夜と朝

「おーい、聞いてる?どいてって言ってんだけどさぁ」

突然現れた規格外の大きさの犬とその飼い主である銀髪の男のインパクトは凄まじく、男共々私まで立ち尽くす始末であった。と言うよりも正直な所、犬の足によって地面に顔がめり込んでいる男の安否が気になってしまうのである。先程まであれ程の恐怖と怒りを感じていたのに、不思議なものだ。
やがて、漸くこの状況を認識し始めた男等は、今度はその銀髪の飼い主に絡み出した。犬に触れないようにしているのは、足元に伸びている男の二の舞になりたくないからであろう。

「お、おいおいにーちゃん。人の連れに何してくれてんの?」
「いや、女子高生に絡む醜い酔っぱらいが視界の端に見えたもんでな。コイツのウンコと一緒にまとめて捨ててやろうって善意だよ、善意」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねーぞ天パ野郎が!」

しかし銀髪は逆に男等を挑発する始末で、暴力沙汰になるまであと少しというところだった。

暴力は無理、今は無理。

この時の自分の行動は自分自身理解できない。まさかここまでの行動力があるとは思ってもいなかった。

「走って!!」
「は?って、うぉ」
「コラ、逃げんじゃねぇよ!」

気が付いたらその飼い主の、リードを持っていない方の手を引いてネオン輝く通りを全力疾走していた。周りからは驚く声が聞こえてきたものの、光の筋と混ざり合い遥か後方へ消えていったのであった。

運動があまり得意ではない方だったのだが、気付いた頃には男共の姿は見えなくなっていた。覚えきれないほどの角を曲がり、途中からはあの大型犬に引っ張られる始末ではあったものの、何とか振り切れた事に心底ほっとする。
と同時に、自分が例の飼い主の手を掴みっぱなしだと気付いた。

「あ!す、すみません」
「いや、別に平気だけど」

本当にどうでもいいといった声で返され、逆に少しばかり恥ずかしくなったがそれは走った際の頬の赤みで紛らわす。
彼はそれ以上何も言わずにただこちらをじっと見ている。私はというとまだ呼吸が収まらずぜぇぜぇといいながら膝に手をついたままだ。
呼吸が整った所で、降りてくる沈黙に耐えきれ無くなるのは時間の問題だった。しかも、助けてもらった上にここまで連れてきてしまい迷惑をかけまくっているのは私だ。謝罪をと思い顔を上げたところ、不意に彼の方から質問をされた。

「ちょっと聞いてもいい?」
「はい、何なりと」
「えーと、まずアンタの名前からから聞きたいんだけど」
「あ、はい。ミョウジナマエといいます。あの、先程は助けていただいてありがとうございました」
「いーよ、別に大したことじゃねぇし。…俺は坂田銀時。あそこの近くで万事屋を営んでる者だ。まぁ、よろしく頼むわ」
「万事屋?」

聞きなれない言葉に阿呆みたいにオウム返しをしてしまう。何でも屋さんみたいなものだと坂田さんが教えてくれた。ついでに自分が社長なのだということもだ。
何でも屋、かぁ。いかにも胡散臭い感じがするが、営業している本人の目の前なのでそれは口に出さないでおくことにする。

というか、さっきから坂田さんからの視線が痛い。めちゃくちゃ見られている。
死んだ目をしているのに刺さる目線が酷く息苦しい。しかも全力ダッシュの後なので酷い顔をしているはずだし、普通に恥ずかしい。

「あの、何か付いてますか、顔に」
「あー…、ごめんごめん。いや、見た所ナマエちゃん、学生さんだしこんな夜遅くに出歩くのは危ねぇなと思ってさ。それとも何、実は成人してますってカンジ?」
「いえ、正真正銘の女子高校生です。その、色々と訳ありでして…。私自身も事態を把握していないといいますか…。帰り方が分かるんですけど分からないというか…」
「…なんじゃそりゃ」
「本当、意味不明ですよね…。すみません、助けていただいた事、感謝しています。では、私はこれで」


そりゃあそうだ。こんな餓鬼の言うことなんかマトモに取り合うわけがない。精々家出少女として交番に届けられるのがオチだろう。が、しかし。今警察のご厄介になる訳にはいかない。事を大きくしてしまう前に、逃げよう。

だってこんな、訳の分からない場所で、多分私の家なんて見つからない。本能がそう言っていた。まだ家を探してもいないし、ここが何処なのかも把握していないのだから、もしかしたら帰れる可能性があるかもしれないのに、心はそれは不可能だと叫んでいる。


もう、帰れない。


警察に行ったりなんてしたら、その事をもっと明確に突きつけられてしまう気がして怖かった。まだ、そんな心の準備は出来ていない。出来ているはずがない。

目頭が熱くなる。あ、やばい、泣く。

「…ちょっと待った!!」
「うひぃぇえ!?」

全集中力をもって涙腺を引き締めながら元来た道を引き返そうとしていた私の前に、坂田さんがいきなり現れたものだから変な声をあげてしまった。
坂田さんはその大きい掌をこちらに向けている。これは…ストップ?制止しているのか?

「あ、あの…?」
「……帰り方が、わかんねぇんだよな?」
「は、はい。恥ずかしながら…。別に家出とかではないんですけど」
「泊まる場所は?」
「それも…あの…まぁきっと何とかなると…」
「…………………」

二つ質問をした後に坂田さんは黙り込んでしまった。な、何か気に障ることをしてしまったのだろうか。というか、冷静に見てみると私の状況かなりヤバいな。
しばらくして、大きな溜息を1つ吐き、頭をガシガシと掻きながら坂田さんは諦めたような気だるげな表情でこう切り出した。

「あー…。もう遅いし、帰り方が分かんないなら、うちの店の下のババァの所で良ければ泊めてやれるかもしれん」
「…………え?」
「まーこんな胡散臭い白髪天パのおっさんの言うことなんて信用できないかもしれないけど!店は表通りに面してるし、それにババァだから!俺の所じゃなくて萎れたババァの所だから安心しろ!!」
「で、でも、そこまでご迷惑をおかけする訳には」
「いやいや、これで女子高生一人街を彷徨わせるよりこうした方が俺の気も楽だから。俺の為を思って泊まってってくれ」

な?と言い、坂田さんは初めて微笑みを見せてくれた。白い犬も同意の意を示すように鳴いている。坂田さんのそれは苦笑に近いものではあったけれど、やっと人の善意に触れられてほっとした私はそれにつられて、やや引き攣った笑みを返すのであった。

「それじゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」
「おう。ま、泊めるのは俺じゃねぇんだけどな。そこの交渉はこの俺に任せておけよ」
「ふふ、頼りにしています」

坂田さんの物言いに思わず口元が緩む。と同時に、思いがけない事の連続で思いの外心労が溜まってたらしく、肩にかかる重力が一気に増した気がする。
思わず大きな欠伸を零すと、「一気に気ぃ抜け過ぎだろ」と突っ込まれる。いつの間にか、彼との間に感じていたぎこちなさも形を潜め、緩やかな時が流れていた。きっと彼の分かり辛い気遣いによるものだろう。
憎めない人、って感じかな?勝手に心の中で坂田さんの人物像を描きながら、再びネオンの煌々と光る通りへ足を向けるのであった。

今度は、1人じゃない。