冷厳の盾



ぐちゃぐちゃとしたものが密集する。
ぶつかり合って、混ざりあって、やがてそれはひとつの塊になった。
生まれた塊は、荒野の乾いた砂の感触を確かめながら小さく呟く。



「どうして生まれたんだろう」


+++
広大な土地を有する学園の東に位置した学生寮は、空を穿つほどに高く聳えている。
時はのどかな昼時。そんなずっしりとかまえた建物が地響きと共に小刻みに震えた。
何事かと生徒達は周囲を見渡した。地震とは違うズズズと、遠くで何かが動く音がする。
やがて、一人の生徒が空を見上げて何事かを叫んだ。周囲の人々もそれに続いた。そして、地響きの理由を理解する。

地上から九十メートルは離れた男子寮の部屋から、小さな煙が立ち上っていた。
燃えているのではない。物が壊れた際の塵が煙のように舞っているのだ。
大抵の人間なら、野次馬として状況を見に行っただろうが、場所が場所であり、またその場にいるであろう人物も人物だったため、誰も動こうとしなかった。

彼等は思う。
触らぬ帝に祟りなし、と。




ディミルダ・トゥリスは成績優秀者の特権として学生寮の18階を丸々宛がわれている。
広々としたリビングに広々とした寝室。更には書斎に大きな風呂とまるで貴族のような待遇を一生徒ながら与えられる。

そんな他生徒からすれば夢のような室内に、今は粉塵が充満していた。
元々備え付けられていたソファーや棚が無惨に部屋の隅で転がり、床には色々なものが転がって塵を被っていた。
そんな視界が悪い濃い塵の中、部屋の主は何も気にした様子はなく服に付いたゴミを軽く手で払う。

「ずい、ぶん、余裕、だな、オイ……!!」

怒気を含ませた幼い声がディミルダの正面から響いた。
真っ白に宙を舞う粉の中、パリッパリッと空気を割く音が立つ。
それは徐々に大きく肥大し、やがてうっすらと光る球体のようなものが出現する。

「くたばれ畜生ゥーー!!!」

バヂバヂッ!

鋭い爪で空気を引っ掻くような音と共に光球―電気と風を組み合わせた力の塊がディミルダに迫る。
が、彼は左の手の甲でそれを払って消す(正確には皮膚に触れる直前に反対の魔力で力を相殺する)と、大きく右の手を振るう。
それに合わせてバックリと粉塵が割れた。
中心にはまだ年端もいかない少年の姿をした彼の使い魔が立っていた。
小生意気な顔が歪み真っ青になる。
それを興味もなさそうに見つめたまま、ディミルダは振るい上げたままの右手を構えた。
そして、手刀のように手を降り下ろす。

ゴンッ!

硬質な音が部屋に響いて、使い魔の体が倒れた。
見れば頭に大きなコブ。ディミルダがハンマーの如く固定化した空気に殴られたのだ。
彼は倒れた使い魔の脇に落ちているものを拾うとそれに積もった塵を払う。

「全く、読みかけの本が汚れたじゃないか」

部屋の惨事には目もくれずそう呟くと、ディミルダはお目当てのページを開きそのまま読書を再開する。
無残な姿の家具たちが元に戻されたのは彼が本を読み終え、使い魔を叩き起こした後のことだった。




「ラース。お前は“放出型”の悪魔だと言ったな」

部屋の片付けが済んだ昼過ぎ。
ディミルダから発せられた言葉にラースは目を見開いてその場に固まった。

「ディミルダが……傲慢男がオレに話しかけてる……?!どうした……今日は槍でも降んのか……!」
「素早い返事」
「いでっっ!!」

驚きに顔を青ざめたラースに、またもディミルダによる不可視の手刀が下ろされる。
頭を抱え痛みに縮こまるラース。目にはうっすら涙が浮かんでいる。

「いちいち叩くなよ……しかもさっきと同じとこを狙いやがって……鬼畜」
「返事」
「いだっ!いだい゙!だあぁぁぁ!そうだよ!オレは“放出型”だよ!いてぇっ!」

ゴツッ!ゴツッ!と空気の塊がラースを叩く音が響く度に彼は悲鳴を上げる。
他人が見れば小さな少年が虐められている可哀想な風景だが、二人だけの場に同情する人間はいない。

