
“自由”
矮小なヒトよ。お前はソレを何と考える?
ほう……今所属する団体から抜け出したいと?
ならば今すぐ抜け出すがいい。今居る団体という居場所を“代償”に。
何を躊躇う?
恐ろしいのか?世間体を失うこと。団体の内に在る繋がり、それが消えること。
だったらそのまま、その団体に所属し続けるがいいさ。
所詮お前は“代償”を払うことも出来ぬ者だと、そう呼ばれるだけだ。
それでも“自由”を望むと?
そうか、それならお前はただの愚か者だな。
そうだろう?“代償”も払わずに何かを手に入れようなど、愚の骨頂とも言える甘ったれた考えだ。
そもそも、“代償”を払わなければ生きてはいけない。
生き物とはそういうものだ。
ん?意味が分からないと?
ほほう、お前はとんだ阿呆のようだな。
ならば話そうじゃないか?
ただ一時語られるのみの例え話を。
……とはいえこれは俺の一つの意見であり、一種の極論。
受け入れる受け入れないはお前の自由だ。
俺の言う“代償”。それは全ての行動に必要不可欠な犠牲だ。
例えば、今お前は歩いていることにしよう。
歩くためには足がいる。
しかし足だけあっても歩くことは叶わない。
何故?
馬鹿かお前は?
人体を機械だと思い考えてみろ。
動かすためには何がいる?
電気?
……まぁいいだろう。つまりは燃料がいるわけだ。
動かすための謂わばエネルギー。
もう分かるだろう?
歩くには足が必要で、足を動かすにはエネルギーが必要だ。そして同時に体力も。
この場合、歩く行為にはエネルギーと体力を消耗することになる。
そしてそれこそが、歩くために失うもの……つまり“代償”だ。
しかしこの場合の“代償”は払い続ければ続けるほど失い、底につく。
ならばすべきは?
そう補充だ。
その補充には何がいる?
食物だ。
食物とは何だ?分かるだろう?
植物。もしくは動物の体、その命。
それが補充の“代償”。
では元となる命はどう育まれる?
我々と同じさ。
例えば食物となる豚は植物の命を“代償”に育つ。
その植物は大地の水分と栄養分を“代償”に育つ。
そして大地は栄養分を蓄えるために地上の落ち葉や生き物の骨。即ち数多の朽ちた命をまた“代償”とする。
分かるか?“代償”を払うために必要な“代償”は永遠に連鎖する。
生きている限り、全ては“代償”を払い続けなければならない。
それが生の“代償”。
この世の決められた理。
……と、俺は考えている。
何を呆けた顔をしてるんだ。言っただろう、これは俺の独論だと。
しかしまぁ、本当にお前は臆病者だな。
“代償”から目を背けて生きることほど愚かな事はない。
……まぁ、“代償”と騙り自らではなく他人を無差別に侵し「これが私の払う“代償”です」と語る愚考を抱いていないところは、まだマシだと思ってやろう。
ヒト程“代償”を払い続ける生き物もまた珍しい。
生きるためだけではない、自己満足のために何かを“代償”にする生き物。
また逆も然り。自らではなく、他人のために何かを“代償”にするのが当然とするのもヒト。
動物の中にも己のため以外に“代償”を払うものもはいるが、それは殆どが一つの群れ、コミュニティーの中での話。
ヒトのように、数多ある他のコミュニティーにも影響を及ぼす“代償”を払う生き物はいないだろう。
……うん?多少は理解できたと?
別に俺はお前に理解しろとは言ってないぞ。馬鹿か?
まぁ、お前は自分の時間を“代償”にして俺の話を聞き、何かを得たというのなら……。
得たものは“代償”に相応しかったか?
矮小な、珍妙なヒトという種族の一人である人よ、これで話は終わりだ。
次来た時はお前の答えを持っていることを期待するとしようか。
見つけていなければ心行くまで罵倒と嘲笑を贈ってやろう。
見つけたのなら……その時はまた別の議題を送ってやろう。
時間を“代償”に、な。
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当たり前のことを偉そうに言うキャラってなんかいいよね。
