覚めたばかり

本当に。

いつもと違うことなんて、本当に何も無かったように思う。課題を終わらせ、風呂に入り、ある程度髪を乾かして布団に入るというごく普通な、至極真っ当の生活を飽き飽きとしながらも送っていたのだが、目覚めるとこの路地裏に倒れていた。真夜中なのかあたりは真っ暗である。右の方からは光が路地裏に漏れていた。

「何これ…誘拐、にしては拘束もされてないし」

というよりここは何処で今は何時だ。突然起きたこの事態を前に、何とか対処しようと無い頭をフル回転させる。
まず自身の体の状態を確認すると、何故か制服を着ていた。この黒のセーラーは私の通う高校の冬服であり、デサインが割と評判の良いものだ。しかし寝る前に制服など着た覚えはないし、そもそも家には両親も在宅していたはずだ。
最悪の事態が浮かび、頭を強く振ってそのイメージを飛ばした。まず私がすべき事は両親と連絡を取ることだ。と、考えた所で自分が携帯や財布その他諸々、何も持っていないことに気が付いた。あるのはスカートのポケットの中の千円札二枚だけである。これは定期へのチャージ金として親から先程受け取ったものである。

「これ、かなり拙いんじゃ」

自分の置かれた状況を把握し呆然とした後、取り敢えずの基礎情報を手に入れようという思考に辿り着くまで、かなり時間がかかった。無理もない話だと思ってほしい。普通にありえない事が起こりすぎているのだ。

「ここは何処で、警察署は何処にあるのかを取り敢えず知りたいな…。兎に角、誰かいないかな」

路地裏は暗く、ジメジメとしていて人一人いない。しかし、周りの様子を段々と把握できるようになってくると、路地を抜けた先、つまり煌々と光が漏れてくる方には大きな通りがあるらしい。ガヤガヤと人の笑い声や足音が聞こえてきて、自分以外の人が大勢居ることに安心する。この音にも気付けていなかったとなると、先程まで自分がどれ程パニックになっていたのかが知れた。
力の入らない足に喝を入れて立ち上がる。明かりに群れる蛾のようにフラフラと光の射す方へ歩いていくと、目の前に広がる光景に自身の目を疑った。

そこはネオンの灯りがギラギラと揺れる喧騒溢れた繁華街であった。今時道がコンクリートで舗装されていないことを除けば新宿当たりでよく見る通りである。しかし、そこを通行する男女の服装が問題であった。時代外れの着物、それもほぼ全員である。さらには異形の頭をした宇宙人の様な人物がチラホラと見かけられる。呆気にとられている私の前を虎の頭をした一団が通り過ぎて行った。

「(この御時世に着物…!?しかも何あれ、人なの…?宇宙人?あっ、あっちには象、こっちには…タコ!?)」

コスプレか何かかと思いたいところだが、見た所彼らは自身の頭を何の不自由もなく動かしている。つまり、象は鼻を揺らし虎は耳をピクつかせタコは触手をうねらせているのだ。どうにも作り物とは思えない生々しさである。

「それで女房がよ〜、ッて!!」
「きゃっ…あ、あのすみませ」
「おい嬢ちゃん危ねぇんだよ!どこ見て突っ立ってんだ!!」

安心感などとうに消え、初めて見る異様な光景に体を硬く固まらせていると、赤ら顔をした男の集団にぶつかってしまった。その勢いで地面にべちゃと潰れた男の機嫌は頗る悪く、大きな声で怒鳴られ心臓がひゅうと縮まった。

「そんなに怒鳴るなってお前、良く見れば中々イケそうな顔じゃんか、なぁ?」
「こんな夜中に出歩くなんて親不孝者だなぁ。家出?おにいさん達の家に泊めてあげようかぁ?」
「それともそういう店の人?何処のお店かな、サービスしてくれるなら行ってあげてもいいよ」

男の人達の下卑た目線が自分を上から下までジロジロと観察していることが分かる。気持ち悪さで吐き気がしたが、しかし何分こんな事態に遭遇したことが無かったため対処法も分からずじっと俯いていた所、その無抵抗さに付け込めると思ったのか一人に腕を掴まれてしまった。

「取り敢えず、ここじゃアレだしあっちのお店に入ってゆっくりお話しようよ」
「えっ、あの、やめてください!」
「またまたぁ。こんな時間にここに居るってことはナンパ待ちでしょ?それか美人局かな。それは困るけどおにいさんもお友達沢山いるし、きっと大丈夫だよ。楽しくやろ?」
「いや本当に違うんで、離してください!お願いします!」
「何、そういうプレイ?」
「(プレイじゃねぇよ!!)」

段々と募ってきてイライラに任せて振りほどこうとしたものの、男の力は強く、運動もしていない私の力では無理であった。そうこうしているうちにズルズルと引っ張られていってしまう。周りからは忍び笑いが聞こえてくる。これはヤバイ。洒落にならなくなってきた。

「本当に、離して」
「いいから来いって「ワンッ!!」ぶべらっ!!」
「え」

泣きそうになりながら必死に抵抗していた私に痺れを切らし、男が怒鳴りかけたその瞬間。白い塊が男の後にぬっと現れ、そのままの勢いで男を踏み潰していた。男は奇妙な叫び声を上げ、あっという間に地面に顔をのめり込ませていた。
周りの男と同様に吃驚して棒立ちになっていると、その白いフワフワとした大きな塊は、のしのしと歩き私の鼻先で止まった。行儀良くおすわりするその生き物は犬のように見える。いや、サイズが規格外にデカいがこのフォルムと鳴き声は正しく犬そのものだ。

「おい、お前ら。定春の散歩の邪魔なんだよ。退け」

そしてその規格外の犬を連れた飼い主は、道の小石を蹴っ飛ばす様な調子で、ふてぶてしくそう言い放ったのである。
彼の頭は、周りのネオンに負けない鈍い輝きを放つ、綺麗な銀色をしていた。