願ったり叶ったり
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「……で、ちーちゃん」
「何かな、わか」
「…私はちーちゃんと2人で来たはずだよね?」
「そうだね」
「あそこに見えるのは誰かな?」
「わーびっくりー。波多野君と三好君も来てたんだ。すっごい偶然だね」
間延びした声で、勿論心なんて塵ほどもこもっていない薄っぺらい声で千歳は若宮に笑いかけた。貼りついた笑みだけで自分の意図を伝える。
「だ、騙したな!」
「なんのこと?私は、2人で水族館行こう、と提案しただけだよ」
「三好君いるなんて聞いてない」
「偶然ってすごいねー」
「……策士」
「策を練るほど頭良くないよ」
穏やかに笑みを向ければ、若宮が何か言いたげに口元をまごつかせたが、結局大きな溜息を吐いた。頬を膨らませて不満を露わにする若宮に千歳は畳み掛ける。
「手伝って欲しいって言ったのは、わかでしょ?」
ね?と小首を傾げて先を促すが、答えは分かりきっている。
驚き、嬉しさが入り混じった顔になって、結局1番に来るのはー
「……ありがとう」
小さく聞き取れるか否かの声量で呟かれた謝辞に千歳は口元をさらに緩めた。想っている相手を前に年相応の反応を示す若宮はやはり可愛らしい。恋する乙女というものなのか、好きな相手に対して女子はこうあるものなのだろうと目を細める。
さて、と千歳はくるりと振り返った。先にいる2人に視線を合わせれば、もう1人策に嵌った相手、三好が目を眇めていた。
不満、と声に出さずとも分かる様相に千歳は彼女にも向けた笑顔を見せる。尖った視線を丸め込む笑みに、三好の隣にいた波多野も被せた。
「いいだろ、別に」
「何が良いと?買い物に付き合えと言われて渋々来たら、買い物でもない上になんだあいつらは。お前達の逢引に僕らを巻き込むな」
「巻き込んだつもりはねーよ。たまたまだ、たーまーたーま」
「白々しい」
苛立ちを露わにした三好は今度はじとりと千歳に視線を寄越した。もはや視線だけで会話が事足りる程だった。
が、その視線は当然、隣にいる若宮も悟っている。
「……ちーちゃん、やっぱ三好くん怒ってるよ。私絶対に今睨まれたよ」
「わかを睨んだんじゃないよ。主に波多野君…と私かなぁ、ふふ」
「わ、わらいごとじゃないよー…」
冷や汗を垂らしながら若宮は眉尻を下げる。逃げ場をなくした小動物のような狼狽ぶりに口元を緩めっきりの千歳はしかし内心僅かに嘆息した。
ー怖がらせないで欲しいんだけどな。
ちらり、波多野に目配せすれば阿吽の呼吸で彼は三好を諭す。
「願ったり叶ったり、じゃねーの?お前も」
「知るか。僕は帰る」
だまし討ちに憤慨したように、三好は鼻を鳴らした。波多野はじっと彼を見つめ、そしてふと視線をそらす。
「………あー可哀想になー。今帰ったら、若宮は自分のせいで三好が帰ったと思うだろうなー」
明後日の方向を向いて、しかし声には棘を含ませて、波多野が肩を竦めれば三好が硬直した。
「けど仕方ないか。嫌なら仕方ないよな」
嫌なら、という部分を強調してさらには刹那的に若宮にも視線を寄越して、今の状況を明確に端的に三好に伝える。
これで意地を貼るなら、それまでだ。
じゃーな、と三好の横を通り過ぎようと波多野は一歩踏み出した。
「……誰も嫌とは言っていないだろ」
踏み出した足が止まる。手首は三好の手に掴まれている。視線を彼と交わせば、不満を顔に貼り付けながらも、しかしそれを飲み下さなければいけない現状だ、と言わんばかりの表情をしていた。
ー意気地なし、ね。
波多野は内心ほくそ笑む。
眉目秀麗、完璧超人なこの男、三好は存外小心者だ。学内の成績はトップ、運動能力もないわけではない。文武両道な上にこの容姿なら向かう所敵なしだろうと思うが、そんな三好が俗的な【恋愛】という感情に振り回されているのだから人の感情というものは厄介なものだ。
一度惚れたら戻れない。落ちたら登ることは不可能。
そんな恋愛感情に振り回されつつ、三好はそれを無きもののように扱っている。誰にも何にも興味などないように、常に冷静沈着だ。若宮を視界に入れたとしても、心に波風を立たす様を彼女に悟らせない。
感情のコントロールをしながらそれを表に出さず、あまつさえ認めもしなかった三好をしかし彼女は、千歳は意気地なしと言った。
『恋してるって分からないならまだしも、分かってるのに認めないなんて、意気地なしで愚鈍だよ』
朗らかな口調で毒を吐いた彼女に一瞬背筋がひやりとしたのは記憶に新しい。ただ、それほど彼女は三好の想い人である若宮を見て、その思いを聞いているのだろうと推察できた。
