03
浅緑色のスモックにも似た服を着せられている子供達が寄り固められた様は、傍から見たら不気味な印象を与えるだろう。
何より彼等の顔つきだ。
濁った色の目をした者、妙に興奮して狂気を含んだ笑みを浮かべた者、恐怖で表情を蒼白にさせている者。
多種多様だが、誰もが常人が浮かべる表情ではない事は共通している。
そんな彼等が出口の無い空間に聚合して閉じ込めらてしまえば、更に正気が失われていくなど分かり切ったこと。
その様を大人達は何の感情も抱く事無く、ただ義務的に観察して各々与えられた作業をしていくだけ。
液晶に映し出される全ての被験体達のバイタルサイン。
過度の緊張と不安によってほぼ全員のそれが大きく乱れている中、たった二人だけ正常値を保っている。
一人は言わずもがな、みょうじなまえだが、彼女の他にもこの訓練で一切の動揺を見せない者がいるのは研究者達からしたら驚きだった。
「シャニ・アンドラスか……」
みょうじを除けばこのグループで間違いなくトップの能力値を持っている少年。
彼は今迄の白兵訓練では興奮状態寄りの数値を示していたのだが、今日に限って何故か平常を維持している。
彼は薬物の影響で顕著に人格面の破綻があった筈。
ならば逆に感情そのものを無くし掛けているという事だろうか?
それに首を擡げていた主任各の男だったが、アズラエルによって開始を急き立てられ、傍でモニターを監視する部下へと急ぎ命じた。
「これよりCQC(Close Quarters Combat)演習を行う。開始の合図を」
命に頷くと、部下は机上に設置されている赤色のボタンを強く押した。
すると、部屋中にけたたましいブザー音が鳴り響く。
淀んでいた空気が一変、針の如き鋭く冷たいものへと変わっていった。
変化は大モニターに映っている、子供達が押し込められている部屋にも。
異常を表すように、一斉に多数の者達の脈拍やら心拍が大きく乱れる様子が液晶画面に映し出されていく。
直後、幾つかのバイタルサインが危篤を知らせる警告音を発し、監視室は騒然となった。
「これは……!!」
アズラエルは座席に深く据えていた腰を思わず浮かせ、訓練部屋の様子を映すモニターに釘付けになる。
彼の瞳は驚きと狂気が入り混じった歪な輝きを放っていた。


何も分からず、感じもせず。
ただ視界に飛び散っている赤い液体をぼんやりと見たまま、徐々に暗くなっていく意識に身をまかせて倒れた者が、ブザー音と同時におよそ10人。
なまえの周辺に立っていた者達が、刹那の間にその体から血飛沫を撒き散らして倒れていったのだ。
ごろりと糸の切れた操り人形の様に足許に転がってきた頭を見た者は、ひっと引き攣った悲鳴を上げた。
どこでもない宙を見る光を失った目。
……死んでいる。
秒にも満たぬ間に起きた出来事を理解出来た者はいない。
ただ死体に取り囲まれて立っている少女への恐怖だけは、増していく。
なまえから距離を徐々に距離をとっていく子供達の中でただ一人だけ、畏怖以外の感情を抱く者がいた。

彼の精神は何もない茫洋とした空間の中へ置き去りにされているかの様に、常に虚無感で満たされている。
モノクロで価値なく映る世界。その彼の世界に初めて、色が宿った。
決して純粋な想いではなく、酷く歪んだ、激しい破壊衝動による攻撃的なもの。
少年には見えていた。
なまえが開始の合図と同時に銃剣で周囲の者達の急所を的確に付いて仕留めたその光景が。
忘却の彼方に消えていた昂ぶりが湧き上がってくるのを感じた。
薄い唇が笑みの形に歪む。
一見すれば華奢で美麗な容姿をしているが、俗の人間なら決して浮かべる事はないであろう狂逸な表情が、放つ雰囲気を禍々しいものとしている。

