訓練だ。訓練だと言い聞かせた。結城中佐ならこんな事朝飯前だ。難しい事など何一つない。難解な暗号分を解読するわけでも、敵陣から脱出するわけでもない。
そう、これはただの訓練だ。

「っ、あっ!」
「考え事かい?イケナイ子だねぇ」

ねっとりとした下卑た声が耳につく。ヒヒヒと耳障りな声に反吐が出る。周りから聞こえるその声に波多野はギリと歯を食いしばった。

(くそったれ)



連れ込み宿に波多野は居た。単純な訓練だ、男を落とせ、ただそれだけ。それだけの訓練はこれまでにも経験があった。
D機関で行われる多種多様な訓練は、常人から見れば首を捻るような不可解なものも多くある。ジゴロの訓練はその最たるものだったが、それを凌ぐ訓練がこの男相手のジゴロの訓練だ。

数ヶ月前にも同じ訓練を行った。その時波多野は、抱く側、に立っていた。財閥の三男坊、親に目をかけられていない哀れな美青年。年の頃は波多野より少しばかり下だった。
儚げな瞳は酷く澱んでいた。世の全てを手放し、己すら空の器にして彼は波多野との交わりを受け入れた。
何も映さない瞳が、これは非現実で幻なのだと波多野に錯覚させた。そして彼のその姿は波多野にとって良い教訓となった。
もし、自分が彼と同じ立場になればこうすれば良い。
瞳に何も映さなければ何も感じることなどないのだから。


その筈だったのだ。


波多野は己の下肢を這いずる生ぬるい感触に吐き気を催した。


(最悪だ)


手頃な男を捕まえたと思っていた。歓楽街に繰り出してバーで一杯度数の高い酒を飲む。物憂げに佗しさを醸し出す美青年を波多野も演じていれば、あっさりとその時はやってきた。
男を引っ掛けることなど造作もない。
己の心と身体は、この時だけ波多野で無くなる。男にとって都合の良い美青年であり穴なのだ。波多野は、ただフィルムから投影される映像を鑑賞者として見るだけで良い。

それだけの、波多野にとっては造作もない訓練だったのだ。少なくとも、宿に入るまでは。


「いや、上物ですな」
「なかなかお目にかかれませんよ。あんな場所に居たのが不思議なくらいです」
「こんな所にのこのこ来るくらいです。あんな場所に居ても不思議じゃないでしょう」
「はは、確かに」

宿に入った波多野を待っていたのは、ただの男色相手の訓練ではなかった。流石の波多野もこれは想定外であり、そして経験もなかった。
扉を開け中に足を踏み入れた刹那、己の失態に小さく舌打ちをした。
下卑た笑みを浮かべ、波多野の肩を撫ぜる男とねっとりとした視線を遣り波多野を品定めする男。

(下衆が)

行き場のない子羊を貪るハイエナ達がニタリと笑んだ。



「君は実に可愛らしいねぇ。小柄な身体だがしっかりと筋肉は付いている。それに、」
「あっ、ひっあ!」

ぐちゅりと波多野を後ろから抱える男が彼の竿を扱いた。

「立派なものを持っている。だが、喘ぐ君は実に可憐だ」
「そ、んなことっ」
「それがあるんだよ」

男は波多野の亀頭を指で押し潰した。弧を描くように刺激すれば波多野の身体が跳ねる。
否応なし昂ぶらされる身体から先走りの液が滲み出て、もう1人の男が舌先でそれを器用に舐めとった。

「っ、なっ、ぁあ!」
「こんなに勃たせて、限界かい?」

波多野が答えるより先に、男は彼の逸物を口腔に迎え入れた。より一層波多野の雄が隆起する。舌先で吸い上げられ、根元は後ろの男に扱かれ波多野の身体が限界を迎える。
一等きつく吸われれば、波多野の精が男の喉奥へと注がれていった。

