暗転 悲劇的序曲

私は綺麗に畳まれてほのかに洗剤の香りがする可愛らしい桃色の服を貰った。

「娘のお古だけど悪いね。風影様には君の事を伝えてある。心配なさっていたよ。」

着替える私を気遣い、後ろを見ながらそう上忍は告げる。サソリ様は私が着替えようがシャワーを浴びようがそんな素振りはしなかったので何だか変な気分がした。けれど何故だかちゃんと人間の女の子として扱われているような感覚がしてとても嬉しかった。

「君、いくつだい?」

「38年生きてはいますけど、その内の20年間は細胞の活動が静止しているので18…?」

小首を傾げると上忍は「人間に戻ったらまた18歳から人生がスタートするわけだから楽しめよ」と笑った。私も思わずつられて笑ってしまう。私のぎこちない笑顔に上忍は頷いてくれて、それがくすぐったいような気がした。

「新しい主人はおいくつですか?」

「そう言えば同い年だったな…、丁度仲良くなれるんじゃないか?何も主従でなく友達だと思ってやればいいのさ。」

長い廊下を歩き、そうして 風影室の前に立つ。この中に風影様と次の主人が待っているらしい。上忍はぎこちなく手を伸ばす私の背中を押して親指を立てる。そして手の甲で軽くノックをし、背中が震えるほどに緊張が走った。

「誰だ。」

若い男性の声だった。新しい風影様はどうやら思ったよりも若い人らしい。

「っ、あ、あの…傀儡です。」

後ろで笑いを堪える上忍を憎く思う。そういえば、目が覚めて数時間も経っていないのだが私はこんなに感情が豊かだったか。胸の奥の氷塊が音を立てて溶けていく。

「そうか、入れ。」

ギィィと重苦しい音を立てて中に入る。程よい温度に調整された部屋には正面の机に赤髪の男、手前の客席にどかっと座る少し偉そうな黒尽くめの装束を着た男。立ち位置から見るに赤髪の方が風影樣なのだろうけど、態度は手前の男の方があからさまに大きい物だった。

「お前が新しい傀儡?全部話は上から聞いてるじゃんよ。ほとんど人間とは聞いてたけどただの女の子じゃん。」

隈取で縁取られた顔にずいと迫られ何と言えばいいのかも分からずにいると「カンクロウ、辞めないか」と風影様に叱責されカンクロウと呼ばれた男は渋々離れていった。背後にいた上忍は既に居らず、沈黙が流れる。

「今まで君を助けられず、すまない。此方でも君のかつての戸籍を探してはいたんだが名前を見つける事は出来なかった。」

風影様が申し訳なさそうに口を開いた。纏まった顔立ちが歪む瞬間を見て、ふと師を思い出した。ぐつぐつと煮えた感情等はもう私の胸にはなく、じんわりとゆっくりゆっくり師がこの世にいない事実だけが広がる。1つ1つの思い出が水彩画のように描かれていて、淡く儚いものだと自分に言い聞かせるのだ。

「いえ、こうして親切にして貰えただけでも嬉しい限りです。人でも傀儡でも無い私を軽蔑する事なく接してくれました、作品としてでなく生きた人のように。それが…とても嬉しかったんです。」

本心だった、心から笑みが零れた。すると新しい主人がずかずかと態とらしく足音を立てて目の前までやって来た。そうして私の頭を両手でグシャグシャにする。

「初対面の奴に言いたくねーけど、馬鹿じゃん。お前は人間で、今はまだちょっと傀儡なのかもしれねぇけどよ。感情もあって言葉も話せる、ほら体温も人間と変わねぇって。」

な?と笑い掛けられ、今度こそ私は大きく頷いた。初めて他人から認められた気がする。それがどうにも嬉しくて嬉しくて堪らなかった。背筋から熱いお湯を垂れ流されたかのような、胸の中に松明を突き付けられたかのような。

