06

 起きて、時計を見て、朝の支度をして、

ああ、そうだ。こんな当たり前の事だって億劫になってしまったんだった。





「………あれ、ここ、どこだ」

ふっと意識が戻るような感覚がしたかと思えば、視界いっぱいに光が差し込んできたものだから、脳がパンクしそうになった。周りを見渡せば、何故だか懐かしさを感じる部屋にいる事が分かり、私は首を傾げた。私は今まで何をしていたんだっけ。うんと頭を捻って考えるけれど、脳裏に浮かぶのは一人の少年だけで、後はなんの情報も得られなかった。重要な事を忘れている気がするが、まあいいだろう。

一歩足を踏み出すと、ぐらりと視界が揺れるような感覚に陥る。なんだ、これ。何かがおかしい。どうにか足を踏ん張って立とうとするのが精一杯で、さっきまで考えていた事なんてあっという間に脳裏から消え去ってしまう。まるで記憶を思い出させまいとするように、酷い目眩が私を襲うのだ。

『辛い?』

ふと、後ろから女性の声がした。どこか、聞き覚えのある、落ち着く声。進む事もままならない足は止まったまま、私はどうにか首をくるりと回してそちらを向いた。

「っ……!」

そこに、居たのは。

『ねえ、豊』

紛れもない、私の母だった。

『私殺した罪滅ぼし、それで済ませたつもりなの?』

どんどんぼやけていく視界の中で、怪しく笑った母の顔がどうしても頭に焼き付いて離れないでいた。





「あっ、悠一君だ。久しぶり〜」
「っ!!?」
「あれ…固まっちゃった」

気が付けば私は悠一君の目の前にいて、とりあえずひらひらと手を振ってみると、悠一君はぎょっとした様子で私を見つめたまま固まってしまった。え………何………私そんな変な格好してた?あっ、もしや自分の顔面偏差値と私の顔面偏差値を比べて引いてたとか……!?そんな!酷いじゃないか悠一君!

ああいけない、大事な事を忘れていた。悠一君の私に対する反応よりも、何故か悠一君が成長している事がとても気になる。人間誰しも成長するだろと突っ込まれる所だろうが、いやこれはどう考えても成長し過ぎなのだ。the・中学生で可愛らしかった悠一君が、大人びた顔つきになり、プラス身長が私とほぼ変わらないくらいに変化している。

「ひっえ〜どうしたの悠一君!おっきくなったねえ…」
「どうしたのはこっちのセリフだ!」

悠一君は物凄い剣幕で私を睨み肩をがしりと掴むと、今までに聞いた事のないような大声で私に怒鳴りかけた。初めて見る雰囲気の悠一君に、思わず私も口を出すことが出来ずにその場でたじろぐ。

「いつも通り豊さんと話してる中突然消えたと思ったらもう3年もおれ達の目の前に現れないし今現れたかと思えばどうしたのだって?どれだけ最上さんと小南が心配したと……思っ、て、」

吐き出すように心の内を私に叫ぶ悠一君の双眸は徐々に潤んでいき、大きな雫となってぽたり、ぽたりと溢れ出す。私はその様子を見て目を見開き、何も知らず、何も思い出せない私への情けなさにぐっと唇を噛む。

「おれのこの能力、あんな風に認めてくれたの……豊さんだけだったんだよ、」
「………」
「だから、もう、……何も言わずに勝手に居なくなるのは、っ!?」

成長したと言っても、彼はまだ子供だった。私は我慢できず、少しだけ大きくなったその身体を引いて私の胸へ閉じ込めた。「ちょ、豊さん!?」と腕の中から抜け出そうとする悠一君を無視して、さっきよりも更に腕に力を込めて抱きしめる。

「ありがとう、悠一君」
「………は、」
「私の存在を認めてくれて、ありがとう」

つんと鼻が熱くなって、今度はなぜだか私が泣きそうになる。悠一君はぴたりと動きを止めたかと思えば、暫くしてそっと私の背中に手を回した。

「悠一君はあったかいね」
「…豊さんは、つめたいね」
「そりゃあ、死んでるんだもの」

くすりと笑って、悠一君の背中をゆるりと撫でると、ぐすっと鼻をすする音が聞こえた。ほうら、人は人の温もりには勝てないんだって。じんわりと感じる悠一君の体温は、悠一君が今を生きていると実感するのには十分な証拠だった。