晩秋が木枯らしを連れてくる季節。喫茶『まろん』に集まった、遙、真琴、旭、貴澄、郁弥、日和は、各々がパソコン相手に睨めっこをしたり、プリントを眺めて唸ったりと思い思いに過ごしている。世界大会も終わり、オフシーズンに入ることに加えて待ち受ける期末考査は彼らに、お前たちは大学生だ、と改めて現実を突きつけた。
 その現実に、最初にギブアップの声を上げたのは、旭だ。
「だあぁあ! わっかんねえ! 知らねえよ、なんだよ冷戦下の国際情勢って! 生まれてねえっつーの!」
「じゃあ、なんで国際政治学なんて取ったの」
「レポート提出で単位もらえるから」
「暗記系の講義だと落とすからな、旭は」
「う、うるせえよ!」
 やいのやいのと喧しい三人に、他大学の日和と郁弥は眉を顰める。
「君たち、黙って勉強できないタイプなの?」
「というか、旭ができないタイプなだけだと思う」
「俺だけかよ!」
「だって、僕もハルも落としそうな講義ないしね」
「こ、この裏切者……」
 いったい何を裏切ったのか定かではない。突っ伏した旭は「集中切れたぁ」と呻き始め、他の面々もそれには少し同意するのか、伸びをしたりドリンクを飲んだりと緊張の糸が解れた空気が流れた。根を詰めても捗らない。
「……そういえばさ」
 チラリと、呻いていた旭が貴澄を見遣る。ん、と瞬いた彼に少しだけ口をまごつかせて、けれど意を決したように居住まいを正して尋ねた。
「貴澄、彼女できた?」
「へ?」
「え!?」
 きょとんと目を丸くしたのは貴澄で、仰け反ったのは真琴。「うそ、全然知らなかった」と唖然と呟き、貴澄をチラ見した彼に、当の本人は首を振る。
「いやいや、いないからね?」
「え、そうなの?」
「そうだよ! というか旭、急に何言ってるの?」
 片眉を僅かに上げて抗議の声を漏らした貴澄に旭は「えー」と逆に眉根を寄せる。
「だって、最近いっつも一緒にいる女子いるだろ。飯に誘っても、ごめん今日は先約、て断ること多くなったし」
 口を尖らせた旭が状況証拠だとここ最近の貴澄の行動を振り返ったが、当の貴澄は深く嘆息した。
「女の子はバスケ部の友達で恋愛相談受けてたの。で、先約はバイト先の店長が退職するからそれのパーティーの打ち合わせとか買い出し。なに一人で早とちりしてんの」
「……そうだったのか」
「まあ、勘違いする旭の気持ちは分からなくもないよね」
 せっかく面白い話だと思ったのに、と肩を落とす旭に、黙って話を聞いていた郁弥が、ふと笑った。
「鴫野君、モテそうだし」
「分かる。女子の扱いを心得てそうな感じがする」
「えー、それいい意味? 悪い意味?」
「半々くらい?」
「嬉しくないから……」
 郁弥と日和の談に、拗ねた声音を上げた貴澄は、しかしすぐに考える素振りを見せると口角を上げた。
「ねえ、この中で一番モテるのは誰かな?」
 弾んだ声音が響いて、次いで数秒沈黙が広がる。
 水泳に日々、明け暮れて、空いた時間はバイトや仲間と遊びに行く生活をしている彼らに、恋愛、の二文字はどこか遠い世界の出来事と言っても過言ではなかった。片想い程度なら経験はあるが、恋人がいたとなると、水泳部ではない貴澄くらいで。
 故に、モテるモテないの話すら、新鮮だった。
 貴澄の疑問を呼び水に、それぞれが面白がって、また気恥ずかしげに己の見解を口にする。「旭は好意に気付かなさそう」「そういう郁弥は片想い拗らせそうだよな」「橘君は友達以上恋人未満で続きそうだね」「えぇ……ちゃんと気持ちは伝えると思うけど」。
 やいのやいのとテスト勉強そっちのけで大盛り上がりな男子学生達の輪に、カランとドアベルを鳴らして一人、また混じる。
「何してるの?」
 店内に入ってきた白崎晶は、訝しげに眉を顰めて面々を見遣った。テーブルの上にはパソコンやら講義プリントが所狭しと並べられているのに、聞こえてきた内容はそれらと擦りもしない。自分も混ざろうとやってきたというのに。
 椅子を持ってきた真琴に礼を言って座った晶に、旭が至極楽しげに伝える。
「誰が一番、モテるかって話!」
「へー」
「うっわぁ、全然興味なさそうな声」
「そんなことないよ。割と興味津々、けっこう、たぶん?」
 落胆した旭に、彼女は恬淡に返したが──

