02
地中海東部を構成するエーゲ海を、海外線に沿って進むと北へと延びる山脈がある。
前時代的な風景を残す民家や耕地から更に奥地へ進んで行くと、誰も近寄らなさそうな深い森、そして荒れ果てた土地が広がり始める。
その中にひっそりと、木々に囲まれてまるでその存在を隠すかのように鼠色のコンクリートで出来た建物が幾つも建立している。
一見すれば廃墟かと思うほど人気がなく見えるが、実は中には多数の人間がいるという事を関係者以外は誰も知らない。

すると一台の車が砂煙を起こしながら森の中を抜けて施設の敷地内へと入ろうとしている。
牢獄のような分厚い門が開き、その先へ進めば人の手が加えられていない獣道から、アスファルトで整備された地面になり、酷く揺れていた車体が安定した走りへと変化した。
数ある建物の一つの前で止まると、助手席側から現れたのは一人の少女。
そして次いで運転席から連合の会議に出席していたあの白衣の男が降車し、二人は建物内へと進んで行く。
時折すれ違う同じく白衣を着た人間達が男へと会釈して道を譲るところを見ると、どうやら彼はこの施設内では高い地位に就く人間らしい。
同時に少女へと向けられるのは、どこか怯えを含んだ視線。
しかし少女の方はそれに微塵の意識を向けている様子はなかった。
シャフトに乗って向かった先は、最上階。
他の薄汚れた他のフロアと比べて打って変わり、小奇麗でどこかハイクラスな印象を与える階層である。
一本道の通路の先にあるのは、今の時代では珍しいドアノブがついた手動式の二枚扉。
赤茶色に塗装された表面を軽くノックした後、男と少女は扉の先の室内へと入っていた。
━━━そして中にいた人物へとこなれた流れで敬礼をする。
「いらしていたという連絡を受けましたので早急にご挨拶に伺いました。ムルタ・アズラエル様」
呼び掛けに来客椅子から立ちあがった男は微笑みながら二人を迎えた。
アズラエル、と呼ばれたその男は清潔感のある白いスーツを着こなし、優雅な立ち居振る舞いから気品さを漂わせているが、その微笑みは他者を見下し馴れた高慢さが目立っていた。
「お疲れ様です。もう話は聞いていますよ。例の任務は成功したようですね」
労いの言葉をかけられた男は感極まりない
という様子で深々と頭を下げた。
アズラエルの青い瞳は、体も表情も微動だにしない少女へと向けられる。
「相変わらず見事な仕事ぶりですね、なまえさん。これからも期待していますよ」
「はっ」
高官からの賛辞に喜ぶ様子も見せず、ただ義務的な応対しかしない少女に気を悪くした様子もなく、寧ろ満足そうな表情を浮かべるアズラエル。
少女はなまえと呼ばれた。
そう、"殺戮兵器"と称されたあの少女だった。
兵器に感情など、己の思考など不要なもの。
なまえが純粋な兵器であるからこそ、アズラエルの望む世界がより現実のものへと近付いていくのだ。
だからこそ、彼女にはこれからも働いてもらわなければならない。
ある意味で無垢ともとれる少女を見ながらアズラエルは歪んだ笑みを浮かべた。
ロドニア研究所という名を持つこの施設では、戦争孤児を引き取って人為的に肉体を強化、洗脳教育や特殊訓練を受けさせて、対コーディネーターの生ける兵器を造っている。
元々は大西洋連邦が地球連合設立以前から秘かに行っていた計画だったが、世間の反コーディネーター意識が高まるに連れてその内容はより非人道的なものへと変化していった。
遺伝子操作された人間を摂理に背いた忌むべき存在と唱えながら、その実己等も同等の行為を行っているいるとはなんと矛盾した事か。
研究対象である子供達は人間らしい扱いをされる事なく、大人ですら耐えられないだろう過酷な生活を強いられ、研究所の中で生涯を終える者も少なくない。
肉体改造に体が耐え切れずに殺処分される者、逃げ出そうとして殺された者……数え切れぬ程あるが、一番大きな要因は演習の一つである白兵戦だろう。
訓練と呼ぶに相応しくない内容のそれは、被験体達の中でも特に恐れられている。