……殺し合いたい。

これほどまでに駆り立てられるのは初めてだ。
道端に転がる石ころとは確実に異なるその存在。
予測不可能な強さ。
そして人間を殺したに関わらず一切の感情を見せないその異常な精神力。
全て、殺しがいがあると思ってしまう要因だ。
あの女と死闘をする事で、きっと己の中の渇きは満たされる。
限界まで命を削り合い、最後には柔らかそうな肌に刃の切っ先を深く埋め込ませ、体内を無茶苦茶に掻き回してやりたい。
あの鉄仮面の様な顔を苦痛と絶望で満たす事が出来れば、一体どれだけの愉悦を得られるだろうか。
想像するだけで、昂揚が止まらない。
汗を掻くほど握り締めていた刃の側面を見れば、磨かれて鈍く光るそこに狂気に満ちた己の顔が見れた。
緑色に波打つ髪、左目を隠す前髪の隙間から金色の光が洩れている。
その姿は、先程アズラエルが目に留めた少年の画像と同じ。
そう、彼がシャニ・アンドラスだった。
獲物と認識したなまえ以外の子供達は、今のシャニにとっては楽しみを邪魔する障害物でしかない。
これ迄以上の容赦ない残忍さで周囲の者達を殺していく。
勿論彼だけではなく、なまえも同様だ。
糸の切れた操り人形のように、成す術なく次々と転がる体。
あっという間に鮮血の海と化した部屋で、立ち上がっている者は遂になまえとシャニだけとなる。
なまえにとっては初めての経験だろう。
今自分と対峙する少年のような爛々とした眼を向けられる事は。
例えそれが、常軌を逸した感情によるものだったとしても。
なまえからすれば屍と化して転がる子供達はただの"標的"でしかなかったのだが、その中でただ一人、彼だけは"人間"として認識した。
いつもよりほんの僅かに力む体はその影響だろうか。
とはいえ、彼もまた殺害対象である事に変わりはない。
降ろしていた右手をゆっくりと上げ、胸の辺りで逆手でナイフを構えた。
寸分も反らされる事のない視線が次の標的はお前だと、言葉の代わりに告げているようなものだが、少年は怯えるどころかその逆。
ぞくぞくっ!と、背筋から脳天へ走るのは極度の興奮による寒気。
交感神経が彼に伝えたのは、攻撃の合図。
脳内に反響する声はただ一言、こう告げていた。

殺せ
目の前の女を、殺せ、と

次の瞬間、シャニの足は床を蹴っていた。
開始前にアズラエルが見ていた彼のデータを裏付けさせる、見事な反射神経によるスタートダッシュだ。
普通の人間ならその動きを追う事ができず、間違いなく彼が振り翳す切っ先の餌食となっていたことだろう。
だが、相手が悪すぎた。
「っ?!」
揺れる髪から覗く薄紫と金色の目が、殺戮の色から驚きへと変わる。
ナイフの刃が……シャニが今間違いなく、その脳天に食い込ませようとした凶器が、少女の指二本で止められている。
人差し指と中指で、まるで空中をひらひらと舞う紙を挟み込んでいるかのような、余裕な動作で。
しかも彼女はシャニどころか、ナイフすらその視界に納めていないというのに。
髪の生え際にうっすらと汗を滲ませながら、シャニは足に力を込めてなまえの指からナイフを引き抜こうとする。
だが、ぴくりとも、1mmたりとも動く気配がない。
押せども引けども、どちらにも。
……何だ、一体、どういう事だ?!
ここでシャニもなまえの力の異常さに気付き始める。
自分より一回りも細く小さな、惰弱な筈の女に力負けをしている?!
それにシャニは既に汗を浮かばせているというのに、一方はといえばそんな様子が微塵もないではないか。
戦闘狂とはいえ、現状理解が出来ない訳ではない。
ここは一旦ナイフの柄を離して距離をとった方がいい。
武器ならそこらに幾らでも転がっているのだから。
そう思いかけた矢先、そんなシャニの思考を詠んだようになまえが顔を上げて、心臓が縮み上がる感覚を覚える。
無。
その一言に尽きる。少女の瞳も、表情も。
心が空っぽで、その思考を予想する事すら出来ない。
これまでシャニが屠ってきたどの獲物とも違う。
恐怖、憎悪、苦痛、狂乱
違いはあれど、どんなに正気を失った者でも、殺し合いの時にはいずれかの感情を露わにする筈。
だがこの女は、何もない。
あり得ない、こんなヤツ、
そうシャニが思っている間に、なまえが抑えているだけだった刃を強く引いた事で、未だ柄を掴んだままだったシャニの体は大きく態勢を崩した。
しまった……!!と、思うがもう遅い。
無防備だったシャニの腹に凄まじく重い衝撃が襲い、苦痛の声が口から吐き出された。
深く食い込んでいるのはなまえの膝。
一瞬意識を失い掛けたものの、嘔吐感が皮肉にも気絶を押し留めた。
だが再び、今度は側頭部に鋭い打撃。
脳がぐわんぐわんと揺れるのをリアルに感じながらも、シャニには今自分に何が起こったのか知る事は出来なかった。
立て続けの衝撃で完全に力の抜けた全身は、頭部に受けた力に耐える事が出来ず、シャニの体はまるで人形の様に壁へと吹っ飛んでいってしまった。

