キッチンの恋情

待ちに待った乙女の戦が始まる。ピリピリと空気が割れるような張り詰めた殺気が乱れるスーパーの売り場はまるで戦場。乙女達のSランク任務が幕開けするのだ。

いつもより早く目覚めた朝は少し肌寒い。熟睡する夫の腕を自分の腹から退けて起き上がるとぶるりと身体が震えて太ももにぷつぷつと鳥肌が立った。温もりが籠る布団を後にして洗顔とメイクで自分を奮い立たせる。ポニーテールにリボンを締めれば女のスイッチが一気に入る。

どの里の女の子もこの日ばかりは忍術の代わりに女子力を、クナイを泡立て機に持ち替えて、チャクラの代わりに有りっ丈の愛をチョコレートに込める。そういえば先日夫を連れて木ノ葉まで足を運んだところ、目的は依頼で絡繰の査定ではあったものの挨拶がてらに義姉と会って来た。夫は風影様からの手土産片手に火影様の所へ行ったが、私は義姉とサクラとの女子トーク。

「お義姉ちゃんはシカマルとシカダイくんに何か作るの?」

いたずらっぽく覗き込んで聞いてみる。そうしてハッとしたような顔で

「あ、ああ…毎年恒例行事だからな。」

なんて少し顔を赤くして嬉しそうに腕を叩いて見せる義姉を見ると思わず笑みが溢れる。

サクラちゃんは「しゃーんなろー」という掛け声を上げながらバレンタインディ特集の雑誌を片手に立ち上がっていて。サラダちゃんも女の子だし親子で作るのかなぁ、なんて思ったり。今頃2人でキッチンに立って「しゃーんなろー」しているのだろうか。

「アムちゃんはカンクロウさんに何作るの?」

不意打ち。唐突に攻め込まれた私の秘めた場所。奥さんである前に女の子だものそりゃもうとびっきりの大本命を。でもそうは思っても不意打ち過ぎて言葉に出ない、私は自分で思うより恥ずかしがり屋だったようだ。

「コイツのは凄いぞ、去年なんて義理でパウンドケーキだ。」

すかさず入った義姉の"えっへん"といった顔。"えぇーーーそういうのって勘違いされるんじゃないの?!"と大袈裟なリアクションで綺麗な目を丸くするサクラに私は首をブンブン振る事しか出来なかった。照れ隠しの分だけポニーテールが揺れた。

今日のポニーテールのリボンは気合を入れて薄ピンクのレースリボン。19歳の誕生日に当時まだ恋人だった夫が買ってくれたリボンだ。ふわふわと細いサテンに大きなラメ入りアイボリーの布レースがあしらわれたとっても可愛いリボン。いつものブーツの踵を鳴らして私は幸蚕の部屋へ向かうのだ。

ノックは3回、間延びした声と共にドアが開くも勢いよくドアチェーンに引っかかる。

「ごめんなさいね、義姉さん。我愛羅君が防犯の為に必ずって…。 さァ入って」

白のエプロンは下ろし立てだろうか、我が義妹ながら似合っている。普段は降ろされたウェーブのかかったマゼンタ色の長髪もキュッと纏めてある。よろしい。

「さっきみたいに馬鹿みたいな力でドア開けたらチェーン引きちぎれるわよ。…まぁ、幸蚕は顔も良いし人も良いんだから気付なさいよ…って風影邸で風影様の妻の部屋にヨロシクドウゾで来る忍びなんて頭沸いてるか。」