「はっ、ぁ」

恥辱に波多野は唇を噛み締めた。

この男達は随分と手慣れている。恐らくこうして夜な夜な波多野の様な青年、又は少年を捕まえては精の捌け口として利用しているのだろう。
己の性欲など簡単にコントロール出来ていた。波多野にとって他人とまぐわうことはそれ以上の価値はない。
全ては情報を手に入れるためのツールだ。コントロールできない筈はない。
その波多野が、性に翻弄されている。

屈辱だった。


「君みたいな子とはもっと楽しみたいんだけどね」

吐精後特有の倦怠感に瞼を閉じ、眉を潜めていた波多野の耳に届いた声。と、同時に寝床に四肢を投げ出された。
次の行動を理解した刹那、下肢を貫いた異物感に波多野は短く悲鳴を上げた。

「ひっ、」
「おや、あまり慣れていないのかな?」
「それならそれで良いでしょう。初物を頂くのも一興」

誰が初物だ、と毒付く。経験は浅いものの初物ではない。
そんな訓練などとうに終えている。

「あっ、ふ」

しかし、その自分の身体は男の指の動きに悦んでいる。竿を扱かれながら進められたその先が、波多野の雄としての一点を刺激した。
途端に身体中を走った感覚に波多野の背が仰け反る。屈辱と悦楽、反応する忌々しい己の身体を引き裂いて棄て去りたかった。
これは現実ではない。これは波多野ではない。
そう認識しなければならなかった。

「そろそろいいかね?」

耐える波多野を嘲笑うかの様に、無遠慮にそれは侵入した。圧迫感に息を詰まらせる。苦しい、感じた痛みを耐え深く息を吸った。

「っ、いいねぇ。いいカオだ」
「っ、ぅあっあ!」

波多野の表情に気を良くした男は、褒美と言わんばかりに波多野の竿を握り締めた。上下に動かし、脈動させれば波多野の思考は混乱する。己の中を蹂躙する肉棒と、己の欲を弄ぶ男の手に弄ばれ制御できない肉体が酷く恐ろしかった。

「あぁ、いい…その瞳がいいんだよ」

忘れかけていたもう1人が波多野の前髪を乱雑に掴み顔を上向かせた。
何を、と考える余裕すらなく波多野の呼吸は殺された。

「んぐっ、!」

がしりと掴まれた頭部、目の前に突きつけられた男の肉棒が口腔内を埋め尽くす。

「はぁ、凄く素敵だ。苦しいかい?苦しいよね」
「はは、いつも悪趣味ですな。」
「彼が可憐なのが悪いのですよ、つい苛めたくなる」
「っ、ぐ、っん、!!」

引き抜かれ押し込まれる。息をすることもままならない、野卑で暴力的な行為。酸素が脳に行き渡らず、波多野は身体だけでなく心さえも蝕まれていく感覚に怯えた。

(ふざけ、んな…)

こんなことがあって堪るかと己を叱咤させようとするがこの現実は波多野を逃さない。
投影された映像を鑑賞していた己が、役者の1人として引きずり出されている。逃れようとしても、瞳に映し出してしまった現実は消すことは出来なかった。

「あっ、あ、出るよっ」

掴まれていた頭が引かれ、喉奥まで竿がのめり込む。歯を立てることも叶わず哀れな青年の体内に白濁は流し込まれた。

「っ、がっ!ゲホっ」
「ごめんね、よく頑張ったね」

顔を背け咽せる波多野の頬を撫でる男の顔は恍惚としていて、波多野の背筋に悪寒が走った。怖気立つ感覚はしかし直ぐに塗り替えられる。

「あっ、ひっ、ぁあ!」
「そろそろ私達も楽しもうか」

口淫の最中も扱かれていた波多野の竿は、思い出した様に快楽を身体に伝達した。抗いようのない悦楽が波多野を襲う。堪えることは叶わなかった。

「やっめっ、ぁあ!」

勢いよく飛び出た精は真新しいシーツを汚した。身体が休まる間もなく、男は波多野の竿を再度扱き、律動を続ける。

「なっ、あ!やっめ」
「私はまだ君の中に出していないからねぇ」
「あっ、やだっ、ぁ」

己の中に吐き出そうというのか。
男の低く高揚した声に身体が震えた。此処から抜け出したい、逃れたい。

しかし、強く瞑っていた目を開いた先には、矢張り現実しかない。

波多野の腔内を蹂躙した男と交錯した視線。波多野は男の瞳の中に無様な己の姿を見つけた。


(…馬鹿だな、俺は)


