夜明けの祝福

「静かですね、船長。」

あたしはなるべく船長と顔を合わせぬように夜の朝顔のように頭を斜め下に下げて問う。
そういう関係になる前から自分のエゴにもこうして付き合ってくれる偉大なる航路のように広い心を持つ船長にはきっとあたしの狂った気持ちなんて微塵も分かっちゃくれないのだろうけれど、寧ろそれが心地良かった。恋人として人生の一瞬でもいいから船長の記憶にあたしという女の子を刻んで、それなりに幸せに過ごせる、それだけで良いのだ。追い掛けて追い掛けて、捕まえた時にその衝撃で潰れて死んでしまわないか。いつもそればかり考えてしまうから。


「こんな時間に呼び出すのは初めてじゃないか?」

すっかりパステルに滲んで青なのか紫なのかもよく分からないそんな明け方の空も、何処へ向かうのか分からず風で羽毛を逆撫でられ、それでも尚飛び続ける屈強なカモメもあたし達には何故か新鮮だった。まるでこの海に2人きりで取り残されたような。

「ごめんなさい、でもどうしても1番が良かったの。」

後ろに隠したリボン付きの紙袋がガサリと耳に張り付くような硬く乾いた音を洩らす。
内股のあたしはブーツの頭を擦り合わせて意を決するのだ。何度も何度もクルー達を練習に付き合わせたのだから、きちんと言わねばならない。

「どうした? さあ、まだ朝まで時間がある。冷えるから中に入ろう。」

後ろを向き掛けた、そうだ今だ。
あたしの本能が叫ぶ。灼熱の溶岩のように血液が滾るように、208の針で振られたメトロノームのように脈拍が激しくなる。
左足で甲板の板を蹴り上げて飛び込むのだ。広い背中、男物の香水ブランド特有のスパイシーな香りが嫌にならない程度に加減されてほんのりと鼻腔を刺激する。
酔ってしまいそうなくらい、あたしがこの世で1番好きな香り。
同じ香水を別の男が付けたとしても絶対に船長の匂いが1番なのだ。
あたしは身長が低いから背の高い船長の腰にまでしか抱きつく事が出来ない。
自分のマントが風に吹かれるとあたしは風に紛れて告げる。

「誕生日ですね、おめでとうございます。



…これからも好きでいさせてくださいね。」

きっと最後の言葉は風に吹かれて何処かへ飛んで行っただろう。
朝焼けの空と水平線が眩しくて目を瞑る。キスを期待した訳でもない。ただ、眩しくて目を瞑る。別に態と色移りしやすいグロスを塗り、花の香りのリップオイルを重ねて来たのもキスを期待した訳ではない。

あたしはこれでもかと背伸びする、船長はマントであたしを包むようにして屈んでくれた。

「これからも君を愛させてくれないか、メアリ。」

喜びで気がトチ狂いそうになる。どちらが誕生日なのか分からないじゃないか。

ああ、素晴らしい夜明け前。

この曖昧なパステルカラーもあと少しすれば、はっきりとした青になり海との境目が分からなくなるのだろう。