なまえは自室に戻ってすぐに血の臭い漂う衣服を脱ぎ捨てて浴室へと向かった。
華奢な体は同年代の少女と何ら変わりないものの、逆にどこからあれ程の力が出てくるのかと問いたくなる。
今まで数え切れないほどの殺戮を繰り返してきたに関わらず、シャワーの水にあたる彼女の肌には傷一つない。
それは彼女の実力を示す一つの事実だ。
湯煙と同時に浴室から出ると、体にバスタオル一枚を纏わせて自室へと向かった。
ただ必要最低限の調度品のみしかない、生活感にかけた部屋……地下にある為窓は一切なく、照明だけがこの部屋を照らす光だ。
また部屋の至る所に仕掛けられている監視カメラ、これは被験体達を24時間監視する為。
部屋だけならまだしも、浴室や手洗い場…全てにあるのだから人権はないに等しい。
まさに牢獄と呼ぶに相応しいだろう。
粗末な簡易ベッドの脇にある小机に置かれた書類をなまえは手に取って目を通し始めた。先程アズラエルから言い渡された新たな任務の資料である。
「白兵戦訓練、参加者……」
つらつらと並べられているのは本日行われる白兵戦に参加する被験達のデータだ。
三十人ほどが集められて、一定時間の間に互いが互いを殺し合うサバイバル戦。
より性能の良い強化人間を選出するのに最も手っ取り早い方法であり、また不要となった物の処分にもなる。
いつもは大体五、六人が生き残るのだが、恐らく今日は一人だけだろう。
彼女、なまえだけ。
アズラエルからの新たな命とは、研究所の白兵戦への参加だったのだ。


「いやあ、実に楽しみですねえ。彼女の実力を久々に見れるんですから」
強化人間達の訓練が主に行われるE棟に移動したアズラエルは、本当に愉快そうな様子だ。
子供が玩具で遊んで楽しんでいる時と同じような無邪気さすらも感じる。
白兵戦は棟の地下三階(施設関係者達からE-3エリアと呼ばれている)で行われる。
一面純白の広々とした部屋に押し込められ、けたたましいブザーの音と同時に地獄のような時間は始まるのだ。
終了後は真白な筈の床や壁が、まるで塗装されたかのように赤く染まる。
そして幾重にも重なる子供達の無惨な遺体を見て、この施設に配属されたばかりの者達は皆必ず気分を悪くするというが、それも数を重ねる事によって薄れていく。
そんな訓練を見る事が愉しみだなどと……やはりこの男の精神は歪んでしまっているのかもしれない。
彼の案内役を請け負った研究員はそう思いながらも、決して口には出さずに辿り着いた監視ルームの中へ誘った。
既に訓練開始に向けて数人の研究員達が準備を進めている。
参加する被験体全ての精神や生死の状態を、グラフや数値でリアルタイムに映し出す小さめのモニターが複数。
そして前面にある巨大なスクリーンには訓練部屋に設置されている監視カメラとレコーダーにより、訓練の様子が鮮明に観察出来るようになっている。
「訓練に参加する他の実験体達のデータを見せて頂いても?」
「構いませんよ」
そうして手渡されたノートパソコンを受け取り、手近にあった椅子に腰掛けると、指を滑らせて画面に表示される子供達の情報を眺めていく。
「射撃D、MS戦C……やはりどれも大したヤツはいないですねえ」
これは生かしておいた所で役に立たない。
今日なまえによって確実に処分した方が手間が省けるだろう。
そう思っていたアズラエルの指の動きがぴたりと止まった。
「……これは、」
ただ一人だけ━━━ゴミの塊の中に一つ宝石を見つけた。
明らかに他の者達と比べて突出した能力を持っている。
どの数値も標準以上……それこそ今日この場で死ぬには勿体無い逸材の様に見えた。
ただ問題を上げるなら一つ、肉体強化の薬の影響が強く、精神面の破綻が著しいという点だろう。
「シャニ・アンドラス……」
実験体ナンバーの下にお情け程度に記された少年の名だ。
左目がウェーブがかった緑の髪に隠れ、唯一露わになっている紫の瞳からは生気が感じられない。
「手放すには惜しいですが、面白味は増しますかねえ」
この少年の変わりは幾らでも作れる。
なまえの実力を再確認する、という目的を考えれば、一人くらい骨のある者がいる方が視ている方としては愉しめるだろう。
含み笑いしたアズラエルは満足した様子でパソコンから手を離した。
実験開始の時刻はもう間もなくだ。
互いの運命、そして戦の行く末すら左右する遭逢の時が近付く。


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Honey