あの人はやっぱり此処には帰って来なかった。私はそれが何を意味するかを悟っていた。信じ難い事ではあったが、現実を受け止める事は容易かった。「待っていろよ」と私の頭を押さえるように撫でつけたあの人の最期の命令に背いて外へ出た。冷たい乾いた風が無機質な手足を撫でる。
あの人と同じ色の瞳が吸い込む眼前の光景に千本でぶすりと刺されたかのように胸を痛めた。不思議と血は出なかった。その代わり、ぼろぼろと36.4度の雫が1つ1つ粒になって零れ落ち、鼠色の岩をくすんだ鈍色に染めた。何もかも夢のようだった。散らばった100機の傀儡達も誰の物が分からない血痕もただの人形になったあの人も。
私は傀儡に足を取られ、よろけながらもあの人の元へ向かう。そうしてあの人の腹から伸びっぱなしのワイヤーを仕舞ってやる。手に猛毒が付いても荒れることのないこの手が付いている身体をあなたは「失敗作」と言っていたっけな。
「腸じゃなくて良かったですね、師匠。」
お喋り好きな私の冗談に眉ひとつ動かさない人だった。一緒に住んでいてもいつ寝ていつ起きているのか分からない人だった。それでもサソリという男は20年間私に傀儡を教えてくれた恩師である。
私の身体は3分の1のみ傀儡として機能、残りは人間として機能している。傀儡に縫い付けられた精神と本体の肉体とは別で、本体の肉体は20年間歳を取っていない。人傀儡の失敗作だと師は私に告げた。今も私の本体は暗い暗い冷たい術式だらけの部屋にいるのだろう。
「正確に核が突かれてる…。」
私には暁という組織が何なのかさえ知らない。目的も、何をしているかも。サソリは私に自分が抜け忍だと告げただけで暁については何も話そうとしなかったが、この乱雑に岩肌にへばりつく赤雲模様の羽織りが唯一の形見となった。
私は"蠍"を背負い岩を下る。傀儡と言えど約165p50s程の男性を152pしか身長のない細身の私が支えるには無理があった。途中何度も何度も転びそうになったし、何度も何度も落としそうになった。額から脂汗が流れる、へばりつく前髪が心底邪魔で仕方ない。砂にも足を取られ、口内は土と泥、血の味までした。その時だ。
「君は…」
私は足がすくんだ。膝が震えた。砂時計の額当てを確認し、"蠍"を庇うように後退る。懐から短刀を取り出す準備をした。
砂隠れの里の上役たちがやって来たのだ。私は砂隠れ出身ではない。砂漠の端のサソリに潰された里の生まれで中忍までの階級しか持ち合わせいないため、とてもでないが傀儡も壊れた"蠍"しか持ち合わせていない今、殺されてもおかしくはない。
風影が変わった事は2月程前に町へ降りた際に小耳に挟んでいた。
けれど怖くなんて無い、私は人形なのだから。
「私に名前はございません。我が師である傀儡師サソリによって作られた人傀儡の失敗作です。」
騒つく小隊に思わず眉を顰める。廃棄処分にするならしてくれても構わない。それが償いになるのなら。この人達はきっと暁の事について探っているのだろうが私が知る事は無い。例え私を拷問に掛けたとしても無駄な事である。
「残念ながら私は20年間精神と肉体を別離され、我が師サソリも私をコレクションのボツ作品として扱っておりました。教えて貰えたのは傀儡の事程度…っ!」
突然だ、それは余りにも突然すぎて何が何だか分からなかった。
ただ、胃の上に一瞬で風穴が空いたようなそんな気分である。私はそのまま"蠍"を背負ったまま倒れた。
ああ、死ぬのか。来世があるのなら次こそ普通の女の子になって美味しいもの食べたり、お洒落したり同じくらいの年齢の子達と笑いあったり、恋をして結婚して幸せになりたかった。
呆気ない、余りにも呆気ない最期であった。不思議と死ぬ事は怖くはなかった。
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目が醒めると見知らぬ場所で清潔なベッドの上に横たわっていた。病院…?いや、違う。消毒液の臭いがしない。
なによりも、背負っていた"蠍"がどこにも無かった。鈍い痛みが身体中を襲う。私は四肢のみが絡繰で後はほぼ生身の人間と同じ痛覚を持つ不便な身体である。それだからこそ私は失敗作であるのだろう。
「目が覚めたか。」
老人の声が耳に入る。私は何処か聞き覚えのある声に目を見開いた。そして冷たくなった生唾を飲み込む。
「エビゾウ様…」
老人は皺だらけの顔を更に歪ませ、頭の包帯にシワが寄る。
「お前のことは……分かるぞ。分かるんじゃが名が思い出せん。」
