんではいる。とりあえず陸上部の入部届けを顧問から貰いに行くと、顧問はそれはそれは嬉しそうな顔で「おお、戻ってくるのか!」と私の肩をぶんぶんと揺らしていた。私もそれを見ていたら何だか嬉しくなって、その入部届けを早く書くために急ぎ足で教室へ戻って行った。
「…なんか、同じ部活の入部届けを2回描くって新鮮だなぁ」
「という事は戻るんですね、網問先輩」
「!…なんだ、宮坂かぁ」
「…む、なんだって何ですか。そんなに風丸さんが良かったんですか?」
「そういう事じゃないってば」
突然声を掛けられて、入部届けを書くことに集中していた私は思わずびくりと肩を揺らしてしまう。扉の方に視線をやると1年の宮坂が3年の階にいるものだから、何があったのかと驚くのは無理ないだろう。まず、宮坂が自らこちらへ寄ってくることは無かったからかなり驚いている。
宮坂はムッとした顔で私を睨んできたから、私は苦笑して「おいで」と手招きをすると、宮坂は渋々こちらへ足を運んで来た。珍しい事もあるものだなぁ、と思いながら再び入部届けを書く手を動かし始める。
「それで、どうしたの宮坂」
「…別に。網問先輩が入部するっていう噂を聞いたから、本当かどうか確かめたかっただけです」
「本当だよ。ほら、これ見れば分かるんじゃない?」
「………網問先輩は、僕達部員を置いて勝手に陸上部を辞めちゃうような人ですよ?」
「……宮坂、」
ぽつりと吐かれた言葉に思わずペンを止める。
……ああ、何だ。信頼なんて全く無いのだとばかり思っていたけれど、本当はそうでもなかったみたいだ。どこか寂しげな声色の宮坂はぎゅっと口を噤んで顔を曇らせていた。そんな宮坂にここで軽率に「ごめんね」なんて言えるほど、私は馬鹿でもない。伸ばしかけた手は机の上に戻され、そんな宮坂の様子を見つめるより他無かった。
「網問先輩が辞めてから、風丸さんは少し変わりました。元々足の速かった風丸さんが、『ここで落ち込んで記録が落ちても、網問先輩が気に病むだけだ。だから俺はいつも通り走るよ』って言って、前よりも真剣に陸上に取り組むようになったんです。勿論風丸さんの記録はどんどん伸びていきましたよ?けど、少しだけ寂しそうな表情で走る風丸さんを見るのは…辛かったです」
ゆっくりと吐き出される言葉。それは全て先輩を大事に思う後輩の感情で、私はそれが痛いほど伝わり、心がぎゅっと締め付けられた。
「風丸さんを取っちゃう網問先輩は好きじゃないです…けど、網問先輩がいてこその陸上部です。……僕だって、本当は辞めないで欲しかった」
ちゃんと最後まで風丸を思っていた。何よりも陸上部を愛していた。…好かないはずの私を、何より先輩として、仲間として見ていてくれた。私はそんな宮坂の言葉を聞いて、ごめんで済ますほど落ちぶれちゃあいない。私は立ち上がって、俯く宮坂の身体を思い切り抱き締めると、宮坂は慌てた様子で「って、え!?ちょ、何やってるんですか網問先輩!?」と耳元で騒ぎ始めた。
「風丸や宮坂の気持ちを考えずに辞めた事は今でもずっと後悔してる。きっとそれは、これからも後悔し続けるよ。…でもね、風丸に負けないくらいこれから練習したいよ。宮坂にとって自慢になれるような先輩になりたいよ。陸上部にとって、かけがえのない存在でいられる様な選手でありたいよ。だから、私は陸上部に戻るより他無いんだ」
ぽん、ぽん、と子供をあやす様に、壊れ物を扱うようにそっと宮坂の背中を叩く。すると宮坂はぴたりと動きを止めて私の言葉にじっと耳を傾けてくれた。何を言っても私の我儘でしかないのは分かっている。だけど、宮坂が本音を漏らしてくれたのだから、私もそれ相応のお返しをしなくてはならないと思った。
宮坂は暫くして私の制服の裾をぎゅっと掴んで、小さく鼻をすすった。
「……別に、泣いてませんからね」
「なぁに、今の私は何も聞こえないよ」
「泣くなんて、そんな、かっこ悪いことしませんからね」
「…宮坂はかっこ悪くなんてないよ。最初から最後まで、私達のことを考えてくれてたじゃない」
「……………」
とん、と宮坂の頭を肩に預けると、宮坂は肩を震わせて小さな嗚咽をこぼし始めた。
何も出来ない無力で格好悪い先輩は何でも言える格好良い後輩にとって、頼れる存在にちゃんとなれたのだろうか。