「で、お前と対極に当たるのが“生産型”……人間と同じ魔力構造を持ってる悪魔だったな」
「そうだよ。いたっ!でもアイツら、弱っちぃけどな……いたたっ!あーもう!意味もないのに叩くなってーの!!」

犬歯を剥き出しにして怒り叫ぶラースにディミルダは何も言わない。
淡々と自分の言いたいことだけを述べる。

「現状、お前の動きは非効率だ」
「あ゙!?」
「多少マシにはなったがまだまだ魔力の使い方が悪い。更には先程のように勝手に消費までする。供給してやる身のことなど考えもしない」
「待てコラ!何が供給だ!こっちは毎日腹がペコペコなのに三日にいっぺんぐらいにちょ〜〜〜っとしか与えない奴がどの口で供給って言って……いたいっ!だから叩くな!」
「お前が育つにしても実に手間がかかる。俺は必要なものに手間隙を惜しまない性格だが、流石に限度というものもある。
そこでだ。お前に“リード”をつけようと考えた」
「…………リード?」

痛みに騒ぐことを止め、ラースは丸い目でディミルダを見つめる。
琥珀に似た色の瞳が細くつり上がり、形のよい唇は綺麗な弧を作り上げた。
愉しげな様子を察したラースは小さな体をぶるりと震わせる。

「こ……これ以上何をしようってんだよ……!」
「どうってことないさ。お前にいつでも食べられる俺以外の“餌”を用意してやる。ただそれだけだ」

ニタリと笑みを浮かべディミルダは部屋に置いてあった黒杖を手に取る。
そして先ほど読んでいた本を持ち上げるとその視線を自分の使い魔に向けた。

「行くぞラース」




ディミルダが向かったのは寮の程近くにある訓練場だった。
魔法練習用の施設は練習する属性に合わせ複数の部屋がある。
その中で彼は比較的広く、とにかく頑丈に作られた部屋に入った。
頑丈が取り柄なだけの、特に属性耐性の施されていない室内には誰もいない。

道具も特になく、しいていえば床一面に張られた砂と無機質な鈍色の壁が特徴とも言えた。

その砂上にディミルダは黒杖である紋様を描いていく。
円陣に、細かく刻まれていく文字の羅列。
それを見たラースがポロリと口から言葉を漏らした。

「まさか……新しい使い魔を召喚するわけ?」
「それ以外の何に見える?」
「いいのかよ。少なくとも周りで使い魔を複数使役してる奴なんて見たことねぇけど」
「前例がないわけでも、学園の規則で禁止されてるわけでもない。問題はないぞ」

ザッと砂を掻く音が止み、立派な魔方陣が出来上がる。
ディミルダは陣の近くに立つと右手を魔方陣に向けて翳した。

「ラース、お前の仕事は簡単だ。まず出てきた奴を確認しろ。そして力で押さえつけてしまえ。それだけだ」
「オレと同じ形式かよ……」
「全く同じではない。これから喚ぶのは悪魔の“放出型”だ。お前にはうってつけだろう」
「なーるほどねー」

ディミルダもラースも事を簡単に受け入れているが、実は召喚儀で呼び出す相手を特定することは難しい。
召喚師と呼ばれる専門家はそれに長けるが、少なくとも初級魔術である使い魔召喚で複雑な召喚物固定に挑むものは少ない。
挑んでも失敗することがほとんどだ。