険しい顔をするエビゾウ様を唇の横を噛み締め睨みつける。私の強がりがまるで全てお見通しのようで傀儡の腕がガタガタと音を立てて壊れてしまうんじゃないかという程に震えた。ただ、私はサソリ様と濃い血の繋がりを持つこの人が少し羨ましかった。サソリ様と私は遠い親戚に当たったが、母の妹の夫の姉がサソリ様の母という遠い関係だった為、ほぼ他人であって何故私が20年前に15歳の少年に18歳の私が誘拐されたのかは結局謎であった。
「私に名前なんてありません。私は失敗作なので名前は貰えなかった、それだけです。」
エビゾウ様は長い眉毛を動かす。その動きは1瞬ではあったものの、私には時が止まったように思えた。何秒も、何十秒も時が止まっていたかのように思えた。それだけの後ろめたさがあった。その気まずさを取り払いたいと口を開く。
「チヨバア様は。」
「一昨日死んだ。お前がサソリに囚われていた20年間、時代は変わっていったでな。じゃが、これからも大きく忍の時代も変わり続ける。そして、お前も変わる必要がある。身体の3分の1までしか傀儡でない上に肉体が綺麗に昔の状態のまま残っているお前はまだ間に合うでな。」
チヨバア様の死はサソリと関係があるのだろうか、不安からか耳鳴りが止まない。そして、どうしてエビゾウ様は私が20年間サソリの元にいた事を知っているのだろうか、心臓がやけに力強く脈打つ。冷や汗が滲み出て身体中が痺れるように震えた。その時、私の恐怖心がドアの開く音で一気に消える。
「失礼、君の頭の中を全て調べさせてもらった。今まで辛かったろうけれどこれで終わりだ。サソリも死んだ、君は自由だ。ところで、いくら調べても君の名前が出てこない。出身里が既に無くなって20年経つから中忍としてのデータが残っているかも分からないのだが。」
この人は取調を行う班の上忍らしい。きっと私も暁の一員だと思われていたのだろうが、術で脳を見透かされて保護対象にでもなったのだろう。私は遠い過去を見つめる。
別にこれと言って辛かった事も無かった気がするし、とても辛くて寂しかった気もする。別に首輪が似合う子で良かった、お人形でも飾りでもコレクションでも何でも。ただ存在を認めて欲しかっただけで。
「君は傀儡と言ったが、国境警備隊の上忍に丁度傀儡師がいてな。そいつの処に行ってもらう。君を必ず人間に戻すと約束しよう、それまでの間だが…」
持ち主が消えたら新しい持ち主に移り変わる、壊れたらおしまい。道具とはそういうものだ。割り切っていたのに胸元が炙られたように熱い。
自由とは何だろうか。人にしか分からないものだろうか。私のような中途半端な存在に自由はあるのだろうか。いっそ、いっその事本当の傀儡になって感情すら持たない体温も心臓も無い空の人形になって壊れたい。
涙腺が一気に押し寄せる感情に耐えられなかった。ボロボロと涙が止まらない。昔、泣き過ぎて目の下の薄皮が剥けた夜をふと思い出す。
「あいつは言動が不真面目なところはあるが、家族想いの根が良い奴だ。先日も弟の為に命を張ってサソリの傀儡に仕込まれた毒にやられたが今じゃピンピンしてる。」
私は顔をガバッと上げた、髪はグシャグシャで酷い顔だったと思うが驚きが隠せなかった。師の仕込む毒は解毒不可能と言われるくらい強力なもので20年間共にいた私でさえ解毒薬は調合書を見て作らねばならないほど繊細なものなのにどうして…。右頬がピクリと動くのが分かった。
「お、驚いたって顔だな。それが木ノ葉の医療忍者が凄いこと。」
いつの間にかエビゾウ様は去っていた。お礼を言いたかったのは山々だが、今はそれよりも大事な事がある。
「あの、あの、私が背負っていた…」
不安げな私に上忍はさぞ可笑しなものを見たように噴き出した。私は思わず立ち上がりキッと睨む。
「すまないすまない、君が余りにも不安そうでね。普通のどこにでもいる女の子としか思えなかっただけで。それにあの傀儡はもう君の次の主人に当たる上忍に一足先に受け渡ったよ。すぐ会えるさ、いくら極悪とは言えど師匠なんだろ?」
わしゃわしゃと頭を撫でられる。「リボン歪んでるぞ」なんて結び直されたりもして、まるで娘か妹のように扱うその姿に私の中に眠っていたヒトとしての在るべき感覚が呼び覚まされた気がした。
「ありがとう…ごさいます。」
大切なものを取り戻したような感覚が生まれた。暖かい部屋で暖かい人達に迎えられて。あの人が望んでいたのはこんな日常ではないかとさえ思った。