こんな私の悪態にも眉尻下げて笑ってくれる、そんな彼女が義妹で良かったとつくづく思う。

「シンキくん何時頃帰るの?」

甥と言えど男は男、乙女の戦場に足を踏み入れさせるわけにはいかないのだ。

「大丈夫、今日は砂漠の方で任務らしいわ。」

「砂漠?片道だけで1時間半ってとこね。まぁ、下忍だしそう長くはないと思うけど…制限時間は7時間ってとこか。」

時刻は午前9時半を回った。そろそろ夫の目覚まし時計がけたたましく鳴るだろう。

持参したエプロンを締めて試合開始だ。エプロンは世界中の女のユニフォーム、戦闘服なのだ。

「幸蚕は甘さ控えめのウイークエンドショコラを作って。風影様もシンキくんも甘いのよりちょっとビターな感じが好きでしょ?多分。」

オレンジの皮とラムレーズンとココア、ここが要になってくるのだが、まあ大丈夫だろう。隠し味には蜂蜜を使うつもりだ。

「終末…」
「幸蚕、自分のセンスに対しての自虐上手いわね。そのネタで暫くは一発屋で食っていけんじゃないの?」

口も動かしても動かす。天才傀儡造形師の一番弟子のこの私がバターを湯煎で溶かし、すぐさま別のボウルにオレンジの皮を摩り下ろす。(オレンジは風の国のハウス栽培のものは硬いので火の国産の物を使用。←2日前に買って柔らかくすると美味しい)

義姉が3日前から漬け込んだラムレーズンを切って寄せる。プシュッと中からラム酒の香りが津波のようにガバっと押し寄せて思わず二度ほど深く息を吸う。

そうして型用に用意したバターを室温に戻して柔らかくし、型に薄く塗って強力粉をまぶして余分な粉を払っておく。
幸蚕はまるで神様でも見るような目で板チョコ両手に私を見るが毎年の事なので気にしていられない。

「幸蚕、オーブンなんだけど160℃に予熱しておいて。」

「は、はいっ!師匠!」

うむ、悪くない…わ、悪くないな。師匠…師匠かぁ。サソリ様、赫百足やりました!
そうして幸蚕と手分けしてチョコレートは細かく刻み、完全に水気を取ったボウルに入れておく。ここまでが下準備である。

「年々上手くなってきたじゃーん、幸蚕〜。去年なんてあんたがオーブン壊して風影様に謝ったの私だからね。」

「義姉さん…、そんな…照れてしまいますわ。」

うりゃうりゃと小突いて次の段階に入る。次からが本戦だ。
まず、ボウルに卵と卵黄と上白糖を入れ、ハンドミキサーでしっかりと泡立てる。因みに幸蚕は卵を割るのが上手い。それだけは上手い。何故か上手いのだ。

そうしてミキサーの羽の跡がしっかり残るくらいまでふんわりとしたら、ハンドミキサーを止め、先程摩り下ろしたオレンジの皮を加えてゴムべらでサッと混ぜ合わせる。ここは速さが勝負の為、私が受け持った。そうツーマンセルのチームワークだ、そう、チームワーク。

ふるった粉類を加えゴムべらで粉っぽさがなくなるまでさっくりと合わせていく。火を使わないので此処は幸蚕に任せたが少し零した程度で済んだので良し。
4分の1程を溶かしたバターのボウルに入れて、泡立て器で勢いよくかき混ぜてなめらかな半個体状にするのだがやりたいと言わんばかりの瞳を向ける幸蚕に"絶対に零すなよ"と念を押して任せてやる。

こういうところがちょっと犬みたいで可愛い。

「ラムレーズン選手、投下〜!」

「投下〜」

そうしてまた混ぜていく。少しエプロンに跳ねたがまあ、良いだろうとハラハラしつつも見守る。そうしてそれらを型に流してオーブンで焼くのだ。

その50分の間に次は私のチョコを作るのだから戦いはまだまだ前半なのである。時刻は丁度10時40分を回った。

「焼いている間にオーブンを使わずチョコと蜂蜜のバウムクーヘンを作ろうと思います。」

幸蚕は目を丸くして"正気か"と訴えられている気がする。そうだ、私はオーブンを使う時間を被らせない為に敢えてオーブンを使わないものを選んだのだ。

「さっきのチョコとバター寄越して。」

幸蚕が不安げにそれらを私に渡す、私を誰だと思っているのよ。天才アムちゃんだぞ。

それらをボウルに入れ、約50〜55℃のお湯で湯煎にかけて溶かしておく。まあ、この人が凝った料理をしないが為に計りがこのキッチンに無いので仕方ないからポットのお湯を水割りした物を使用したけれど。

