不思議な子ども



大きな円状に広がった街の中心には丘があって、王様が暮らすお城が建っている。

この国の誰もが知っている当たり前を頭に浮かべながら、一人の人間が深い霧に覆われる空を見上げた。
まだ体は小さく、やっと十代に差し掛かったばかりの子どものようだ。しかし、濃霧を睨むように見つめる瞳には、子どもにおよそ似つかわしくない強さが宿っていた。
今は見えぬ晴れ渡る空よりも澄んだ天(そら)色が辛そうに歪む。

「絶対に……絶対に戻ってきますから」

誰に聞かれることのない決意は、不気味な霧と交わるように空気に溶けた。
子どもの姿は、もうそこにはなかった。


+++
舗装されていない砂利道にガラガラと荒く車輪が転がる音が進む。合間に微かながら固いものが石を蹴る鈍い音も混ざり、喧しい共奏が長閑な昼下がりを賑やかに変える。
そんな二つの音が不意にピタリと止んだ。
砂利道の終わり、その先に点々と木造家屋の立ち並ぶ光景が広がる。

「やっと着いたな……」
「ううう……お尻いたぁい……」

目的地を目にし、馬車を引く青年と荷台にのった少女が同時に声をあげた。



予定を遥かに越えてようやく辿り着いたリマ村は、昼下がりであるというのにどこか閑散としていた。

広い領土を有するエステイド国はその広さゆえに未開地が多数あり、国内には何百人規模の旅人が存在する。
リマ村はいくつかある未開地の傍にあることもあって、旅人が一度は訪れる拠点として広く知られていた。
しかし、話に聞いていたような旅人が行き交う姿はおろか村人の行き来さえ、今はどこにも見受けられない。

「……ちょっと急いだ方が良さそうだな」

荷車を長い距離引いてきた馬に申し訳なく思いながら、青年は握っている手綱を引いて歩き出した。

平らに均された道を進み、広場らしい開けた場所に出る。そこで村のどの家屋より大きい屋敷(とはいえ見た目は大差ない)を見つけた。
近づいて、しっかりとした作りの玄関の扉をやや強めにノックする。
少し遅れて女性の返事が家内から響き、木の戸がうっすら開かれる。
そこから顔を覗かせたのは丸い顔をした女性。おそらく先程の声の主だろう。
外にいた青年を見て不思議そうな表情を浮かべる。

「あら……どちら様かしら」
「予定時刻を過ぎて申し訳ありません。私は陸運ギルド“土竜”より派遣されたクラント・アスティという者です。依頼された荷をお届けに参りました」

すらすらと紡がれた青年の言葉に女性がみるみる顔色を変える。
驚きを隠さず慌てて女性が家の奥へと大きな声をかけた。

「あなた!あなたっ!来ましたよ!ついに届きましたよ!」

女性の声に負けず劣らずバタバタと騒がしい音が玄関へと近づいてくる。
息を切らたまま顔を出したのは恰幅のよく、人の良さそうな男性だ。
青年を、次いで背後に停まる荷馬車を見回して目を喜びに歪ませる。

「良かった……!これでなんとか乗りきれる……ありがとう、ありがとう……」

今にも泣き出しそうな男性から感謝を伝えられ、青年は僅かに顔を緩める。

「依頼主のアリグル村長様ですね。依頼された食料物資を確かにお届け致しました」

予め用意した堅苦しい言葉を告げながら青年―クラントは密かに安堵の溜め息を漏らした。



“未開地周辺の町村にて、原因不明の干ばつ”
そんな紙面を飾る言葉国内を回ったのは年の半ばであった。
例年通りの雨量があるにも関わらず、未開地周辺の町村に限り大規模な干ばつが起きた。
元々未開地は国の中心から離れた場所に点在している。当然その近くの町村はどこも辺境と言われても間違いのないようなところばかり。
その為、他所から食料を得るのが困難にあり、必然的にどの町村も飢餓に陥った。