患っているのはなにも彼だけではないのだ。
「まぁ、頑張れよ三好」
とんと背中を叩けば、三好は顔を歪めた。お構いなしに波多野は彼女達の元へと足を進める。
ーお前もだぞ、若宮。
視線の先の彼女が、ぶるりと震えた。
*
水族館の顔といえば、悠々と泳ぐアシカや芸達者なイルカ、シャチ、その他諸々の愛らしい動物達だ。幼い子どもを抱える家族連れなどは大抵そちらのブースへ足を運ぶ。そうして過疎化するのは、じいっとして、動いたと思えばのろのろで、つまりは動かない生き物達。
「カブトガニって足何本あるんだろうね」
「数えたくないビジュアルだけどな…」
「エイリアンの幼虫みたいだよね……あ、裏返った」
気持ち悪いー、と口にしながら千歳は水槽内を凝視していた。中にいるのは、体長30センチは超えている巨大な水生生物、カブトガニ。生きた化石と呼ばれるほど太古から姿を変えていない点において人間という種にとって先輩にあたるにも関わらず、その容姿から残念ながら大多数の人間には好まれることはない。
そんな不人気な生き物の前の備え付けのベンチに波多野と千歳は座っていた。太古の生き物、カブトガニを観察しよう!、と記されたポスターはおそらく子ども向けに書かれたものだが悲しいかな人っ子一人スペースにはいなかった。
「裏返ったら戻るの大変そうだね」
水槽のカブトガニは仲間同士で交通事故を起こし、一匹がひっくり返っていた。脚をバタつかせ、時に体を捻って、なんとかもがいて体勢を整えようとする生物に千歳がぼそりと呟く。
「……わかたち、上手くやってるかな」
衝突してないと良いけど、と付け加えて視線を落とす。
2人して互いの友人をだまし討ちで連れて来た。目を丸くして呆然としたのちに、それぞれが人柄がよく現れる行動をとった。
「ちーちゃんから離れないから、私」
「余計なことは考えるなよ、波多野」
女子は女子、男子は男子。これがただの友人ならば正解の配置でもあいにくそんな面白味もない展開のために千歳と波多野はこのダブルデートを企画したわけではなかった。
ぴたりと千歳に張り付く若宮、若宮を視界に入れないようにする三好。黄色い声で賑わう館内で、2人の間に言葉が交わされることなどない。互いにそこにいないかのような状態で脚を進めていく。
奇妙な配置で歩く4人に水族館の生き物から痛々しい視線が送られている気がした。
これはいけない。行動を起こしたのは千歳だった。このままでは、終始この調子で出口まで辿り着いてはいさようなら、だ。
ちょっとお手洗い、と若宮をその場に置いて離れるとすぐさまスマートフォンを取り出す。文字を打つ相手は勿論彼だった。
『カブトガニのところで待ってます』
咄嗟に思い出したのはひと気がなく、哀れなほど不人気なあの生き物だった。幸い、現在地からも離れている。
自分達が彼らと離れなければ、何も意味がない。
人の波を潜り抜け、若宮達が待つ場所とは反対方向から逃げ、千歳は此処へと辿り着いた。
「とりあえず、三好には言っといたからなんとかするだろ」
「言っといたって?」
「『2人でどうにかしろ』」
「直球だね」
「回りくどく言ったっら言ったでめんどくせぇからな」
肩を竦めた波多野に千歳は、確かに、と同意する。波多野を追って来ていないところを見ると確かにどうにかはしているのだろう、それが願ったり叶ったりなのか、余計なお世話なのかは自分達が知るところではないが。
改めて千歳は現在の状況を俯瞰した。
(2人きりだ)
正確には時折来館者が通り過ぎるが、館内の端に位置するこの不人気ゾーンに長居する人間は今の所波多野と自分しかいない。
(願ったり、叶ったり)
これではどちらがお膳立てをされたかわかったものじゃない。
中学の卒業と同時に付き合い始めて以降、一般的な高校生カップルの距離感というものを掴めないまま幾月も経ったが、千歳は未だに波多野という人間を掴みきれていない。名前で呼ぶこともなく、互いに苗字で呼び合うのも掴みきれない距離感の現れなのかもしれない。
(波多野君はどう思ってるんだろう)
ちらり、と横目で彼を捉えた千歳はそのままぴたりと固まった。
「千崎」
交錯した視線は非常に近距離で、間近に迫った顔貌に息を呑む間も無く視界が狭まる。千歳にできることといえば、ただ己の視界を閉ざすことだけだった。
誰か来たら、見られたら、と頭の片隅で考えながらも収まらない情動が理性を抑え込む。
啄むだけのそれでも、千歳の思考を埋めるには充分だった。
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