どん!!と鈍い音を立て、そのまま無様にもずるずると床に膝をついてしまう。
未だ揺れる視界。視界の端にはちかちかした光が絶えず舞っていて酷く鬱陶しい。
腹部に受けた攻撃で内臓がやられてしまったのだろうか……喉にまで競り上がってきたものを勢いよく吐き出すと、それは体液と混じった赤黒い血液だった。
それを見たシャニの瞳孔が開く。
どくんどくん、先程以上に大きく波打つ動悸。
霞む視界をなんとか動かせば、辺りは子供達の死体と血の海だ。
先程己が吐き出したものと、同じ。赤い、
近場の死体に、ふと自分の姿が重なった。

俺も、こいつと同じになる……?
物言わぬ人形に。これまで自分も数えきれないほど積み重ねてきた、ガラクタ達と、一緒。

━━━イヤダ━━━

血溜まりを踏み締める嫌な音が、徐々にシャニに近付いていた。
それは距離を縮めると同時に、彼の命のカウントダウンを指し示す死神の足音。
だが不思議とシャニにはその音が遠く小さく聞こえた。
近付いてくるに連れ、どんどんと微かなものになる。
終いには耳鳴りのような音に掻き消されてしまった。
だからこそ、目の前でなまえが足を止めたことにシャニは気づかなかった。
俯いたまま。見ただけでは絶望に打ちひしがれた様子である。
なまえもそう見てとった。
この男も、他と変わらなかったな、と。
対峙した当初は彼の異様なほどの好戦的な態度に、始めて見るタイプの人間だと思ったが、こうして力の差を見せつけて追い込んでしまえば、結局は同じ。
絶望し、己の人生の終焉を察して泣きわめくか、今のこの男の様に無気力になるか何れかだ。

何か異なるものを感じた、そんな気がしたのだがな。

気のせいだったか、と相変わらず無気力に胸で呟いたなまえはシャニへと手を伸ばした。
その指先が緑色に触れる、直前。
「っ!」
びりっ!と肌を刺す殺気を感じ取ったなまえは直ぐにその場から飛び退いた。
その際にシャニに伸ばしていた指先に、微かな痛みを感じとる。
「……血」
見ればうっすらと血が滲んでいるではないか。
シャニの方へ目をやれば、彼の手に再びナイフが握られている。

私が距離をとると同時、奴もまた動いたのか。

だがなまえの反射神経についてくるとは、自暴自棄になったからといって成せる事ではない。

……シャニ・アンドラスは、

「……俺は、死なない」
ふらつきながら、口の橋から血を滴らせながらも、ゆっくりと立ち上がる。
顔を上げたことで晒された彼の目は、それこそ刃よりも鋭く、研ぎ澄まされた光でぎらついていた。
「死ぬのは、お前だ……っ!!」
シャニ・アンドラスは、未だ"死んでいない"。
なまえの背筋を電撃のように何かが走り抜けた。
その現象が意味するものを、彼女はまだ知らずにいる。