波多野は諦めに似た感情を覚えた。

あの青年と同じように、ここは今、現実ではないのだと認識することは出来る筈だった。
しかし、反応する身体が波多野のD機関生としての矜持を傷つけた瞬間、波多野は現実を受け入れてしまった。

これは現実なのだと。自分は今、悦んでしまっているのだと。


(俺は…)


受け入れてしまった、という現実を受け入れることも到底できない。壊してしまうことも、壊れてしまうことも何も叶わない無力で無様な光景。

男の声が遠くに聞こえる。体内に感じた他人の性の感覚は消えることはなかった。





ーーー





「大丈夫ですか?」

視界に入ったのは不安な顔をした彼女だった。

大東亜文化協曾。月明かりのよく入る使われていない空き部屋。
粗末な椅子に腰を下ろし、デスクに突っ伏していた波多野は掛けられた布に反応して目覚めた。

窓を抜けて入り込む月光が照らしているのは、千歳だった。

「こんなところでそんな格好は良くないです」

そんな格好、と千歳が言う波多野の姿は薄手のシャツを羽織った姿だ。

備え付けのシャワー室で身体を清めた後、波多野は寝室に戻ることも出来ずにこの空き部屋に来ていた。
訓練自体は失敗はしなかった。つつがなく終えられ、後腐れなく別れた。
しかし波多野は見られたくなかった。自分と同じ化物達なら、己の失態を見透かしてしまう気がした。
この行き場のない感情と己への苛立ちを誰にも見られたくない。見られた瞬間、腸が煮え繰り返る記憶が鮮明に蘇ってしまう。
そう判断してのこの場であったのに、と波多野は顰め面をした。

透明な千歳の瞳に映る己の姿が現実を再び呼び起こす。冷や汗が身体を一瞬で覆った。
波多野は、その貼りつく感覚に頭を抱えた。鬱屈した気分が倍増する。つい数時間前の忌々しい交わりが、その感覚が蘇り全身が粟立った。

受け入れがたい現実、非力な自分自身、男達の声、身体を巡る不快感と悦楽、腹の中を満たした欲望。
まぐわいは何度も続いた。吐き出され、吐き出さされ、流し込まれた白濁は波多野を蝕んだ。

反吐がでる、吐き気がする、忌々しい、気色悪い。ありとあらゆる負の感情が、蓋をした深淵から溢れ出していた。

「波多野さん…?」

余程酷い顔をしているのだろう。尚、己を気遣う千歳にはあの能面は被されていない。

澄んだ瞳、女性特有の丸みを帯びた肢体、瑞々しい唇。

非現実を描き出すことが出来なかった哀れな子羊は、己を偽りハイエナとなった。

「波多野さ…、っ」

伸ばされた腕を掴みデスクへ縫い付ける。鈍い痛みに顔を顰めた千歳の首筋に噛みつき、己の爪痕を残した。
半ば剥ぎ取るようにブラウスを開かせる。下着をたくし上げ露わになった双丘に手を伸ばした。抵抗出来ないように両脚の間に身体を滑り込ませる。
合意も何もない。
ただ、そこにある現実から逃れるように波多野は彼女を組み敷いた。

僅かに狼狽し腕に走る痛みに眉を顰めた千歳が波多野と視線を交わした。
その刹那、無意識に抵抗していた彼女の身体から力が抜けた。





ぐちりと慣らされていない其処は悲鳴を上げた。指で解すること事もなく水分も十分に含んでいない其処に竿が入るということは狂気としか思えない。
下肢に走る鈍い激痛に千歳からは声すら漏れなかった。掠れた音が喉から漏れる。詰まった息を整えようとしても、それは叶わない。