「なら! 白崎は誰が一番モテそうと思うんだ?」

 ぴたり、と。旭の問い掛けに場の空気が一瞬、緊迫した。
 先ほどまでは男だけの不毛な論戦を繰り広げていたが、異性という特異点が今はある。モテたいというわけではなくても、なんとなく気になるのが男の性か、はたまた年相応の反応か。
 旭の問いかけに、晶は眉を顰めた。
「モテそうって……。それ、告白された回数を言い合ったら結果出るでしょ?」
「なら! 付き合うなら誰がいいか、とか!」
 尋ねてしまった手前、最後まで聞きたい。気恥ずかしさとか、罰の悪さとか、全て取っ払ってとりあえず聞きたい。食い下がりまくる旭に異を唱える者がいないのは、つまりそういうことだ。
 男子学生の興味を一身に受け、白崎晶はひとつ嘆息すると、口を開いた。

     *

 旭の突拍子もない質問に嘆息する晶を見ながら、日和は思案する。付き合うならとか、モテそうとか、仲の良い友人の評価を大人しく彼女はするのだろうか。尋ねた旭でさえ、なんとなく気まずさというか恥ずかしさ混じりだというのに、きちんと答えてくれるのだろうか。
「一番は椎名君かな」
 ──と思っていたが、杞憂に終わったらしい。
 平然と、白崎晶は答えた。特に恥ずかしいとか、言いづらいとかそんな素振りも見せずに返した。
 だから、むしろ旭の方が呆気にとられて固まった。「へ?」と、数秒固まって、そして目に見えて顔が赤く染まる。
 そんな彼に構わず、晶は淡々と旭を評する。
「意外と気が効くし、意外と人の心の機微に敏感だし、意外と精神的にも肉体的にもタフだし、何よりおおらか。安定してるから、付き合っても安心感がありそう」
「貶すのと褒めるのをセットにしないでくれ。……でもまぁ、悪い気はしないな!」
「何恥ずかしがってんのさ、馬鹿旭」
「なっ! 自分の名前が出なかったからって拗ねるなよな!」
「拗ねてないし!」
 若干、不満げな郁弥と顔を赤らめた旭が言い争うなんとも奇妙な構図に周りが白い目を向ける中、「ねー、僕はー?」と、貴澄が上目遣いで晶を見つめた。
 期待の眼差しを受けながら、晶は、うん、と唸る。
「鴫野君はなんかこう、不安要素が多い。浮気はしないけど女友達の悩み相談に乗って相手が本気になりそう」
「えー、そんなことないよ」
「嘘つけ。その現場見たぞ、俺」
「旭、黙って」
「悪い男じゃん」
「悪い男だな」
「もう二人ともひどい!」
 声を揃えた郁弥と遙に泣きまねを入れる貴澄を置いて、旭は次々と他の面子を指差して評価を求めた。
「じゃ、真琴!」
「え、僕!?」
「うーん……。安心感はあるんだけど優しすぎるかな? 彼女に気を遣って逆に怒られそう」
「そ、そんなぁ」
「ハル!」
「俺を巻き込むな」
「水とサバの次に自分がいると思うと、微妙な気分」
「確かに。じゃ、郁弥は?」
「ちょ、僕も!?」
「なんかこう、お菓子あげたくなるよね。脂質と糖質少なめの」
「弟じゃん」
「弟だもんな」
「ちょっと! 失礼なこと言わないでよ!」
 最後の評価は付き合ったらというより、姉目線ではないか。彼女は一人っ子なので姉も弟もないが。
 各々が自分の評価に納得いかないと不満を口にする中、旭の視線が日和に向けられた。
「じゃ、遠野は?」
 順番通りだから自分も来ると分かっていたが、日和の心臓が大きく跳ねる。別にどのような評価であっても良くも悪くもないが、なんとなく、気にかけてしまうのもまた事実で。
 丸い両目が日和に向く。じい、と見つめる彼女の視線と自分の視線が交錯して、思わず息を呑んだ。平静を取り繕って早鐘を打つ心臓を落ち着けていると、彼女は視線を僅かに逸らして思案する。
 うーん、と眉を寄せて。
「笑いながら飲み会とか送り出すけど、本当はめちゃくちゃ不安がってそう。なかなか言葉にできなくてもやもやしてる感じ? 素直に言葉にできなくて、すれ違うこと多そうだよね」
 へらりと彼女が苦笑する。確かに、なるほど、なんて周りが頷くものだから、「なにそれ」と肩を竦めた。
「途中から『付き合うなら誰か』じゃなくて『彼女がいたらこんな感じ』て答えになってるよな」
「仕方ないでしょ。全員と付き合いたいわけじゃないから」
 そりゃそうか、と笑った旭の頭上に影が落ちて、全員の視線が彼の背後へと向く。
「あんた達、何しにここに来たの?」
 青筋を見せ、口角をひくつかせる茜の表情は、全員が己が本分を思い出すに足りる気迫があった。

