01
存在を知る者は今はまだ極一部。
地球連合の上層部……それもコーディネーターの排斥意識が特に強い"ブルーコスモス"の信念を持つ者達の中で、彼女の存在はこの大規模な戦に勝利する鍵ではないか、と秘かに噂されている。
実験段階で与えた任務で彼女がどれほどの功績を上げたかというと、それはエースと呼ばれる連合軍のパイロット達が一生かかっても不可能だろうと言っても過言ではないほどのもの。
どんな困難な任務も卒なく完遂し、誰もが拒否するような危険な内容でも、非道な内容でも彼女は顔色一つ変えずにこなしてみせる。
まだその年齢は10代前半に関わらず。

そして今も、彼女は言い渡された任務を遂行している最中だった。
薄暗い部屋の中に集められた老若男女問わぬ人間達が、皆その体を深紅に染めて物言わぬ人形となって足の踏み場もないほど転がっている。
そんな中を歩んで行く少女の細い足が、己の行く先を遮る一つの死体を蹴って脇へとそらした。
余りに違和感のない、当然の事のような仕草のせいで自然に見えてしまうが、非道な事この上ない。
だが当の本人は、全く何も感じていないようだ。
その瞳には一切の感情も熱も含まれておらず、何をしても変わらない表情はよく作られた人形のよう。

少女が向かう先にはこの空間でただ一人……彼女以外で唯一生きている男性が座り込んでいる。
彼はこの惨状に至るまでの経緯を全て見ていた。
一瞬━━━一瞬で少女はその手にある凶器で幾人もの命を消した。
逃げ惑う人々を容赦なくきりつけ、ある者は即死で、またある者は想像を絶する苦痛を味わわせながら死に至らしめる。
対象は女子供でも変わらない。
実際、彼の傍らにある血濡れの小さな手……。
この幼い命もまた、どんな冷酷な殺し屋でも殺すのを躊躇いそうな泣き顔を晒しながら、しかし容赦なく心臓を一突きされたのだ。

「……化け物め……!」
男性から吐き出された言葉には、恐らくこの場の人間全ての呪詛が含まれているだろう。
恐怖で腰を抜かし、座り込んだ状態でありながらその眼差しにはくっきりと少女への憎悪が浮かんでいる。
対する少女の方からは何の心境も読み取れない……実際に何も感じてはいないのだが。
「いつか貴様等が必ず報いが受けるときがくるだろう……何の罪もない幼い命を奪うなど……!」
ナチュラルめ、滅びろ……滅びろ……!!

こうして重い憎しみの鎖がこの世界に絡み付いていく。
今や後には戻れぬほど世を蝕む人々の負の感情。
また一つ、哀しみと憎しみの枷が増えた。

涙を流しながら怨み言を吐き捨てる男の眼前まで遂に辿り着いた少女は、この場にいた人間全ての血液で濡れた刃を振りかざした。
そしてそれを降ろす寸前、少女の唇微かに動いて何か言葉を発したが、残念ながら男が聞き取ることはできなかった。
刃が深く肉を切り裂く音、そして大きな血飛沫が舞って室内を再び赤く染めた。



アメリカ合衆国の最北端に位置する地、アラスカ。
石油や石炭などの地下資源が豊富であるに関わらず緑豊かな風景を残し、長閑でどこか懐かしさを人々に与える。
州内の中央部に西流するのはユーコン川。
べーシング海へと繋がるその川は穏やかであるも雄大な流れを誇る景観は、その名の"偉大な川"という意味に相応しい。
そんな大自然の美しさの中に、不釣り合いな人の手による建造物が存在する。
ユーコン河口付近のデルタ地帯の地下には、地上から視認する事は出来ないが地球連合軍の最高司令部、"JOSH-A"があるのだ。
核ミサイルの直撃にすら耐えうる最高の構造で護られたこの基地内で、今まさに地球連合所属各国の首脳陣、そして軍の幹部階級の代表の者達が会議を行っている。

JOSH-A内部の一角にある会議室に高級官僚達が集う。
彼等は部屋の中央にある楕円形の巨大な机を取り囲んで座しており、それぞれの席に設置されたモニターを眺めて皆一様に言葉を失っていた。
彼等の中でただひとり、立ち上がっていた男は資料に書かれた最後の一文を高らかに読み上げた。
「以上が彼女がこの十数年間で、遂行を成し遂げた任務の内容とその様子を納めた映像になります」
反応は大きく分けて二つだった。
予想を遥かに超える残酷な内容に畏れと嫌悪を隠し切れない者、反して戦の切り札になると言える戦力の出現に狂喜を露わにする者。
どちらかと言えば後者の方が数は勝るだろうか。
「…この娘は例のプロジェクトの成功体ではないのか?」
「違います。彼女は正真正銘の"人間"……遺伝子操作も肉体強化も受けていない、純粋なナチュラルです」
信じられない、そんなどよめきがあちらこちらから湧く。
白衣を着た研究者と思われる男性がモニターを弄り、全員の画面にある資料を映し出した。
それは今議題となっている少女の身体のデータだった。
記された遺伝子はコーディネーターのように複雑な塩基配列をしているわけでもなく、彼女がナチュラルだという事を示している。
少女の異常な能力の高さは突然変異としか言いようがない。
更にあれほどの惨事を何の躊躇いもなく引き起こすとは。
そういった任務は既に幼少期から行っていたのだというから、首脳達の驚きは増すばかり。

「この少女は例のロドニア研究施設にて、被験体達と共に訓練につかせています。既にMS操縦も完全に会得しておりますゆえ、連合軍に入軍させる日も近いかと」
「……この事はあの男も既に知っているのか?」
その問いに白衣の男性は含み笑いを浮かべた。
「知っているも何も、あの方がプロジェクトの先駆者ですよ?」
知らないわけがない。
少女へ与える任務もほぼ"あの男"が決めていると言っても過言ではないのだ。
それはつまり━━━ブルーコスモスの盟主が本格的にこの戦争に頭角を表す日が近いという事を意味する。
過激な主張を忌避する側からすれば好ましい流れではないのだが、少数派な彼等が意見を言っても退けられる事は目に見えている。
既にこの室内だけで、反対派を他所に興奮した囁き声は大きくなるばかりだ。
「我々の勝利の日は近い…!!これで宇宙の化け物共を一人も残らず一網打尽に出来るぞ!!」
「忌々しいコーディネーター共め、道理に反したその存在への報いを受けろ!!」
連日の思わしくない戦果で重苦しい雰囲気しか漂わなかった会議室が、躍動的で士気溢れるものへと変化していく。
その騒ぎに参加していない者達の一人……指揮官階級の白軍服を着たこの空間で唯一の女性がふと声を上げた。
彼女が声を発したのはこれが初めて。
誰よりも苦い表情でモニターを眺めていた。
「この娘の名は何という?」
名前……
そういえばそんなもの、一応この少女にも存在していたな。
少女を人間扱いなどした事がない研究者は、最早人としての名前が存在していた事すら忘れてしまっていた。
手元の資料に一通り目を通し、暫くして端に小さく記入されていたそれをやっと見つけた。

「彼女の名前は##NAME1####NAME2##」
だが滅多に呼ぶ事はないでしょう。
そう言って笑う男を見る白い軍服の女性は侮蔑の眼差しで睨みつけた。
それに気付く事無く、更に研究員は続ける。
「我々はいつもこう呼んでいます」
己の感情や意志を持たず、ただ命令に従って破壊を繰り返す少女に最も相応しい名前。

「"殺戮兵器"、と」

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Honey