「っ、」

波多野は、己を制御しようとする千歳の奥に無理矢理暴力的な熱をねじ込み、抜き差しを繰り返した。腹の奥まで抉られる、その感覚に千歳は瞳をきつく閉じ、歯を食いしばる。そんな凡そ愛の行為とは無縁のそれは波多野の鬱屈した気分を吐き出すには丁度よかった。

こうあれば、まだ救われたのだ。波多野は奥歯を噛み締め律動に耐える千歳を見つめた。
制御出来ない欲を絞り出される屈辱、それは何よりも彼に痛みを与えた。D機関の一員としての彼の矜持は修復出来ないほど傷付けられた。
波多野はあの時、波多野であることを認識してしまった。現実を受け入れてしまった肉体は精神は犯された。波多野は間違いなくあの瞬間、波多野が抱いた青年に劣ってしまった。

悦楽ではなく苦痛を与えてられていたのなら違った結果を得られたのだろうか。そんなどうしようもない考えが頭を過る。波多野は押さえつけている千歳の肩に爪を食い込ませた。

(くだらねぇな)

重ね合わせたところで何とする。
波多野はずるりと肉棒を千歳の中から抜いた。しなだれる彼女を労りもせず、腕を引き起こしたその身体を床に座らせる。
脳裏に蘇ったのは、己の呼吸を止めたあの行為。
記憶を塗りつぶすように、波多野は千歳の喉奥に熱を捩じ込んだ。

「んっぐ」

唐突な息苦しさに身を引こうとする身体を逃しはしない。後頭部を押さえつけ、その腔内を弄んだ。苦しさに目尻から落涙する千歳を見て見ぬ振りをして、波多野は現実を塗り潰す塗り替える。
抜き差しを繰り返し、時折喉奥を抉ればびくりと跳ねる哀れな子羊。

温かな口腔内は波多野の竿を隆起させ既に昂ぶっていたそれは限界を迎えていた。
ふるりと全身を掛ける性に身を任せ波多野は彼女の中に白濁を吐き出した。

「っ、げほっ、」

全てを飲み込めなかった千歳が面を逸らした瞬間、彼女の顔、服の至る所に精が飛び散る。
苦々しい記憶が重なり、波多野は彼女から目を逸らした。
喉元を抑え咽せる千歳の視線が波多野と交錯する。深淵を見透かすような、深い茶の瞳が波多野を捉えた。



「気は済みましたか」



平坦な声が響く。波多野は冷水を掛けられたかの様に、スゥ、と現実へと引き戻された。
下衆の欲に翻弄されもがいていた自分と酷く静かな千歳の対比は波多野を目覚めさせるのには十分だった。
目の前にいる己の精で汚された千歳が無感情な視線を彼に遣る。無意味に抱かれ、苦痛を与えられたにも関わらずその声に苛立ちは何も込められていない。

「……何故抵抗しなかった」

ぼそりと波多野が呟く。
身を案じた自分を、何も告げず抱き苦痛を与えるだけ与えた男を何故拒絶しない。
波多野の言葉に千歳は声質を何一つ変えずに答えた。

「何かあったことくらいは理解出来ていたので。これによって貴方の問題が解決するのならそれで良いと判断したまでです」

ぐいと頬を汚す白濁を拭いながら千歳は淡々と説明する。手酷く抱かれたというのにそれは瑣末なことだと言わんばかりの対応だ。落胆の色も、軽蔑の念も何も込められていない。
波多野は千歳の頬に残る己の精を拭い取った。

「悪かった」

一言告げられたその言の葉に千歳の目が見開かれる。ぱちりとした瞳が波多野をまじまじと見た後、眉尻を下げ笑みを浮かべた。



「悪かったついでだ」
「え」

抱き上げた千歳の身体を波多野は再度デスクに組み敷く。

「気が済むまでやらせてもらう」
「っ、まっ、波多野さっ」
「待たない」
「んっ、」

廃ってしまう己の矜持を保つため。
獣の宴は終わらない。


ーーーー


獣の宴
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