 じゃあな、またね、と一人また一人、別れて帰路に着く。結局、閉店ギリギリまで店に居座り、時折、明後日の方向へと話が飛びながらもなんとかそれぞれが必要な課題は終わらせて帰宅の途に着いた。
 帰宅ラッシュにはまだ早い時間帯の地下鉄はそこまで混み合わない。日和は一番端に座った晶の隣に腰掛けた。
 規則正しく、レールの継ぎ目を通る車輪の音が耳朶を打つ。
「あのさ」
 その音に負けないように、けれど少し小さめの声で日和は問いかけた。
「僕、言いたいこと言えないタイプだと思うの?」
 隣を見ずに、視線は目の前の座席に据える。
 彼女は、うーん、としばらく唸った後、からりとした声で返した。
「限界まで溜め込むタイプって感じかな。言いたいけど言えなくて、爆発するまで溜め込んで最終的に暴発する感じ。定期的なガス抜きが苦手だと思う。特に大事な人相手だと」
 日和の視線が、少しだけ上向く。誰も座っていない前の席には、暗闇に反射して彼女が映っていた。
 苦笑しながら、彼女は日和を語る。
「友達とかだと歯に絹着せない物言いなのに、大事になればなるほど伝えられなくなる。もっと素直になればいいのに、て思うよ」
 彼女から見える日和の姿。彼女の目に映る遠野日和の輪郭に、日和は瞼を伏せた。憂いた色が、瞳に落ちる。
 大事だから伝えられない。大切だから口を噤む。嫌われたくないわけでも、怒られたくないわけでもない。ただ、手を煩わせたくなかった。自分が気持ちを伝えることで、困らせたくなかった。
 自分の言動が、他人の足枷になることが、嫌だった。
「素直になって、報われるならそうするよ。でも現実は違うから」
 暗闇に映る自分は、どんな顔をしているだろう。この声音は、彼女にどんな感情を与えるだろう。
 列車の進行方向に光が差す。数秒して、斜陽が車内に入ってきた。目の前のガラス窓から見えるのは、暗闇ではなくて無機質なビル群。大小、形も高さも違う建物は、まるで都会に暮らす人々そのものだ。でこぼこで、噛み合わない。
 ふと、日和は口元を緩めた。
「白崎さんも、同じだと思うけど」
「……わたしも?」
 訝しげな声に、揶揄するように応える。
「大事な相手に想いを伝えるのは苦手そうだし、モヤモヤを抱え込むタイプでしょ」
 ちらりと、視線を横に流す。僅かに交錯したそれだけれど、彼女は少し侘しげに、苦笑した。「そういうタイプかな」と呟いた彼女に、言下に「そうだよ」と返す。
 夕焼け色に染まるビル群を見つめて、彼女はへらりと笑った。
「なら、似たもの同士だね。私たち」
 困ったように彼女は眉尻を下げる。力無い笑みに、日和は緩んでいた唇を引き結んで、数秒してから返した。
「嬉しくないよ」
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