しかし、魔方陣を見つめる二人の目には失敗を気にした様子が微塵もない。

成功するという確固たる自信。

それを滲ませるように高らかな詠唱が硬い部屋に反響する。

『歪め、空間の掟。開け、万物をねじ曲げて。喚べ、魂を。
我、体に流るる魔脈に沿いし者を求めん』

ディミルダの詠唱に合わせて魔方陣が自ら光を放ち始める。
白、赤、青、緑、黄、紫……数多の色がぶつかり合い、混ざり合い、やがて光は暗い闇色を宿す。
魔の者を示す色。
そこにディミルダ自身から溢れる魔力が加わり、ぼんやりと魔方陣の文字が妖しく浮かび上がる。

「ディミルダ・トゥリス。この名と力を基に、此処にそなたを導かん」

暗い光が魔方陣の中心に集まる。
やがてそれは盛り上がり、膨らんで、勢いよく弾けとんだ。
光が拡散し、その中央に物影が現れる。
その姿を認めて、ラースは顔を怪訝そうに歪めた。

「コイツ…...!」
「………」

二人が見つめる先。
魔方陣から現れたのは、塊だった。

粘質のあるヘドロが集まったような、表面を鈍く光らせた塊。
大きさは三クローあるといったところか。
ゆっくりと全体が起伏を繰り返している姿は、静かに呼吸しているようだった。

「……ラース。これは何だ」

不可解さを表情に浮かべてディミルダは傍らの使い魔に問いかける。
一方のラースはいつの間にかつまらなさそうにしゃがんでいた。
先ほどの怪訝な表情ではなく、今は呆れにも似た眼差しを塊に向けている。

「何だと思う?」
「言え」
「お前が喚び出した通りだよ。コイツはオレと同じ下級悪魔」
「その割には知能がないように見えるが?」
「当たり前じゃん。だってコイツ、生まれたてだし」

ディミルダはラースへ視線を移した。
ぐいと腕を伸ばして長い時間を生きている悪魔が立ち上がる。

「正真正銘、オレらの生まれたばっかの姿。まだ自分すら分かってない生まれたてホヤホヤの赤ちゃんってこと」

『ヴ……』

ズルズルと音を立て塊が小さく動く。
まるでラースの言葉に反応するように、少しずつ大きな体が二人の傍に近づいてくる。

「魔力のないこっちに喚ばれておきながら自壊しないってことは一応“生産型”みたいだけど?コイツでいーの?」
「力は?」
「さぁな〜。まぁでも、魔力がろくにない此処を自力で動ける程度の根性はあるんじゃね?」
「いいだろう」

ざりっと砂を踏んでディミルダは塊の前に立つ。
塊も接近に気づいたのか動きを止めた。様子を伺うようにジッと大人しくしている。

「契約はできるんだろう?」
「このままじゃ無理じゃね?まだろくに器官も作れてねーのに言葉がわかるはずねぇし。
あーあ。これが下なら食い時なのになぁ」

声に残念さを含ませてラースは塊に歩み寄る。
そしてその体表に手を添えると、外見に似合わぬ凶暴な表情を浮かべ紅い目を光らせた。

「そら、感じろよ。生まれて最初の恐怖を。
お前は誰だ?
どこにいた?
ここはどこだ?
触れてるのは何だ?
知れ。そして思い出せ。
お前の魂は、どこにある?」
『ア゙……ア゙ア゙……』

ぶるりと塊が震える。
ずりとラースから離れるように後退るが、ラースはその手を離しはしない。
やがて本格的に震え出す塊に、ラースは囁きかける。

「食ってやろうか?」
『―――――!!!』

不気味な音が部屋に木霊し、次の瞬間変化は起こった。
塊がその体をズルズルと崩れさせる。ぺしゃりと潰れ、水溜まりのように広がった。
そして今度はラースの足元の体表がゴボリと盛り上がる。
それを目掛けて凝縮する体。数秒で一クロー程の球体が出来上がる。

ピシリと、表面にヒビが入った。
裂け目は広がり、やがて漆黒の羽となって左右に広がる。

「それが“お前”か」

黒い両翼を広げた中心には、先ほどとうって変わり人の形を持った塊がいた。

肩までかかる黒い髪の隙間からラースとよく似た紅い目を光らせて、生まれたばかりのそれは出来たばかりの器官でディミルダを見つめた。



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