その対処として現在活躍しているのが陸運ギルドである。
彼等のネットワークは陸続きであれば未開地近くまで広がっており、当然干ばつのあった町村もほとんどが彼等の行動範囲内であった。
素早い情報収集と食料物資の確保と運搬の手配。
それにより各地の陸運ギルドは現状干ばつ被害のあった町村の命綱となっていた。


普段は旅人で賑わっているだろう宿のホールが、今は村人達の喜びで満ちている。
そんな中クラントは連れの少女と遅い昼食についていた。
たまに向けられる視線をあえて無視しながら、香ばしく焼かれた鶏肉を口に運ぶ。

「ねぇねぇ!これなんか不思議な味がする!」
「この辺りが産地の香草を使ってるんだよ。よそじゃ滅多に出会えない貴重な味だ。よく味わって……」
「ごちそうさまでした!!」
「……人の話は最後まで聞け!」

ペロリと自分の分を平らげた少女に呆れながら、クラントは乾いたパンを千切って口に入れた。途中、人の分に手を伸ばす少女の手を叩き落としながら。

そこでようやく少女が周囲の視線に気づいたらしい。キョロキョロと辺りを見回してからクラントに体を寄せる。

「ねぇねぇ、何で皆こっちを見てるの?クラントがご飯を運んでくれたから?」
「三割はそれで正解だが、七割はハズレ。あの人たちが見てんのはお前だよナニ」
「え?何で?」

心底訳がわからないという顔をする少女にクラントは深い溜め息をついた。
実は行くとこ行くとこでこのやり取りを繰り返しているのだが、少女は驚くほど理由を学習してくれない。

人々は少女―ナニ・リリティアの幼さに注目しているのだ。
クラントもまだ二十代に差し掛からない若さではあるが、体力仕事の多いギルドの構成員で彼ほど若い人員はさして珍しくない。
対し、ナニは誰がどう見ても“女の子”と言えるほど幼いのだ。ここまで幼い、しかも少女となればいくらギルドと深い関わりを持つ人間であっても見たことはないだろう。
正直クラントもナニと同年代の少女・少年がギルドで働いている姿は見たことがない。

だが、世の認識がどうであれ現実にナニはギルドの一員であり、クラントと共に働いている。
なので誰から好奇の視線を送られようが構わないのが正解だ。
……それでも、少しは本人に自覚を持って欲しいとも思うが。

「おっし、それじゃあそろそろ行くぞ」
「え?あれ?今日はここで休まないの?」

さっさと立ち上がるクラントに対し、くつろぎモードに入ってたナニが狼狽える。
そんな彼女をクラントはおもむろにひょいと担ぎ上げた。ひょわと悲鳴を上げるのも無視して宿の出口へと大股で歩く。

「休むのはこっから二時間先にある町でだ。まだ仕事は終わってねぇんだ、急ぐぞ」

カランカランと宿のベルが可愛らしい音を響かせた。




再び、さして整えられてもない砂利道をクラントは馬を引いて歩く。
空となった荷車の中ではナニが「お尻が痛い」と一人喚いている。悪路での揺れがどれだけひどいか彼も十分承知しているため、その訴えは全て無視された。
少し機嫌の悪そうなナニが荷馬車の裾から顔を出す。

「ねぇねぇクラント。次の町って何て言うの?」
「ハジ町。この辺りじゃほどほどに大きいとこだな。尤も、そこも少なからず干ばつ被害があって他の奴が物資を運んでるはずだ」
「じゃあお仕事ってそこのお手伝い?」
「そうだな……あとそっちのルートからリマ村に届ける予定の物資の運搬もあるから……メインはそこだろうな」

二人がリマ村に届けた物資はごくごく僅かなもの。一日二日のしのぎにしかならない細やかな量だ。
本当なら何十規模の馬車隊でまとめて届ける手筈だったが、それでは人々が持たないとの報せが入り、急遽クラント達の馬車だけが先行して運搬を行った。
細やかにも関わらずあの村人の喜びようだと相当困窮していたことが伺える。

