赤鬼、そう表現したくなるほど出向中の陸軍中尉は顔から火を噴くのではないかと言わんばかりの形相を浮かべていた。
怒りが沸点を越えている。天皇、その名称にアレルギー反応でも起こしているのかと見紛う程、彼は過敏に彼らの一挙一動に反応し視線を走らせた。

「貴様ら…、恐れ多くも…」

次に不敬なこと口にした輩は切り殺す。そう言わんばかりの相貌に千歳はちらりと彼らの様子を伺った。
嘲笑、冷笑、侮蔑、無関心。
様々な感情が見て取れたが一様にして皆、この佐久間中尉という男に欠片も敬意を払っていなかった。お堅い陸軍軍人が喚いている、そんなところだろう。
むしろ、朗らかな顔をしてその実、嗜虐的な一面を併せ持つ実井に至ってはこの状況を楽しんでやろうという魂胆さえ見え隠れする。

悪趣味だと千歳はその姿を横目で見遣り溜息をついた。彼らはこの陸軍軍人のとる行動など手に取るように分かっていたはずだ。
確かに、彼らは大層優秀だ。固定観念に囚われず、状況に応じて思考を切り替えその先を見通す。人の想いも行動も全て計算した上で動いて行く。

故に、彼らはこうして楽しむのだろう。
人間は考える葦である。彼の中に秘められている、思考、という芽を何処まで育てることができるのかを彼らは試している。



「千歳さんの意見も聞きたいですね」

赤鬼、もとい佐久間中尉が退室した食堂内にはD機関のメンバーと千歳が残っていた。
流し場でグラスを拭いていた彼女に届いた気取った声。面を上げれば、千歳と視線が合ったのは三好だ。

「私の意見ですか」
「お堅い陸軍中尉よりは柔らかい思考でしょうから」

品定めするような声音。
安い挑発だ。千歳は短くため息をついた。

「正統性と合法性、合理的指標だけで天皇を語ることに意味はありません」

一言で返したその答えに、ほう、と三好が興味深そうに彼女を見る。同じ表情は他の面々にも見受けられた。

D機関の人間が動く時の指標は客観性と合理性に尽きる。目的を達成するために必要なのは最短のルートではなく分析の末の最適解。それはスピードより遥かに重要だ。
そして最適解を導き出す為に必要なのは、瑣末な感情でも取るに足らない主観でもない。事象から読み取ることのできる情報だけだ。

合理性、その一点が指標となっている彼らにとってそれが無意味だと言う彼女の発言は実に面白いものだった。

「なら、千歳さんは天皇制は必要であると考えているんですか?」

純粋な疑問の呈で聞く実井に、千歳は目を細める。純真そうな体面を装いながら探りを入れる厭らしさ。
彼らにとっては、天皇もその制度もテーブルの上の話のタネにしかならない。
その程度のものに対してお前はどんな価値を見出している。

千歳はひとつ息を吐いた。

「必要かそうでないかと言えば、必要だと思います」

ほう、と三好が唸った。

「意外ですね。取るに足らないものだと切り捨てると思っていました」

そう笑う三好の言葉に、千歳は、確かに、と続ける。

「現在という尺度だけで物事を見れば、天皇も積み上げてきた歴史も文化も、合理的じゃないものは全て意味がなくなります」
「現在という尺度ね…」
「過去からの変遷を意義あるものと捉えるかそうでないかによってその価値なんて変わるものですから。」

コトンと拭き終わったグラスが置かれる。

現在を生きる彼らにとって重要なのは、未来を切り取る合理的指標だ。過去から連綿と続く人の営みなど、感傷に浸る要素は切り捨てていく取るに足らないもの。そこに価値は見出されない。

「なら、千歳はあれの価値をどう位置付けているわけ?」

千歳に問いかけたのは神永だ。至極楽しげな表情に、関心を向けず千歳は返す。

「歴史的価値としては高いと思います。」
「生ける歴史ってわけか。んじゃ、統治の手段としては?」
「手段としては有用でしょう。それが国家にとって有益であるかは別ですが」
「つまり?」
「為政者が無能であれば、どんな道具も意味を成しませんから。益にも害にもなりえます」

佐久間さんが聞いたら卒倒するぞ、と神永が揶揄した。

感情を殺した彼らは合理性という極めてシンプルで確実な判断基準を持っている。だからこそ、天皇の必要性を論議する話題が登場した。
しかし、人は合理性だけで生きていない。歴史と文化、記憶と過去から続く営みは時にそれを凌駕した道を進ませる。
感情として、必要不必要を決めることを愚かとは千歳は考えていない。

千歳は改めて彼らの顔を確認した。
楽しげに此方を見遣る面々、関心がなく別のことに勤しむ面々。
相変わらずの態度だ。しかし、共通しているのは彼らの思考は似通っている、化け物だということ。

「しかしまぁ、千歳さんの思考は意外と佐久間中尉寄りかもしれませんね」

化け物は矢張りなりそこないを嘲り笑う。千歳は平然とした表層を彼らに向け、

「褒め言葉ですね」

なりそこないは化け物を嘲り笑った。


ーーーー


反目する愚者
prev next
back


言葉の遊び リンク文字