生温いだけの地獄



 次の日も、その次の日も、幻の主は縁側に立っていた。
 主は相変わらず庭先の桜だけをみつめている。寂しそうなその横顔を見るたびに、そんな顔するのなら見なければいいのにと思う。思うだけで、口にはしない。主が決してこちらを見ないのと同じように、俺の声もどうしたって主には届かないことを知っていたから。
「……ほんと、なんで居るんだか」
 呟いたって、主の視線が俺の方を向くことはなかった。やっぱり、どうやったって届かないものは届かないんだと、諦めて幻から視線を外した。
「なにが居るんだ?」
「わっ!」
 そんな俺の独り言を、誰かが拾った。驚いて声の下方を向くと、縁側に座ってお茶を飲んでいる鶯丸さんがいた。……この人、今日は確か馬当番を任されていなかったっけ。どうしてここで悠長にお茶なんか飲んでいるんだろう。
「内番は終わったのか?」
「え、はい……鶯丸さんも?」
「大包平が張り切ってやっているところだ」
「いやいや!同じ当番ですよね!?」
「俺は茶を淹れてやる係なんだ。とは言え、一人では時間がかかるだろうから、先に鯰尾に淹れてやろう」
「手伝ってあげたらいいじゃないですか」
 あげたら、というか、本来そうすべきなんだろうけど、鶯丸さんは「細かいことは気にするな」とお得意の文句を言いながら呑気にお茶を淹れていた。
 そのまま湯呑みを渡されて思わず受け取ってしまったけど、口止め料のようなものだからなぁ。お茶一杯で共犯として扱われちゃわりに合わないと、口をつけるのを悩んでいると、鶯丸さんはそんな俺の葛藤を読み取ったのか、可笑しそうに笑った。
「極めてから随分と真面目になったな」
「そうかな。もともと面倒見るのは好きだったし、真面目ではありましたけど」
「それは分かっているさ」
 
「主の近侍は、お前にしか務まらない仕事だっただろう」
「……主って、」
「ん?あぁ、鯰尾にはこの呼び方をした方がいいと思ってな」
 今の主には内緒だと、茶目っ気たっぷりな鶯丸さんの言葉に苦笑する。

「何か見えているのか?」

「見える、って言ったらどうします?」
「どうもしないさ」
ただ、
「俺に見えないのが、少し惜しいと思う」

「それで、元気そうか」
「……本当に見えてないんですよね」

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