フライパンの大きさに合わせて割り箸とアルミホイルで心棒を作り、表面にサラダオイルを薄く塗っておく。

「これがバウムクーヘンのクーヘンになるのよ。」

いやそもそもバウムクーヘンのバウムもクーヘンも意味は知らないが。幸蚕に伝わって欲しい。

そうして生地作りに入るが意外と簡単なので今度ヨドちゃんにも教えてあげたい。バウムクーヘン作れる女はモテるぞ、多分。

ボウルにホットケーキミックスを入れて牛乳、卵、幸蚕印の蜂蜜を加え混ぜ合わせて粉っぽさがなくなり綱手さんとこのカツユちゃんレベルまで滑らかになったら、湯煎で溶かしたチョコレートとバターを加え混ぜ合わせるのだ。これだけで完成してしまう、後は焼くだけという優れものだからバレンタインではなくても作りたい。

先程のフライパンにサラダオイルをひき、温めたら生地を薄く流し蓋をして弱火に掛けて、表面の生地が乾いてきたら心棒に巻き付ける。巻きつけた後、フライパン上を転がしながら中までしっかり火を通す。幸蚕に火を使わせるのは"ヤバい"と流石に何年もいると分かる。

身体から引火性ガスか助燃性ガスが噴き出てるのかというレベルで火と幸蚕は相性が悪い。普段風影様は何食べてるんだろう。不思議だ。

「ま、これの繰り返しよ。」

「凄いわ、義姉さん…バウムクーヘンがこんな目の前で作られているなんて…。貴方、これで食っていけるわよ。副業バウムクーヘン職人でいいじゃない。」

目を輝かせながらくるくると回る心棒を見つめる幸蚕に私は微笑を向ける。

「さ、さっきの根に持ってるなら謝るわ…」

最後の生地を巻いてくっ付けたらビニル手袋をして筒状に形を戻して熱を取り、心棒を抜く。いい感じのショコラ感があって見た目も可愛い。

「ほら。」

幸蚕の口に端切れを放り込む。ぷっくらと厚い唇は柔らかくて荒れを知らない。手先に真っ赤な口紅が薄く付いた。

「大入袋入りのパーティ用バウムクーヘンの味がするわ。酸味の強い珈琲豆と合うかも。美味しい…!」

「大御所芸能人並の意識高めな微妙な例えでリアクションに困るけど、ありがとね。」

そろそろ50分が立つ、あっという間ではあったがオーブンを見て竹串を刺して見る。我ながらナイスタイミングで過程が進み大満足だ。

「よし、取ったら急いで逆さにして型から出すの。そうして粗熱がとれたら不恰好な表面の盛り上がりを包丁で切り落として、底の部分も斜めに面取りをするようにカットよ。」

覚束ない手で幸蚕は包丁を持って当てながら「こう?」「あ、こうかしら?」「ん?」とやっているので滑稽でつい吹き出してしまう。ああ、もう、型付いちゃって傷だらけ。歴戦の忍びの身体みたいよ。

「ほら、貸しなさい。しょうがない義妹なんだから」

後ろから包丁を持つ手に手を添えて「この間隔よ。」と教えてやる。あ、香水変えたわね。

「義姉さん、ありがとう…。やっぱり義姉さんは凄いわね。」

まぁね、と顔に出てしまうのが私の悪い癖でついつい得意げな顔をしてしまうけど貴方の成長も大したものよ。

「家からあんたの蜂蜜とタイヤン先輩から貰った杏子で作ったアプリコットジャム持ってきたの。これ使うわよ。」

持つべきものは人脈である。あの人と杏子は良く似合うなぁとふと思ったが、そういえばタイヤン先輩も今頃キッチンに立っているのだろうか。先輩の事だから食べるのが勿体無くなる程の超力作を振る舞うに違いない。次の女子会は来週、議題は勿論"バレンタイン戦績発表"

「義姉さんばっかりタイヤンさんとそうやってずるいわよ。」

「わ、私も直接貰ったんじゃなくてバキさん経由でカンクロウさんが貰って来たから…」

ふつふつと煮えたつジャムの甘い香りに包まれながらむすりとした頬に人差し指を突き刺す。プスゥと頬に突き刺さり歯に当たった人差し指目掛けてポパッと空気音を鳴らして幸蚕が口を開く。

