side K 「邂逅」


数日前、ある上司から一本の電話を拝受した。

『本庁での北条一華の行動を監視しろ』

それ以上の説明は無し。目的は不明。
デスクの上に積まれた未完成の報告書を思い出し、風見は頭痛を覚えた。

(とは言え……北条って、誰だ?)

スタート地点は、まだ遠い。



「北条さーん、証拠品来たから解析お願い」

現場から回収した証拠品の箱を抱えて風見が訪れたのは、サイバー犯罪対策課のフロアだった。
入口近くにいた男に声を掛けると、雑然としたデスクの集合体に向かって誰かに呼びかけた。
何人かデスクのパソコン画面から顔を上げたが、呼ばれたのは自分ではないと分かるとまた顔を臥せる。職務上、コンピュータと向き合う時間が長い為、他の部署に比べて動きが少ない。

おーい、ともう一度男が呼ぶと、ゆらりと不安定に立ち上がる姿が見えた。若い、と率直に思った。華奢な肩を回しながら重い足取りでこちらに歩いて来たが、よく見れば表情は涼やかで、むしろ考えが読めないタイプだ、と風見は思う。
目が合ったが、女は無表情なままだ。自分も愛想は無い方なので文句は言えない。

「公安部の風見だ」
「お疲れ様です。北条です」

若い見た目の割りには、落ち着いた声色だ。

「此方のハードディスクの解析をお願いしたい。詳細はこの書類を」
「…はい」

返事までに僅かな間があった。
何かを察したらしい彼女の同僚の男は、途端にあたふたし始めた。

「いや、北条さんしか空いてないしさぁ…」
「…空いているように見えますか」
「あ、いや…ほら、分かるだろ?頼むよ…」

二人の前に進まないやり取りに、風見は少々苛立ちを感じる。風見とて自分の部署に戻れば溜まった仕事が待っている。暇ではないのだ。

「見たところ新人のようだが…君にできるのか?」
「……」

感情の色を持たない冷めた視線が、こちらに移動した。
その視線の既視感に、ドキリとする。
風見が最も尊敬し、最も畏れる上司の眼に似た何かを感じたのだ。一瞬ではあったが。

「な、何だ」
「証拠品、お預かりします」

北条は箱を持ち上げると、さっさと自分のデスクへ戻って行ってしまった。風見は何か文句の一つでも言われるかと内心身構えていた為、拍子抜けしてしまった。動揺した態度を見せた事を後悔する。
隣で恐る恐る彼女を見送っていた男は、今度は風見に近寄って来た。

「風見さん、彼女のことご存知無いんです?」
「いや…」
「おっかないですよ、北条さんは。まだ入って二ヶ月で、三年目のヤツの倍は仕事してますから…」

おっかないのは仕事だけじゃ無いですけど…と耳打ちされる。

「だから何だと言うんだ」
「今ウチ持ちの事件重なっちゃって、みんな作業抱えてピリピリしてますからね。急ぎなら特に、頼めるのは彼女しかいないって事です」

ココも確かですし、とその男は腕を叩いた。
なるほど、作業の早い彼女にどうしても仕事を多く回してしまうという状況のようだ。

用事は済んだのでこれ以上留まる必要もなく、風見は足早に部屋を後にした。


「風見警部補」

廊下を数歩歩きだしたところで、背中から呼び止められる。先ほど話したばかりなので、誰かは直ぐに分かった。振り返ると、予想した通り北条が立っていた。

「公安部というのは、警察庁から指令を受ける事がありますよね」
「…何の話だ」

北条が数歩進み、距離を詰める。
風見は内心ギクリとしていた。監視しているのが伝わってしまったのかと思ったからだ。
仕事柄顔には出ないようにしているため、見た目には分からないはずだと、自分に言い聞かせる。

「知り合いがいるんです…おそらくですが」
「それが何だ。知人なら、自分で連絡すれば良いだろう」
「うーん…まあ、そうですよね」

北条はそう言うと、口の端を少し上げた。彼女にも心があるのだと感じさせる笑みだった。長い睫毛に縁取られた硝子玉のような眼が、悲しげに揺れた気がした。
風見はその独特な魅力にのまれそうになり、思わず目を逸らした。

監視対象に接触しないようにとは言われていないが、距離を詰め過ぎるのは得策では無い。

「仕事が溜まってるんだろう。こんな所で油を売っていていいのか」

そう言うと、北条は肩を竦めた。

「引き止めてすみませんでした。では、また」

北条は軽く会釈をすると、踵を返して持ち場に戻って行った。

風見も息を吐いて再び歩き出したが、はたと立ち止まる。
結局彼女は、自分に何の用事だったのだろう。
公安と警察庁の繋がりなど、知っている者は知っている事だ。わざわざ作業を止めてまで確認するような内容とは思えない。
そもそも、ただ証拠品を運びに来た初対面の男に、公安部というだけで個人的な話をするだろうか?
思案するうち風見はひとつの答えに辿り着き、急に背筋が寒くなった。

(あの女、自分が警察庁の人間と関わっている事を初めから知っていて話し掛けて来たのか…?)

咄嗟に後ろを振り返ったが、当然もう彼女の姿は無い。
監視役のはずが、逆に相手に監視されているような気味の悪い感覚に陥った。

(ああ、この状況をあの人が見たら何と言われるか…)

ストイックで容赦の無い上司の顔を思い浮かべ、風見は一層肩を落とす。

この時はまだ、まさか彼女が自分と同じ人物の事を考えているとは思いもよらなかった。






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