「俺はカンクロウ、こっちは弟の我愛羅だ。見ての通り、我愛羅は風影で俺は傀儡師。分からない事があったら教えてやるじゃん?」

得意げに言う主人を見ると先程の上忍が『家族想いの根が良いやつ』と言うのも納得できる。ポンポンと肩を叩かれる感覚はかつて師がしてくれたような温もりさえ感じることができた。私が感情に浸っていると、急にノックと共にドアが開いた。

「お、迎えに行っても居ないと思ったら来てたのか」

女の子の声がして振り向くと自分とそう変わらない年頃の女の子が2人並んで立っていて少し驚いた。ふと、私の話はどこまで伝わっているのだろうと考える。

「話は聞いている。大丈夫だ、此処にいる全員が君の味方になる。」

ニカッと笑う笑顔の素敵な女の子だった、私もついつい恥ずかしくなる。母性とはまた違う優しさだとか姉御肌だとか、そういうものが内側からにじみ出ている素敵な人。

「あなた、名前ないのでしょう? 呼び名が無いなんて死んでるも同然よ。カンクロウも不便でしょう?」

控えめに包帯だらけの女の子が「ねぇ?」とウィンクする、私は突然与えられた情報量に戸惑ってしまいはにかむ事しか出来なかったが主人の「あーー」という唸り声が聞こえ何事かとまた振り向く。こんな大人数の人達に囲まれたのは20年ぶり…いや、それ以上かもしれない。私はどうにも慣れず俯く事しかできなかった。

「実はもう決めてんだよな名前は。"赫百足"っての。俺が昔欲しかった傀儡の名前が"K百足"だったからそこに肖ってるってわけじゃんよ。さっきバキ…いや、アンタをここまで運んだ上役の忍びから聞いたが、アンタ赤秘儀だろ?」

私を運んだ、つまりあの時私を気絶させた布あてを半分した上役か。赫百足…赫百足…まるでお経のように何度も何度も胸の内で唱える。自分の名前を貰える、それがこんなに嬉しい事なのだと私は奥歯で噛みしめた。どうしようもないくらいに口元が緩む。

「お、サソリの弟子のムカデか、悪くないな。」

「テマリ、女の子にムカデは無いと思うわ。赫百足の赫と百足の頭を取ってアムちゃんはどうかしら、可愛いでしょう?」

『よろしくね、アムちゃん』と髪を抑えながら少し腰を折り、私を"アム"と呼ぶ女の子の包帯が少し動いたような気がする。人見知りの激しい私は恐る恐る手を握ったが、確かに柔らかく暖かい掌がそこにあった。

「悪いな。申し遅れたが私はテマリだ、こっちは幸蚕。私ら共々弟のカンクロウを宜しくな。」

少し男勝りで、でもどこか優しさのあるテマリは主人の姉だった。
ああ、こんなに居心地の良い場所はあの小さな部屋にあっただろうか。いや、無かっただろう。師は常に私以外の傀儡に夢中だったり、外に出たりしていた。

「改めまして、赫百足と申します。師より造型技術と傀儡の術を教わりました。この御恩はきっとお返しします。」

深々と頭を下げた、いま頭を上げたら泣いてしまいそうだったから。私はたった数分でこの人達のことが好きになり、たった数時間でこの里のことが好きになってしまった。疑う事が大事だと昔習った気もするが、ここまでよくして貰えたのなら今殺されてもいい。それくらい私は愛情に飢えていたのだろうか。

いつか『何も知らないくせに』と言われるかもしれない、『余所者が』と追い出されるかもしれない。それでも良いと思えている。
私に一時の居場所と名前と使命と人の在り方を教えてくれた人達となったのだ、じんわりと紙に水滴を落としたように私のモノクロームの世界が一瞬で極彩色に変わった。

磨りガラスの向こうに見える彩りがぼんやりと掴めて来た、そんな気がした。
そもそもサソリという男と出会う前、自分がどこで何をしていたのか思い出せない。決して過去に忘れたい思い出がある訳でもない。奇妙な師弟関係は唐突に始まり幕を閉じた。