「うわ、出た。食虫植物」

「昔は身体に虫を取り込んだものだけど今は綺麗な薔薇みたいなもんでしょうよ。」

「私虫かい。」

ラム酒を入れてアルコールとアプリコットが絡み合う。空中で混じった香りが身体中に纏わり付いている間隔だ。

「ケーキを半分に切って…こっちはシンキくん、こっちは風影様ね?」

流石にラム酒の多い方を子供に与える程私は馬鹿じゃない。片方にまだ熱いジャムをトロトロと塗り、伸ばす。

「さぁ、仕上げにチョコを上に掛けてコーティングするわ! 幸蚕、最後は貴方が丁寧にやらなきゃ。」

私は一歩下がってチョコレートの入ったボウルを差し出す。緊張の面持ちで幸蚕がゴムへらで流していくのをまじまじと見つめるのだ。

「まいっとし、ここで失敗するのよね〜」

と言おうとした瞬間だった、その瞬間にボウルが落ちた。いや、ボウルが落ちたんじゃない。幸蚕がキッチンマットで滑ってベルトコンベアの如く巻き込まれたのをリアルタイムで見てしまった。

ガシャンと無残な姿、幸蚕はともかくケーキ本体は無事で良かったと胸を撫で下ろす。

「悪い意味で期待を裏切らないところ、好きよ私。」

手を差し伸べればチョコレートだらけの手で私の手を握る。あーあ、こんなになっちゃってさ。

「なんとかしたげる。シャワー浴びてきな。エプロンも白はシミになるからすぐお湯に浸けて揉み洗いしといで。」

まあ、でも私って義姉さんだし? 出来ない義妹持つと大変なのよ。シュンとしないで、仕上げは何とかするから。

「蜂蜜とあんたが毎日美容だかダイエットだかで食べてるナッツアソート借りるわよ。」

こうして私たち、乙女の戦は幕を閉じた。波乱万丈ではあったが、これも良い女子会ネタになるだろう。



「義姉さん…やっぱり才能無いのかしら…」

「そんなもんよ、最初は。私だって元々は味覚を戻すリハビリだったのよ。それが無きゃあんたより下手くそだったかも。そりゃあ、主婦で料理出来ないって致命的だけど…簡単なものから作っていけばいいじゃないの。いきなりラザニアとかペペロンチーノとかに挑戦するから圧力鍋壊したりフライパンの加工剥がしたりするのよ。」

2つのチョコ菓子は冷蔵庫で眠っている。私達は幸蚕の淹れた紅茶を飲みながら午後3時を迎えた。

私の言葉で*、と何も言えなくなりティースプーンで蜂蜜を掬う幸蚕に"ごめんごめん"と空謝りをする。ム、とした顔をした彼女は出会った頃と比べて感情が出やすくなったとつくづく思う。私がいえた事ではないけれど。

「旦那に一言"美味しい"って言わせるもの作れたらそれは嫁として上出来なのよ。お洒落な物にこだわり過ぎでしょ。好かれるアピールする為に知りもしない小洒落た料理するのは好きな子に片想い抱いてるアカデミー生でもやってるわ。でも、幸蚕もう嫌ってほど風影様に好かれてるじゃない。カンクロウさん、いつも惚気話聞かされてるらしいわよ」

我ながら中々良いこと言った気がする、と思いつつも実は私もこれは人の事をとやかく言えない訳でサクッと"お前もな"と風魔手裏剣が胸に刺さる。

それでも幸蚕は頬を赤らめそれどころではないようだ。身体ばかりは大人で中身は少女なんだから。まったく、貴方の方が1つ年上なのに可愛い子。

ああ、そろそろ帰らねば。

「じゃ、ハッピーバレンタイン」

私は冷蔵庫から菓子を取り出しあらかじめ用意した箱に詰める。

そうして幸蚕に見送られながら部屋を出る。そろそろケシも帰る頃、そういえばアイツ去年はヨドちゃんから1つ3両の一目で義理だと分かるチョコしか貰えなかったみたいで凹んでたなぁ。

ああそうだったドアを閉じてふと思い出した。

「幸蚕、」

「どうしたの、義姉さん?」

ドア越しの為声がくぐもって聞こえ辛い。

「キーチェーン、忘れないように」

"んもう!いじわる!"と今度ははっきり聞こえたが私はぷくくと笑いながら軽い足取りで部屋に戻る。勝負リボンがポニーテールに釣られて大きく揺れるのがよく分かった。