とん、とん
規則的に机を叩く指は当人の不満げな様子をあからさまに表していた。
無論、表情からも心情を容易に察せられるのだが。
先程までの、楽しんで殺戮を観察していた様子が嘘のようである。
椅子に深く腰を据えるアズラエルは、大モニターに映し出されている映像を見て溜め息をついた。
映像はちょうど、シャニがなまえの肘鉄を頭に食らい、壁に激突した場面である。
やはり、こんなものか……。
幾ら成績が突出しているとて、彼女が相手となると何の意味も成さなくなる。
せっかく面白いものが観られるかと思ったというのに、無駄な時間を過ごしてしまったものだ。
今一度嘆息した後、最早見る価値はないと部屋を退出しようとしたアズラエルだったが、突然鳴り響いたアラーム音にその動きを止める。
再びモニターの方へ顔を向けたアズラエルは目を大きく見開いた。
そしてその表情を驚愕へと変化させる。
この反応は彼だけではない。部屋にいた誰もが我が目を疑う心地でモニターを眺めていた。
アラーム音の発信源は被験者の精神状態を表すバイタルサインだ。
今や二人分しかないそれの一つが、微かではあるが乱れたのだ。
対象人物の動揺を指し示す。乱れた人物が、問題だった。
「みょうじなまえが、揺れた?」
未だ嘗てない事だった。
こんな実験などなまえからすればお遊びでしかないといえるくらい、危険な戦場でもっと凄惨な事を彼女は繰り返してきた。
感情を示した事は、一度もない。ただの一度も。
だが今バイタルサインは、なまえの精神に変化があると確かに示している。
「映像を拡大する事は出来ますか?」
「は、はい……!」
そうしてより鮮明に二人現状が映し出されれば理由が明らかになる。
なまえの指先にうっすらと滲んでいる朱。
シャニの手に握られているナイフ。
シャニによって、なまえが傷を負ったのだ。
コーディネーターの正規兵との白兵戦でも無傷で勝利した彼女が、まさか実験体の攻撃を受けるなんて。
油断したのか?否、彼女に限ってそれは有り得ない。
シャニ・アンドラスの動きが、なまえの反射神経に勝ったと思うしかないのだが。
「有り得ない!!幾らシャニ・アンドラスとて、みょうじなまえの動きについてくるなど……!!」
なまえの圧勝に絶対の自信を置いていた一人の研究員は、声を荒げながら現状を否定する。
目先の数字や己が信ずる理屈しか信用しようとしない、根っからの研究者特有のヒステリーだ。
やれやれ……と、心で馬鹿にしながらアズラエルは声をあげた。
「ですが事実、彼は奴に傷をつけましたよ?偶然……ですかねえ?僕にはそうは思えませんが」
付け焼き刃による最後の足掻き?奇跡?
そんな浅はかで陳腐なものだとアズラエルには思えなかった。
きっとこれから、何か面白い事が起こる。
根拠はないが確信めいた予感。
今ここであの強化人間を失うには惜しい。
なまえに傷を負わせた、それだけで十分存命させるに値する価値はあるではないか。
「実験を中断して下さい」
「理事?!」
困惑する主任の研究員に、けしてそうは見えないが言葉で急かす。
既に平静を取り戻したなまえが、シャニを殺さんと彼を蹴り飛ばして床に倒す一連がこうしている間にも流れている。
早く中断させなければ、シャニの命は風前の灯だ。
「ほら、早く」
「━━━了解致しました」
穏やかな声と裏腹、ぎらぎらとした眼差しに臆した研究員は、開始時より幾ばくか小さな声で全体に告げる。
「本日のCQC演習を、終了とする。合図を」
直後に開始の際と同じ、けたたましいブザー音が鳴り響いた。
終了の合図である。それに従って、倒れているシャニに跨がり、胸倉を掴んでナイフを振り下ろそうとしていたなまえは構えを解いた。
研究員達は後片付けをするべく、ばたばたと実験室への移動を開始する。
そんな慌ただしい空気の中、ただ一人優雅に座ったままモニターを見つめているアズラエル。
微笑む彼は、ただただ実験を生き延びた二人の少年少女を見続けていた。


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Honey