「じゃあ急がなきゃだね!」
「ああ。この先に分かれ道があるから、そこを越えたらペースを上げるぞ」
「はいさ!」

いそいそと荷台に引っ込むナニを見届け、クラントは傍らを歩く馬の顔を撫でる。
労いを込めた触れ方で伝わったのか、馬は彼に応えるようにブルル……と鼻を鳴らした。

そのまま進むこと数十分、そろそろ分かれ道に差し掛かるとこまできて、突然馬車が止まった。

「んん?どうかしたのクラント?」

ひょっこりと荷台からナニが顔を出す。
彼女が見たのは相変わらず手綱を引くクラントと、何故か足を止めた馬の姿だった。

「いや、俺は別になにも……どうしたんだ?」

クラントが馬に駆け寄り様子を伺うが、馬の方は特に疲れた様子が見られない。かといって機嫌が悪いようでもなく、クラントとナニは顔を合わせ同時に首を傾げた。

「お腹空いちゃったかなぁ?」
「お前じゃあるまいし、そんなはずないだろう。蹄鉄に石でも挟まったか?」

しゃがみこんで何かないか確認するが、そちらも変わった様子がない。
再びクラントが首を傾げると、突然大人しかった馬が高らかにいなないた。
そして、力強く足が地を蹴る。

「なんっ……!」
「きゃああああああ!」

クラントは咄嗟に転がり、馬車から距離をとる。
勢いよく走り出した馬は荷車ごと砂利道を進みだし彼から離れていった。共にナニの悲鳴も遠ざかるため、どうやら彼女はまだ荷台に乗ったままらしい。

「なんだってんだよ……!」

悪態をつきながら飛び起き、急いで彼も走り出す。
しかし馬と人間では早さの差が歴然。みるみる間に馬車は見えなくなる。
ただ、騒がしい車輪の音は遠ざかりながらも聞こえ続けており、クラントはそれを頼りに力の限り走った。
しかし、それも数分で聞こえなくなる。嫌な予感が頭を満たす中、彼はひたすら自分の出せる精一杯の速さで駆けた。



それから更に数分。
始まりが唐突なら、終わりも突然だった。
馬車は走り出してからそう遠くないある場所で停まっていた。
横っ腹を痛め、息を切らせながら追い付いた彼はゆっくりと馬車に近づく。

馬は先ほどの激走が嘘のように落ち着いていた。ただ、フンフンとしきり顔を何かに擦り寄せている。
チラリと覗けば、荷台の中でナニがのびていた。目立った外傷は見られないため、驚きのあまり気を失ったようだ。
続いて馬に歩み寄る。近づくにつれて何に顔を寄せているかが明らかになった。

馬が熱心に顔を寄せるそれは、ナニと年の変わらない子どもだった。
樹の幹に体を預けすやすやと寝息を立てている。奇しくもそこは目指していた分かれ道の丁度真ん中でもあった。
普通なら何を呑気なと呆れる場面だが、クラントは子どもの稀有な外見に目を奪われた。

真冬の雪のように白い髪。その白のほんの一部にだけ青い髪が混じっていて、髪飾りの黄金色が相反するように光る。
肌の色も驚くほど白く、呼吸に合わせて体が動いていなければ人形だと思ってしまいそうだ。
およそ浮世離れした容姿。

そこへ馬が容赦なく鼻をぐいぐい押し付ける。
するとピクッと子どもの体が震えた。
ゆっくりと白い睫毛を持ち上げて開く目にクラントはまたも目を奪われる。

大きな大きな晴れ渡る空を、冷たく静かに透き通る氷で写したような青い瞳。

見開かれた目が宙をさ迷い、やがてクラントを見る。
瞬間ぞくりとしたものが彼の背筋を走り抜けた。
この世ではないどこかに迷い混んでしまったような謎の感覚。
心臓が早鐘を打ち、興奮とも悪寒とも取れる波が全身を満たす。
時間が止まったのではないかという錯覚に陥り、混乱する彼の耳に声は響く。


「…………ダレ?」


真っ直ぐこちらを見つめる空の色にクラントの姿が写っていた。


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